第2話(その1)
わたしのお姉ちゃんは天使だ。
突然のことで驚く方もおられるだろう。
実際のところわたしもこのことを知った時は非常に驚ろいた――無理もない話だ。
だがこれは事実なのだ。事実は有りのままに受け入れなければならない。
あれは4月末のある日のこと、五月の連休に入る直前――その夜わたしは寝付けなかった。
悔しくて悲しくて、でもちょっとだけ嬉しくて。
受けた傷の痛みなんか大した問題じゃない。
魔王の魔法に負けたことよりも、あいつの剣の冴えがいささかも衰えていなかったことが嬉しくて――そう、わたしは嬉しくて興奮して眠れなかったのだ。
コトリ――微かな物音にわたしは気付いた。部屋の中に誰かいる。誰だ?
疑いようもない――それはお姉ちゃんだった。
昔はよくお姉ちゃんはわたしの部屋に闖入していた。朝起きたらベッドの中、わたしの隣でぐっすり寝ていた――なんてことも珍しくなかったくらい。
少なくともあの事件が起きるまで――2年前までは。
あの事件の後、お姉ちゃんは突然人が変わったようになってしまった。
わたしの知っているお姉ちゃんは明るくて元気で、快活で、何事にも一生懸命で――特に剣道に打ち込んでいて、いつも楽しそうに笑う、美人で素敵で自慢のお姉ちゃんだった。
あの頃のお姉ちゃんの口癖――それはいつも『あいつにだけは負けたくない』だった。そう言ってお姉ちゃんは剣道の練習に励んでいた。
あいつの成長がお姉ちゃんにも喜びだったんだ。
でもお姉ちゃんは突然変わってしまった――全てはあの事件のせいだ。
あの事件のあと、お姉ちゃんはすっかり無口になりいつも遠い目をするようになった。
あれだけ打ち込んでいた剣道も突然辞め、なぜか父もそのことには何も言わなかった。
高校生になり、すっかり美人になったお姉ちゃんは急にアルバイトを始めるようになった。どんなアルバイトなのかは知らないけど、お姉ちゃんは夜遅く帰宅するようになり、時には外泊さえすることが増えた。
わたしとはどんどん生活の時間が合わなくなり、わたしはお姉ちゃんと会話することすらほとんどなくなってしまった。
わたしは前にも増して剣道に打ち込むようになった。
その結果として去年は全国大会で優勝を飾ることが出来たけど――でも結局お姉ちゃんは見に来てさえくれなかった。
多分、わたしはお姉ちゃんに嫌われてしまったのだ。
あの頃のわたしはそう思ってさえいた。
聖之杜学園に入学したのは父が推薦の話を持って来てくれたからだ。正直お姉ちゃんが通う学校には行きたくなかった。
でも父の一言がわたしの将来を決めた。
それはあいつも聖之杜学園に通うと聞かされたからだ。
結局わたしも縛られているのかもしれない。
お姉ちゃんやあいつに。2年前のあの事故に。
「起きているのだろう――」
寝たふりをしているわたしの枕元でお姉ちゃんは呟いた。
「……なによ」
むっつり顔でわたしは答えた。正直どんな顔で話していいか分からなかった。
「大切な話がある、落ち着いて聞いて欲しい」
そう宣言するとお姉ちゃんは突然パジャマを脱ぎ始める。
ええっ!?――慌てふためくわたしを無視してお姉ちゃんは上半身を晒すと目を閉じた。
キィィィン――真っ暗闇だった部屋の中に光が満ちる。部屋の灯りが点いたんじゃない。お姉ちゃんが――お姉ちゃん自身が発光しているんだ!?
