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第2話(序章)

 いつ、どこの時代でも戦場に漂う空気はそう変わらないものだ。閃光と衝撃。爆炎と粉塵。沸き起こる剣戟の音に悲鳴の声、それに――血と肉の焼けただれた臭い。

 腐臭が風に舞い、そこら中に漂っている。


「戦況はどうじゃ?」

「――相当しぶといですね。砦に立て篭もって徹底抗戦を叫んでますよ」

 背後に近付いて来た気配に男は振り向きもせず、肩を竦めて答えた。

 薄いカーキ色のソフト帽を団扇うちわのように扇いで被り直す。

 男の風体はこの荒野の世界にあって一種異様な雰囲気だった――と言うか、あまりに普通過ぎると言うべきだろうか。

 帽子の色と合わせたカーキ色の英国風クラシックスタイルのロングコート。コートの下には黒に近い緑のツーピースの背広スーツをきっちり着込み、パッチリ糊の利いた真白いワイシャツ。首に巻いているのは水色に銀のストライプが入ったお洒落なネクタイ。

 典型的な会社員サラリーマンスタイルだ。

 大都市の中ならなんら問題ないが、この何もない荒野のど真ん中――戦場では完全に浮いている。


 彼らの居る大断崖の高台からは戦場の様子が一望出来た。

 目の前に広がる大荒野。その入り口に建つのは巨大な中世風の要塞。まるでお城のように巨大で堅牢な石造りの城砦だ。

 あれは本来この国を周辺諸国の侵略から守るために建造されたもの。はるばる荒野を渡って攻めて来た敵軍を阻止するための要害だ。

 大陸中原に広がる大荒野、この国の首都は荒野を越えた先にあり、この地から王都に向けて侵攻するには大断崖を越えて行かねばならない。

 そのためには大断崖唯一の裂け目、蛇の回廊を通り抜ける必要がある。

 この要塞は蛇の回廊の出入り口を塞ぐ役目を果たしている。そのため要塞は防御面を重視し、長期の篭城戦も可能な造りをしていた。

 この地を反乱軍に押えられた時点で王国側は相当に不利な状況だった。だからこそ宰相はこの4年、万全の状態で要塞を奪回するタイミングを虎視眈々と図っていたのだ。


「……であろうな。ガギラディン将軍は音に聞こえた勇士。臆せず屈せず、最後の最期まで戦うが本分と考えておろうよ」

「彼のこと、よくご存知みたいですね」

 男は覗いていた双眼鏡を下ろすと興味深げな表情を浮べた。

「うむ。先王が生きておられた頃、つまりまだわしが軍務省におった時代に少し揉んでやったことがある。当時の七将、その末席に選ばれるだけの実力はあったの」

 老人が隣に立つと男は双眼鏡を渡した。老人は興味深げに双眼鏡をいじるとレンズを覗き込み「おうおう」と歓声を上げる。

 老人とはいえ背筋はシャンと伸びている。背丈はむしろ男より高い。顔を覆う長く白く伸びた髭。秀麗で重厚な金属製の胴鎧を身に纏い、手に持った長さ2メートルはあろう巨大な青色の薙刀なぎなたが陽光を浴びてギラリと輝く。

