第2話(その2)
遥か遠くから聞こえてくる剣戟の音。
続いて轟くのは爆音と悲鳴。そして嬌声――ちょうど前線に配された第1陣が突破された頃だ。
土煙の中から幾つかの集団が抜け出し、こちらへと近付いて来る様が見える。
「まるでTV番組みたいだね」
小高い丘の上に立ったぼくは小さく笑った。本気で頑張っている皆さんには大変申し訳ないけど、まるでテレビのバラエティ番組を生で見ている気分。
もちろんこれに参加しているのは芸人などではない
。彼らは世界中から集められた選りすぐりの勇者――の卵たち。勇者候補生だ。
ぼくの呟き声が聞こえたのだろう、背後に立っていた女生徒がクスッと笑い声を上げた。
「オゥ、確かにニッポンのバラエティみたいデース♪」
天然パーマ気味のくすんだ金髪。シャギー気味のベリーショートに切り整えた髪を掻き上げ、少女は明るく笑う。
ぼくより頭一つ高い175センチを超える長身。すらりと伸びた手足に抜群のスタイル――彼女の名前はセレンさん。高等部2年の先輩だ。
ニュージーランドはワイカト地方出身。元ニュージーランド軍の海兵隊特務部隊に所属し、現在は大英帝国陸軍情報部の特務機関に籍を置くWAM《女性士官魔術士》。先日アリエステルさんにフルボッコにされた六華姫の一人でもある。
そう彼女は魔術士だ。だが先日と異なり今日は剣だけでなく左手には杖も持っている。
今回の作戦、その中核は彼女にあると言ってもいい――
「さすが勇者たち。結構考えてきてますね」
ぼくは感心した。前回はバラバラだった勇者部隊は今回幾つかの組集団を編成し、拙いながらも連携を取って行動している。そのため突破力が向上しているのだ。
上がって来た人数が当初の予想より多いのもそのためだ。個性の強い方々が多いのが勇者軍の強みでもあり、そして欠点でもある。連携が進むのはもう少し先だと思っていたけど……これはシナリオに若干の修正が必要だ。
さすがは世界を救うべく集まった勇者の卵たち。前回の失敗を糧に経験を積んで来ている。世界を救う勇者を目指すだけのことだけはある。
だが、連休に成長したのは彼らだけじゃない。
「それじゃセレンさん、お願いします」
「オーケィ。あらよっと!」
ぼくの合図にセレンさんは頷くと、手に持っていた樫の木の杖を振り翳した。
「我が意に従い宿れ、星の導き千の鼓動、熱き我が感情を糧に――」
呪文の詠唱を始めるセレンさん。
杖の先端がキラリと輝き光が弾ける。その光の粒は幾十、幾百にも分かれて弾け、周囲に飛び散らばり――地面に吸い込まれる。
「起動せよ《ときめき》、青銅の魔人!!」
妙に怪しい起動呪文だが、ツッコんだら負けだ。
丘の麓に吸い込まれる光の粒。たちまち大地がもっこりと盛り上がり、ドンと巨大な腕が突き出した。
「お…おお!! すごい……!!」
思わず感歎の声を上げるぼく。
そりゃそうだろう。ぼくの目の前で大地を突き破り姿を現したのは黒鉄の巨人。それは男の子の夢の形である巨大ロボットそのものだ。
大地を割ってそそり立つ巨人。
そのデザインはどことなく日本のアニメに登場するロボットっぽい。いやぶっちゃけモビルスーツなアレそのまんまだ。
ウォォォォッ――観客席からもどよめきの声が上がる。
こちらの世界では『失われた古代魔法技術』である『青銅魔人の形成召喚』――でもこれは魔界では割とありふれた精霊具現化操作術なのだそうだ。
「ウーン、やっぱ10メートルオーバーサイズになると同時に操れるのは4体が限度デスね」
セレンさんがちろりと舌を出す。ゴメンナサイな表情を浮かべるが、いやいやこれで十分だ。
「大丈夫ですよセレンさん。予定通り正面を固めて第2陣を形成して下さい」
「いえっさー!」
セレンさんはサッと敬礼すると巨人操作に集中した。敬礼姿が様になってる――さすが本職が軍人なだけはある。
ぼくは耳に引っ掛けてある黒水晶をオンにした。
「こちらデルタ1。予定通り障害第2陣をただいま起動。こちらに敵を釘付けにしている間にアルファ1とブラボー1はそれぞれ集団の左翼と右翼から突撃、敵の撹乱をお願いします」
『うむ。1番隊了解した』
『おぅ、2番槍は任せとけ!』
ザザザッとノイズ混じりの返信が聞こえる。念話妨害の影響だろう。敵さんも色々考えて来ている。
「ここはセレンさんに任せていいですか?」
「おっ、いよいよショーグン自らご出陣デスね」
セレンさんは親指と人差し指で小さな○を作る。
「第1陣担当の……アベネくんだっけ? 彼思ったより頑張って持ち堪えてマスから、こっちはダイジョーブだよっ♪」
アベネじゃなくて安倍野君です。
ぼくはクラスメイトのムッツリ眼鏡イケメン委員長の姿を思い出した。
でも……うん、確かに安倍野君の頑張りは予想以上だ。
アリエステルさんの言う通り、陰陽術と仮想生命創成魔法ってやっぱ相性がいいんだろうな。
魔王軍の陣地正面、第1陣を形成するのは大量のマッドゴーレム――泥で出来た怪物の群れだ。
あの大部隊は陰陽士の卵である安倍野君がたった一人で制御している。
マッドゴーレムは動きが緩慢で戦闘には不向きのモンスターだ。でもマッドゴーレムが持っているパワーは十分に利用価値がある。それになんと言っても、どんなにこき使っても疲れないし文句も言わない。
本来マッドゴーレムは荷物運びや田畑の開墾、トンネル採掘などの力仕事や単純作業に使われることの多い召喚モンスターだ。
普段は等身大サイズで行使されることの多いモンスターだが、今回は特別に身の丈3メートルを超える大型サイズでの大量召喚。これならオープンフィールドでは障害物として立派に機能する。
また原料となる土は大抵どこにでもあるのも魅力的だ。素材集めに困らないし、今回みたいな緊急に人手が欲しい時には本当に重宝する。
使い終わった後はただの土に戻るだけなので後始末も実に簡単。全く自然に優しい、エコなモンスターだ。
ただし一見便利なマッドゴーレムにも欠点はある。
これは魔法を習っている時に念を押されて注意されたんだけど、マッドゴーレム生成魔法は屋内ではけして使ってはならないそうだ。特に自分の部屋ではご法度。
なにせ主要成分が土――泥で出来ているだけに動いた場所が泥で汚れまくる。そのため屋内で使うと後の掃除がメッチャ大変らしい――あれ、多分アリエステルさんきっと自分の部屋の中で使っちゃったことがあるんだろうな。
そんな訳でマッドゴーレム生成魔法を見事マスターした安倍野君が今回魔王軍側に参加してくれているお陰でアリエステルさんの負担も大幅に減った。
ぼくの作戦で今回前線には大量のモンスターが投入されている。
要は障害とふるい役。まぁザコ敵が勇者に立ち塞がるのは基本中の基本だしね。
もっともこのマッドゴーレムを生成するのに必要な仮想生命生成魔法は本来かなりコツが必要な魔法らしい。
あまりにも面倒なので魔界でも習得する人が減っているそうだ。
この魔法が安倍野君と相性ピッタリだったのは彼の出自に大きな理由がある。彼の実家は京都でも有名な魔法使いの一族――代々陰陽師の家系を営んでいるそうだ。 ちなみに安倍野君がこの学園に来たのは陰陽一族の宗家に要請されたからだそうだ。