突然周囲に浮かび上がった眩しい輝きがお姉ちゃんの頭の上に集い、くるりと円形の模様を形創る。それはまるで天使の輪のような光のリング。
そしてお姉ちゃんの背中から飛び出したのは――光輝く純白の巨大な羽翼。
バサッ――翼がはためいた。その姿はまるで天使のような――いや、これはもうどこからどう見ても天使そのものだ。
「そうだ。私は天使なのだ」
おねえちゃん――鴇島伊織は静かに微笑みを浮べると、優しく頷くのだった。
10分後、わたしとお姉ちゃんの姿は離れにあった。
我が家には小さいながらも立派な剣道場がある。
昔父が建てたものだ。よくここでお姉ちゃんやあいつと一緒に練習したものだ。
神明鴇島流――それがわたしが学んでいる流派だ。小さいながらも古流剣術の流れを汲む由緒正しい剣術で現師範は祖母。今は父が師範代として受け継いでいる。
今の門下生はわたしだけだけど、道場の隅にはお姉ちゃんとあいつの名札も掛かっている。
この道場は元々父が自分の練習場所を確保するために建てたものだ。父は警察官で日々公務に励んでいる。わたしにとっては自慢の父であり誇りでもある。
もちろん父は今も剣士としての修練を怠っていない。毎年武道館で行われる全日本剣道選手権大会に出場し、何度も目覚しい成績を残している。
しかし最近は署内で練習を行うことが多く、こちらの道場で姿を見かけることはまずない。昇進して忙しくなったので仕方のないことだ。
だから2年前までは活気のあったこの道場も、今では使っているのはわたし一人だけ。すっかり静かになった。一人で精神集中するにはちょうどいいけど。
かつてお姉ちゃんはわたしの自慢の姉だった。
いつも明るく元気で、周りからの人気者。才色兼備で品行方正、実質剛健で成績優秀、おまけに剣道はガチで強い。まさに文武両道――どんな言葉で飾っても足りないくらい。
長く艶やかで鮮やかな黒髪。凛々しくも美しく整った顔立ち。そして時折見せる慈愛溢れる笑み。
わたしなんかとは全然違う。同じ姉妹でも月とスッポン。
高校生になってますますお姉ちゃんは美人になった。何と言っても女らしくなり、多分街を歩けばスカウトからすぐ声を掛けられるんだろう。
ハッキリ言っちゃえば妬ましいほどに羨ましい。
でも同時に今のお姉ちゃんからは他人を寄せ付けないオーラみたいなものを感じることがたまにある。
今もお姉ちゃんはわたしの目の前で、微動だにせず背筋をピンと伸ばし正座をしている。全く隙がない。
2年前の事故を境に変わってしまったお姉ちゃん。
お姉ちゃんは自分にも他人にも厳しくなった。まるでそうしなければならないと自分を戒めているかのようで――でもわたしには違和感しかない。
かつて自由に空を舞っていた美しい鳥が、今は自ら狭い鳥籠に閉じ篭っているような――そんな違和感だ。
でも――わたしはさっきお姉ちゃんがわたしの部屋で浮べた笑顔を思い出した。
あの笑顔にはまるで2年前のお姉ちゃんが帰って来たような印象を受けた。
凄く自然で明るい笑顔。この2年わたしはお姉ちゃんが本当に心から笑った顔を見たことがない。
お姉ちゃんはずっと仮面を付けている――そんな気さえしていた。
それは極黒の天姫と呼ばれる仮面だ。
「……驚いたか?」
お姉ちゃんが静かに口を開いた。
自ら天使だと宣言したことについてだろう。
もちろん驚いた。最初は夢かと思ったほどだ。
闇夜に輝く純白の翼と天使の輪。それは天使である紛れもない証明。まぁ魔法使いや獣人、魔王がいるのだ。今さら天使の1人や2人いてもおかしくはない。
もちろんそれがわたしのお姉ちゃんだと聞かされれば驚くけどね。
天使になったお姉ちゃんの姿は初めて見たけれど、それはこの世のものとは思えない美しさだった。
いや、実際最初は夢かと勘違いしてしまった――自分で自分の頬をつねって、痛みを感じてこれが夢ではなく現実だと思い知った。
でも目の前で起きた出来事はあまりにも現実感に乏しい。あいつも魔王のことを知った時はこんな気持ちになったんだろうか?