 真紅の滑らかな天鵝絨ビロード地のマントが戦場の風に大きくはためいた。

 教科書に載っているようないにしえの、中華風の武将といういでたちの老将だ。手に持つサファリのM35――軍用双眼鏡がやけにミスマッチだが。

「へぇ……七将ですか。それはかなり人望もあったんでしょうね」

 七将といえば先王の忠臣中の忠臣として勇猛を馳せた将軍たちの異名だ。軍部内では信頼も篤く、南部反乱軍の首魁として御神輿に担ぎ上げられたのも無理はないだろう。


 ドンッ!――つんざくような激しい爆発音に2人は城砦の一画に目を向けた。砦の外殻の一部が崩落し、そこから煙がもうもうと立ち昇っている。

 外からの攻撃ではない、内側からの爆発だ。

 今現在砦の内部では苛烈な戦闘が繰り広げられているのだ。

「やれやれ、少しは手加減してやればいいのに……」

「いやいや。魔女どのの判断は正しかろう」

 溜息混じりの男の声に老将は涼しげな笑い声で答えた。

「無辜の民をいたぶり金品を強奪する彼奴きゃつらはもはや軍隊とは呼べぬ、単なる匪賊ぞくに過ぎん」

 老将の言葉に男は「そうですね」と頷いた。

 将軍の言う通りだ。もはや軍隊として体を為していない反乱軍――彼らは見せしめのために駆逐されなければならない。また王国軍はそう行動で示す必要がある。

 それがこの国の宰相が下した決断だ。

 無慈悲ではあるが正しい判断だろう。

 先王が病で没し、この国で内乱が勃発してからもう6年が経っている。

 新王には従えぬと反乱クーデターを起こした各地の軍閥ではあったが、結局のところそれぞれが連携することもなく闇雲に街や村を襲い勢力争いを繰り広げるばかりだ。

 もはやどんな大義名分を翳したところで民の人心を集めることはない。


「しかしそなたらの謀略がこうも功を奏するとはの。まさかこんな手で停滞した局面を引っくり返すとは、わしにも想像がつかなんだわ」

 そう言って初老の将軍は長い白髭を揉みながらカッカッカと笑った。

「いえいえ、私たちのは単なる奸計ですよ。今は亡き西方将軍の蒔いた種が実を結んだのです。それに将軍のお力添えがあっての近衛軍再編成ですよ」

 男はコートの襟を立てる。

「老は気侭な楽隠居生活を楽しんでおられていたというのに。本当に申し訳ありません」

「まったくじゃ。せっかく孫と一緒に楽しい余生をと思っておったのにのう。こんなポンコツを今さら戦場に引っ張り出すとは宰相殿は血も涙も無いのう」

「そりゃ彼女、鮮血の魔女と呼ばれてるくらいですしね」

 男は笑みを浮べた。かつては緋紅の名宰相と呼ばれた彼女も今では敵対する者たち全てから鮮血の魔女と忌み嫌われている。

「うむそうじゃな。じゃがそのお主たちの気持ちが――陛下をお守りたいという願いがわしを動かした。それはしっかり理解しておるつもりじゃよ」

 そう将軍が呟くと男は嬉しそうに微笑んだ。

「時に……陛下は、そろそろあちらの生活に慣れた頃合いかの?」

「そうですね。もう1月経ちましたし……そろそろあちらの生活にも慣れて来る頃だと思いますが」

 そう呟き男は背広の内ポケットから携帯電話を取り出し――画面を表示した。

 待ち受け画面に表示されたのは仲良く並んだ少年と少女の写真だ。

 赤い制服を着た銀髪の少女が年下の黒髪の少年の腕を引っ張るように抱き締め、無理矢理絡んでいる。

 少年はとても照れ臭そうだ。顔を真っ赤に染めているのが愛らしい。

「ほう……その少年がお前さんの息子かの?」

「ええ、自慢の息子です」

 男はちょっと照れくさそうにソフト帽を目深に被って表情を誤魔化した。

「なるほどなるほど。つまり我らが陛下の義弟君――つまり今後は殿下とお呼びすることになる訳じゃな?」

 将軍は再びカッカッカと笑い声を上げた。

「姉弟仲良くやってくれているといいんですけど」

 再び内ポケットに携帯電話を収めると男は激戦鳴り止まぬ砦に目を戻した。

 腕時計を見る。安物のデジタルウォッチの表示が作戦開始から30分を告げる。

「さて、そろそろ僕らの出番ですかね」

 そう呟き男はネクタイの結び目を緩めた。このいくさの最終局面。そろそろ統制が取れなくなり砦から逃げ出す連中も出て来る頃だ。

 既に城砦は近衛軍によって完全包囲されている。