宗主は日本政府を通じて計画を知らされ、安倍野君をこの学校に入学するよう命じたらしい。
最初は推薦枠で入学する予定だった安倍野君だが、海外留学組の人数が当初の5倍以上に膨らみ、結局一般受験をする羽目になってしまったそうだ。
それで安倍野君は渋々一般受験を受け、見事合格した。そりゃ推薦組に対する不快の念が大きいのも無理はない。
安倍野君は陰陽士として幼い頃から一族に超期待されていた逸材なのだそうだ。
小さい頃から式神を操り、大人でも難しい術式を使いこなす。一部では天才少年と呼ばれて持てはやされていたらしい。
そんな彼に課せられた使命は勇者となって世界を救い廃れつつある実家――陰陽界を建て直すことなのだそうだ。
それが彼の両肩に載った重責、一族の期待である。
歴史と由緒ある家柄ってのも大変だね。
そんな彼が4月末にとある事件を起こし、それを切っ掛けに魔王軍側に転向する羽目になってしまった。
これも運命の皮肉と言えるかな。
まぁ、でも結果的にはそれはそれで良かったんじゃないかな。
優等生からは転落しちゃったけど、結果的に安倍野君は魔界最強の魔法使いに直接魔法を学ぶチャンスを得た。
元々地上世界の人間が魔界の魔法を学べる機会なんて、そう滅多にあるもんじゃない。
連休中、アリエステルさんの師事を受けた彼はたったの数日でマッドゴーレムの生成魔法を習得するに至った。元々相性が良かったこともあるけど、今では20体以上の同時召喚制御を可能にしている。
さらには式神制御を応用し、完全自律制御で運用するアレンジ術式を完成させた。
さすがにこれにはアリエステルさんも驚いていたな。すごい褒めていたよ。
ちなみに第2陣に登場したセレンさんの魔法は見た目こそ青銅巨人召喚に近いけど、利用している魔術式はまるで異なるものだ。
こちらの術式は予め地面に埋め込んでいた呪紋入りの金属板――青銅板をベースに周囲の大地精霊を吸収、魔人像の姿を形成して使役するタイプ。
精霊の具象化召喚魔法は高位の精霊感応やマッドゴーレムより遙かに高度な魔術制御を必要する。さすが高校生――というか、さすが六華姫の実力と言うべきか。
セレンさんたち六華姫は学生の身分だが、6人全員が英国のとある魔導特務機関に所属するエージェントなのだそうだ。
つまりはプロの魔法使い。彼女たちは年齢が若い――というか勇者育成計画の要件にピッタリということもあって、またそれぞれ所属する本来の本国の意向も受けて、計画に参加するため来日した。
まさか入学早々魔王本人に喧嘩を売って、逆にのされるとは思ってもみなかったらしいけどね。
セレンさんの得意な魔法は大地系の精霊感応魔法。
そこでアリエステルさんが彼女に教えたのが精霊を物質に宿らせ実体化させる具象化召喚魔法だ。
セレンさんはこれをさらに独自にアレンジ、試行錯誤の末に完成させたのがこの完全自律駆動型の人造巨霊兵器という訳。
精霊巨人は術者の命令に従い、俊敏な動きで敵を捉え、巨大な剣と盾を持ち強力な攻撃と堅牢な防御を誇る無敵の守護神だ。
ただしセレンさんが大幅に独自のアレンジを施したので見た目はどう見ても戦闘ロボ。おまけに目からは極太の強力怪光線を放ち、腕部は爆裂魔法の応用で射出可能。そのロケットパンチの威力は厚さ30センチのコンクリート壁も易々と貫通する威力だ。
身長12メートル(大体)、重量200トン(恐らく)。まさに大地にそそり立つ無敵の巨人。
これは圧巻の一言に尽きる。
魔王軍のまさかの戦略――邪悪な怪物に続いて巨大ロボット兵器の投入に、勇者軍は大いに動揺していた。
マッドゴーレムの姿は泥でグチャグチャ、まるでホラー映画に登場するモンスターのそれだし、精霊巨人の姿はハリウッド映画やアニメの世界に登場するそれだ。
いくら魔法使いや獣人や退魔士とはいえ、ぼくらは21世紀の現代社会で生きている。こんな見たことのない光景が現実に現れば、そりゃ戸惑うのも無理はない。
4体の巨人、十数の泥魔物を前に勇者軍は完全に狼狽し、動きが止まっている。
ドン! ドドン!――足の止まった勇者軍の左翼側面に大きな爆発が上がった。人影が次々と宙に舞う。
「どうしたどうした勇者ども!! お前達の覚悟は、力はこんな程度か!?」
倒れた勇者を足蹴にして金髪の少女がニヤリと力強い笑みを浮かべた。
ポニーテールに纏めた白金の髪が戦場の風に豪奢に靡き、肩に抱えた聖剣が戦場の光芒を反射してギラリと輝く――まるで獅子の王者の様な貫禄だ。
その実に悪役っぽい笑みは完璧に板に付いており、とても魔王軍参加を嫌がっていた人物には見えない。むしろ今の方が生き生きしてる。
「楽しそうですねぇ、アルスラさん」
ぼくは当然の感想を洩らした。
「色々悩んだり考えてばっかりして馴れない脳ミソ使ってたからネ♪ フラストレーション溜まっていたカモ」
ぼくの感想にセレンさんが笑って答える。
ウサばらしにぶっ飛ばされたんじゃ、勇者の皆さんも可哀想に。
ドン、バン、ズドン!!――今度は右翼側が弾け飛んだ。左翼と同様に人がまるで紙吹雪のように弾き飛ばされている。
さすがの突進力――真っ向からの力勝負で彼の侵攻を止めることが出来る勇者はそうはいない。
「おらおらおらどないしたァァァァ!! 魔王軍は2番槍、天狼絶牙のワイを止めるヤツはおらへんのかァッ!!」
ウォーンと遠吠えがグラウンドに響き渡る。調子に乗ってるね壬生谷君。
灰色狼頭の少年が戦場を駆ける。勇者軍をちぎっては投げちぎっては投げ。実に楽しそうだ。
この分だと予定通り時間稼ぎ出来そうだね。
「じゃあ、ちょっと行って来ます」
ぼくは溜息混じりに呟いた。ポケットからグリップ状の黒棒を取り出すと一振り。
たちまち警棒形態に変形するMAV参式。正式名称マジカライズ・アームド・ヴァリエンティ・タイプ3。通称まぶさん――いやこれはアリエステルさんの付けた名前だ。ぼくは便宜上マーヴと呼んでいる。
2、3度振って変形の感触を確かめる。うん、こいつの扱いもすっかり慣れた。
セレンさんは「いってらっしゃい♪」と笑顔で見送る。
さて――と。
ぼくは魔法の警棒を片手に走り出した。
さっさと片付けてしまおう。
ぼくの名前は柊真琴。13歳の中学1年生。東京都内にある私立聖之杜学園に通っている、どこにでもいる普通の少年だ。
この春出会いの季節が過ぎ、ぼくの新生活が始まった。
色々あったけどぼくのお姉ちゃん――柊アリエステルさんとの生活は極めて良好だ。
まぁこの五月連休も色々事件が起きて大変だったけれどね。
ま、なんだか家族としての絆が強く深まった感じ。ちょっと嬉しいかな。
その連休が明けていよいよ初夏のシーズンがやって来た。
聖之杜学園では休み明けに3日間の中間テストが行なわれた。テスト自体は特に問題なかったよ。ぼくは予習復習はいつもバッチリやってるからね。
それに学園のアイドル、極銀の天姫さまの弟が赤点キングでは格好がつかないし、申し訳ない。
昨日ようやく全テスト日程が終了、生徒は地獄のテスト期間から開放された。
そして今日木曜。本来ならテスト休みに入るところなんだけど、残念ながら今回は特別に登校日。
