世界に彩があったころ
もう疲れた。
閉じかけの視界から入る世界は灰色だ。さっきまで、赤色で埋め尽くされていたのに。私の力が入らない身体は、壁にもたれかかっていた。
(寒い。……眠い)
すべてに絶望した私は懐に隠し持っていたナイフを出し、そのまま首へ───。
「もうそろそろじゃない?」
「………」
次の作戦に向けて議論をしていたのだが、不意にアレックス=マクネアは言った。これから起こることの想像がつくらしく、なにやら楽しげだ。
そんなアレックスとは反対に渋い顔をしているのはグレン=バルドーである。言葉をだすのも億劫そうだ。
「いやぁー楽しみだね!」
「どこがだ」
「『少佐、少佐!』って、見ていてかわいいじゃないか」
「全くもって理解できん」
温度差のある会話が続く。広い執務室には2人だけであった。なぜならグレンという男は人嫌いで有名だからだ。彼は必要以上に人を傍に置かない。傍にいられるのは彼が本当に信頼している者たちだけ。
グレンは、仲間や部下には情をみせるが、敵とみなせば容赦など知らない。彼の立っていた場所は跡形もなくなると敵はもちろん、味方さえ恐れていた。
「…………ほら、きた」
アレックスはいたずらっぽい笑みを浮かべた。ぱたぱたと廊下を軽やかに駆ける足音が聞こえ、グレンはさらにしかめっ面をした。そしてドアはバンっ、と大きな音を立てて開く。
「グレン少佐! お待たせしていた書類をお持ちしました!! 今日も愛しています!」
アレックスが大爆笑をしている隣で、グレンは頭を抱える。ドアから勢いよく入ってきたのは、まだ幼さが残る少女だった───。
ここはクレトリア王国。巨大な軍隊をもつ、大国である。資源にも恵まれており、科学技術もかなり発展していた。そんな優れた国であったが頭を悩ませている問題が一つ。それは、
隣国であるリトリウス王国との戦争だ。
数十年も続いているがまだ決着がつかない。なぜならリトリウス王国もまた、クレトリア王国と同じくらい発展した国だったからだ。戦争の行きつく先は、まだ誰も分からなかった。
「……ノックくらいしろと何度も言っているだろう」
「少佐の愛が大きすぎて、ドアなど見えなかったんですぅ」
「今一生見えなくしてやろうか」
「あががががががが、ご、ごえんなざぁぁぁい」
少女の頭を片手で掴み、握り潰そうとした。頭からしてはいけない音が聞こえてくる。
「そのくらいにしといたら?痛そうだよ」
「…………」
アレックスの助言にグレンは舌打ちをしながらも、少女の頭を離してやった。そこで、少女はグレンの横にいたアレックスに気が付く。
「アレックス少佐!!お心遣いありがとうございます!」
少女はさっきとは打って変わってびしっとした敬礼を見せた。その姿を見たグレンは片眉がピクリと動く。
「お前は俺に敬礼できないのか?」
「はっ!グレン少佐の為なら敬礼どころか私のすべてを捧げることができます!あっ!!まさかアレックス少佐に嫉妬……」
ぽっと頬を染めた少女はその先をいうことができなかった。
「貴様の頭はよほど何も入っていないと見える……」
「うごごごごごごごごごごごごご」
頭を左右にものすごい力で揺らされた少女は最後にふらりと床に倒れた。
「で?書類は?」
「…………これでございますぅぅぅぅ」
「気持ち悪っ」など言ってうつ伏せになっている少女は腕だけ伸ばしてしっかり書類を渡した。「ここで吐くなよ」という無慈悲な言葉が頭上から浴びせられる。しばらくそのまま床に転がっていた少女は、のろのろと立ち上がり始めた。
「うぅ~。まだ頭ぐらぐらする……」
「自業自得だバカ者」
「グレンそれはひどすぎだよ。サラ、おいで。飴あげる」
「わぁぁぁぁ!!さっすがアレックス少佐、ありがとうございます!!!!」
わぁっと顔を輝かせた少女は、アレックスのもとへ近づく。少女が両手で飴を受け取ろうと手を差し出したが、それは叶わなかった。
「餌付けするな、アレックス」
「ちぇっなんだよ厳しいな」
「あめぇぇぇぇっ!!」
「うるさい」
少女は頭をはたかれた。グレンは軽い程度だと思っていたのだが、少女には衝撃が大きすぎたようだ。呻きながらうずくまっている。
「この書類を持っていけ。終わったらまた持ってこい。期限は3日以内。分かったか?」
「うぅぅ……わかりました」
少女はグレンの書類を受け取る。アレックスとグレンにもう一度敬礼をして、頭をさすりながらドアを出ようとしたとき、
「サラ」
声色を変えたグレンが少女を呼び止めた。その眼は先程とは打って変わって静かな色をしていた。
「じきに、大きな作戦を遂行する。心して日々励め」
「──了解」
少女は凛とした声で返事をした。
◆◆◆◆
「また少佐に振られたんですか?」
執務室の自分の机で突っ伏している私に呆れた声が降ってきた。
「うるさい」
「書類できたんで、さっさとサインしてください」
「……君、私の部下だろう?落ちこんでいる上司をなぐさめようとは思わないのかね」
「思いません。上司は部下を選べるけど、部下は上司を選べないのがつらいですよね。むしろ僕がなぐさめてほしいくらいです」
「ひどいな、おい」
この上司を上司と思わない、ずけずけと物を言う少年はクリス=カスタル。階級は私の一個下の少尉で、年は2つしか変わらない。私の隊の副隊長をしている。
「少佐から書類預かってきたのでしょう?仕事はまだ残っています。……ナメクジみたいにウジウジしないでください。塩かけますよ」
「やめろ、縮んでしまうじゃないか」
「大体にしてグレン少佐に告白とか恐れ多い。いくつ年が離れていると思っているんですか。少佐がロリコンに目覚めでもしない限り無理ですよ」
「……書類、サインしないぞ?」
「いいですよ?少佐にお伝えしましょうか。それとも隊長を返上します?副隊長の僕が引き継ぐはずですよね。……今までの分こき使ってあげますよ」
「やるやるやるやる!! サインします!!!」
クリスが何やら企みのある笑みを浮かべたので、慌てて書類をひっつかんだ。彼は残念そうな目でこちらを見ている。
あれ?私、部下に慕われていない?ショック!!
