その2
「…………………………さっさと諦めればいいんですよ」
「……?何か言った?」
「いいえ別に」
僕のことも見て欲しい───。
そう思うのに、臆病な僕はこの心地よい関係を崩したくなくて──
ただ彼女に願うだけだった。
あの後、僕は軍所属となった。
まだ身に馴染まない白い軍服を着る僕自身を滑稽だと感じていたが、ここでの生活は、あの頃よりも天と地の差があった。そして、僕の教育係は僕と同じ白い軍服を着た少女が担当することとなった。
「988、989、990っ」
「はい、じゃあ後300素振り追加ね」
「………」
「無言で素振りしないー。ちゃんと数えて」
「5、6、7、8、9………」
業務関係のことはそれなりに……というか随分適当に教えてもらったが、訓練関係に対してはとてもスパルタだった。
(なんで単位が100単位なんだよ………っ)
軽い口調とは裏腹に、彼女は容赦などなかった。
もちろん、失敗したからといって殴られるということはなかった。どうして失敗したのか原因を僕に問い、正解だったら「次は気をつけようねー」と頭をわしわしかき回すだけだった。
大抵の失敗はそうだったが、一度魔法を暴発しかけたとき、盛大にぶん殴られた。
「貴様……っ!今、余計なこと考えていただろう……!!」
彼女は周りの人が止めるまで僕を殴り続けた。………隊長の言っていたことは図星だったけど。ぶん殴られて意識を失った僕を医務室に連れて行って、自ら手当てをしながら彼女は言った。
「魔法使いはね、魔法を使うときは冷静でなくてはならないよ?魔法は大なり小なり、使う個人の感情に左右されやすいから……じゃないと、大切な人まで傷つけてしまう」
「………」
「……痛かったよね、でもこの痛みを忘れないで欲しい。魔法を向けられた相手には、それ以上の痛みがあるはずだから」
彼女は僕の瞳をまっすぐ見ていた。曇りのない、どこまでも透き通った美しい瞳だった。そのまま見ていると彼女の瞳に吸い込まれそうだと感じ、見ていられなくなって僕は目を逸らした。
彼女は不思議な人だった。
口調や扱いは軽いのに、こなす業務は完璧で剣もめっぽう強い。……腹立たしいくらいに。
そんな優秀な人材であるにも関わらず、あの恐れられているグレン少佐に突撃して告白をしていた。しかもことごとく振られているのにそれでもなおアタックしている猛者だった。
まだ若い彼女が隊長になったときは、外部からのやっかみはあったが、隊のみんなからは「嬢ちゃん隊長」と、慕われていた。敬意も何もあったもんじゃない。それでも彼女は楽しそうに笑っていた。
(……変な人)
それが隊長の傍にいて、彼女の隊の副隊長を任されるまでの僕の印象だった。だがその印象は、ある日突然崩される。
隊長に新たな書類を持ってきたときだった。
「隊長、書類を持ってきました。………隊長?」
執務室には誰もいなかった。
(留守か?)
改めて出直そうと部屋を後にしようとしたが、小さな物音がした。
「……………」
(隊長、またかくれんぼでもしているのか?)
隊で突然始まった、大々的なかくれんぼが開催されてそう日が経っていない。僕は見ていただけだったけど、騒ぎは大きくなり最後はグレン少佐にこってり絞られていた。
大の大人数人とまだ少女である隊長が正座をしてグレン少佐の説教を聞かされている現場は中々シュールだった。
隊長を止めろよ大人。むきになりすぎだろ。笑いをこらえるのに必死だった。
そうっと、執務室の机に近寄る。
(まだ隊長は懲りていなかったのか……)
おそらく隊長は机の下にいるに違いない。………全く。なにやっているのか。
「───隊長!!遊んでないで仕事してくださ………」
言葉が止まる。
結果から言うと机の下に隊長はいた。しかし、彼女はその美しい瞳から、透明なしずくを静かに零していた。
「な、なんで…」
「………、ごめ、ん。すぐ仕事する、から…」
隊長が泣いている。衝撃的だった。いつもへらへら笑っているあの彼女が、
「………少佐ですか」
「………」
びくり、と肩が震えたのを見逃さなかった。隊長は何も言わない。
「………グレン少佐のどこがそんなにいいんですか?」
疑問に思っていた。いつも冷たくあしらわれているのに、彼女はそれでもめげずに少佐を追い続ける。……どうして?そんなことしても無駄じゃないか──。
「グレン少佐、は、」
「………」
「死んで、しまいそうな私に、色を、取り戻してく、れたの」
枯れてしまう私に、水を与えてくれたのは、あの人だった。
「あの人は、私の『とくべつ』なの……。たとえ振り向いてくれなくても」
私はあの人に私の心を届け続ける───
「………まぁ、分かってはいても、つらいときもあるよね」
彼女は目を伏せながら笑った。ふんわりと、どこか寂しげに。
僕は彼女の何を見ていたのだろう。隊長は強い人だと思っていた。どんな逆境にも負けない、揺らがない、芯の通った人。
しかし今目の前にいる彼女は?
細い腕で自身を抱きしめている隊長はいつも見ている姿よりもちいさく、今にも壊れそうだった。
こんな隊長、僕は知らない。
(僕だったら、)
僕だったら?どうするというのだろうか。何をしようと?