ただし、中等部高等部共に授業は一切なし。
本日午後行なわれるあるのは2回目となる魔王戦だ。
そう、この学校では週に1度、魔王と戦える実戦形式の模擬戦がある。
魔界を支配する三大魔王の一人、妖魔王ヴァルヴリードが直々に相手するバトルロイヤルだ。
魔王の力が見られる――世界でも稀に見る最強クラスの『本気』が見られるとあって全世界の魔法関係者の注目度が極めて高い。
これに参加出来る条件はただ一つ、聖之杜学園の生徒であることだけ。
そしてこれこそが『勇者育成計画』のメインステージでもある。この地上世界の未来を担い、救うに見合う実力者を養成する大舞台だ。
その発案者にして当事者の魔王こそぼくのお姉ちゃん――柊アリエステル・マギエステル・ヴァルヴリード24世その人である。
麗しく気品溢れ、容姿端麗な銀髪の美姫。学園では極銀の天姫とも噂されていた彼女が実は魔王だったことで発表当時はそりゃ大騒動になった。
でもすぐに騒ぎは沈静化した。なにせアリエステルさんは誰よりも模範的な優等生だったからね。
結局『魔王』の虚像より、現実にそこにいる『アイドル』の偶像の方が勝ったという訳だ。意外とみんな現金だ。
それに魔王が提案した「魔王を倒せばなんでも言うことを聞く」という宣言が皆の欲望スイッチを押しちゃったのは言う間でもない。
前回、連休前に行なわれた第1回の魔王戦で魔王さまはその圧倒的な力の差を見せつけた。
なのでちょっと心配してたけど、今回の魔王戦も400名以上がエントリーしている。予想より応募数が多くて魔王さまも心なしかホッとしていた。
この通り魔王さまは大変心優しい方なのだ――そしてそれは学園中のみんなが知っている。
今回新ルール導入に習熟する余裕もなくぼくらは戦いに放り込まれた。これら突発的事項に即応出来るようになれ、というののも勇者の務めだとか何とか言ってた。
……なんでも勇者って理由付けすればそれでいいのかよ!ってツッコミたくもなる。
まぁ多少ドタバタするのは仕方がない。この計画自体が前倒し気味、フライングスタートしちゃったので色々準備不足らしい。まだ必要な魔術教員も揃っていないそうだ。
そんなこんなで今日の午前は新魔王戦のためのルール解説と魔法講習、戦闘の準備、打ち合わせの時間に割り当てられた。
ぼくら魔王軍もわずかな時間を利用しての軍団の初顔合わせ――ミーティングを行った。
なにせ魔王軍とは呼んでいるものの、所詮は寄せ集めの面子に過ぎない。
この顔ぶれで軍団を結成するのは今日が初めて。特に中等部と高等部の人間はお互い顔を見るのも初めてなので互いに実力は未知数だ。
全員の大体の実力を知っているのはぼくとアリエステルさんくらい。
まぁ前回の魔王戦でぼくとアリエステルさんの2人だけだったので、それに比べたら今回10人を超える人数が集まっただけでも大したものだ。非常に心強い。
構成は高等部――六華姫の6人に、中等部――ぼくのクラスメイトから4人。それにぼくとアリエステルさんを加えて計12人。
あと試合のサポートに中等部生徒会の人が参加してる。彼は旗持ち役だ。生徒会も大変だね。
今回戦場となる学園本グラウンドは特殊な結界魔法によって空間が拡大展張されている。
わずか100メートル四方のグラウンドの内部空間は亜空間と接続され、広大な戦闘フィールドを形成している。その内部空間の広さは直径100キロを超え、もはや別世界と言ってもいい。
生み出された空間の中には山あり谷あり、森や川や湖まで存在する。ただしこの空間には生き物――動物や昆虫は一切存在しない。
試合会場に選ばれたのは戦闘フィールドの中央の平野部。二つの小高い丘にそれぞれ魔王軍と勇者軍の陣地が形成されている。
互いの陣地にセッティングされるのは大きな軍旗。
前述の通り前回の戦いで魔王があまりの強さ《チート》ぶりを発揮したため、今回のバトルでは新たなルールが導入されたのだ。
要はサバゲーで言うところのフラッグ戦。つまり旗の奪い合いをするというものだ。
このルール導入により魔王軍側にもある程度の人員が必要になった。そこで勇者候補生の中から魔王たちに縁のある何人かが特別に入団することに急遽決まったのである。
まぁぶっちゃけ、学園側が扱いに困った問題児たちを魔王軍側に押し付けたとも言える。
もちろん本人たちにそう表立って言えないけどね。
ゴン!――ぼくは魔法の電磁警棒で5人目の勇者候補生を殴り倒した。
ふうと一息。これでこっちは片付いた。
「ご苦労様です大将軍」
別の勇者候補生を素早い一撃で昏倒させた黒髪の少女が笑顔を浮べる。
浅黒い肌、艶やかで長い黒髪を三つ編みにまとめたオリエンタル風の美少女。これで斧刃槍さえ持っていなかったらとても嬉しいんだけどね。
彼女はインド出身の女子高生――高等部2年のマユリ先輩だ。六華姫の一人で魔王軍では数少ない常識人の一人。
「あの、その大将軍っての……やめて下さいよー」
ぼくの顔が引き攣っているのを見てマユリさんはクスリと笑う。分かって言ってるのだこの人は。
「いいじゃないですか。『妖魔王国地上派遣軍征夷大将軍』、格好良い肩書きだと思いますよ?」
ぼくとマユリさんは無駄話をしながらも周辺を見渡し残存敵影をチェックする。
うん、この周辺の敵は片付いたね。
勇者軍は数だけは多い。魔王軍と比較するとその数約50倍。圧倒的な差だ。
なので正面部隊を囮に幾つかの分隊を編成、魔王軍の陣地を四方から攻め込み旗を狙うことは容易に想像された。
それに対する魔王軍側の対策はこうだ。四方に六華姫4人をそれぞれ配置。まず後背の憂いを断ち、その後勇者軍本陣に一斉攻撃する。
そのためぼくは邪魔な勇者分隊を殲滅させるべく、こうやって一人活動をしている――というわけ。
しかし防衛戦闘に人員を割くとその分正面戦力は薄くなる。そこで安倍野君のマッドゴーレムとセレンさんのギガンテス部隊を投入したのだ。
この魔物召喚による物量作戦はアリエステルさんの力を借りていずれやってみようと思っていたんだけど、今回は安倍野君とセレンさんの2人が魔王軍に加わってくれたことで実戦投入を試してみた。
アリエステルさんの負担が減るし、実際に物量で敵の進軍を抑えるのがどうかは試してみないと分からない。
敵味方がどう働くのか、現実にこの目で見てみたいという欲望もあったしね。今後の作戦立案に大きく影響するだろう。
今回のスタイルは極めてシンプル。モンスターで前線に防衛ラインを張り敵を足止め、膠着した戦線をアルスラさんと壬生谷君のダブル遊撃で撹乱する。
即興で考えた割に非常によく機能しているみたいだ。
勇者軍にとってもだが、魔王軍にとっても想定外のことは多い。アルスラさんと壬生谷君の息がバッチリなのも正直ビックリだ。
「正面戦力は上手く機能してるみたいですね」
「アルスラったら。楽しんでいるようで何よりです」
マユリさんが笑って頷く。
「マユリさんは……その、いいんですか?」
「魔王軍に参加することが、ですか?」
不思議そうな表情を浮べるマユリさん。
「ええ、私は全然構わないですよ。戦いを通してお互いのレベルアップを図るのが育成計画の本筋ですからね。それに、案外敵役の方があの子には合っていると思いますし」