私はサラ=アベカシス。クレトリア王国にある軍の中尉をしている。18にして50人の部下を持つ隊長だ。
なぜこんな小娘が小規模とはいえ隊を任されているのかというと、
私は、魔法使いだからだ。
この世界には魔法なるものが存在しているが、その数は極々少数だ。長く続いている戦争に魔法使いの手を借りようと、クレトリア王国もリトリウス王国も血眼になって魔法が使える者を探していた。
軍に入ったのは十歳の頃だった。私が生まれた村は国境付近で、どこからか私が魔法を使えるということが漏れたらしい。秘密裏にさらうか、殺そうとしたリトリウス王国の軍人が村に攻め入ってきた。
村は全滅。
建物は燃え、村人は男も女も子供も見つかれば関係なく殺された。
(私のせいで村のみんなが死んだ──)
その事実に耐えられなくなった私は、せめてもの罪滅ぼしとして、私は自害しようとした。
ナイフの冷たい感触が首筋に伝わる。思いっきり縦に引こうとしたとき、
ガッッッ──。
思ったような感覚は襲ってこず、代わりに身体が吹っ飛んだ。地面に叩きつけられたときの衝撃で私は噎せた。
『貴様は何をしている!!』
呆然としている私に怒声が響き渡る。軍服を着た、知らない男がそこにいた。
『貴様のせいで村人は死んだ。だったらなおさら貴様は生きなければならないだろう!!!』
村人の分も、
一言怒鳴られるたびに2、3発殴られた。痛さと悲しさと悔しさがまざり合い、ずっと出なかった涙が溢れてきた。
『……っうわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!』
突然大声で泣き出した私に、軍服の男が手を上げる。
(まだ殴られるのか)
予想に反して痛みは襲ってこなかった。私はきつく抱きしめられていた。泥と涙でぐちゃぐちゃだったのに。泣いている私は何もできずにされるがままになっていた。人肌に触れると、なおのこと涙は止まらなかった。
私が泣き疲れて意識を失うまでずっと、軍服の男は抱きしめてくれた──。
(グレン少佐に私は生かされた)
あの後軍に入れられ、生きる術を学んだ。とても厳くて辛いことも何度もあったけど、灰色だった世界に色を取り戻してくれたのはグレン少佐だった。
憧憬から慕情へ変わるのにそう時間はかからなかった。
グレン少佐のためなら、命だって懸けられる。私の命は彼のものだ。
必死になって書類を読んでいると、別の部下が現れた。
「よう、嬢ちゃん!!まぁーた少佐に振られたんだって?」
「げ、なんで知ってんの!?」
「さっきそこでアレックス少佐が爆笑しながら話されてたんだよ」
「アレックス少佐なんてことを!!!!」
部下はクリス以外けっこう年上だ。8年間軍で育ってきたので、私のことは隊長というより娘みたいに扱っていた。まぁ、私は楽でいいけど。
「この書類、少佐が追加分だって。……副隊長の坊主も頑張らないとなぁ~」
「ほっといてください」
にやにやしながらクリスにちょっかいを出していた。クリスは嫌そうな顔でそっぽを向いている。……どうしたんだろう。
「嬢ちゃん隊長、新しい作戦思いついたぜ!!これで少佐をイチコロだ!!」
「まじか!!詳しく聞かせて!!」
「仕事してください」
「クリス。こことここ、記入に不備がある。そこに机あるから直してきて」
「………了解」
私が真面目な顔でそう言うと、クリスはそれはもう悔しそうに返事をした。私はやればできる子なので、書類のチェックもちょちょいのちょいさ!!!ざまぁ、クリス!
私が興味津々に話をきいているのを、クリスは書類を書き直しながら恨めしそうに見ていた。
なんてことない、日常。毎日が美しく色づいていた。そのときの私はこんな日々がずっと続くと思っていたのだ。
なんの疑いも、持たずに。