その2
サラがエルダをいじめたらしい───。そんな噂を耳にするようになった。
(……馬鹿らしい)
サラがそんなことをする訳はないということは分かっている。きっと何かの誤解だろう。どうせすぐ収まる。俺はことを軽く見ていた。
「はぁ~~~」
いつも陽気なアレックスが、溜息をつきながら執務室に入ってきた。
「辛気臭いな」
「いや、うん。俺も自分の言ったことがショックでさ」
「どうしたんだ?」
いつになく歯切れ悪い奴に疑問を持った。
「………怒らない?」
「内容にもよるな」
アレックスはとんでもないことを平気でしでかす。そしていつも笑って「ごめーん」とか言ってくるのだ。サラの変なアタックよりも性質が悪い。
(そして最後に後始末させられるのも俺)
今度は何をしでかしてくれたのか。どんな話を聞かされるのかと半眼で聞いていたが、予想外な話だった。
サラがからまれていたところをアレックスが助けたらしい。彼女は魔法使いだからやっかみ半分ってところだろう。間に入ったときサラは申し訳なさそうな顔をしていた。噂のことを気にしているのだろう。
信じている、と言いたかった。
しかし物陰でエルダが話を聞いているのを見てしまった。
これはいけない。
エルダが聞いている以上下手なことは言えない。あくまで中立を保っているがエルダの味方だということを示した。………エルダを油断させるために。
「………そう言ったときの、サラの顔が忘れられない」
ものすごく傷ついているはずなのに、なんでもない振りをした。彼女は意外にも感情を隠すのが得意だった。
なんでも顔に出そうなタイプなのに。
「………状況はどうだ」
「あまりよくないね。中尉だってことで一応抑えられてはいるけど、危うい」
「エルダの証拠は」
「なかなか尻尾を掴ませてはくれないよね。でも、こうやって動きだしたんならじきに見つかるだろう。……彼女以外の鼠もいるみたいだし」
「そうか」
「彼女もろとも一掃しないとね。いい機会といえばいい機会なんだけど……サラがつらすぎる」
表立って助けることはできない。彼女の風当りはさらに強くなるだろう。
「目的は軍内部の崩壊と────サラか」
「だろうね」
魔法使いのサラは、隣国の脅威となる。ここらで潰すか攫うかなんなりしたいのだろう。
「………はやく終わるといいね」
「終わらせるさ」
こんな、戦争──。
しばらく静観していたのだが、サラの隊で異動願いが出されたらしい。噂に流されたのか、はたまた隣国の間者か。
(忙しいな)
通常の業務に加えて、スパイ探しもしなければならなかったので慌ただしかった。しかし、エルダには悟られてはいけないのでよけい気疲れした。
エルダの仕事ぶりはいたって普通だった。しかし要領がいい。仕事の合間を縫って他の軍人と仲良くなっているようだった。
(俺が知らないと思っているのか?……甘い)
エルダはまだ若い。経験も実力もまだまだ発展途上だ。こちらが信用していると思ったのだろう、徐々に気が抜けているようだった。
(もうすぐだな)
あともう少しですべてに片がつく。そしたらまた同じ日常が来るはずだ。サラも楽になるはず。
油断しているのは俺のほうだったと、気づいたのは随分後になってのことだった。
「サラ、全然来なくなったね」
「………」
ある日執務室に来ていたアレックスが突然ぽつりと呟いた。エルダは執務室へ戻ってきていなかった。
「寂しい?」
「……………………………別に」
「なんだよその間。寂しいんじゃないか…会いに行こうよ」
「お前があまり関わらないほうがいいって言ったじゃないか」
「今、サラの隊は訓練してるんだって」
「だったら尚更、……」
そうか。
「サラに手合せさせて、エルダの実力見てみようよ」
随分サラと会っていない。以前はほとんど毎日顔を出していたのに。
サラの顔が見たい───。
アレックスの考えに賛成する振りをして、思っていることはこれだけだった。
「まぁ、いい機会かもな」
俺はぬけぬけともっともらしいことを言った。このときもし、アレックスの提案を断っていたなら───。
未来は変わっていたのだろうか
エルダが執務室へ戻って来た後、アレックスがエルダに提案した。彼女はすぐに賛成した。
(あちらもサラの実力を見ておきたいってところか)
エルダを連れて、訓練場へ行った。
「エルダとも手合せしてやって。実力だめしに」
「アレックス少佐……」
アレックスがサラに話しかける。久々に見たサラの顔は、すこし疲れているように見えた。
(………痩せたか?)
もしかしたら、体調が悪いのかもしれない。だったらやめさせなければ。そう思い声をかけようとしたのだが、
「サラ、お前……」
「わかりました。手合せしましょうか、エルダ少尉」
「………」
俺の言葉を遮って、サラはエルダのほうに向かう。
(………お前、いい度胸じゃないか。俺を無視するなんて)
いつかもう一度躾をしよう。……絶対に。
それはともかくとして。手合せをしているサラとエルダを見て、違和感に気づいた。
「エルダ、魔法使っているね」
「………あぁ」
サラの剣を風の魔法で重くし、自分に追い風を吹かせているようだった。
「……隊員は気づいていないけど、俺たちからしたらねぇ」
俺たちは魔法使いとも戦ったことがある。この中に魔法について詳しい奴がいると顔も話なったのか。魔法を使うなど随分大きくでたものだ。それだけ気がゆるんでいるのか?
俺は冷めた目で成り行きを見ていた。
「でもサラ、本調子じゃないみたい」
「………」
いつもの彼女なら、こんな魔法ものともしないだろう。サラは俺が鍛えたんだ、強くないはずがない。
もうすこしで決着がつくだろう。
そう思われていたが、突然サラの身体が傾いた。
「─────っあの女!!!」
「グレン!!」
一気に頭に血が上った。前に出ようとした俺の身体を、アレックスが必死に抑える。
(サラっ!!)
サラが倒れこむ直前、エルダの剣が彼女の肩口を切り裂いた。どさくさに紛れて怪我をさせようとしたに違いない。
「気持ちはわかる、分かるけど……!今彼女を問い詰めたら台無しになってしまう」
「………っ」
今行けば、エルダは捕まえられるだろう。しかしとかげの尻尾を切ったくらいにしかならない。軍本部にはまだまだスパイがいるのだから。
「………離せ、アレックス」
「グレン、」
「サラを医務室へ運ぶだけだ。………何もしない」
今は、な。
サラの周りには隊員が集まっていた。
「グレン少佐…っ」
エルダが涙目になりながらこちらを見た。
「急に倒れられたのですが、私も驚きまして……。いきなりだったので剣の勢いが抑えられなくって、」
(白々しい)
………いつか俺自らの手でこいつを制裁してやる。
「どいてくれ、こいつを医務室に運んでくる。クリス少尉は引き続き隊員と訓練を。引率を頼む。エルダ少尉はアレックスに指示を仰いでくれ」
「グレン少佐………」
俺はゆっくりサラを抱き上げると、医務室に向かった。
「すまない、サラ……」
誰もいない廊下をサラを抱えながら歩く。彼女は、こんなにも軽かっただろうか。
近くにいるのに守れない。彼女に傷がついていくのをただ見ているだけしかできない。どうしてやることも、できない。
(何が少佐、だ)
何もできない不甲斐ない自分が嫌になる。
「あと少し、あとすこしだから………」
きっとこの呟きも今の彼女には聞こえないだろう。だったら、今だけ言ってもいいような気がした。
「────────────好きだ、サラ」
消え入りそうな声でささやく。伝わらないと知っているのに、彼女に届いてほしいと、そう願いながら。