 取り囲んでいるのは編成が済んだばかりの近衛第2軍と第3軍。勇猛果敢に戦い戦死した西方将軍を慕って集まった義勇兵たちで構成された新設部隊だ。

 しかし彼らの集団戦能力はまだまだ低い。無用な犠牲は出したくない。だが経験値は積ませたい。

 そこで今回の作戦が行われた。最も堅牢で敵の反撃も大きそうな正門付近には部隊を配していない。

 包囲陣形のうち正門と裏門の2箇所は極端に手薄にしてあるのだ。

 蛇の回廊の守備も一見手薄に見える。

 まずは裏門を突破して彼女が単騎突入。敵将に会談を申し込む。一応投降を呼びかける手筈だ。

 会談が破談になれば即戦闘開始。これは城塞内部に立て篭もろうとする反乱軍幹部連中を追い出すのが目的だ。

 この城砦には東西南北4箇所にそれぞれ城門が存在するが東西の門は近衛軍によって完全に封鎖されている。

 脱出可能なのは正門と裏門のみ。

 彼女は恐るべき魔法の使い手だ。しかしそれゆえ彼女が行使する広域殲滅破壊魔法は威力が大き過ぎて味方をも巻き添えにする恐れがある――というかする。絶対。

 そこで今回は彼女が単独で吶喊とっかん、好きに暴れて貰うという寸法だ。思いっ切りやらせる法が返って手っ取り早い。

 南部反乱軍は最も宰相への反発が強く、彼女に対する妄言や流言が多岐に渡っていた。彼女も恨み辛みが多かろう。直接憂さを晴らす良い機会である。

 もちろん最初の投降交渉で相手が降伏してくれたら一番楽なのだが――まぁそこまで交渉が上手く行くとは男も老将もハナから考えていない。

 というかガギラディン将軍が最も嫌っている宰相自身が交渉相手として直接乗り込んだ時点で、破談の確率は99%以上である。


 今回城塞攻略で一番の問題となるのが雑兵の扱いだ。1千人近く集まっていると思われる反乱軍雑兵を完全に殲滅し切るのは、いくら戦力に優る近衛軍とは言え不可能だ。とはいえ捕虜にすることも難しい。結局半数近くは逃げおおせるだろう。

 その逃げた敵兵が野盗や山賊になって暴れ回るのは目に見える。そうなっては困るのだ。今王国軍に治安安定に膨大な人員を割く余裕はない。

 もちろん敗残兵を組織的に国内に潜伏させるつもりもない。

 そこで立てられたのが今回の作戦だ。東西の出入り口を封鎖し正門を手薄にしてあるのはそのためだ。

 雑兵には正面門から逃げ出して貰い、荒野の彼方に旅立って頂く。他の国で何をやろうがそれはこちらの知ったことではない。

 だがそれは反乱軍上層部も見越しているだろう。負けた彼らの次善策はこの場を生き延び、国内潜伏を計ることだからだ。

 だとすれば彼らの行動はただ一つ。雑兵が大挙して正門から逃げ出すと同時に裏門から逃走することだ。戦場に起きる大規模な混乱状態に乗じて猛攻による一点突破。一気に蛇の回廊を駆け抜け国内に潜伏する手筈だ。

 後は他の軍閥や反王派貴族と協力し、再び力を蓄え抵抗運動を繰り広げる――そんな青写真を描いているに違いない。

 男と老将の目的は反乱軍幹部の国内潜伏の阻止、そして殲滅である。みすみすこれを逃す手はない。

 そのために、わざと誘い出すために回廊側を手薄にしたのだから。


 男に依頼された今回の仕事オーダーの内容は反乱分子の王国内潜伏を阻止すること。それによる治安の確立は会社の要望にも叶う。

 王に歯向かう者には死を――それはこの世界の絶対の掟だ。今の王はあまり気にしてないが強者が力で支配するのは三千世界のほとんどにおける基本的なルール。

 これまで緩んでいた規律タガを締め直すいい機会だ――心優しい王様が留守の間に粛清の嵐を吹かそうとこの国の宰相は考えている。

 娘のために、自らが悪役の汚名を着ようとしている。

 だからこそ男は力を貸そうと思っていた――忌むべきあの力を再び使うことになったとしても、だ。


 ドンッ!――それまで固く閉じられていた砦の正門が大きく開け放たれた。

 中から雑兵がわらわらと飛び出して来る。必死で逃げ出す兵士たち。

 それはもはや何の統制も取れていない敗残兵だ。ほとんどがボロボロの姿で見るからに哀れである。

 元々荒くれ者や傭兵、野盗といった忠誠心の欠片もない連中が多い。中にはリベラルや知識人階級の者もいるだろうが――彼らの多くは現在の自分の地位に不満を持っていたり、ただ上官の命令に従っていただけの者たちも多い。