だからわたしは説明を求めた。
お姉ちゃんはすぐに同意した。むしろ説明するためにわたしの部屋を訪れたのだという。
魔王がこちらの世界に来たことで起こる突発的事項、それにわたしたちは無関係でいられない。
そのことについて知らせておかねばならないことがあるのだと。
その話を聞いてわたしはいてもたってもいられなくなった。理解は出来なくても知っておかねばならないことが山ほどある。
あいつが好意を寄せているあいつの姉、彼女こそが魔王その人なのだから。
「……いつ話そうか迷っていたのだが、魔王の一件もあるしな。早い方が良いと判断した。それに今後の問題もある。お前が真に勇者候補生の道を選ぶのであればお前自身にとって大きな問題が発生する」
「わたしの問題…?」
「そうだ」
お姉ちゃん――極黒の天姫こと天使・鴇島伊織はコクリと小さく頷いた。
「私が天使である理由はわたしがお爺様の血を受け継いでいるからだ」
「お爺ちゃんの……血?」
「そうだ。我々の祖父、鴇島安佐次郎――こと天使アザエル。かつてお爺様は天使界の監察官だったのだ」
「……は?」
「まぁ聞け。前大戦末期、地上界の様子を偵察に来ていた監察官はうっかりB29と正面衝突してな。地上に堕ちていたところを偶然その地に居合わせたお婆様と出会い、助けられたのだそうだ」
「……はぁ」
「で、色々あって2人は結婚。父が生まれ母と出会い、私とお前が生まれた」
「つまり、おじいちゃんが天使でわたしたちが天使のクォーターということ?」
「うむ。だが自体はもう少し複雑なのだ。実は祖母もな、また普通の人間ではなかったのだ」
「……はい?」
わたしは神明鴇島流師範でもあるおばあちゃんのことを思い出した。
祖母も祖父も歳は取ったがまだまだ元気闊達。岩手の山奥で農業をしながら古い神社の神守をしている。
今でも夫婦仲がすこぶる良く――今風に言えばバカップルだ。
「遠野の天狗伝説を知っているだろう? 祖母は古い一族の血を受け継いでいてな――つまるところ要するに天狗の末裔なのだ」
「天使と天狗のバカップル……」
わたしは思わず突っ込まずにいられなかった。
父の仕事が忙しいこともあり、鴇島家は滅多に田舎に帰省しないが、去年の夏休みに会った祖父安佐次郎と祖母カナヱは元気にラブラブしていた――というか見た目だけだと2人は50代より若く見える。そんな2人が孫の目も憚らずイチャイチャしているのだ。
思春期の子供にはちょっと影響に悪いんじゃないかなと思っちゃったくらい。まぁ仲の良いことはいいことなんだけど。
それにしても元天使が神職やっていいものなのだろうか?
「お婆様はかつて大戦中は軍部に協力して洋上の偵察任務をしていたそうだ。そこでお爺様と出会い――」
「2人は結ばれた、と言うわけね?」
「ま、最初はそうロマンチックでもなかったそうだがな。とにかくお爺様は地上の戦争に巻き込まれ重傷を負った。お爺様はお前も知っての通り、外見は典型的な欧米人のそれだからな」
確かに――わたしは頷いた。
日本に帰化してはいるが鴇島安佐次郎は少し線は細いが金髪碧眼、どこからどう見ても典型的な西洋人の外見をしている。ちなみに父は祖父そっくりのハーフなので外人に間違えられることも多い。中身は生粋の日本人であるが。
「軍部に捕虜にされることを危惧したお婆様は密かにお爺様を天狗の隠れ里へ連れて帰り匿った。やがて傷が癒えたお爺様はお婆様と一緒に隠れ里を出て東京で暮らし始めた。そうこうしてる間に二人は結ばれ、父が生まれたという訳だ」
「ふうん……じゃあお父さんもお姉ちゃんみたいに天使の力が使えるの?」
「うむ。実はここからが私達に関係のある大きな問題に関って来る訳だが」
お姉ちゃんは難しそうな表情になった。
お姉ちゃんの説明によると最終的に父は天使の力も天狗の力も顕現しなかった。
聖属の力と魔属の力、異なる二つの魔力が体内で上手くバランスを取って互いの波長を消し合った結果、父は常人より頑強な肉体とちょっと大きな魔力を持つ程度の力の発露で済んだそうだ。
天使としても天狗としても覚醒することはなかった。
祖母も祖父もこれには一安心したのだが――ところが父が母と出会い、結婚し、お姉ちゃんとわたしが生まれて10数年――あの事故が起こった。
2年前、あの事件でお姉ちゃんは天使として覚醒してしまったのだ。