ちょっと首を傾げニッコリ微笑むマユリさん。この人たまに容赦ないこと言うよね。
「……それはそうと、後詰めのクローネとジーナが苦戦しているみたいですね」
「そうですね、急ぎましょう。こちらがもたつけば幾らアルスラさんと壬生谷君でも押し切られてしまいますし」
ぼくらは走った。そのまま丘陵を回り込み、目的地を目指す。
もちろん周辺への警戒も怠らない。
「でも陛下が制空圏を抑えてくれているので、まだこの程度で済んでいるんですよ」
マユリさんが空を指差した。
「そうなんですか?」
「ええ。空中戦が可能な機動魔術士が一人いるだけで、地上掃討戦は圧倒的に有利に運ぶものですから」
なるほど――だからアリエステルさんは試合早々イオ姉に口喧嘩を吹っかけるように空中戦を開始したのか。
他の人間が空中戦を仕掛けないよう、布石を打ったのだ。
魔王と天使がガチでやり合っている大空に飛び込もうとする命知らずはそういない。
「ま、あれは結果論でしょうけどね」
マユリさんが苦笑する。
確かに。
5月連休で何があったのかは知らないけど、アリエステルさんとイオ姉は急に仲良くなった。元々2人はクラスメイト同士だったけど、今や親友と呼んでも良い間柄だ。
でもなぜかしょっちゅう口喧嘩しているんだよね。
まぁ喧嘩するのもお互いのことを信頼し合っているから、とかアリエステルさんは言っていたけど。
試合開始前の喧嘩も狙ってやったのか、それとも天然でそうなってしまったのか――果たしてどちらなのやら。
ぼくは空をちらりと見た。
暗黒の雲に覆われた大空。そこには数多くの白い閃光――稲光が瞬いている。迂闊に飛べば間違いなく落雷の直撃を食らう。そんな激しい天候だ。
魔王が使う強力な稲妻攻撃。その凄まじさは学園内でも噂になっている。
別名、瞬間アフロ製造機――ファッションに敏感な年頃の世代に取ってこれほど恐ろしい攻撃はない。
並外れた回復力を持つ獣人ならともかく、通常な人間が喰えば一生アフロか天然パーマの生活が待っている。なんと恐ろしい攻撃魔法だろうか。
一生アフロ。まさに死よりも辛い人生だ。
ぼくだって髪型が一生アフロになるのは正直御免こうむりたい。なるべくアリエステルさんを怒らせないようにしないと。
これまで怒られたことなんて、一度もないんだけどね。
「じゃあぼくはクローネさんの援護に回ります」
「では私はジーナの援護に」
頷くマユリさん。話が早くて助かる。
「そちらが片付いたらアルスラさんと合流して下さい」
「分かりました。では将軍ご武運を!」
「マユリさんも気をつけて」
マユリさんは軽やかなステップで飛び去ると、あっという間に姿を消した。風に乗って移動したのだ。
何と言ってもさすがは六華姫ナンバー2、いや実際のところは彼女が真のナンバー1なのかもしれない。いろんな意味で。
再び一人になったぼくはさらに加速、走る。
既にクローネさんの居場所はシーカーからの連絡で確認済みだ。
『柊…良い知らせと…悪い知らせがある…』
安倍野君から念話通信が入った。ノイズが酷いので聞き取り難い。
「じゃあ、悪い知らせから」
『壬生谷が先走り過ぎて潰された…なんとか第1陣を立て直して…いるが……アルスラ先輩を援護が…長くは持たん…』
「セレンさんは?」
『…ギガンテスは右翼で精一杯だ…一人アホみたいに強いヤツがいてな。もう1体潰された』
「……ゆうちゃんか」
ぼくは溜息を吐いた。
『ああ。お前の名前を叫びながら戦場を走っているぞ…良かったな将軍』
「分かった。5分持ち堪えて。すぐ後方を片付けて戻るから」
『頼む…鴇島の相手なんぞ… 僕は真っ平ゴメンだからな』
だろうね。魔術士の安倍野君の役目は主に後衛援護。遠距離支援が彼の真骨頂である。彼に取っては相性最悪の相手だ。
ぼくは走る足に魔力を込めた。
毎日アリエステルさんと一緒にトレーニングしているのは伊達じゃない。
魔力強化――下半身に巡らせた魔力で筋力を増幅、加速する。
「モードEDC」
警棒が一瞬でぼくを覆うコートに変化する。
コートを着たぼくの姿がたちまち蜃気楼のように背景に溶け込み見えなくなる。これは水の精霊を応用した『エレメンタル・ディスクローク・コート』、姿が見えなくなる魔法のコート形態だ。
可視光を屈折させることで透明化するステルス魔法は比較的容易なシステムだ。ただしこの魔法には大きな欠点がある。
完全透明化すると内部にも可視光が届かなくなる――つまり内側からも外が見えなくなるのだ。
このEDCはフード付きのロングコート形態。コートに覆われている部分だけを透明化するアイテムだ。そのため顔や手の先足の先などは透明化されない。
その辺は着こなし方でなんとかなる。ぼくはフードを目深に被り、襟を立てて口元を覆う。これで目元以外の透明化はオッケーだ。
それにこのモードの欠点は他にもある。一番の問題はコート形態にしている間ずっとマーヴの魔力を消耗し続けること。
それにコート形態でマーヴのリソースを全て使ってしまうため武器機能が一切使えないのも、まぁ欠点と言えるだろう。
ただしそれでも強襲作戦において透明化してるメリットは大きい。
ぼくは丘陵の裾で交戦している赤毛の先輩の姿を捉えた。
予想通り背後から魔王軍の陣地を奇襲するための別働隊だ。人数が少ない分、身動きが取り易かったのだろう――もう交戦していたか。
六華姫の一人、クローネさんは燃えるような赤毛が特徴の先輩だ。北アイルランド出身で他の六華姫と同じく高校2年生。だけど身長はぼくとそう変わらないくらい小柄で色白。スリムでスレンダーな体型のせいもあって一見中学生にも見えないこともない。
ルックスは六華姫の名に恥じない美少女だが、ややツリ目気味で少し人見知りする性格もあって、なかなかお友達になりづらい人物だ。
能力は魔法も剣術も得意なオールマイティタイプ。彼女は六華姫の中で特に機動性に長けていたらしいけど、先日アリエステルさんとの戦いで文字通り溶岩の噴火に巻き込まれ、全身火達磨にされちゃった。そのダメージから今もまだ完全に回復し切っていない。
なので今回は最も最後尾である陣地裏の警護に回って貰っていたんだけど――どうやらそれが裏目に出ちゃったようだ。
赤髪先輩を取り囲むように立つ4人の勇者候補生――まるで集団でイジメてるみたいな光景だ。
ぼくは最後尾にいた生徒の首根っこを掴み、そのまま放り投げた。
「うわっ!」悲鳴を上げる勇者。
ごめんなさい。ちょっと時間が無いんで。
「モードESB」
コート形態を解除。マーヴが瞬時にグリップ形態に戻り光の刃を形成する。ぼくは素早く刃を閃かせた。
雷精刃形態と呼んでいるスタン斬撃モードだ。
まぁライトセイバーとかビームサーベルとか呼ばれてるけど。外見上それも仕方ない。
「まさか!?」「魔王の弟!?」
勇者たちの驚きの声。
振り返り叫ぶ彼らの顔が恐怖で歪む。
はいはい。取りあえず斬りますよっと。
悪いけど相手に体勢を整え直す余裕なんて与えない。ってか女の子一人によってたかって襲おうなんてそれでも勇者か!?
