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森の中を駆けていた。
セミラから送られてきた映像のみを頼りにして、暗い森の中、月の光すら遮断された――――<禁止の森>を駆け抜ける。
目指す場所は決まっていた。
昨夜、マリアティアが封印されていた“赤い筐体”を回収した空間――――
セミラから送られた映像は、あの場所に酷似していた。
「――――セミラ」
何度呼んでも、セミラからの応答も反応もない――――こういう時、普通の魔術師ならば、使い魔がどのような状態にあるのかを把握する術ぐらい知り得ているのだろうが、僕にはどうすることもできない。ここでも、不甲斐無く未熟な自分に腹が立った。
先ほどの戦闘でもそうだ。
メイザース家の魔術師――――オーランド・メイザースは、使用する魔術や、その魔術に対しての知識、そして魔術師としての素質や素養は、間違いなく一流だったが、戦術や戦闘に関しては素人も同然で、まるで新しいおもちゃを自慢する子供と何ら変わりなかった。
初めから<ベリアルの魔眼>を使用しておけば、ここまで手ひどい傷を負う必要もなかった。
「ちくしょう。頭が…………くらくらする。それに……血が足りない」
僕はボロ雑巾のような左手を抑えながら、そこら中に裂傷と火傷を負った体に鞭を打つ――――僕が駆けた後は血の跡が滴り、まるで目印をつけながら走っているようだった。見つけてくださいと言わんばかりに。
それでも、僕を追跡するモノや、襲い掛かるモノはいなかった。
本来なら、この森は立ち入りが禁止された“区域”であり、許可なく立ち入ったものには容赦なく“森の番人”である<魔術生物>が排除に乗り出すのだが、僕は<執行者>の特権ともいえる<許可証>をもっていたため、排除を間逃れることができた。
昨夜の執行の際に龍驤琴乃に渡され、今朝返し忘れていたのだ。
本音をいえば返さずにいようと思っていた。
「だけど、今さらマリアティアを探したところで…………」
僕は、その先を呑みこんだ。
セミラから送られてきた映像を見る限り、マリアティアが生きているとは思えなかった。
おそらく、すでに魔術師儀式の最中だろう。
それでも、僕にはマリアティアのいる場所に向かわないという選択肢はなかった。
行ってどうなるかは分からないが、それでもその場所に行く――――
「……………………」
だけど、目的場所にたどり着き、実際にそれを目の当たりにしてしまうと、僕はあまりにも悲惨で壮絶な光景に言葉を失ってしまった。
「――――こんなことって、ウソだろ…………マリアティア?」
森の一部を切り取られたかのような、異様な空間――――
まるで世界から切り取られ、無理やり切断されてしまったかのような“空間”には、巨大で複雑な“魔法陣”が描かれていた。
そして、その中心には――――無数の槍で串刺しにされたマリアティアがいた。
まるで祭壇に捧げられる生贄か供物のよう、処刑された聖人のように横たわっていた。
少女の体中からは赤い血が流れ、やはり赤い衣を纏ったようだった。
「やれやれ、たかが“異端者”一人――――“悪魔憑きの孺子”如きを捕獲できないとは? オーランドには荷が重すぎたのか? それとも外の魔術都市に出すには早すぎたか? …………いや、私の眼が曇っていたのだろう。どちらにしてもメイザースの名折れだな」
描かれた魔法陣は“十の円”で構成され、その円は“三列”からなっていた。
中央に“四つ”、左右に“三つ”の円が並び――――それぞれの円を“線”が繋いでいる。
マリアティアは中央の列――――奥から“二つ目”の円の上に寝かされていた。
そして、その声の主は――――中央“一番奥”の円の上に、胡坐をかいて座っていた。
目を瞑り両手を膝の上に広げて置いている姿は、まるで瞑想をしている僧のようだった。
おそらく二十歳を過ぎたぐらいの男性だろう。その雰囲気は厳粛としていた。長い髪の毛を三つ編みにして肩から流し、そしてオーランド・メイザース同様、銀と鎖の装飾が施された、幾重にも重なった黒のローブを身に纏っている。
「お前がっ、お前がマリアティアを――――あんな小さな女の子に、こんな酷いことをしたのかッ?お前が、マリアティアを殺したのか? ――――答えろおおおおおおおおおおおおおおッ」
