存在の証
「できることなら軍をやめたほうが良い」
「え……」
「原因が軍にあるなら、近いうちに死ぬだろう」
「……そうですか」
(やっぱり)
大体予想がついていたことを、医者に言われた。
私は訓練の最中に倒れた。
傷はたいしたことなかったが、一応念のために魔法使い専門の医者にも見せておけという命令が下った。
最近調子がおかしかったので、行く予定ではあったのだが、忙しくてなかなか診せに行く機会に恵まれなかった。1日お休みがもらえたのでこれ幸いと、医者の許へ向かった。
魔法使いの医者は、傷を治すのが専門ではない。カウンセリング形式で患者と対面する。なぜなら───。
「君は魔法の代償を知っているのだろう」
「……えぇ」
魔法使いとは無償で魔法が使えるのわけではない。何かしらの『対価』が必要になる。魔法使い一人一人で代償が違う。命であったり、体の一部であったり様々だった。何が代償か分からなくて知らず知らずのうちに死んでしまった魔法使いも少なくない。
「時がたてば回復するような代償だったら休んだほうがいい」
「回復は、どうでしょうね」
かつては回復した。しかし今はどうなるか分からない。個人差によるが、魔法によっては時が経てば回復するものもある。
「もしこのまま軍に居続けたら、あとどれくらいですか?」
残された時間、は
「───もって3カ月だな」
悠長にしてはいられないらしい。
「相談してみます。この診断は守秘義務がありますよね」
「あぁ。だがくれぐれも、軽い考えはしてはいけないぞ。……魔法使いは、稀少なのだから」
「分かっていますよ」
私は、自分の代償が何なのか知っている。一度、身を持って思い知ったのだから。私の代償は──。
「隊長、」
軍本部に戻るとクリスが出迎えてくれた。珍しく心配そうな顔をしている。
「どうしたクリス、君は今日仕事だろう。さぼりか?」
笑いながら茶化したのに、今日のクリスは乗ってこなかった。
「大丈夫だったんですか?」
「あぁ、過労だろうって」
「………そうですか」
クリスがそっと息をはいた。
「このごろ真面目に仕事してたもんねー。さぼることも必要だって思い知った」
「さぼらないでください」
空元気にクリスをからかいながら歩いた。中庭の花壇にはひまわりが咲いている。太陽を見つめている花びらは、灰色だった。
「サラ中尉がエルダ少尉に手合せで負けたらしい」
新たにこんな噂が広まっていた。決着がつく前に私は倒れたのだが、噂というものは事実を歪曲するものらしい。
私は軍の中でも5本の指には入るほど優れた剣の使い手である。だが、エルダに負けたという噂が立ったことで最近入ってきた若い軍人は私を軽んじはじめたのだ。
それまではさほど目立ったことはなかったのだが、足を引っかけられたり、書類を期限ぎりぎりまで渡してくれなかったりなど小さな嫌がらせが増えた。
私より上の位にある者は何もしてこなかった。ただ、傍観しているだけだった。さすがにアレックス少佐は見かけたら助けてくれたりしたのだが。
「サラ、ごめんね。俺が手合せしてほしいなんて言わなければ……」
「いいえ、アレックス少佐のせいではないですよ」
今日も助けてくれた。申し訳なさすぎて目が合わせられない。
「最近、執務室にも来ないね」
「仕事が忙しくて」
書類を期限間際に渡してくるバカ者がいるせいで、私はいつも仕事に追われていた。
「近いうちに、こんなこと全部なくなるから」
「アレックス少佐……?」
アレックス少佐が真剣な顔で私の手を握りながら言った。
(……何か知っているのだろうか?)
また、お茶しようね。いい茶葉が手に入ったから。
そう言って、少佐は去って行った。アレックス少佐とグレン少佐と一緒にお茶を飲んでいたことが随分昔に感じられる。
(あの頃は楽しかったな)
アレックス少佐が握ってくれた手を見る。どこかで引っ掻いたのだろう、すりむいて少し血がでていた。
(あぁ、)
そこには、灰色の血が流れていた。
(言うべきなのだろうか)
日を追うごとに、どんどん世界は色褪せていく。遠くのものでも線ははっきりしているのに、色だけがぼんやりと滲んでみえるのだ。本来ならばすぐにグレン少佐に報告しなければならない。私の直属の上司は少佐だ。
(会うのが怖い)
最近はクリスに、書類を手渡すように言っているのでずっと顔を合わしていなかった。
少佐は私のことをどう思っているだろう?