それに周囲をまるで警戒してないそちらが悪い。常在戦場の心構えって言うけど、ここは戦場なのだ。
バッ、ババッ、バッ!!――残り3人を一瞬で斬り倒すぼく。
「クローネさんお待たせしました」
「あ、ありがとう将軍……べ、別に苦戦なんてしてないんだからねっ!!」
赤髪の少女はツンと唇をすねるように膨らませるとそっぽを向いた。
右肩を押えているところを見るとアリエステルさんから受けたダメージの場所を再び痛めたのだろう。
本当は彼女の参戦はアルスラさんもマユリさんも止めたのだ。ただどうしても本人が参加したいと言って利かなかった。六華姫の誇りがあるのだろう。
アリエステルさんとの戦闘で一番手酷いダメージを被ったのが彼女だった。アルスラさんが引き止めるのも無理はない。
彼女は本来槍使いだが今日は使い慣れない片手剣を用いている。苦戦していた理由の一つはそのためだ。
「正面が苦戦しています。こちらはもう大丈夫ですからクローネさんはマユリさんとジーナさんと合流してアルスラさんの援護に回ってください」
「うん。分かった」
彼女が嫌々ながらも頷く。それを確認するとぼくは頷いた。
「それじゃ」
「あ、ちょっと待って将軍」
「なんですか?」
ちょっとモジモジしていたクローネさんが近付いてきた。
「……精霊と戦いの女神の御名において、御武運を」
ちゅっ――ぼくの頬にクローネさんの唇がそっと触れる。
「助けに来てくれてありがとう。こ、これはそのお礼なんだから、勘違いしないでよねっ!!」
頬を真っ赤にして慌てるクローネさん。
「勝利のおまじない、ありがとうございます」
「……気をつけて」
クローネさんにはいと答えると、ぼくは一気に加速して飛び出した。
心臓が早鐘を打つのを誤魔化すように念話通信を送る。
「こちらは片付きました。周囲の再確認を」
『こちらシーカー1。魔王軍の陣地の背後および周辺に敵影はなしだよ――どうぞ』
調子の良い声が聞こえて来る。どうせポップコーンでも食べながら戦況を見てるのだろう。全くお気楽な観戦者だ。
ま、バトルフィールドの外から冷静に状況を見守る人間がいてくれるのは大変心強いんだけどね。
いくら魔王軍が一騎当千揃いとはいえ、兵力は圧倒的に足りてない。
導入された新ルールでは全滅させる以外にも勝利条件が設定されている。互いの陣地に立てた旗を奪う以外にも、だ。
彼らの狙いはぼく自身だ。
ぼくは大地を蹴った――肉体増強で強化されたジャンプ力で思いっ切り飛ぶ。高くではなく水平ジャンプ。丘を越えて数十メートルを一気に飛び越える。
巨大ロボが蟻のような人間と絡んでる姿が見えた。うん、ほとんどアニメの世界だ。
「モードPSG!」
ぼくは空中でマーヴを長射砲形態に変形させた。精霊波に干渉して相手を麻痺させるロングバレル形態――ぼくがマーヴで練成するシステムの中で最も複雑な武器だ。システムの関係上具現化した砲身が大きくなり過ぎるので取り回しが面倒なのと、残念ながら魔力チャージの関係上1試合に1発しか撃てないのが難点だけど。
「避けてぇっ!!」
ぼくは叫ぶと同時にトリガーを引いた。
ズバババババババッ!!――巨大なエネルギーが砲口から放たれる。
戦場を一閃する光の束。
「将軍だ!」「大将軍がいたぞ~!!」
戦場のあちこちから悲鳴が上がる――あらら、まだ結構残ってる。
まぁ派手に目立つのがコイツの役目。見た目はチョー派手だけど実際は喰らっても全身麻痺して30分くらい動けなくなる程度のダメージだ。
なので逆に中盤以降の今くらいしか使いどころが無い。
ぼくは着地と同時にマーヴを黒刀に戻した。そろそろ残魔力量がヤバい――省エネモードで戦うか、早めにケリを着けないと。
「この大馬鹿者!! 私に当たったらどうするつもりだ柊弟!!」
ゴチンと後頭部を軽く叩かれぼくは振り返った。綺麗な金髪を逆立ててアルスラさんが怒鳴り込んできたのだ。
「やっぱり怒っても美人ですね」
「そ、そうか? ……いや、そんなことより何だ今のタイミングは! 私に当たったらどうするつもりだったんだ!!」
フンと鼻を鳴らし怒るアルスラさん。トレードマークの英国旗柄のリボンで今日は活動的なポニーテールに髪を纏めている。
彼女の名はアルスラ・オリオンフィールドさん。英国出身の高等部2年。六華姫のリーダーで勇者候補生では最も勇者に近い人間と目されていた人物だ。
ただし性格がね。色々と言動に問題のある人なので、とうとう魔王軍に放逐されてしまったという訳だ。
英国も大変だ。
「大丈夫だったじゃありませんか」
「ん……まぁ『避けろ』と言われたからな……」
頬を赤く染めそっぽを向くアルスラさん。
「ですよねー アルスラさんならあのタイミングでも大丈夫って思ったんですよ」
「そ、そうか?」
「はい」
にっこり笑うぼく。
そうかそうかと納得してくれるアルスラさん。説得が通じたようで良かった良かった。
『あの~お2人とも、仲がよろしいのは大変構わないのですが、お空をご覧下さいな――』
マユリさんからの念話が入る。
「……?」
声に諭されぼくらは上空を見上げた。
さっきまで激しいバトルを繰り広げいた魔王と天使が2人並んでジト目になってこちらを見ている。
「真琴くん……」「マーくん……」
あれっ、なんか空気が重いけど…?
「まーくん、その女から離れろぉぉぉっ!!」
うぉっと!――突然超高速の一撃が飛び込んで来た。
ぼくは突き飛ばすようにアルスラさんを押し退けると黒刀を翳して竹刀を辛うじて受け止める。
「ゆうちゃん!?」
「ちっ、外したか」
黒髪の少女が舌打ちする。左サイドにだけ片ワンテールの黒髪に中等部の制服を着た竹刀少女がそこにいた。
ゆうちゃんこと鴇島勇。ぼくの幼馴染にしてクラスメイト。そして今天空に舞う天使の妹でもある。
「鴇島妹か。こいつは厄介な相手だぞ」
アルスラさんは唇を歪ませた。ゆうちゃんは先天的に魔法が通じにくい体質をしている。彼女はイオ姉同様天使のクォーター。つまり先天的魔導体質なのだ。
中等部1年でありながら勇者候補生の中では抜きん出たスコアを残しており、今回も筆頭格の戦力だ。
というか彼女とまともに戦っていては効率が悪過ぎるので基本的に彼女の存在は一切無視する方向で考えて作戦を構築している。
なにせ魔力制御出来ないくせに圧倒的な魔力防御能力を誇る。ほとんどの魔法を無意識で無効化出来る体質の持ち主だ。
アルスラさんは人造聖剣《カリバーンⅣ》を構えた。しかしまともに剣技のみで戦っては彼女でも到底勝ち目がない。それほどの強敵だ。
ゆうちゃんの剣技、その持ち味は高速のスピードからの圧倒的な手数。体調さえよければ音速に近い速度で攻撃が飛んでくる。
アルスラさんの近接戦闘スキルは鍔迫り合いからの魔力解析が前提なので相性最悪である――というか、マッハで動き回る癖に魔法がほとんど通じないなんてズルいにも程がある。それが六華姫の彼女に対する評価だ。
生まれながらに魔法闘技が出来る天才。そんな人間が本当にいるのだ。本人にその自覚は全くないのだが。
「ゆうちゃんはぼくに任せてアルスラさんは他の勇者をお願いします」
「いいのか?」
「まぁ……あちらはやる気満々みたいですし」
フンフンと鼻息も荒く竹刀で素振りするゆうちゃん――やる気満々だね。
ぼくは顔を半分引き攣らせた。正直譲れるものなら誰かに譲りたい。しかしそうも言ってられないだろう。