 もちろん中には野盗行為が楽しくて反乱軍についた不届きな連中もいるだろうが。


 全て彼女が描いた計画通りに進行している――城砦はドンドンドンと次々に爆発炎上。鮮血の魔女が文字通り要塞内で血飛沫を上げて敵を薙ぎ払っている。

 混迷を極めていた戦場で、裏門から騎馬の一群が飛び出した。

「カッカッカ! まんまと追い出されて来おったの。それでは伝説の勇者のお手並み、かぶりつきの特等席でとくと拝見させて頂くとするかの!」

 白髭の老将は双眼鏡を男に突き返すと泰然自若と薙刀を構えた。

 ゴウッ!――凄まじい覇気が老体の全身からほとばしる。

「そんな大した見世物じゃありませんがね。こちらこそ伝説の猛将と呼ばれた魔将ギルナレグの槍捌き、特等席で拝見させて頂きますよ」

 男はイタズラっぽく片目を瞑る。

 互いに頷き合うと二人はほとんど同時に大断崖の上からダイブした。


 轟ッ!――凄まじい勢いで落下する2人。

 大断崖の高さは200メートルは下らない。

 男は風で飛んで行きそうになるソフト帽を片手で押さえる。

「しかし、いくら世界広しと言えどもお前さんくらいじゃぞ? わざわざ先王の嫁を妻に迎えるとはの……全く物好きな男じゃのう」

 見る見る地面が迫る――恐れを抱くことなく白髭将軍は茶目っ気を見せるように片目を瞑る。

「いえいえ、惚れた女がたまたま未亡人だった。ただそれだけの話ですよ」

 男は照れ臭そうに答えた。

 目前の大地には、一目散に逃げようと駆ける敵集団の姿が見える。


 さて、ここからは仕事の時間だ――男は右腕を大きく振りかぶった。

 シャキーン!――次の瞬間男の手には光輝く一振りの刃が握られていた。まるで日本刀の様な片刃の細い、大きく長い太刀だ。

 サラリーマンにはあまり似つかわしくない、危険な代物だろう。

「では、こちらも始めましょうかね」

「ほぉ。それが噂に名高い神無刈かながり絶剣ぜっけんかの?」

 老将は感嘆の声を上げた。

 剣の白い輝きには金属ともプラスチックとも違う光沢がある。だがそこには妖刀とも言わんばかりの凄みが溢れんばかりに輝きを放っていた。

 神を断つ剣と噂され、悪魔も裸足で逃げ出す伝説の剣だ。

「では先陣を切らせて頂きます」

 男はペコリと頭を下げると軽い一振りを払った。

 ズドン!――男の振るった剣風に大きく大地が引き裂かれた。たちまち蛇の回廊の入り口を塞ぐように巨大な亀裂が出来上がる。

 深い広い大きい。騎馬ではとても飛び越えられない圧倒的なサイズのクレバスだ。

 裏門から飛び出したおよそ百騎近い軍勢がたちまち狼狽うろたえるように静止した。それを確認し二人はクレバスの淵に――悠然と降り立つ。

 たった二人の男を前に多勢が戸惑い、動揺と狼狽を隠せない。 

「あれは……まさか魔槍ギルナレグ将軍!?」

 誰かが叫び、たちまち動揺が部隊全体に伝わった。正規の軍人ならばこの老将のことを良く知る者は多い。

 彼女の狙い通り、将軍の存在は効果覿面こうかてきめんだ。

 先代王の右腕と呼ばれた猛将が、引退したはずの彼が新たな王の配下としてその姿を現したのだ。驚かない筈がない。

 王を裏切った地方軍閥、彼らの大義名分は先代王の正当な後継者は自分たちであるということだ。それだけに先王の信頼厚い彼の参戦は最も効果が大きいことは疑いの余地がない。

 その動揺は城砦で最期の抵抗をしていた敵軍にもすぐに広まった。

「しょ、将軍、こ、降参だ。我々は降伏する!」

 慌てて武器を捨てた豚顔面の男の頭が真っ赤な血飛沫を撒き散らしながら宙に舞う。

「残念じゃがわしはそなたらの降伏は認めんよ」

 白髭の老将は笑みを浮べた。いっそ凄惨とも呼べる笑顔だ。

「そうですね。正門から脱出するのではなく、裏門のこちらに出て来た時点で貴方がたは自らの死刑執行書にサインした――そういうことですので憐れではありますが、まぁ自業自得ですよね」

