サイハテ
それから、私はどんどん色を失っていった。温かなオレンジの絨毯、安らぎを与えてくれる緑の葉、桜色をしていたハンカチ──。すべてが灰色に変わってしまった。
「隊長、大丈夫ですか?顔色が悪いですよ」
心配そうに私を見つめるクリスの綺麗な瞳の色も、私にはもう分からない。
(君の眼は、紫色だったね)
怖くはなかった。吹っ切れてしまったからかもしれないが、すべてどうでもよくなった。部下が続けて異動願いをだそうが、次の大規模な戦場で最前線に立たされることが決まったって。
(もう、いいや)
風の噂で私が前線に立つことにアレックス少佐は猛反対したらしいことは聞いた。しかしグレン少佐は「勝手にしろ」と言ったそうだ。そのことを知ったとき、ショックなどはなくただ事実として受け止めた。
「今度の戦場で、別の隊を任されました」
クリスが申し訳なさそうに告げた。
「──そう」
「………すみません」
「何故謝る?いいことじゃないか。手柄を上げるチャンスだ」
「でも」
「準備もあるんでしょ?仕事は私に任せて、行って来れば───」
「あなたは!!!」
突然クリスが大声をあげた。
「………平気なんですか?」
なぜ彼が泣きそうな顔をするのか。私には理解できなかった。
「僕が頼りないってこと、十分知ってる。でもすこしくらい、」
頼ってほしい───
クリスに抱きしめられる。小さなつぶやきが肩口から聞こえた。
(あぁ……)
まだ、悲しいという感情が残っていたのか───。自分に驚きだった。
(君だけは最後まで私の隣にいてくれると、無意識に思っていたのか)
すこしだけ目を閉じ、ぬくもりを感じた。それは刹那の時間。
そして私はやんわりと彼を押し返した。
「───行っておいで」
「………了解」
クリスは執務室を出ていった。彼は二度と、ここを訪ねることはなかった。
(………あ)
窓越しに、グレン少佐とエルダ少尉を見かけた。何やら、楽しそうに談笑しているようだった。
素直にお似合いの2人だと思った。昔の私だったら大騒ぎしていただろうなぁと、他人事ながらに思う。グレン少佐の隣に私がいたことなんか、もう思い出せなかった。
(あと、すこし)
世界から色がなくなるまで、残された時間はわずかだった。
「………つらくないんですか?」
廊下を歩いていたとき、話しかけてきたのはあのエルダ少尉だった。
「どうして?」
「こんな状況になったのは、私のせいでしょう?」
自覚はあったのか。しかし、エルダ少尉がいなくてもあのときの少佐の口ぶりからいつかは退軍させられていただろう。
「この状況を何とかして差し上げましょうか?」
「………?」
意味が、分からない。彼女は何を言おうとしているんだ?
「今の状況を、私が自発的に作ったとしたらどうします?」
「………、」
「サラ中尉、あなたの魔法の代償を教えてくださったらこの状況を変えてあげます」
それが目的だったのか。
魔法使いの代償は、命よりも大切なものだ。それを知られたら弱みを、命を握られるも同然だった。
「だから、サラ中尉───」
「どうでもいい」
私はエルダ少尉の言葉を遮った。これ以上彼女の言うことは聞いても意味がない。
「興味ないので別にいいです。私はこれで」
私は踵を返した。どんなにやけになっても、魔法使いとしてのプライドだけは守りたかった。
それは、最後の砦だった。
後ろからどうなっても知らないわよ!!声が聞こえてきたが、私の耳にはそんなもの届かなかった。
攻撃準備の合図が聞こえる───
大々的な戦が今、始まろうとしていた。慌ただしく兵が走り回っている。それを、ぼーと私は眺めていた。緊張感の欠片もなかった。
私の隣には、あんなに焦がれ続けたグレン少佐がいた。少佐が指揮を執るらしい。
不思議に思った。
(少佐がなんでこんな前線へ?)
前線は危険だ。グレン少佐ほど重要な人物が前線に立たねばならない理由は何なのだろう。もう一つ疑問が、
「グレン少佐、エルダ少尉はどちらへ?」
秘書である彼女が、どこにもいなかった。
「お前が知る必要はない」
「………そうですか」
知る必要はない、ね。
思わず、自虐的な笑みがこぼれる。リミットである3カ月が近づいていた。今日の戦で大きな魔法を使うだろう。
(きっとこれが少佐に会う最後だな)
漠然とだが、しかし確信した。
「砲撃用意!!!打てー---!!!」
合図後、たちまち硝煙の匂いがあたりに立ち込める。私もそろそろ行かなければ。
「少佐、」
「………なんだ?」
「今までありがとうございました」
(今まで、私はあなたに生かされていた)
最後だからと、口角を上げ無理に笑顔を作る。うまく笑えただろうか。私の名を呼ぶグレン少佐の声を振り切って、戦場へ身を投じた────
(疲れた………)
敵の姿はもうない。壁にその身を預けて座り込んだ。遠くで終了の合図が甲高く響いている。
(やっと、終わったんだ)
そう思ったら体から力が抜けた。身体の芯から徐々に冷えていき、だんだん眠くなってくる。
もう、いいだろうか
相変わらず空は灰色だった。雲一つないのに。その灰色だって、だんだん白に近づいていった。
私の魔法の代償は『感情』だった。
その『感情』を放棄したら、私は死に至る。『感情』が一つ死ぬごとに、私の世界から色が消えた。そして、今も。
(あぁ、どうしてだろう)
もう、諦めたはずなのに。最期に思い出すのは、グレン少佐の顔だった。
果てない愛しさが胸を埋め尽くして、切なさを感じたとともに、消えた。
(どうしようもないほど、あなたのことがすきでした)
私は静かに目を閉じた。
世界が『しろ』に埋め尽くされる。そして何も見えなくなった─────