僕は怒鳴った。
すると目を瞑っていた魔術師が、ゆっくりと瞳を開眼させる。
その人物は、オーランド・メイザース同様に、凍てつくような青い瞳と美貌をもっていたが、立ち上がると信じられないくらい大きな男で、その巨躯は二メートルを超えてなお天に伸びて行くようだった。そして黒のローブを身に纏っていてなお、それが逞しく鍛え抜かれた肉体であることが伺え、まるで巨大な壁か、巌が目の前に現れたようだった。
魔術師でありながら、武人のような雰囲気すら感じられた。
気圧されていた。
「少々、手荒い真似をして申し訳なかったと言っておこう。母が違うとはいえ、愚弟の非礼は詫びなければなるまい? この場においてメイザース家を代表する――――このガラアーベント・メイザースが、直々に謝罪しよう」
冷たく鋭い瞳で射抜くように僕を見据えた巨躯の魔術師――――
ガラアーベント・メイザースと名乗った魔術師が謝罪を口にした。
その魔術師の名は、迦具夜今日子が口にした名だった。
「そんなことで…………マリアティアを殺したことを赦せっていうのか? ふざけるなあああ」
僕は、今にも飛び掛かからんばかりに声を荒げた。
僕と、ガラアーベント・メイザースとの間には四つの円があり――――
僕は一番手前の円の上に立っている。
今直ぐにでもマリアティアの元に駆け寄りたかったが、ガラアーベント・メイザースから発せられる渦を巻くような魔力と、静かな重圧が、僕の足を地面に釘付けにした。
ここは、すでに魔術師の魔術の中――――
迂闊に動けば一瞬で殺られる、そんな死の気配で充満していた。
「何か勘違いをしているようだ――――」
「勘違いだと?」
「私が非礼を申したのは、手荒な真似をしてしまった<ベリアルの魔眼>に対してであり、その器である君や――――そして、すでに捕獲し終えた“聖人”に対してではない」
ガラアーベント・メイザースも――――愚弟と呼んだオーランド・メイザース同様に、僕ではなく僕の右目に向かって話をかけていた。
どうやら、僕のことなんか眼中に入っていないらしい。
「それに、この“聖人”は、もともと魔術儀式のために調整された――――いわば“偽物”であり、使い捨ての“儀式用具”に過ぎない。そのようなものをどう扱おうと君には関係のないこと。君も一応は魔術師なのだろう?」
「僕が魔術師かどうかなんてどうでもいい――――マリアティアが、魔術儀式用に調整された“偽物”って、どういうことだ?」
「やれやれ、魔術師であることを否定するのならば、君はこの魔術世界では生きていけないだろう。ここで死なずとも、君は近いうちに死ぬことになる。我がメイザース家は占術の名門でもある――――“占星術”」
オーランド・メイザースは夜空を指して、そこに浮かぶ星々に意味を見出そうとした。
「――――“タロット”」
空を指した手の中に一枚のカードが現れる。
“十三”と描かれた“死神”のカードだった。
「どちらも君の“死”を予見し、死は君を祝福しているようだ」
「あんたは、つまらない占いと手品を――――クソみたいな“大道芸”でもやりに、わざわざ極東の魔術都市に来たのか? メイザース家ってのは一門揃って暇人の集まりなんだな?」
「つまらない挑発だ。この私を、オーランドと同列に扱って欲しくはないな」
魔術師が僕の胸の内を読み、憐れだと言いたげに溜息を落した。
「いいだろう、少しばかり君の問いに答えよう。君は、我がメイザースの魔術師を打ち破り、ここまでたどり着いた――――敬意を表するには十分に値する」
ガラアーベント・メイザースは、立っているのもやっとな僕の姿をちらと見て続けた。
「まず、間違い一つ正しておこう。君は――――私が、すでにその聖人を殺したのだと思っているようだが、それは間違いだ」
「…………間違い?」
「その聖人は死んではいない。そもそも魔術師が聖人を殺すことなど、不可能と言ってもいい。為すべき救済も行わずに死ねるほど、聖人の奇蹟は生易しくはない」
「――――マリアティアが死んでいない?」
「その霞んでいる左目で、曇りなく見定めたまえ。そして、魂を見抜く君の右目を視開いてみるといい――――聖人の魂、そして奇蹟が見えるはずだ」




