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「先ほどは申し訳ありません。それと、自己紹介が遅くなりました」

 

 金髪の少女が起きぬけに言った。


「私の名前は、マリアティア・バルトロマイ・アナスタシア・エレミヤ・イザヤ・ウルスラ・ミカエル・グレゴリオス・ダルク・マグダラ・マリアヴェルトです」


「…………えーっと? マリアティア・バルト? バルト……マロイ?…………」


「マリアティア・バルトロマイ・アナスタシア・エレミ――――」


「わかった、わかった。…………マリアティアって呼ばせてもらうけど、いいかな?」


「はい。かまいません」


 どうせ覚えられそうもない名前だったので、単刀直入に名前で呼ぶことにした。。


 先ほどの一件――――


 僕が彼女の中の得体のしれない“ナニカ”を視て気を失っていたのは、わずか五分にも満たない時間だった。そして目を覚ますと、すっかり僕の右目の痛みは引いており、すこぶる軽快だったので、自然とまずは自己紹介という流れになった。

 

 ちなみに、セミラは一向に出てくる様子はなく、ベッドの下で借りてきた猫のように大人しくなっている。人見知りなところがある猫だった。


「えーっと、僕は月臣夜半」


「ツキオミヨハン?」


「ヨハンって呼んでよ」


「はい」


 頷いたマリアティアは、先ほどまで赤い柩の外観だったと思われる赤い衣で、小さな体をぐるぐる巻きにしていた。まるで聖夜クリスマスにやってきた小さなサンタクロースみたいだったけれど、ところどころ、あどけない白の柔肌が見え隠れしてて、何だかとてもいけない感じでもあった。


「まぁ、よろしく」


「はい。よろしくお願いします」


 マリアティアはぺこりと頭を下げる。礼儀正しい良い子だった。


「マリアティアは、ずいぶんと長い名前をもってるんだね?」


「はい。私が生まれた時、“九つの洗礼名”をいただきました。多くの方に祝福していただいた証です」


 マリアティアは頬を赤く染めて表情を綻ばせ、とても嬉しそうに言ってみせた。


「…………それで、さっきのはいったい? 僕の右目に何をしたんだ?」


 僕はいろいろと聞きたいことを後回しにして、何よりもまず先にそのことを尋ねた。


この右目が突然暴走することもそうだけど、暴走を終えた後にまるで痛みを感じないなんて信じられなかった。 龍驤琴乃の魔術をもってしても、一時的に魔眼の痛みを和らげる程度のもので、<聖骸布のレプリカ>でつくった眼帯をつけたとしても、右目の違和を完全に拭うことはできない。


「ヨハンの右目ですが、おそらく悪魔が憑いているのではと思います?」


 マリアティアが眼帯を装着した右目に視線を向けた。


「分かるのか?」


「はい。ですので、私に与えられた“奇蹟”をもって、悪魔を一時的に鎮めました。安静にしていれば、数日の間は痛みを感じることはないと思います」


 奇蹟を使う? マリアティアもどうやら魔術師みたいだった。


「でも、どうして急にこの右目が暴走したんだろう?」


「おそらく、私に反応したんだと思います。悪魔にとって私は、恐れを抱くのに十分な存在なので、防衛本能が働いたのかもしれません。ヨハンにご迷惑をかけて申し訳ありません」


 少女がぺこりと頭を下げる。


「悪魔にとって危険? “悪魔祓いエクソシスト”の類――――やっぱり、マリアティアも魔術師なのか?」


「いいえ、違います」


「魔術師じゃないのに“奇蹟”を使えるのか?」


「奇蹟とは、神秘を行うことにありますが、けっして人の手で行ってよいものではありません。魔術師とは、その禁忌に触れて神秘を歪めることにより奇蹟を行使する存在です」


 なんだか急に堅苦しい口調になったマリアティアに、僕は責められているみたいだった。


大した魔術も使えないけど。


「じゃあ、マリアティアは違うのか?」


「私は奇跡の“体現者”にして“代行者”。生まれながらの“奇蹟”です。この世ならざる場所、主から与えられた加護と祝福によって受肉した――――主の羊です」


「奇蹟の体現者にして代行者? 生まれながらの奇蹟? 主の羊?」


 僕は目の前の少女が何を言っているのか、まるで分からなかった。


二人で違う絵本のページをめくっているような気分だった。


「つまり――――“聖人”です」


 そんな僕に、マリアティアは赤い双眸を真っ直ぐに向けて、そう言った。


純真無垢、清廉潔白を体現したかのような表情だった。


「――――聖人?」


「はい」


「聖人って…………何だ?」


 僕が尋ねると、そこで初めてマリアティアは驚いて目を見開き、大きく口を開けた。


「ええッ? ヨハンは…………聖人をご存じないのですか?」


「うん」


「教会に足を運んだことがないのですか?」


「うん」


「讃美歌を歌ったことは、主のお言葉を朗読したことはないのですか?」


「うん」


「…………」


 だんだんと小さくなり、悲しそうに項垂れていく少女が可哀そうになってきた。


まるで僕が小さな女の子を虐めているみたいだった。


「それでは、お祈り、お祈りはどうですか? それならば…………漠然とでもしたことがあるのではないですか?」


 赤い瞳を輝かせて、今度こそはと詰め寄るマリアティア――――僕は、よっぽど「ある」と頷いてあげたかったけれど、どうしてもその問いに頷くことができなかった。


「ゴメン。僕は生まれてこのかた、一度でも何かに祈ったことはないんだ」


「…………そうですか」


 目に見えてしゅんとするマリアティアは、悲嘆に暮れたみたいだった。


まるで自己の存在を否定されてしまったみたいに。


「それでは、ここに私の存在は必要なさそうですね。私は、私の救いが必要な場所へと向かいます。短い間ですがお世話になりました」


 三行半を突きつけて、ゆっくりと立ち上がり、身支度を始めようとするマリアティア――――僕は、「ちょっと待って」と立ち上がった。


そして、いつまでも隠しておけるわけないと、言葉を続けた。


「外は危険なんだ。マリアティア…………君は追われているんだ」


「私が、追われているのですか?」


 首を傾げて疑問符を浮かべる少女に、僕は昨夜から今日までの顛末を全て話した。

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