(あぁ……)
彼女の弱さに触れたとき、僕の中ですとん、と何かが落ちた。
(……最悪だ)
自分じゃどうしようもない感情を見つけてしまったと同時に気づいてしまった。
彼女がグレン少佐を見つめ続ける理由。
………僕も、隊長とおなじじゃないか。
(不毛すぎる)
それから、隊長がグレン少佐に突撃するたびに僕は一喜一憂した。
ちなみに、隊の大人たちにはすぐにバレた。隠し通すつもりだったのに。知らないのは隊長だけだった。……鈍いから。全く、大人は本当嫌になる。………なんでこんなのには鋭いんだよ。仕事しろ、仕事。
少佐にフラれるたびに、彼女の顔は曇る。
そんな隊長の顔を見るたびに胸が痛くなったと同時に、仄かな薄暗い喜びもあったのだ。僕の想いは彼女には届かない。でも彼女の想いも、また───
(……歪んでいる)
自嘲ぎみに笑う。しかしもう、どうすることもできなかった。彼女の隣は居心地がよかったから。
手放したくない。
(言わなければずっとこのまま、彼女の隣にいられるだろうか)
危うい均衡が保たれていた。そんな、平和。
おかしくなったのは、もう一人の魔法使いが来た頃だった。度々見かける彼女──エルダは、いつも数人に囲まれてちやほやされていた。
(嘘くさ)
僕は魔法使いだ。だから分かる。あの女の仮面が───
(………同族嫌悪かな)
きっと何か裏がある。お互いさまといえばそうだが。
(……本当に嫌になる。)
だからだろうか。僕に『色』を与えてくれた隊長が眩しく感じるのは───
疑いが確信に変わったのは、エルダが突然手合せを願い出た後だった。
変な噂はいずれ無くなるだろうと構えていたのだが、一向になくなる気配はなく、むしろ広まっていった。しかし上は何も対処しない。……グレン少佐やアレックス少佐は隊長に目を掛けていたはずなのに。
そして、
魔法を使って隊長に勝ち、さらに傷を負わせたエルダに腹が立って直談判しに行ったのだ。
「いい加減にしてください、グレン少佐!!どうしてあんな胡散臭い女を傍に置いているんですか!?」
「………エルダのことか?」
「他に誰がいるんですか。変な噂ばらまいたり、魔法使ってでも隊長に勝とうとしたり。あまつさえ隊長に怪我までさせて……!」
「………」
グレン少佐とアレックス少佐は黙っていたが、
「こうなったら隠し通すのは無理だよ、グレン。協力してもらったほうがいい」
「………そうだな」
ゆっくり話をしてくれた。軍内部に敵国のスパイがいること、そしてエルダがその可能性が高いこと───
腹が立った。
なんで、何で隊長だけこんなつらい思いしなければならないのか……本当だったらグレン少佐、あんたが一番に隊長を守らなくてはいけないんじゃないか!!
軍の立場とか、しがらみとか、本当に嫌になる。そういう僕も、真相を知りながら彼女を助けることは禁止された。
「クリス、知ってもらったからには協力してもらいたい」
「もちろんです」
隊長をこんな目に合わせた奴らに一矢報わないと気が済まない。
「お前には次の戦場で別部隊を任せたい」
「……それはつまり、隊長の傍を離れろ、ということですか?」
あんな状況の隊長を一人にしろと?……冗談じゃない。
「不満そうだね。でも君も自由に動き回れたほうがいいだろ?……鼠を探すのには」
なるほど、そういうことか。
スパイを嗅ぎまわすには、隊長を一人して油断させたほうがいいってわけか。
(………この状況を終わらせて、もとの隊長に戻って欲しい)
最近の隊長はどこか違和感を感じていた。まるで、切れる寸前まで張りきった糸のような緊張感があった。
僕は渋々承諾した。
「今度の戦場で、別の隊を任されました」
そう隊長に告げるとき、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。……僕だけは、最後まで彼女の隣にいるつもりだったから。
「───そう」
複雑な心境の僕をよそに、隊長はあっさりそう言った。
「………すみません」
「何故謝る?いいことじゃないか。手柄を上げるチャンスだ」
「でも」
隊長の言っていることは正しい。僕がただごねているだけだ。
ただ、僕は彼女に、
行かないで───
嘘でもいい、そう言って欲しかった。
「準備もあるんでしょ?仕事は私に任せて、行って来れば───」
「あなたは!!!」
淡々と何でもないように言う彼女にもう我慢ならなかった。
「………平気なんですか?」
きっと今僕はこの上ないほど情けない顔をしているのだろう。 ───それでも、
「僕が頼りないってこと、十分知ってる。でもすこしくらい、」
頼ってほしい───
僕は隊長を抱きしめ、肩口に顔を埋めた。
僕じゃ無理だって、そんなこと分かっている。だが、やるせなかったのだ。彼女の瞳には、僕の姿が映っているが、その心に僕は───写っていない。
彼女はこんな辛い状況にいたのに、一度も弱音を吐かなかった。いつも毅然とした態度で対処していた。例え、どんなことがあっても。
(あぁ………)
彼女の肩は、こんなに薄かったのだろうか。こんなにも小さかっただろうか───まるで、消えそうなくらいに。
永遠にも感じた刹那。
隊長はやんわりと僕を押し返した。
「───行っておいで」
「………了解」
僕は隊長の執務室を出た。
「───くそっ!」
誰もいない廊下で、壁を殴る。
何もできない自分に怒りが湧く。……傍で彼女を支えることもできないなんて。
最後にみた隊長の美しい瞳は、ガラス玉のようだった──。
次回でラストです。