「父様は体内で天使と天狗の力のバランスが取れていた。しかし私達は人間である母様の影響を強く受け継いでいる。そのため体内で聖魔の魔力のバランスが容易に崩れ易いらしい」
「天使になったら……何か困るの?」
わたしの質問にお姉ちゃんはさらに困った表情を浮べる。
「天使というものはそう気楽なものではない。力の大小にもよるが、なにせ正天使ともなれば世界に10人といないからな」
先進諸国首脳会議――俗にサミットと呼ばれる地上世界の代表国の集いがある。
これを開催するのがG8、グループ・エイトと呼ばれている先進諸国集団だ。政治経済軍事力におけるこの地上世界の代表国だが、実際のところこの集団に参加する要件は唯一つ――それは国が戦力として正天使を保有するか否かだ。
正天使、またの名を戦略級破壊天使。核を超える超絶破壊兵器であり、文字通り単騎で都市一つどころか国一つを焼き払うことが出来る存在。
かつてバベルやソドム、ゴモラを焼き払ったように、簡単に相手国を滅ぼすことが出来る、地上世界を守る最大の切り札だ。
ガーディアンズ・オブ・アスワルドの8ヶ国連盟――それがG8の正体だ。
2年前、正天使の力に目覚めたお姉ちゃんは日本代表の正天使としての任務に着いていたそうだ。
……知らなかった。
「お父さんやお母さんもお姉ちゃんが天使ってことは知ってるの?」
「勿論当然知っている。先代の正天使はお爺様だったからな。お婆様もこのことはご存知だ」
お姉ちゃんは目を伏せた。
「知らないのはお前と、そして彼だけだ」
「そっか……」
「お前は嘘が下手だからな。それに彼には知られたくなかった。私が天使の力に目覚めたのはあの事故が切っ掛けだからな」
うん――お姉ちゃんの気持ちは分からなくもない。
もしわたしがお姉ちゃんの立場でもそうするだろう、多分、きっと。
「全ては私の不明がもたらした事態。彼の責任じゃない」
「だからわたしにも秘密にしていたんだね……」
わたしは大きく溜息を吐いた。
「すまないとは思っている。黙っていたことについては悪かった。この通りだ」
お姉ちゃんは頭を下げた。道場の床に額を擦りつけそうな勢いだ。
「それでもお前達2人には負い目を持って欲しくなかったんだ……全ては私の我侭だ」
そうか。わたしはぎゅっと拳を握り締めた。
だからあの事故以来、わたしにはお姉ちゃんが変わったように見えたんだ。
そりゃそうか。だって天使になってしまったんだもの。その重責にお姉ちゃんは変わらざるを得なかったんだよね。
でも、それでもわたしやあいつのことを考えていてくれたんだ。
「だがもはや私だけでなんとか出来る問題ではなくなった。お前が勇者の道を目指すのであれば、おそらくどこかの時点で力の覚醒が訪れることだろう」
「カの覚醒……」
「そうだ。天使と天狗、聖属と魔属、相反する力が体内に宿るがゆえどちらかのバランスが崩れれば、反動でより大きな力として発現する可能性が極めて高い。私が2年前のあの事故で天使の力に目覚めてしまったようにな」
「わたしも……天使になるということ?」
姉は静かに首を振った。
「それは分からん。あるいは天狗になるかもしれん。もしかするとどちらにもならずに済むかもしれない。どうなるかは未知数なのだ」
そりゃ……困った。
でもわたしはわたしとして諦めることは出来ない。事情を知ったらなおさらだ。
「だから2年前の事故のことでお前が彼を責めるのはお門違いだ。いい加減に仲直りしたらどうだ?」
「べ、べべ別に、あいつのことなんか……もうとっくに気にしてないし!」
「嘘だな」
お姉ちゃんはフッと鼻で笑う。
「お、お姉ちゃん!?」
「お前が魔王を学園から追い出したいのは、ただのヤキモチだ。だったら素直に彼に告白すればいいだけの話ではないか?」
「うっ……」
「私は真実を話した。この後どうするかを決めるのはお前次第だ。もう彼は決めているぞ?」
「……お姉ちゃんは魔王と随分仲がいいよね?」
お姉ちゃんは何を言ってるんだとばかりに不思議そうな表情でわたしを見ると、首を傾げた。
「新入生と仲良くするのは生徒会副会長として当然のことだぞ? 彼女は聖之杜学園の正式な生徒なんだからな」
「そうかもしれないけど……でも魔王じゃない?」
わたしは納得がいかない。
突然あいつの家に美人が、いくら姉とはいえ同じ屋根の下に住んでいるのだ。しかもお姉ちゃんに匹敵するくらい綺麗でスタイル抜群で、頭も良くて料理上手で――おまけに魔王なんだよ!?