 トレンチコートの男は肩を竦めた。

「死んで下さい」

「散れ! 散れぇぇっ!!」

 悲鳴を上げて騎馬隊が逃げ出した。まるで蜘蛛の子を散らすように統制を失い散り散りになる幹部たち。

 だがもう既に時遅し。近衛軍の包囲網は完成していた、後方にも逃げ場はない。

 老将は当たるをこれ幸い、一歩ずつ歩みを進めながら巨大な薙刀を右に左に振り回し、敵を蹴散していく。

 それはまるで荒れ狂う竜巻のようだ。真っ赤な血飛沫が粉塵となって嵐のように吹き荒れる。

 それを見た兵士たちは恐れおののき、もう一人の男の元へと殺到した。彼が巨大なクレバスを生成した剣技の持ち主であることも忘れて。

 男はやはり容赦なく剣を振るった。

 彼が剣を振るうたび、兵は騎馬ごと真っ二つに寸断され大地を血で濡らす。

 着ている鎧や装備の出来不出来に関係無い。一振りするたびに閃光が戦場を走り、その度に命の炎が吹き消される。

「カッカッカ! お主達、何か勘違いしておるようじゃな? わしなんぞよりあの男の方がよっぽどヤバいぞ? なにせ我ら魔族が最大の天敵――勇者なのだからな!」

 ブンブンと薙刀を振り回し、首を斬り飛ばし赤い竜巻を操りながら老将は笑った。

「元、ですよ」

 男は太刀の剣風で敵兵を無造作に薙ぎ払うと、コートの懐から巨大なメガホンを取り出した。

 拡声器だ。

 スイッチを入れる――ガーピーとハウリング音が鳴り響く。

『えー反乱軍の皆さんにお伝えします』

 緊張感の欠片もなく、気さくな声で男は告げた。

『見ての通り裏門こちらは通行止めです。主要幹部の皆様にはここで見せしめのために死んで頂くことになります。鮮血の魔女の手に掛かるか、魔槍ギルナレグ将軍の手に掛かるか――お好きな方をお選び下さい。時間は10分です。何卒宜しくお願いします』

「『さらりーまん』というのも大変じゃのう」

 老将が呆れたように笑った。

「異世界で勝手やるにも色々お役所の手続きが必要なんですよ」

 男は苦笑して答える。

 自分はこちらの世界では異邦人エトランゼである。こちらには地上世界アスワルドにおけるサクラ条約のような保護条約は存在しないが、それでも無用なバランスを崩すと管理局に目を付けられかねない。

