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夜は深く、闇は濃い――――
魔術都市<庭都>に潜む魑魅魍魎を狩り立てるには、最適の夜だった。
「セミラ、そっちの様子はどうだ?」
「ヨハン、問題にゃいのにゃ。セミラの“目”をおくるにゃ」
僕は<庭都>の西に広がる森の中にいた。
森の賢者たる齢を重ねた木々たちが聳え立つ暗闇の中、湿った泥濘の上を駆ける――――
僕は、相棒のセミラから送られて来た“映像”の場所へと向かう。
僕の<使い魔>であるセミラは、契約を交わした対象と、互いの“思念”や“知覚”を共有することができる。これにより、セミラの声や、セミラの耳で聞いた音、目でとらえた映像を、あたかも僕が聞いて見たかのように“認識”し、共有することができる。
「ヨハン、早くするにゃ、早くするにゃ。にゃんだか、セミラはつかれてしまったにゃ。はやく尞にかえって温かいごはんが食べたいにゃ。にゃんにゃんにゃんにゃんにゃにゃにゃにゃん」
ただ、このように下らない雑念までを共有しなきゃいけないのは、何かと厄介だったりする。
「…………セミラ、少し黙ってろ。じゃないと、今晩の飯を“ネコまんま”に格下げするぞ」
「――――セミラ、がんばるにゃッ」
「これで良し」と頷いた僕は、全身を黒で統一した服装で夜を駆け続ける。
黒いジャケットを纏い、顔半分を“黒の衣”――――<聖骸布のレプリカ>で覆い、さらに黒いズボンと、黒革のロングブーツ。“感知”や“探知不可”や“隠密”などの<魔術付与>を施している、なかなかの服装で闇に紛れるにはもってこいだったが、正直、何となく恥ずかしい。
「…………僕、こういういかにもな感じの服装って嫌いなんだよな――――でも、スポンサーの意向でもあるしな。しゃーなしか」
そんなことを考えながら、今回の“依頼内容”を思い出す――――
数日前、違法な“魔術組織”が<魔術都市>に侵入したとの報告が、魔術世界を管理する<魔術省>に入った。報告を受けて、<魔術省>直下の組織<異端審問会>が、その魔術組織の殲滅に乗りだし、問題なく成功――――その際に逃がした“残党”の殲滅、及び捕獲が、僕に与えられた命令で、表立っては“依頼”ということになっている。
その違法な“魔術組織”は、<魔術省>が定めている“魔術規定”に違反する“品物”を別の魔術都市から“禁輸”――――持ち込んだとして、魔術世界での“罪”の等級を表す<第一種異端指定>の烙印を受けていた。
ちなみに<第一種異端指定>とは――――“見つけ次第殺してもよい”、“生死を問わない《デッド・オア・ライブ》”ということを意味している。もちろん“付帯条項”が付く場合もあるので、この限りではない。
まぁ、僕に与えられた仕事は――――
言ってしまえば、“汚れ仕事”だ。
「――――おそかったにゃ」
僕が目的の場所に辿りつくと、夜を覆い隠すほどに重なり合った木の幹と枝を伝って、相棒のセミラやってきた。
素早い身のこなしで木の枝の上から僕の肩に飛び移り、四本の足で器用に着地する。
子猫のように小さな黒猫――――黒絹のような艶やかな毛を纏い、黒い瞳孔の入った紫水晶の双眸をもっている。
それが、僕の相棒セミラの正体だった。
魔術世界では、<使い魔>――――<ファミリア>や、<クリーチャー>と呼ばれる類の存在だ。
「僕はセミラみたいな敏捷性はないからな、これでも急いできたんだよ――――で、状況は?」
僕は木の影に体を隠したまま、状況を尋ねる。
「よくわからなにゃ」
「分からないって…………何のためにセミラを偵察に出したんだ? めんどくさがってないで、分かってることだけ教えろ」