試合もそろそろ終盤に入る。フラッグを取りに行くチャンスがこちらにもある。
僕は黒刀を構え直し、ゆうちゃんに対峙した。
距離は約10メートル。お互い一呼吸で詰められる距離だ。
「今日は魔王は援護出来ないわよ!!」
ビュンと一足飛びに突きが飛び込んで来た。
うぉっ、速ぇぇ。
ぼくは竹刀を黒刀で受け止め逸らす。衝撃波が突き抜け地面を抉る。
圧倒的な魔力防御を持っているので迎撃を恐れず体ごと体当たり風味で突きに来る。真っ向から受け止めると勢いでこちらが吹っ飛ばされかねない。
しかもこれで捨て身じゃないんだから全く嫌になる。なんてやっかいな相手だろう。
「そっちもイオ……伊織さんの援護は期待出来ないだろ!」
ぼくは袈裟斬りに振り下ろした攻撃を中段から下段へと変えた。フェイントだ。下段防御はゆうちゃんが最も苦手としていた。
キン!――弾かれる黒刃。
ちぇっ、いつまでも弱点をそのままにはしてないか。腰を落とし素早く防御したゆうちゃんはそのまま下半身のバネを生かして後方に飛び退く。
手数で押し切りたいところだがスピードも精度もあちらが上。下手に攻撃したら間隙を突かれかねない。
おまけにさっき斬り結んで分かったことがある。ゆうちゃん全身に麻痺防止の抗精霊護身法術を纏ってるな。完全にぼく対策だ。
これじゃESBやESR、ESSで気絶させることも出来やしない。
残る手段は黒刀で直接ゆうちゃんの魔力障壁をぶった斬ることだけど――あまり手荒なことはしたくないな。
『デルタ3より。予定時刻をオーバー。陣地の安全を確保。これより全隊でデルタ1へ向かいます』
『こちらデルタ2、そろそろギガンテスの耐久も終了ネー』
『こちらデルタ4。マッドゴーレムがたった今全機撃破された。予定通り土に再変換――正面以外は柊の計画通りにしておいたぞ』
「サンキュー委員長」
良かった。キリギリ間に合ったか。
「魔王軍全団員に告ぐ、総攻撃を開始せよ! 勇者軍の前面に鶴翼陣を展開、フラッグまでの道を切り開いて!!」
ぼくは叫んだ。
おおッ!――魔王陣のあちこちから応える鬨の声が上がる。
左翼からアルスラさんにマユリさん、セレンさんとクローネさん、右翼からは安倍野君と一緒に黒髪ショートカットの女性――六華姫のジーナさんに青髪ロングヘアの女性、アイナさんが現れた。
「なっ――全員攻撃!?」
一瞬あっけに取られるゆうちゃん。
チャンスだ。ぼくは黒刀を正面縦一文字に構えると、一気に真横に跳んだ。一瞬で間合いの外へ出る。
「んなっ!?」
驚くゆうちゃん。そりゃそうだ、ゆうちゃん得意の縮歩――古流剣術の足捌きで一気に間合いを狂わせたのだ。
同時に肉体増強で飛ぶ。
ぼくは動揺するゆうちゃんの脇を文字通り一陣の風となって駆け抜けると脚力を限界まで引き上げた。
うわっ、ヤバい――正直驚いた。ぼく自身がびっくりたまげるくらい圧倒的な速さだ。
まるで生身でF1に乗ってるみたい。大地すれすれを飛んでるような感じだ。
目標は正面の丘。勇者軍の陣地だ。一気に相手陣地に攻め込み旗を奪うべく、駆ける駆ける。
「止めろ!」「将軍を止めろ!!」
「首を取れ!」「ヤツを捕まえれば俺たちの勝ちだ!!」
生き残っていた勇者たちがバタバタと慌てたように駆け出した。妨害しようとぼくの進路の前に立ち塞がろうと――だが突然足が止まる。
「なんだ!?」「泥の沼!?」
「底なし沼だ!!」
あちこちから上がる悲鳴。そう、これが魔王軍の計略だ。
マッドゴーレムによる障害はそのための布石。乱戦で倒れたマッドゴーレムはただ土に返ったわけじゃない。その一帯を恐るべき泥の沼へと変えていたのだ。
しかも粘着性の高い、結構深い沼。
こういうところに術者の性格が現れるよね。
もちろんこれにはたった1本だけ安全なルートが用意されている――それは魔王軍の陣地から勇者の陣地までを結ぶ一直線のルート。
ここだけは沼を造成しないよう、予め安倍野君と打ち合わせしておいたのだ。
『……こんな作戦を考えるお前に人の性格をとやかく言う資格はないと思うが?』
冷静なツッコミありがとう委員長。
ぼくは黒刀を大盾形態にする。残念ながらぼくは特に凄い魔法とか特殊能力を持っている訳じゃない。
恐らく敵陣――後衛には魔術士団体様が待機しているはずだ。
団体から一斉魔法攻撃を喰らった場合、後は我慢比べ。こちらには一気呵成に攻めるしか手がない。
相手の戦力を剥ぎ、敵陣中央を強行突破して旗を奪う――長期消耗戦になるとさすがに魔王軍が不利だしね。
今回はあちらにもイオ姉が参戦しているので魔王の超チート能力にもあまり期待出来ない。
って言うか、低レベル同士で激しい魔法戦闘を行わせることで互いに競わせ、育成させるのが目的なんだからこれこそが本来の計画の有り様とも言えるしね。
ま、ぼくは勇者候補生じゃないんだけど。
「待て逃がさない――!!」
慌ててゆうちゃんがぼくの後を追いかけて来る。
だがその両側から2つの人影が猛チャージ。
ガキン!――激しい剣閃が唸りを上げてゆうちゃんの足を止める。
「残念ですが鴇島妹!」
「アナタのお相手は、私たちデェース!」
クローネさんとセレンさんだ。
「っ!! このロリ姫に巨乳おばけっ!!」
ゆうちゃんがぐぁーっと吼えた。
「行って!」「頼んだヨ、ショーグン!」
ぼくは振り返ることなく足も止めない。
2人の声を背中に走る。
悪いけど、後はよろしお願いしますよ先輩がた。
「……完全に嵌められたな」
高空で黒髪の天使は呟いた。もはやすっかり観戦モードだ。
「ええ。見事な作戦ですね。タイミングもばっちり。ここまでシナリオ通り進むとはびっくりですね」
正直銀髪の魔王も驚いていた。
今回の試合では魔王軍側に幾つかの試合条件が加えられている。
魔王軍は試合開始から最初の10分は自軍フィールドから出てはならない。そして魔王軍は旗を取られる、全滅以外にも敗北条件が設定された。魔王アリエステルか将軍柊真琴の首級を取られても負けとなる。
そのため数少ない方にとっては一番やっかいな――上空の制空権を確保にアリエステル自身が動いた。
雷雲を召喚し空を抑えたのだ。
敵の飛行魔法を制限することで今回は2次元的な戦いに限定された。3次元高機動戦闘を行うのはもう少し場数を踏んでからでいい。
次の対策は真琴の扱いだ。なにせ真琴がやられたらおしまいになる。
魔王の撃破は現在の勇者軍の戦力ではほぼ不可能だが真琴だけなら十分狙うことが可能だ。
となれば勇者たちの狙いが真琴に集中するのは火を見るより明らかだ。
ここで真琴は自ら遊軍となって、勇者軍の別働隊を撃破する担当になることを提案した。
六華姫の面々は猛反対したが、意外なことに真琴のクラスメイトたちが真琴の意見に賛同した。
アリエステルも同じ意見だった。むしろ遊軍になることで一箇所に留まらず、敵の目を欺くことが出来る。動き回ることで将軍自体の居場所が掴めなくなる。
勇者軍は真琴が自軍陣地の最奥、フラッグのところで待機するものと思っているだろう。
それにアリエステルの見立てではこの戦いではどう転んでも真琴の身に危険が及ぶ心配はない。
今のところ真琴の殺戒イベントはまだしばらく先になる。彼は世界の定理から常に命を狙われる運命だが、それにはフラグ発生のトリガーが必要だ。
彼の命に保障がある限り、彼には十分な経験値を積んで欲しい。そのために自分がここにいるのだから。
