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空白のパレット  作者: 真咲 透子
本編
3/13

蒼を失う

 きっかけは、些細なことだった。


「エルダ少尉、ここ間違っていますよ」

「え………」

「気を付けてくださいね」

「………」


 エルダ少尉が持ってきた書類に不備があったので指摘する。彼女は唇をきゅっと噛んだ後、黙って書類を持って帰った。


(………何なんだ?)


 今の反応。何か一言でも言うべきじゃないか?違和感は感じたが、ことを荒げたくないのでとりあえず流すことにした。



 次の日。


 軍の人からの異様な視線を浴びながら自分の執務室へと向かった。


「どうしたんだろ………」


 ミスをやらかした記憶はない。誰かの顰蹙ひんしゅくでも買ってしまったのだろうか。


(このごろ少佐の執務室にも行ってないしな)


 心あたりが見つからず、うんうんうなっていると、クリスが執務室に顔をだした。


「おはようございます、隊長」

「あぁ、おはようクリス」


 執務室に入ってきたクリスに挨拶をする。そして彼はいつものように軽口を叩くのではなく、思ってもみないことを言った。


「ところで隊長、エルダ少尉をいじめたと噂になっているんですが」

「はぁ!?」


 どうしてそんなことになっているんだ!?


まだ眠たかった頭が一発でえた。なんでもエルダ少尉が書類を持っていったところ、受け取ってもらえず私に嫌味を言われた。そして廊下では彼女のさめざめと泣いている姿が見られた──らしい。………んなわけあるか!!!


「書類に不備があったから、指摘しただけだし!確かに受け取らずに持って帰らせたけど!!」

「実際はそうなのでしょうねぇ。しかし、中にはエルダ少尉に嫉妬していじめたって信じてる人もいるみたいですよ」

「なんだと!?」

「日頃の行いって大切ですねぇ。ほら、いつも大声で叫んでるから誤解されるんですよ」


 これに懲りたら態度を改めてください、もういい歳でしょう?恥ずかしくないんですか。


 クリスが説教モードに入った。君は私より年下ではなかったか?


「でもさでもさ、そんなことするわけないじゃん!本当だったら私、性格わるすぎだろ!」

「サラ隊長は仕事に私情は持ち込みませんからね。隊長のことを知っている人は誤解だと分かっているみたいですけど、知らない人は……」

「知らず知らずのうちに言い方がきつかったのかな?」


 もしや棘があったのかも。


「どうでしょうね……。ですが一応周りに気を付けたほうがいいですよ」


 私は18にして中尉だ。実力で上がったつもりだが、やっかむ人もいる。扱いが特別すぎると魔法使いを嫌う人もいるのだ。


「謝るべきかねぇ」

「微妙ですね。あんまりへこへこし過ぎると、ない威厳がさらに地下深くまで埋まりますよ」

「………クリス君、私のこと嫌いだよね?」

「まさか。僕は隊長のことが大好きですよ?」


 すっごいいい笑顔で言われた。なんだその顔は………嘘だな。


「ここに、グレン少佐へ渡さなければならない書類があるのだが」

「僕は嫌ですよ。自分で行ってきてください。そんなことしたら噂を認めてるってことじゃないですか」


 それもそうだな。


「昼寝してから行くか」

「遅すぎです。それ、重要書類ですよね?」

「………」

「ほら、とっとと行ってください。まぁでも……何かあったら絶対言ってくださいね」


 何故かクリスに念を押されて執務室を出た。


「………」


 執務室から出て、歩いているとほかの隊の人たちとすれ違った。視線の原因がわかると、嫌でも目に付く。困惑と敵意と悪意。どれも好意的な感情ではない。


(あぁもう、)


 ───憂鬱だ。



「おい、エルダ少尉をいじめたのって本当か?」

「自分が美人じゃないからってひがむなよ」


 グレン少佐の執務室に行く途中、人気のない廊下でついにからまれてしまった。


(面倒なのに引っかかってしまったな)


「誤解です」

「はっどうだか」


 余計なことはいわないほうがいい。何気ない一言が、自分の立場を危うくしてしまう。私だけならいいのだが、部下まで火の粉が飛んでしまう可能性もある。


「書類を提出しなければならないのです、通してください」

「おいおい、逃げるなよ」


 おいおいおいおい、何なんだよ。仕事しろよ、大人。こっちはヒマじゃないんだから。だけど問題ごとは起こしたくない。ただでさえ変な噂が広まっているというのに。どうしようかと思案していたとき、