 お世話になっている会社に迷惑をかけるわけにはいかない。

 これもサラリーマンの宿命である。

 サラリーマンは辛いのだ。




 戦いが終わり、コート姿の男は廃墟の中を悠然と歩いていた。

 戦いの後は虚しさだけが残る――それはいつ、どこの世界でも同じことだ。

 トレンチコートを着ていて良かったと男はつくづく思った。この恰好は実にハードボイルドな雰囲気にピッタリだ。

 かつて城砦を形成していた廃墟は今や単なる黒焦げの瓦礫の山だ。

 わずか数日前までこの城には千人もの反乱軍が血気盛んに息巻いて、夢や希望を語っていたのだろう。

 が、しかし、夢は露と消えた。


 男は地面に落ちていたボロボロの長剣を拾った。幅広の青銅剣ブロードソード。実に安物な武器だ。柄の部分には王国軍の古い紋章が入っている。

 恐らくは倉庫の奥から引っ張り出してきたものだろう、現在の王国軍ではこのタイプの武器は既に支給していない。


「……終わったかい?」

 男はソフト帽の埃をはたいて被り直すと城砦から現れた女性に声を掛けた。

「ええ、ガギラディン将軍はさっき自決したわ」

 女性はふうと溜息を吐く。

 最後の最後まで説得を試みたのだが、勇猛で名を馳せた武人は最後まで自分の意思を曲げなかった。

 誇りある最期を選んだ。まことに漢らしい、武人らしい最期だったと言える。

 女性は紫色アメジストの瞳をそっと伏せた。

 燃えるような真紅の赤髪。腰まで伸ばした艶やかな髪が戦いを終えた戦場いくさばの風に翻る。

 美しい女性だ。濃い紫色のロングドレス、開いた胸元から溢れんばかりの巨乳がすこぶるセクシー。

 ドレスはあちこち薄汚れ、端は一部黒焦げになっているものの、本人には傷一つない。

 流石は先王の内縁の妻だった貴婦人のことだけはある。同時に彼女は現王国で2番目に強い魔術士であり、この国の宰相をも務めてる。

 彼女より強い魔法使いはこの国に一人しか存在しない。それはこの国の王様だけだ。

「そちらはどう?」

「予定通り逃げ出した幹部どもは一人残さず殲滅したよ。近衛軍が捕まえた敵兵で今将軍が首検分しているところだけど……」

「そう、こちら側の犠牲者は思ったより少なくて済んだみたいね」

「ああ。全て君の立てた計画通りだよ」

 男は頷いた。

「後は逃げ出した雑兵のほとんどが荒野を渡ってくれたらいいんだけど……」

「そうだね。これで獣魔王国は野盗対策に追われてこちら側に手を出す余裕が無くなる……となればいいんだけどね。竜魔王国の方は本当に大丈夫なのかい?」

「ええ。竜王陛下とは話が付いているから」

 美女はニッコリ微笑んだ。持つべきは話の分かる隣国だ。

「それは結構。竜王陛下は我が社にとっても大のお得意様だからね。無用な軋轢は避けたいところだよ」

 男は肩を竦めた。全くサラリーマンは辛い。

「これで南部問題はカタが着きましたね。本当にありがとう、征十郎さん」

「何を水臭いことを言ってるんだい、マリアルージュ」

 男は照れ臭そうに微笑んだ。

「大事な娘のためなら父親は一肌でも二肌でも脱ぐもんさ」

「そう言って貰えると嬉しいけど……ねぇ、あの子はちゃんと上手くやっているのかしら?」

「さぁ…どうかなぁ…?」

 男は息子のことを考えた。あの年頃の男の子は何かと難しい。息子は自分から見ても実に出来の良い子供ではあるが、女性関係となると話は別だ。

 自分の若い頃は戦いに明け暮れていたが、それでも周りを綺麗処に囲まれて色々大変困ったものだ。

 あんな超絶級クラスの美少女が突然姉になって、しかも同じ屋根の下で一緒に暮らし始めたら――そりゃきっと楽しくも賑やかで大変な毎日だろう。

 そういえば近所の幼馴染の姉妹も年々かなり美人になっているし、はてさて息子の好みは一体どっちなのだろうか。

 我が息子のことながら、思わず笑みが零れてしまう。

 がんばれ男の子。



「宰相閣下、西方将軍閣下がお呼びです!」

 砦の奥から2人の姿を探していた近衛兵が駆けつけて来た。どうやら老将が呼んでいるらしい。

 2人は顔を見合わせると溜息を吐いた。

 戦後処理に軍の再編。残った地方軍閥への対応に元老院や貴族への対応。問題は山積だ。

 国内外の政治に外交、それに交渉。他にも問題は多々ある。

 これまで王が留守の間、国内は宰相と四天将軍の合議で対応してきた。しかしそろそろ王の決済が必要だ。

 新しい西方将軍の任命式の件もある。形式上は既に老将に采配して貰っているが、何事にも儀礼式典は付き物だ。  

「じゃあ、僕はそろそろ行くよ」

 男はコートの襟を立てると正門――既に門としての機能を失った扉に向けて歩き出した。

「ちょっと待って、あなた」

 赤毛美女マリアルージュは男に近付くと緩んで曲がっていたネクタイを締め直し、整える。

「2人によろしくね」

「ああ」

 2人は熱い抱擁をして口付けを交わす。

「それじゃ」

 男の姿が光に飲み込まれるようにフッとかき消える。


「早く会いたいわ、柊真琴くん」

 鮮血の魔女は優しい――聖母のような微笑みを浮べ、夕焼けに赤く染まる空を見上げた。

 まだ会ったことのない息子真琴くん。そして一緒にいる大事な娘アリエステル。2人のことを考えるとどんな辛いことでも耐えられる。

「さて――と!!」

 赤毛の美女はうーんと軽く腕を掲げ、伸びすると気合を込め直した。

 まだまだ仕事は山積みだ。

 妖魔王国宰相――柊マリアルージュ・マギエステルは自分を待つ西方将軍の下へと歩き出した。

 



【つづく】

(作者コメント)

今回より完全書き下ろしの新作となります。

定期的にアップしていければ……と思います。


お陰様で前作のユニークユーザー数が250人を超えました。

感謝感激~ありがとうございます!



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