ザーラローズ襲撃事件でも、五月連休に起こった事件でも、真琴はアリエステルが驚くほどの成長を見せた。
さすがはあの人の息子のことなだけはある。真琴は経験を積めば積んだだけ、危機に応じて強く成長することが出来る。
だから真琴にはもっと強くなって貰わないと困る。彼が生き延びること、それこそがこの破滅へと向かう世界を救う唯一の生存の道、災禍の王に対抗する方法なのだから。
たとえその結果、彼が魔王を殺す強さを身につけることになったとしても――
立て続けに起こる爆発、雷撃、氷の礫。
それらを盾で防ぎながらぼくは走った。
小高い丘を敵の攻撃を避わしながら登る。勇者軍の最終陣地まであと少しだ。
六華姫は接近戦で勇者たちを倒しながら遠距離魔法でぼくの援護をしてくれている。飛び交う光の矢、風の刃、火の玉。
援護を受けてぼくは走る。
すると目の前に魔術士の一群が立ち塞がった。まるでラグビーのスクラムのように固まって構えている。
生き残りの部隊をかき集めたのだろう。結構全員ボロボロだ。
こちらにも魔力に余裕は無い――ぼくは躊躇うことなく一気に突っ込んだ。
雨霰と降り注ぐ炎の玉。あ、やばい――盾が持たない。
魔力が切れ元のグリップ形態に戻る。
「今だ!」「撃て撃て!!」
しめたとばかりに魔術士たちは魔法を放つ。
襲い掛かる魔砲弾――その時、ザンっと巨大な剣風が魔術士部隊を吹き飛ばし蹴散らした。
瞬間、返す刀が砲弾を吹き飛ばす。
返す刀といっても剣じゃない。彼女の武器は大鎌なのだ。
ひらり――長い艶やかな黒髪を棚引かせた少女がぼくの前に降り立った。まるで守り庇うかのように並んで走る。
「――コノママ突破、するんデスよね?」
少女はちらりとぼくを見ると冷静に問い掛けて来た。東南アジア系の彫りの深い表情に大きな黒い瞳。
小麦色な肌とは対照的な、白いフリルのいっぱい付いたパステルカラーの衣装。
ミニスカートから伸びた細い脚が実に健康的で色っぽい。
「イキナリ飛び出さないでクダサイしょーぐん。アナタの背後を守るのが今回のワタシの仕事なんですカラ」
たどたどしい日本語で囁くように少女は呟いた。
「ああ……ごめん、ホアさん」
つい一緒にいることを忘れてしまう。彼女は今回から魔王軍に加わったグエン・ティ・ホアさん。
ベトナムからの留学生でぼくのクラスメイトの一人――そして元魔法少女だ。
彼女は死神界の監察官によって魔法の力を与えられた魔法少女。
ベトナムの平和を守るため、人々の魂を狙う死神界の脱走者とその配下であるゾンビ軍団と戦う正義の魔法少女だった。
その過酷な戦いに勝利し、ベトナムの危機を救い平和を取り戻した彼女は日本へ留学することになった。
彼女の戦いの第2ラウンド。それはこの日本で死神界の代表として勇者になることだ。
ちなみにぼくのクラスにいる他2名の留学生も元魔法少女らしい。どうなってるんだ一体ぼくのクラスは。
「このまま一気に旗を奪おう!!」
「そうはさせないっ!」
ダダダダダ!!――凄まじい土煙を上げて追い駆けて来たのはゆうちゃん。あれっ、六華姫先輩たちの足止めは?
「ブッ倒して来たに決ってんだろ!!」
さらに猛加速。えっ、もしかしてゆうちゃん肉体増強使えるの!?
「まーくんの見て覚えたっ!!」
一気に加速したゆうちゃんは猛烈な超速度でぐるりと回り込むと、ぼくらと旗の間に割り込んだ。
全くデタラメなヤツだ。まぁベースとなる肉体が日々のトレーニングで強化されてるのだから、魔力で上乗せされれば何倍にも高まるのは自明の理。同じ魔法でもぼくよりはるかに強く働くのは理屈だろう。
ちぇっ、たかが1週間程度朝ジョギングしたくらいじゃ2年のブランクの差はそう簡単には埋まらないか。
「ここは通さないっ!!」
「いえ、通りマス」
襲い掛かるゆうちゃんの攻撃をホアさんが防ぐ。
キン、キンキン――次々に襲い掛かる高速剣を軽々と捌く捌く捌く。
ホアさん、一見大人しそうな文学少女に見えて、意外とやるときはやるもんだ。
近接戦闘には不利な大鎌を巧みに操り、竹刀の連撃を巧みに捌き完全に防いでいる。
凄い、全く無駄のない動きだ。これは実戦経験の差だろうな。
「なっ、グエンさん!?」
驚くゆうちゃん。彼女は安倍野君と壬生谷君の2人が魔王軍に参加していることは知っていたが、ベトナムから来たこの大人しい留学生が魔王軍に参加しているとは知らなかったらしい。
まぁ普段から影が薄いしね。
ホアさんの死神化による固有能力は他人の認識をずらすこと。まさに存在そのものがステルスなのが彼女の特技だ。そのため試合開始から彼女はずっとぼくの直掩に張り付いていたにも関らず、彼女を認識していた人はほとんどいないだろう。ぼくですら彼女の存在をつい忘れるほどだ。
多分勇者軍どころか観戦者のほとんどにも気付かれていなかったと思うね。
ちなみにクローネさんを助けた際に放り投げた勇者候補生――あれにトドメを刺したのも彼女。
彼女はぼくの周辺でぼくの身の安全を確保し続けてくれていたのだ。
「行って下さいショーグン。そして私に勝利ボーナスを!」
あーはいはい。そうですよね。分かってますとも。
ぼくは小さく笑い頷くと、一気に2人の脇をすり抜け勇者軍の陣地を目指した。狙うは旗のみ。
「行かせるかっての――」
「アナタの相手はワタシです」
冷静にゆうちゃんの攻撃を抑えるホアさん。
ガキン!!――竹刀と大鎌が激しくぶつかり火花を散らす。
やれやれ。女の子って本当に怖いなぁ。
ウゥゥゥ~ッ―本日2度目の警告音が鳴り響き、今日のバトルの終わりを告げる。
今回も魔王軍の勝利。これで2連勝だ。
勇者軍はなかなかに健闘したが、連携や練度不足な点も多いに目立った。マッドゴーレムやギガンテスとの戦いで優秀な戦績を残した者もいるが、勇者軍は指揮系統が統一されておらず各学年やクラス、部活動単位で勝手に動き回り自爆する者も多かった。
指揮者の確立や小隊の連携が今後の課題といえよう。
現実の軍隊同様、混成部隊では意思の統一がなされないと返って足を引っ張り合うものだ。
ちなみに本日の最終優秀選手《M・V・P》は勇者軍の第1大隊と第3大隊をほぼ一人で壊滅させ、43人をブチ倒した高等部のアルスラ先輩に贈られた。
ちなみにこの戦い以降学園内では「魔王軍の一番槍は魔王よりよっぽど魔王っぽい」との評判を確立したのは言うまでもない。
余談であるが六華姫が六華将と呼ばれるようになったのもこの戦いのすぐ後からだ。
「今日の隠れたMVPはホアちゃんですね」
部室――校内で唯一の妖魔王国領であるところの魔王軍部室。その部長席に腰を下ろしたアリエステルさんが穏やかな表情で呟いた。
講堂棟にある空き部屋の一室、大会議室を特別に生徒会から部室として提供して貰ったのだ。
魔王軍が部活扱いになるのはちょっと心苦しいが、書類の名目上致し方ない。高等部と中等部の人間が混じっているので部室みたいに全員が集合出来る場所が必要だったのだ。
何回か講堂棟の屋上植物園を集合場所として使っていたのだが、開放的な場所だと物見遊山の見物客も多く見世物感覚でなかなか内密な打ち合わせをするのには不向きだった。
「ええ、高い実力の持ち主ですわ彼女。今までほとんど無名だったのが信じられません」
マユリさんが熱いお茶を啜りながらアリエステルさんに同意する。
「彼女がかの魔法少女・白死使徒と言われれば納得もしますけど」