「サラー。こんなとこにいたんだ。グレンが早く書類持ってこいってさ」

「ア、アレックス少佐!?」


 突然見知った声が聞こえた。へらり、と笑いながらこちらへ来たのは、アレックス少佐だった。


「君たち、サラに何か用があるの?」

「いえ!!わ、我々はこれで失礼します!」


 そそくさと逃げ出す。逃げ足だけは早いんだから。ああいう奴らは。私はあきれながら彼らを見送った。


「アレックス少佐、ありがとうございました」

「いやいや、気にしないで」

「少佐……」


 アレックス少佐は気さくに笑ってくれたが、ちょっと厳しさを交えた顔で言った。


「サラもね、グレンの隣に女の子がいるからってあたっちゃダメだよ?仕事なんだから。まぁ、気持ちは分かるけど」

「え………?」


 いま、なんて


「これ、グレンへの書類だよね?俺が持って行っとくから。しばらく風当り強いと思うから、グレンの執務室には近づかないほうがいい。……周りには気を付けて」

「………………」


 感情を、ころすんだ。


 ここでくずれてしまったら少佐を困らしてしまう。


「………了解です。お心遣い、感謝致します」


 震える手を叱咤する。多少ぎこちなかったかもしれないが、書類を渡すことができた。


「仕事、頑張って」

「……はい」


 アレックス少佐は書類を持って、グレン少佐の執務室へ向かった。私はその後ろ姿を呆然と見送っていた。



「………………どうして」


 誰もいなくなった廊下で思わず声がもれた。



 アレックス少佐も噂を信じてしまったの?ずっと長い間一緒にいた私よりも、ひと月くらいしかいないエルダを信じるの?もしかしてグレン少佐も……。


 目の前が真っ暗になる。──ゆっくりと、私の中で何かが崩れる音がした。



 その日を境に私への風当りはだんだん強くなっていった。一応中尉というどちらかというと上官の立場にいたので、突っかかってくる者はあまりいなかった。しかしそれでも、ときどきは言いがかりをつけてくる者がいた。


 部下のみんなは私のことを信じてくれたが、それでも日に日に表情が曇っていく。隊長の私がこんなだから、みんなも何か言われているかもしれない。


 それが、どうしようもなく辛かった。



「ごめんね」


 ある日私はぽつりとつぶやいた。


「何に対して謝っているんですか。隊長は何も悪いことしてないでしょう?」

「そうだけど。クリスも、色々言われているでしょう?」

「僕は昔から色々言われてましたから、たいして変わりませんよ」


 クリスは毅然きぜんとして言った。


(ごめん、クリス)


 君にはいっぱい迷惑をかけてしまっているね。


 私はなお謝ろうと口を開いたとき、一人の部下が執務室へ入ってきた。隊に入ってまだ半年も経っていない若い部下だ。


「隊長、お話があります」

「うん、どうしたの?」

「………」


 話すのをためらっているようだ。彼はクリスのほうをちらちら見ている。


「………僕がいたら話せない話でもするの?」


 クリスは半眼でにらんでいる。い、いいえ!と慌てた部下は意を決したように、勢いをつけてこう言った。


「私を、この隊から異動させてください!!」


 え………?


「もう耐えられません!噂にも、他の隊からの嫌がらせも!!隊長があんなことをするなんて」

「───ねぇ」


 まずい。


 止めようとした手は遅かった。



「言いたいことはそれだけ?」

「ひぃぃっ!」


 クリスは、部下の首に剣を向けていた。その瞳はどこまでも冷たく、視線だけで心臓が凍りそうだ。


「あんな曖昧な噂なんて、信じちゃってるんだ。……こんな見る目ない部下なんて後々使い物にならなくなりますよね?隊長、今殺していいですか」

「やめな」


 とりあえずクリスを止めなければいけない。


「クリス、剣を下して」

「隊長。しかし、」

「クリス」


 クリスの目を見て静かに名前を呼ぶ。


「…………了解」


 クリスは剣先を下した。ここで私はもう一人の部下に目を向ける。彼の名前は確か。


「フランク」

「………はい」


 彼の名前を呼ぶと、肩がびくりと震えるのを見た。私はそれに苦笑する。 


「異動願いの件了解した。上に相談してみるよ」

「え………」

「あと、つらい思いをさせてしまってすまなかった」


 私は彼に頭を下げた。クリスは隊長!と咎めるような声をだしたが、私は頭を上げなかった。


「………噂は本当なんですか」

「違うよ。少し行き違いになっただけ。嫌な思いをさせたね」


 彼は何かを言いたそうに立ち尽くしていたが、とぼとぼと執務室を後にした。



「………隊長」

「何?」

「甘すぎます」

「そうかな」

「いいんですか?」

「いたくないっていうのを無理してこの隊にいさせるのは酷だろ」


 でも──。


(さすがにこれは、堪えるな)