「今日のごはん、“ねこまんま”はいやにゃ――――マグロの中トロがいいにゃ」
「…………わかったよ」
僕は諦めたように言った。
「たぶん異端者が三人にゃ。全員がまんしんそうい、ねこパンチでダウンしそうにゃ――――その三人はにゃにかを運んでいるみたいだったにゃ」
「何か? “禁輸”したっていう“品物”か?」
「…………分からないにゃ」
僕もその品物については詳しくは教えてもらってない。そもそも知る権利すらない。
「にゃけど、その三人が集まって、自分たちの血で魔法陣を書いてたにゃ。おそらくにゃにかの魔術儀式をおこにゃうつもりにゃ」
「それを早く言えよ――――」
僕は慌てて駆けだし、体制を低くして――――右手で左目を覆う。
「ヨハン、<魔眼>を使うつもりにゃ?」
僕の肩から下りて、自らの四足で並走をするセミラが尋ねる。
「それ以外に、なにか僕にできることがあるのか? 残念だけど、お前のご主人様は、他の魔術はからきしだぞ」
「わかっているにゃ。セミラのご主人様は魔術の才能にゃしの、ダメダメの甲斐性にゃしにゃ。おまけに頭もよくにゃいし、体も小さいし、顔つきもおさにゃいにゃ。あと、世間知らずで、“にょにゃんのそう”が憑いているにゃ」
「…………そこまでひどくないぞ」
「…………ヨハン、きをつけるにゃ」
セミラは心配そうに僕を見上げた。
「まぁ、安心しろって。報告では、殲滅させられた魔術組織の残党は、大した能力もない雑魚だって話だし――――だいぶ手傷を負っているらしいからさ」
セミラは静かに頷いた。
殊勝な心がけをもった相棒なのである。
暗い森の中を駆けていると、僕程度の“魔力感知”でも理解できる程の、濃い魔力を感じた。
土地から無理やりに引きだした<マナ>がつくりだした、吹き荒れる嵐のような“領域”が出来上がりつつあった。
そこは、森の一部を切り取ったような――――
別の場所へと接続されたような空間だった。
森は消え、木々の枝葉がつくりだす屋根も存在していない。
そこだけが、夜の黒い闇を、淡い星の光を、月の青い灯りを受けいれていた。
まるで舞台の上をスポットライトが照らしているみたいだった。
「――――――――」
溝鼠のような灰色のローブに身を隠し、深くフードをかぶった異端者たちが――――
招かざる客の存在に気がついて、僕に視線を向けた。
しかし異端者たちは、僕を迎え撃つといった、反撃に転じるような様子はなかった。
異端者たちの六つ瞳は疲れ果て――――その荒廃した瞳の色は、すでに死を受け入れているみたいだった。
しかし、どうしてだか、その死に悲壮感はなかった。
「――――――――動くな。<異端審問会>の命により、これより異端審問を“代行執行”する」
僕は、切り取られた森の一部に立ってそう告げる。
そして、右手で左目を塞いだまま―――――
いつでも“魔眼”を使用できるように“詠唱”を開始する。
――――“天から堕ちた天使のうち、彼ほど淫らで、また悪徳のために悪徳を愛する不埒な者も、他にはいなかった。天から失われた者で、彼以上に端麗な天使はいなかった。生まれつき威厳に満ち、高邁――――
詠唱の最中、僕の右目に魔力集まるのを感じた――――
渦を巻く魔力が、僕の瞳の奥の扉を開き、その扉の奥に潜む“死”と“混沌”を呼び覚まそうとする。
「――――ぐうぁっ」
途端、右目を襲う猛烈な痛みと共に、僕の瞳からは一筋の血がこぼれた。
“魔眼”の詠唱を後一小節を残すのみというところで――――
僕は様子がおかしいと、三人の異端者が取り囲んでいる血で描かれた魔法陣の中心へ、視線を向けた。
そこには、“赤い柩が”あった。
――――――――そして、運命と踊る“悪夢の夜”が幕を開けた。