マユリさんの説明によるとホアさん、裏世界では結構有名な魔法少女だったらしい。なんでもAランク魔法少女――国家規模の災厄を一人で防いだそうだ。その正体は不明で謎の存在だったみたいだけど。
そりゃあのステルス能力では仕方がない。
現在部室にいるのはぼくとアリエステルさん、それにマユリさんの3人だけだ。他のみんなは試合後の医務室で検診を受けている。
模擬戦では死亡判定や負け判定を食らったり、少しでも怪我をした場合治療と疲労回復をする決まりになっている。
そのためこの学園には大病院にも匹敵する医務棟が建設された。まさに用意周到準備万端、至れり尽くせりである。
今回魔王軍側で無傷だったのはぼくとマユリさん、それにアリエステルさんとホアさん、それにシーカーの5人だけだ。まぁ話題のホアさんは試合の後さっさと帰ってしまったんだけどね。
「……うん。ぼくもそう思うよ」
倒した勇者の数はそう多くはないが彼女は要所要所でかなり活躍した。
ぼくが思いっ切り戦場を突っ切って複数の戦術目標を達成出来たのも彼女のバックアップがあればこそだ。
背中や周辺を気にすることなく自由に戦えた。でもそのフォローを彼女が献身的にやってくれていたと考えると申し訳なくも思う。
「面白い子ですよね。ホアさんって」
アリエステルさんの言葉にぼくは試合後にお礼を言った時のことを思い出した。
試合が終わるとすぐさま変身を解いて彼女は普段の制服姿に戻る。
普段の制服姿ではロングスカートに黒タイツなのであの細いおみ足を見ることが出来ない。少し残念だ。
「ありがとう、助かったよホアさん」
試合のラスト、ゆうちゃんの攻撃を完全に彼女が防いでくれたお陰でぼくはフラッグを奪うことが出来た。感謝しても感謝しきれないくらいだ。
「いえ……これがワタシの任務ですカラ」
黒髪の少女は別に勝利に喜ぶこともなく、浮かれる様子もない。静かに淡々と呟くと、まるでぼくの視線を避けるように顔を背けた。
極端に恥ずかしがり屋なんだろう、彼女はいつもそんな態度を誰にでも取る。入学して1ヶ月、いつもそんな感じだ。
彼女は大事そうには白い封筒を持っていた。あれは勝利の際に与えられるボーナス、つまり金一封だ。
魔王軍に参加する条件として彼女が学園側と交渉したらしい。成果を残すと金一封が貰える仕組み。
どうやら彼女はベトナムにいる家族に仕送りをしているようだ。中学生なのに偉いなぁ。
「それジャ……」
ペコリと頭を下げて足早に去っていく彼女。
もう少し仲良くなりたいところだけど、いきなり無理強いも良くないだろう。少しずつもっと仲良くなれたらいいな――
「いやー酷い目におうたわ」
部室のドアがガラリと開き、壬生谷君が首を鳴らしながら現れた。安倍野君も一緒だ。
「それは僕の台詞だ。一人で突っ込み過ぎるからだ、もう少し頭を使って戦え」
「勝ったからええやろ。お、大将。さすがやったな!」
壬生谷君は犬歯を見せるようにニヤリ笑うとぼくの肩をバンバンと叩く。
アフロになっていた狼頭はすっかり元に戻っている。獣人の回復力って凄いよね。
「今日の勇者どもの悔しそうな顔、いやー爽快やった!」
喜んでくれてるようでなにより。
「只今戻った」
次々と現れる魔王軍の構成メンバー。入室したのはアルスラさん率いる六華姫の残りメンバーだ。あれ、クローネさんの姿が見えないけど?
「右肩の怪我の治療にモ少し時間がかかるってサ♪」
セレンさんが明るく答える。
「ごめんなさい。私あまり治癒系の魔法は得意じゃないものですから……」
すまなさそうな表情を浮べるアリエステルさん。
まぁ彼女の怪我の主な原因はどちらかと言えばアリエステルさんですからね。
「だが我らも今日の戦いで反省するところは多いな。実際のところ、どうだった魔王?」
「そうですね……」
アリエステルさんはしばらく考え込む。
「大体においてはよく動けていたと思います。ですが個々の連携についてはもう編成を考える必要がありますね。単独行動よりツーマンセル体勢の方がいいんじゃないですか?」
「だが、我らは人数が少ない。この体制でツーマンセルは厳しくないか?」
「真琴くんとホアさんみたいに、お互いの長所短所をカバー出来る方が結果的に戦力向上に繋がるのではないかと。実際アルスラさんもマユリさんとコンビ組んだ時の方が動きが良かったですし」
「そうか? 私は一人の方が動きやすかったが……」
あれっと意外そうな表情を浮べるアルスラさん。
「それは私の方であなたのフォローに動いているからですよ!」
ピキピキと笑顔が凍りつくマユリさん。
「Oh~確かに鴇島妹みたいな相手だと、1on1ではキツいショ♪」
実際は2対1でも負けちゃうくらいなんですけどね。
「ですが、魔王軍に引き抜けそうな適当な人材って他にいるんですか?」
当然の疑問を口にするジーナさん。誰でも良いという訳にいかないのが魔王軍の辛いところだ。
もちろん募集をすれば大量に応募は来るだろう。だからこそ逆に魔王軍参加は徹頭徹尾スカウトか学園側からの推挙の形を取らなければならないのだ。
ミーハー気分での参加は困る。
「まだまだこれから伸びてきそうな人はいますよ」
アリエステルさんはうふふとニッコリ微笑んだ。
最近の高等部普通科では自習時間に魔王陛下の特別授業が行われているともっぱらの噂だ。
魔王が直々に魔属・聖属に関係なく、有効な魔法の使い方を教えているらしい。
その効果たるや。たった数日で安倍野君やセレンさん、それにぼくも結構レベルが上がってる。魔王の家庭教師の実力は推して知るべし。
「私、学校の先生になりたいかもしれません!」
連休中にアリエステルさんが突然とんでもない発言をしたことをぼくは思い出した。
日本の教員免許を持った魔王さまなんて多分前代未聞だろう。リクルートスーツを着て銀縁眼鏡を掛けて教壇に立つ魔王さまの姿を想像して――ぼくは唸ったものだ。
「だがしかし勇者どもの不甲斐なさよ。もう少し戦いに対する心構えに芯を通さねばな。もっと絞ってやらねばならぬか――特にフェンシング部の彼奴らときたら……」
チッと舌を鳴らすアルスラさん。
「後でキツく折檻しなければ。折角私が直接相手になってやってるというのに、どいつもこいつも逃げおって! 全く折角私が魔王軍に参加しているのに張り合いもへったくれもない!!」
そうグチグチと呟く今回のMVPさん。
発言内容がすっかり魔王軍の一員ですよ、聖騎士さん?
大体あなたがフェンシング部のエースだからみんな逃げちゃったんでしょうに――ねぇ?
「少年。いつものことだから突っ込むだけヤボってもんよ」
ジーナさんが諦めたように呟く。
その膝枕では既にアイナさんがぐっすり寝息を立ててらっしゃる。静かだと思ったら――マイペースだなこの人も。
「まぁ来月には新任の先生もいらっしゃいますし、夏休みの前には新しい展開が起きますよ」
未来を自由に変えることの出来る魔王の言葉に一同は凍りつく。
「新しい」「先生?」
「はい。先ほど管理局から学園に連絡があったそうです。天使界と鬼獄界より、ようやく勇者特訓用の人材が派遣されて来ることが決まったそうです」
くすりと銀髪の魔王が微笑んだ。
「さて、どんな方が来るんでしょうね?」
【つづく】
思ったより文量が多くなってしまいました。
バトルシーンはやっぱり書いてて楽しいです。
あと当初の予定より六華姫の活躍が大幅に増えました。最初(1話)の段階では使い捨て予定のモブキャラだったんですけどね。