 執務室から眺めた空は、こんなにも色あせていたのだろうか。


 視界がまた、薄暗くなったような気がした。



 周りの反応は芳しくない日々は続いていたが、決定的なことが起きた。それは訓練で部下やクリスと手合せをしていた時のことだった。


「っ次!!」


 模造刀で部下をばさばさ、なぎ倒しては次の部下を呼ぶ。何度も、何度も、何度も。部下たちの涙目は見なかったことにした。


 戦争は身体能力がものをいう。


 部下を死なせるわけにはいかないので、訓練はいつもスパルタに鍛え上げていた。だんだん顔色が青ざめていく部下たち。根性がたりん、気合をいれろ、気合を。


(なんか、体がだるいな……)


 最近身体の調子が優れなかった。すぐ疲れを感じるし。私も気合が足りないのかな。


「隊長、覚悟してください」

「おお、クリス」

「僕が勝ったら隊長の座をもらってもいいですか」

「いい度胸じゃないか」


 私はにやりと笑った。挑発的にクリスが剣を構える。なかなか良い眼をしてるじゃないか。剣を構えなおしたとき、


「あの、私も手合せお願いします」


 鈴を転がしたような声を掛けられた。無意識に体の動作がぎこちなくなる。


「エルダ少尉………」


 なぜ、彼女がここへいるのだろうか。よくみてみると後ろのほうに、グレン少佐とアレックス少佐がいた。


「エルダとも手合せしてやって。実力だめしに」

「アレックス少佐」


 いつのまに、エルダ少尉のことを呼び捨てにする位親しくなっただろう。


(久々にグレン少佐を見たな……)


 ちらり、とグレン少佐を見る。──少佐は、噂のことをご存じなのだろうか。

突然グレン少佐と目があった。


「サラ、お前……」

「わかりました。手合せしましょうか、エルダ少尉」


 ききたくない。もし聞いてしまえばどんな答えでも、私はきっと立ち直れなくなる。


「お願いします」


 エルダ少尉との手合わせが始まった。



(────おかしい)


 剣を数回交えて思案する。


 剣ってこんなに重かったっけ?そんなに具合悪かったのかな、私。エルダの剣の腕前はたいしたことはないと思う。普通の軍人レベルだ。なのにどうして決着がつかないのか。


「あの隊長と均衡してる……」


 部下の一人がつぶやいた。


(あせるな、私)


 焦ったら、勝てるものも勝てなくなってしまう。ここにはグレン少佐がいるのに。


(グレン少佐、すこし痩せたのかな)


 ちらりと見た少佐の顔は、すこしやつれていた。ちゃんと秘書の仕事してるのか、エルダ少尉は。グレン少尉の隣にいることができるのに──。


(なんか、腹立ってきた。……変な噂ばらまきやがって)


 怒りが原動力になったのか。エルダの剣を振り払った。


(いける!!)


 あと一振りで勝てるというところで、身体の力が抜けた。




 あれ?




 疑問に思ったときにはすでに、視界が急に黒く染められていた────。




 意識が浮上し、ゆっくりと目を開ける。あたりを見回すと医務室のようだった。消毒液の匂いがする。


「……体調が悪いのに、訓練なんてしないでください」


 急に倒れるから、何事かとおもったじゃないですか。



 ベット近くの椅子に座ったクリスが、唇を噛んでいた。


「ク、リス……っつ」

「あぁ、動かないで。怪我しているんだから」


 身体を動かそうとしたら、肩に激痛が走った。私が顔をゆがめたら、クリスが我が身のことのように痛そうな顔をしていた。


「あの女、倒れかけた隊長にとどめさそうとしたんですよ」

「……あの女いうなよ」

「どこがいいんですかね、みんな。見てくれだけでしょ」


 その点隊長は、見てて飽きないからいいですよね。


 クリスが不器用ながらに私を元気づけようとしているのが分かった。



 ふと、私は思い出した。


「ねぇ、クリス」

「なんでしょう?」

「グレン少佐の眼の色って何色だったっけ?」

「………また少佐のことですか」


 こんなときに、とクリスは顔をしかめた。


「なんでしたっけ、ええと青だった気がします」

「………そう」


 意識が途切れる寸前、最後にグレン少佐を一目みようと力を振り絞った瞬間、目があった。


 グレン少佐の失望した、と言っている目と。


(あの眼の色は………)






 灰色だった。




 彼女は私から少佐の『色』まで奪うのか。


 視界に灰色がちらつく。今見えているクリスのカフスボタンだって。


(灰色じゃなかったはずだ)



 かつては、空の蒼さを切り取ったような色だった──。

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