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「私は、異端者と呼ばれる方々によってこの<魔術都市>に運び込まれて、そして<異端審問官>と呼ばれる方々に…………追われている?」
僕の話を聞き終えると、マリアティアは要点だけをかいつまんで口にした。
「わかりました。それでは、その方々たちに直接お会いして問うてみましょう」
マリアティアは清々しくそう言った。
「直接会って、問うって?」
「はい。ですから、何故、私を追っているのですかと――――そして、その理由は何なのですかと?」
「……………………」
正気とは思えなかった。
自分を追っている人間に、“何で追っているんですか?”なんて聞く人間がいるのだろうか?
「心当たりはないのか?」
「正直に申し上げて、ありません」
「じゃあ、どうしてこの魔術都市に運び込まれたのかも分からないのか?」
「おそらくですが、私には“記憶”と呼ばれるものがないみたいなのです」
「記憶がない? “記憶喪失”ってことなのか?」
「いえ、私には与えられたものは、生まれながらの“奇蹟”だけです。その奇蹟をもって人々に救済を齎すのが――――私の使命なのです。それ以外のものは、私には不要のものです。つまり、記憶と呼ばれるものは、私には必要のないものということなのでしょう」
「記憶が必要ない? 人々に救済を齎す使命?」
一人納得して頷いて見せるマリアティアに、僕は意味が分からないと尋ねた。
「はい。たとえ記憶がなくても、私が何者かに追われているとしても――――私が歩みを止めていい理由にはなりません。救済を求める人々の元へと足を向け、この手を差し伸べるためだけに、この私は存在しているのですから」
救済を求める人々の元へと足を向け、この手を差し伸べるためだけに存在しているって――――お人好しの権化みたいなものなのか?
「いやいやいや…………何の手がかりもなしに行動するなんて自殺行為だよ。そもそも、マリアティアは、その“赤い布”の中に“封印”されていたみたいなものなんだよ。そんなんで、のこのこ<異端審問官>の所へ向かったら、また“封印”されるかもしれないだろ?」
「封印ですか?」
<異端審問官>や<異端審問会>は、“審問”なんて名を冠してはいるが、その実やっていることは“処刑人”と何も変わらない。“魔術世界”に危険を齎すものならば躊躇いなく排除し、魔術の発展を妨げるものならどのような手段をもってしても処分する。
魔術的に価値のあるもの、魔術の発展の一助と成り得るものならば、異端審問会が管理する<忘却の監獄>と呼ばれる監獄に幽閉される。
異端審問会の“執行者”である僕の立場からみれば、マリアティアは間違いなく“後者”にあたる――――どこの<魔術都市>や“魔術結社”にも属しておらず、何の後ろ盾もない者がのうのうと暮らしていける程、この魔術都市は安全でも安穏ともしていない。
それに、あんな“この世の地獄”みたいな場所に、こんな小さな女の子を幽閉するなんて――――マリアティアをこのまま行かせるわけにはいかない。
それに、そもそも――――
「…………とっ、とにかく……マリアティアが安全に魔術世界を見て回れるように、僕が何とか動いてみるよ。だから、しばらくの間はこの部屋に身を隠しておいたほうがいい」
「この部屋に…………身を隠す、ですか?」
マリアティアは困ったように首を傾げた。
「しかし、それではヨハンにご迷惑をおかけすることになりませんか? 追われている私を庇いだてするということは、ヨハンにも不利益を及ぼしてしまうのでは…………」
「そっ、それは…………そうだけど」
そもそも、僕が自分の意思でマリアティアをこの部屋に運び込んだなんて言えなかった。そしてマリアティアが異端審問会に見つかって一番不利益を被るのが、僕自身だとも――――
そう、全ての“原因”は、この僕にある。
この状況を引き起こした“元凶”は、この僕だ。
だから、マリアティアの安全を確保するのも、彼女の身を守るのも、全て僕がやらなければいけない。それに、最初から全てを背負い込むつもりでやっているんだ。
その決意はできていた。
だから、箱の中から女の子が飛び出そうが、それが聖人だろうが関係ない。
「かまわないさ。マリアティアにはこの右目の痛みを癒してもらったし、女の子を夜道に放り出すなんてマネはできない」
僕は大声で宣言した。
「だから、しばらくはこの部屋でゆっくりと羽を伸ばしていけよ」
「わかりました。それでは、そうさせていただきます。右も左も分からない不束者ですが――――しばらくの間、よろしくお願いいたします」
マリアティアは何一つ疑おうとせずに、全てを無条件で信じ、受け入れたかのような表情でそう言って頭をぺこりと下げた。
