予想外のプロポーズ
私は、付き合っている光太に少し冷めている。
「……花恋、つまらん?」
光太が心配そうに私の顔をうかがっていた。
私は真顔で固まっていた表情筋を総動員して笑顔を作る。
「光太、ごめん。そんなことないから安心して」
無理やり作った笑顔なのはわかっているのだろう。光太がため息をつきつつ苦笑する。
私は軽く頷いて、周りを見た。
高級そうなレストランの内装だ。普段の私たちでは使わないランクのお店である。
「ねえ、今日はどうしたの? こんなレストラン初めてじゃない?」
私が笑顔を装いそう問いかけると、光太は少し目を泳がせた。
訝しく思いつつも内心でため息をつく。私の微妙な空気を感じているのだろうか。……いや、ありえない。
光太はいつも自分勝手で私を困らせるから……。
気遣いができる人ならば、私は今、全力でデートを楽しんでいることだろう。
私は光太から視線を外すように何気なく店内を見渡した。
店内は満席で、お客さん達は全員、食事を楽しみ、談笑している様子が見える。店員達も忙しそうに働いて――いなかった……。
ホール内で一列に並んで微笑んでいる。
私が不思議に思い首をかしげると、同時に店内が暗くなる。
そして、店員達が歌い始めた。
「わ、イタリア語?」
「みたいだな」
私が問いかけると、光太は生返事で返してきた。
不思議に思い光太を見ていたら、店員達が私のところへやってきた。すぐさまホールケーキが運ばれてくる。
『おめでとうございます!』
店員達の合唱により、この歌の主賓が私と光太だと知る。
そして光太が立ち上がった。
「花恋――花恋さん。立ってくれませんか?」
光太が神妙なおももちで、慣れない丁寧語を使っている。
完全に状況がつかめないまま、言われた通りにする。
そんな私の前に立った光太はすぐさまかしずいて、小さな箱を取り出す。
私は息を飲むほど驚いた。
「僕と結婚してください」
中から出てきた指輪と光太の言葉に、私は思わず口元に手をあてた。
ほら、やっぱり光太は自分勝手だ……。自分のことばかりで私のことなど考えていないのだ。
周りの視線を感じ取り、私はバレないようにため息をつく。
言いたいことはいっぱいあったが、しかたない。この空気を壊すわけにもいかないし、話は後でしよう。
私はうなずくことで(一時的な)同意を表した。
瞬間、周りにいる人たちは大きな大きな拍手をしてくれた。
× × ×
会計をすませた私たちは店を一歩出る。
すると光太がすぐ口を開いた。
「……どうした?」
「……なんでもない」
ぶっきらぼうになってしまったのは、この際仕方ないだろう。車の中でもこの空気になるのかと思うと正直つらい。
すると光太が大きくため息をつき、言った。
「わりぃ。トイレ行ってくるわ」
言いながら私に車の鍵を渡し、店の中に戻っていく。
私の微妙な空気を感じ取ったのだろうか?
何はともあれ、光太がいなくなった隙に私は大きく深呼吸をした。
肺の中の空気を入れ替えることができて、少しだけリフレッシュした気がする。
私はまっすぐカローラの助手席に乗り込み、先ほどもらった箱を取り出す。
開けるとダイヤモンドの指輪がキラリと光った。
私は光太とどうすればいいのだろう。自分勝手な彼と今後やっていけるのか不安しかない。
一人でため息をついていると、急に窓がノックされる。驚いて外を見た。
そこには黒いニット帽にサングラス、ダウンジャケットの男が立っていた。
「車から降りろ」
いきなり言われた言葉に私は恐怖を覚えた。直感的に危ない人だと思ったのだ。
私は刺激しないよう、身動きせず光太の帰りを待つことにした。
そんな私の心中を察したのだろう。男は大きく息を付き、運転席側に回る。
すかさず運転席の窓ガラスを割り始めた。
「きゃあっ!?」
私がその音と衝撃に身をすくませていると、窓を割った男がロックを解除し、すぐさま車に乗り込んできたのだった。
私は咄嗟に出ようとしたが、瞬間的にロックされ腕を取られてしまう。
「やだっ! 放して、放してよ!!」
力いっぱい振りほどこうとするが、男の力はそれ以上に強い。
男は静かに言った。
「鍵、持ってんだろ? よこせ」
私は首を横に振った。
男がため息をついた。やれやれと言いたそうに頭をかき「確かここら辺に……」とつぶやいてダッシュボードの右奥を探り始めた。
「やめてっ! 何してるの!?」
男の顔がちょうど私の右足の上にあり、嫌悪感をいだく。思わず男の頭を叩いてしまう。
「何もしねえから大人しくしてろ」
そういって男の左手には車の鍵が握られていた。
私は唖然としながらエンジンをかけていく男を見ていた。
「……どうして?」
スペアキーの場所がわかったのだろうか?