(失望したに決まっている)
あの時の眼が語っていた。もう、私はグレン少佐の隣に立ってはいけないのかもしれない。
(……………それでも)
診断結果をクリスや他の部下に言うのは論外だ。今の状況にさらに余計な心配を掛けたくない。しかし私だけではもう抱えきれなかった。
(駄目元でグレン少佐に話してみよう)
最後の望みを懸けて。
「私、その書類持っていくから。こっちを整理しておいて」
「………隊長が持っていくんですか?」
書類を口実に診断結果を伝えようと思ったら、クリスに訝しげな顔をされた。
「最近は僕を使いっぱしりしてたのに」
「そうだな。今日は休みたまえ」
「………外は危険ですよ」
「軍の中が危険ってどういうことよ」
「あなたが一番知っているでしょう?」
(あぁ、そうだね)
身をもって知った。ここはかつてのような居心地のよい場所ではない。
「それでも、行くべきなんだ」
何を言ってもムダだと悟ったのか、クリスはそれ以上反対してこなかった。
執務室から出ていく間際、クリスがぽつりとつぶやいた。
「グレン少佐に会いたいとかは言わないんですか」
「そうだなぁ────」
私は苦笑しながら言った。
「そんな口実すっかり忘れてた」
空は依然として灰色のままだった。
できるだけ一目を避けて廊下を歩く。昔は堂々と歩いていたが、できるだけ足早に。奇跡的に誰にも会わなかった。ほっとしたところで執務室のドアへと手をかけたら、あることに気づいた。
(隙間が空いている?)
閉め忘れだろうか、廊下に声が少し漏れていた。これは不用心だ。指摘をしなければ。
「でも、今ものすごくつらいと思う、サラは」
アレックス少佐が私の名を口に出したとき、ドアを開けようとした手が止まってしまった。思わず耳を澄ます。
「言ったら、顔に出すか完璧すぎて逆にばれるか両極端だよねぇ、彼女。優秀なんだけど、まだちょっと子供っぽいし」
「………そうだな」
「この作戦が終わった後、サラに言うんだろう?」
「あぁ」
なんだろう。盗み聞きなんて最低なのに、聞くのをやめられない自分がいる。
「────作戦が終わったら、隊長を返上してもらう」
え?
何の話を、してる、の?
「幸い彼女は中尉だから、ぎりぎり退軍も通るだろう」
「魔法使いってことが厄介だけどな」
「魔法使いならもう一人いるじゃないか。もう一人立ちしても大丈夫だろう」
「まぁ、いろいろ大変だがな」
「グレン、君はサラに─────」
ここまで聞けば、十分だった。ふらふらと、もと来た道を辿る。
(相談なんて無駄だ)
だってグレン少佐は、私をお払い箱にする気だから────
途中で誰かに話しかけられた気がする。でも答える気にもなれなかった。
「………ふ、ふふ、あははははははははははははははははは!!!」
自分の執務室に着いたとき、ふいに笑いが込み上げてきた。
結局私の一人相撲だったのだ。グレン少佐にだけは迷惑がかからないよう書類の期限は必ず守り、強い風当りにも耐え、言いつけはしっかりと守った。
でも
(グレン少佐には私はもう、いらない子だったんだ)
魔法使いはエルダがいる。私はもう必要ないのだろう。
(少佐に必要とされなければ私はどうすれば?………答えは決まっている)
私は魔法使いだ。あの方の手を私の処分でわずらわせてはいけない。
(どうせ壊れかけてるんだ。そのままにしていればいずれ崩壊する)
世界が滲み、そして歪んでいく。魔法使いとしての代償なのか、はたまた別の何かが原因なのか。
笑いが止まらない。そんなこと私にはもう、どうでもよかった────