僕の胸が罪悪感でチクリと痛む。
その痛みは、悪魔が憑いた右目の痛みなんかよりも遥かに嫌な痛み方だった。
思わず謝りそうになる気持ちを呑みこんで、僕は口を開いた。
「そうだ、マリアティア…………お腹すいてない?」
「お腹ですか?」
マリアティアは、へっこんで細く括れた小さなお腹に手を当てる。すると彼女のお腹は、素直に「くー」と――――小さな腹の虫を鳴かせたので、僕たちは食事をとることにした。
「少し待ってて、たいしたものはつくれないけど――――」
四畳半から少しだけ突き出した空間――――部屋と玄関の間に設置された台所の前に立った。
大したのものはつくれないとは言ったが、料理には少しだけ自身があった。
異端審問会の執行者見習いとして、コトノさんと世界各地を回っている間、料理当番は僕の役目だった。味にうるさいコトノさんの舌を満足させることはできなかったが、一先ず静かにさせるまでに、ずいぶんな時間を要したことを思い出した。
龍驤琴乃との生活は、僕にとって生まれて初めての他人との関わりであり、外の世界のとの関わりだった――――そんなことを思い出しながら、僕は手際よく料理を行った。
「できたよ。ドライトマトとバジルのパスタ。あと、ワカメの味噌汁」
「ドライトマト? パスタ? ワカメ?」
彩のあるトマトの酸味や、チーズや味噌の濃い香りが交じり合う湯気の立つ食卓を、少女が不思議そうに眺める。どうやら、どれも初めて見る料理ばかりだったらしい。
「まずは、“いただきます”って言うんだ」
僕は手を合わせて「いただきます」と言った。
「イタダキマス? ――――いただきます」
マリアティアも、僕にならって手を合わせる。
「パスタはフォーク、みそ汁はお椀に直接口をつけて飲む。具はお箸を使うんだけど、外国人には使えるのかな? 使いづらかったらフォークを使って」
「パスタはフォーク、みそ汁はお椀に直接口をつけて、具はお箸を使う――――」
マリアティアは、フォークを手に取ってパスタを器用に巻いて口元に運んだ。
「――――、おっ、おいしいです。とっても。次は、この味噌汁。あついっ」
「大丈夫? 麦茶あるから」
「…………味噌汁もおいしいです。それに麦茶も」
マリアティアは穏やかな笑みを浮かべてみせた。
「口に合ってよかったよ」
その後、マリアティアはパスタをもくもくと食べ、味噌汁を啜り、器用にお箸を使って具を食べた。食べ終わったら「ごちそうさまでした」を言うんだと教えると、マリアティアは天使のような微笑を浮かべて「ごちそうさまと」と手を合わせた。
「おそまつさまでした」
「ふぁふ…………ふああ」
僕はそう言って、マリアティアを眺めた。
瞼がずいぶん重そうで、とても眠たそうだった。
「そう言えば、マリアティアは外から来たのに言葉が通じるんだ? “日本語”、いつ勉強したの?」
魔術師同士なら、“言語”の魔術式――――<統一魔術言語>を用いて、お互いの意思の疎通を図れるが、聖人にも同じようなことができるのだろうか?
「“日本語”? 私が今喋っている言語は――――日本語と言うのですか」
「そうだよ。まさか、知らずに喋っているのか?」
「はい。私に生まれながら与えられた“奇蹟”の一つに、<啓示>と呼ばれるるものがあります。この奇蹟は、私が人々を救済するために必要な知識や技能を、その時々で与えて下さるんです」
「何か困ったことがあったら、その<啓示>が助けてくれるって言うのか?」
「はい。もちろん、とつぜん何でもできるようになるといった便利なものではありませんが、困難を乗り越える手助けをして、私が前に進むための“道標”になってくれます。先ほどヨハンが使いづらいといったお箸も、<啓示>のおかげで難なく使いこなすことができました」
「いや、それはただマリアティアが器用だっただけじゃ?」
「そうかもしれません。でも、信じることが救いです。だから、私はただ無心で与えられるものを信じ続け、そして歩み続けるのです」
「……………………」
なんだか、ヤバい宗教に勧誘されている気がした。
「だから、私には何も必要ないんです。記憶も、過去も、言語も、感情でさえ――――私には不要です。私は、ただ<啓示>によって与えられる“道標”に従って歩み、そこで苦しみ、助けを求めている人々に手を指しのべる。それこそが、私に与えられた唯一の使命なのです」
その言葉は、ひどく虚しくて、ひどく悲しかった。
それでいて、こんな幼い少女が口にしてしまうには、どこまでも高尚過ぎていて、逆に中身のない言葉を聞かされているような気がした。まるで人の皮をかぶった“がらんどう”の何かを目の前にして、空っぽの言葉を聞かされているような気が――――
僕は、胸の奥をチクリと刺す――――小さな苛立ちを感じていた。