つぶやいた言葉が男の耳に届いたのだろう。サングラス越しに見られた気がした。
車がそのまま走り出してしまう。
「どこに行く気よ?」
震える声を振り絞り、私は訊ねた。
すると男はニッと笑いすぐに答えた。
「どこか安全な場所」
これほど白々しい言葉など、そうそうないだろう。
私が身をすくませていると、男はおもむろに「運転しづれえ」とニット帽とサングラスを外した。
声の感じからも察していたが、自分の父親と同じくらいの男である。目鼻立ちがくっきりし、渋みの走った大人の色気を感じさせる顔だ。
間違いなく初めて会ったはずなのに、私の胸は妙にざわついた。思わず問いかける。
「あなたは誰なの? どこかで会った?」
しばらく考えるように無言だった男が重々しく口を開いた。
「……本来であれば花恋と……アレはまっすぐ帰らずドライブするはずだった」
「は?」
意味が理解できなかった。わかったのは、私の質問に答える気はないということだ。
男が続ける。
「湾岸線をドライブする予定だったのさ」
男の顔に陰がさした気がした。
「そこでトラックに追突される」
「何を言ってるのかまったくわからない! わかるように言ってよ!」
「花恋が車から降りないから、仕方なかった……。逆方向で下ろせる場所見つけたら……
男がそこまで言って固まった。
まさにぎょっとするとは、このことを言うのかと思ったくらいだ。
私は首をかしげる。
「どうしたの?」
男は私の言葉を無視し、赤信号の十字路を猛スピードで突っ込んだ。
進入してきた他の車達が一斉に急ブレーキを踏む。
「ちょっと! 何してんのよ!」
私が批難の声を上げると固まっていた男がようやく復活し、呻くように言った。
「アクセルが戻ってこない!」
「へ……?」
「アクセルが埋まったんだよ!! くそっどうなってやがる!!」
「早くブレーキ踏みなさいよ!!」
「もうやってる! ブレーキも効かねえ!」
男は必死の形相でスピードの上がっていく車を運転していた。一瞬でも運転を誤ると民家に突っ込んでしまうだろう。
私はとっさにサイドブレーキを引いた。が、それでも効く様子はない。
男はその様子を見て、すぐさまギアをニュートラルに入れる。
「どうなってんだ! 何やっても減速しねえ!」
私があっけにとられている横で、男は真剣な表情で運転していた。
「やめてよ! 何とかしなさいよ!!」
「わかってっから少し黙ってろ!! ――おい! 潜り込んでペダル元に戻せるか!?」
聞かれた瞬間に私は箱をポケットに入れ、シートベルトを外し、男の足下に潜り込む。
アクセルペダルを持ち上げようとしたのだが、床にぴったりと張り付いている。
「ダメ! 上がらない!」
叫びつつ、何度も何度も引き上げようとしては失敗する。
しばらくすると男がため息をついた。
「もういい。戻れ」
男の声色がひどく冷めていた。私は言われたとおり体を起こし、男の顔を見た。
落ちついているように見えるが、何かを達観しているような雰囲気がある。
その顔に私は恐怖を覚えた。
「……ちょっと、何考えてんの?」
「この車が事故に遭うのは運命らしい」
道路は少し開けた場所に出た。右手に幅の広い川が見える。
男は重いため息をついた。
私はそんな男にすがりつくように言った。
「待って! 諦めないで! まだ方法はあるはずよ!」
「このまま大通りに出たらとんでもないことになる。諦めるしかねえ」
「ちょっと……本気なの……?」
「お前にまた会えてよかったぜ」
「何言ってるのよ!」
「本当は最後まで守ってやりたかったんだけどな……そう簡単に未来は変えられないらしい」
もうわけがわからなかった。私はなんでこんな状況に巻き込まれているのだろう。
自然と涙があふれてきた。
すると男は私の涙を優しく拭いてくれた。
急だったので驚いたが、その手の感触――皺の入った手の心地良さに心当たりがあった。
「あなた、まさか……?」
男はゆっくりと首を振った。
「わりぃ。もう一度アクセル見てくれねえか?」
「……わかったわ」
私は言われたように運転席の下に潜り込んだ。アクセルペダルに触る。すると頭の上で男がしゃべりだす。
「わりぃな俺って自分勝手だったろ? でもさ、花恋のこと……」
私は悪戦苦闘しながら大人しく聞いていた。
「何年経っても愛してる」
え?っと思った瞬間には男に腰を抱かれていた。
私は避難の声を上げようとした瞬間、運転席のドアが開いた。
「――っ!?」
川に落ちる!
そう思った瞬間、男に抱きしめられ、車の外に飛び出した。男をクッションにするように地面に落ちる。
私の意識はそこで途絶えた。
× × ×
ゆっくり目を開ける。見知らぬ天井が見えた。
体を起こそうとしたが、全身に走る痛みに顔が引きつった。
自分の身に何が起きたのかを思い出し、慌てて周りを見渡すと見知らぬ部屋だが、どうやら病院らしい。
ベッドのかたわらに、顔を伏して寝ている光太がいた。心配してくれていたのだろう、目の下にクマができている。
私は左腕をのばし、光太の頭を撫でた。
「ん……」
光太が軽く身じろぎし、横顔が見えるようになる。
瞬間、私の脳裏にあの男の横顔が光太と重なった。
私は思わずポケットに手を入れた。指輪を取り出そうとしてはっとする。
箱とは別に指輪が一個入っているのだ。ゆっくりと取り出す。
箱の中身は紛れもなくプロポーズに受け取った指輪だ。光太の指に填まっている指輪と同型である。
そして……。
取り出したもう一つの指輪は……。
古びてくすんでいるが、形も大きさも光太のものと同じ指輪だった。
――花恋のこと、何年経っても愛してる。
私は泣き出しそうになるのを必死に押さえ笑った。
「ありがとう。一緒に歳をとろうね……」
光太からもらった指輪を左の薬指に填めた。
おわり。