そんな女が24時間一緒に暮らしているのだ。こんな神も仏もない話があってたまるか。
いや、魔王や天使がいるので神も仏もこの世にいるのかもしれないけどさ。愚痴くらい言わせて欲しい。
「大体今日の戦いで分かっただろう? 今のお前の実力では魔王どころか彼の足元にも及ばんぞ」
「うっ……」
ズバリ痛い所を指摘されわたしは言葉を呑み込んだ。
息が詰まる。
お姉ちゃんの言う通りだ。
2年のブランク、とっくに自分の方がずっと強くなっているとばかり思っていた――のだが、やはりそう甘くはなかった。
わたしの自身は微塵にも打ち砕かれた。あいつの実力は2年前からいささかも落ちていない。それどころか天性の目の良さとカンの良さはさらに研ぎ澄まされていた。
今日の戦いでは完全にわたしの動きは見切られていた。
全国大会で優勝をもたらした必殺技――神明鴇島流奥義の無影突きは疲労困憊の状態にあって最大の切り札となるべく修練した大技だ。だがそれですら完全に見切られた。
例え体調が万全の状態だったとしても結果は同じだったろう。2年前今の自分より遙かに強かった当時のお姉ちゃんにですら彼は完勝している。
その結果があの事故だったのだから。
「彼を正々堂々魔王から奪うつもりなら、お前はもっと力を得ねばならぬ。しかしそうすればお前は間違いなく覚醒する――私としてはお前には静かな、普通の生活を送って欲しかったのだがな」
「……でも、あいつはもう戦うことを選んだわ」
「そうだな」
フッとお姉ちゃんは微笑んだ。
「ねえ、お姉ちゃん。一つだけ聞いていい?」
「なんだ?」
わたしの真剣な表情にお姉ちゃんの佇まいがピンと張りつめる。
「天使になって、よかったことってある?」
わたしの質問にお姉ちゃんは少し悲しそうな顔をした。
そうだろうと思う。だってこの2年、お姉ちゃんは偽りの仮面を付けて生活せざるを得なかった。
それは――多分、そういうことなのだ。
「だが私は後悔していないよ」
お姉ちゃんは優しく呟いた。
「この力があればこそ大事な人たちを、お前や真琴君たちの未来を守ることが出来るんだ。私にとってはそれが何よりも嬉しいんだ」
それは偽らざるお姉ちゃんの本心なのだろう。
作り物の澄ました笑顔ではなく、心からの安堵。
2年前と何一つ変わらない、鴇島伊織の素顔だ。
「お姉ちゃん――」
私はぎゅっと拳を握り締めるとお姉ちゃんの目を見つめた。
「お願いがあるの」
「言いたいことは分かってる」
お姉ちゃんは静かに頷いた。
「今のイサちゃんの実力では魔王アリエステルはおろか真琴君にすら遠く及ばないからな」
「私、まーくんにどうしても勝ちたい!」
お姉ちゃんはちょっと驚き、嬉しそうに微笑んだ。
「そうか。私の特訓は厳しいぞ――追いてこられるか?」
「うん……わたし、絶対に諦めない!」
こうして人生初の惨敗を喫した夜。わたしはお姉ちゃんの真実を知った。
それから5月の連休――わたしとお姉ちゃんは強化特訓に励んだ。
その結果連休明けの中間テストは散々だったんだけど――でもそのかいあって、テスト明けの2回目の魔王戦では猛特訓の成果を出すことが出来た。
もう前みたいなみっともない姿は見せられない。
勇者とか世界平和とかは興味ないけど、私は絶対にまーくんより強くなってみせるんだ。
覚悟してなさい柊アリエステル!
わたしは絶対に勇者になってやるんだからっ!!
【つづく】