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「ヨハン、たいへんにゃ――――――――――――――――――――――――――――」
迦具夜今日子からの魔術師、及び聖人の講義を終えた後――――
彼女が図書館に張った結界を一歩外の出ると、セミラの声が僕の脳を揺らした。
「どうした?」
僕が尋ねると、セミラが要領を得ない言葉でまくしたてた。
「今ままでにゃにをやってたにゃ? いくら呼んでも返事もにゃしで、回廊も切れてたにゃ。聖人が大変にゃ。部屋のにゃかから消えたにゃ。セミラの目の前から消えたにゃ」
「消えた? どういうことだ」
僕は図書館を出て即座に校内を駆けた。
まさか、迦具夜今日子の結界の中にいる時に、マリアティアに何かが起きるなんて――――
いや、昨日のことを考慮して、その可能性を考えておくべきだったんだ。僕はバカか?
「…………とにかく、セミラはそのままマリアティアを捜索してくれ。僕も直ぐに追いつく」
「わかったにゃ。だから、こんばんは大トロがいいにゃ」
「もしもマリアティアを見つけたら、大トロのご褒美に加えて……一週間固形の餌はやめるッ」
「にゃんですとっ。セミラの全魔力を捜索に費やすにゃ」
セミラはそう言うと、意気揚々と捜索に乗り出した。
セミラの話しを聞いた限り、マリアティアが僕の部屋から消えてからまだ十五分も経っていない。マリアティアぐらいの少女の足なら、短時間で行ける範囲も限られているはずだ。
僕は、この<庭都魔術学園>付近に絞って捜索することに決めた。
しかし、マリアティアが本当に彼女の言う通りの聖人だった場合、その奇蹟によって何が行えるかは未知数――――瞬間移動的なことができるのかもしれないと考えて、この方針が正しいのかどうか不安になった。
「そんなことを言ってもしゃーない。とにかく、足を使うしかない」
僕は学園を出て付近の捜索にあたった。
庭都魔術学園のある“学生特区”は、基本的に学生たちの街であり、閑静な住宅街といってもいい。立ち並ぶ灰色の住居群と、いくつも点在する時計塔の隙間を埋めるように樹木が彩りを添えて、穏やかな風景をつくりだしている。
学生特区の中心地には魔術都市の主だった移動手段、“モノレール”と“地下鉄”の駅があり、その駅を取り囲むように“繁華街”が広がっている。繁華街には、ショッピングモールや映画館、アミューズメントパーク、スポーツを行うスタジアムなどが立ち並んでいる。
まさか、そんな人の多い場所にマリアティアが向かうとは思えなかったので、僕は中心地とは反対の過疎地――――広大な森林公園の方へと向かい走った。
森林公園の奥には、魔術学園の生徒が足を踏み入れてはいけない“禁止区域”――――
<禁止の森>と呼ばれる森が広がっている。
この森は、魔術儀式や課外授業などに使用される森であり、危険な“魔術生物”や“幻獣”などが生息し、魔術儀式の痕跡が残ることから、とても危険な場所であると言われている。
ちなみに、この魔術都市にマリアティアを運び込んだ異端者たちと邂逅したのも、この森の中だった。
「――――可能性としては、一番あり得るな」
太陽は夜の闇に呑まれるように西の空に落ちていく。
僕は急いで森林公園へ向かった。
夜の空気は刺々しく、それでいて冷たかった。
静かすぎる――――
まるで獣が息を潜めているみたいに。そして自分がすでに獣の胃袋の中にいると確信した時、“狩りの時間”はすでに始まっていたことを――――全てが遅きに失したことを理解した。
「――――囲まれてる?」
僕は首に巻いた聖骸布のレプリカで顔の半分を覆い、右目の眼帯を外してあたりを見回す。
森林公園の中、立ち並ぶ木々や、点在する遊具にまぎれているが、反応は十六――――
“使い魔”の類だろうか?
魂の形が安定していないせいかハッキリとしていなかった。
<ベリアルの魔眼>は、“魂”や“生命エネルギー”のようなものを“視覚”で認識することができる。それが偽りであろうが、そこに“魂”や“生命エネルギー”をもって動くものがある限り、そして“死”という概念が当てはまる限り――――
この“魔眼”は死を齎すために、死を視定める。
僕は拳を握って構えた。
呼吸を整えて体内の魔力を練り、半身になって左足を引く。重心は右足のみに、左足はつま先で地面に触れるだけ。湖面にわずかな波紋も立てない繊細さで。
引いた右の拳を、腰よりもやや高い位置に置き、左の掌を突き出す。
構えた肉体で天地人を表す“三体式”――――大陸の武術、“功夫”や“発頸”を応用した<体術式>。魔術が全く使えず、“執行者”になって日の浅い未熟な僕には、この<体術式>と<ベリアルの魔眼>しか武器がない。
そして、その戦術も至極簡単であり、浅墓――――
基本的に開放した“魔眼”の力で対象を補足して死を近づけ、<体術式>の一撃で確固撃破していくというものだ。
そして、今、暗闇から飛び出した対象に向けて、僕は何百何千と繰り返してきた拳を突き出す――――
大陸の武術、発頸をもちいた―――――――“崩拳”。
それを正面から受けた“黒い獣”のような“ナニカ”が、僕の拳を受けて四散し、夜の闇へと消えていく。
打ち込んだ体内の気――――“頸”を魔力で代用し、相手の体内で爆発させる<体術式>の一撃は、魔術師相手だけではなく“使い魔”のような“ナニカ”を相手にしても効果があった。
「――――二体同時?」
今度は左右から“黒の獣”が、僕の頸動脈を目がけて飛びかかる。
僕は拳を突き出す際に踏み込んだ右足を軸にして、左足の蹴りで左の対象を迎撃――――そして、左足の反動を利用して右足を後ろ回し蹴りの要領で対象を追撃した。
右足の踵が命中した対象は、ボロ雑巾のように地を転がる。
達人の領域になれば、蹴り技にも頸を流し込んで攻撃に用いることができるらしいが、僕には右拳の発頸――――“崩拳”のみで精一杯だった。
「次ッ」
そして、正面から飛び交ってきた対象に初撃と同様の崩拳を打ち込む。
爆散した対象には目もくれず、僕は左目を右目で覆い――――蹴撃によって地に付した“対象”を<ベリアルの魔眼>で見つめ、その靄がかった偽りの魂を死に至らしめる。
「――――ぐう」
途端に右目が熱を持ち、激しい痛みが襲う――――瞳からこぼれる赤い血が頬を撫でる。
そして、緊張を保ったまま次の襲撃を待ったが、それは行われなかった。
「使い魔じゃないな――――それに、生きている感じとも違う?」
僕は“犬”のような形をした“黒い獣”に戸窓ったが、<ベリアルの魔眼>で殺せる以上、それは――――生命をもった“存在”ということになる。
残りの十二の反応は依然として存在しており、夜の闇に潜んでいる。
「くそっ、こんなところで余計な時間くっている場合じゃないっていうのに――――」
マリアティアを探さなければいけないという焦りから、僕は足を進めようとした。
すると――――――――




