April~二人羽織編 2~バースデイプレゼント1
思ったよりも回想シーンに時間がかかりました。
次回より、やっと本編らしい本編に入れればと思います。
5
自分のためだと、彼女は言った。
とても、自分勝手でゾクリとした彼女のその言葉の意味を今の俺に考える暇はなかった。
彼女は、俺をこの鉄格子の向こうの、闇の森に放り込んだ後にこんなことを言った。
「―――この先の森を真っ直ぐに行けば裏門に出るから。じゃあ、私はそこで待ってるわね」
この森を?冗談じゃない。
「ここから出せばいいじゃないか!おいっ、早くだせよ!」
手に持った銀のナイフで鉄格子を叩く。しかし、彼女はそんなことには気も止めず、気だるげに答える。
「それはできないわね。
それに、今から始めることがあなたを引き取った理由だしね」
「ふざけんなっ!」
こんなことがあってたまるか。鉄格子の間からナイフを突き出して、斬りかかる。
が、ギリギリで彼女には届かない。これで更に、苛立ちを覚える。
すると彼女は、跳ね上げ式の外車のドアを開けながらこちらを見る。開けたドアが黒い翼に見えた。
「ほらほら、早くここから出たけりゃ森を抜けなさい。でないとそれに、―――喰われるわよ」
すっと、人差し指をこちらに向ける。いや、彼女が指したのは俺の後方…。
「うわあああっ!」
叫んで、横に飛びのける。ガシャリと、フェンスにぶつかる自分よりも一回りは大きい黒い影。
これは―――
「犬?」
そうつぶやいた時には、彼女は少しばかり後輪を滑らせて突風のように去っていった。
愕然とその車の背中を見ていると、隣の方から獣の唸りが聞こえてくる。
あまりの状況に、今の事態を飲み込めない。尻餅をつく俺の方にゆっくりと近づく獣がいる。
2秒はそれを見ていただろうか。だらしなく垂れる舌、こんな闇夜でも輝く眼球、―――そして、刃物をも思わせる、白い牙。
3秒後に、やっと俺は理解した。なんだ、こんなことに3秒も使うなんて。
そう、俺はこの獣に、
「―――殺される!!!!!」
獣の方も、やっと死を理解した獲物にここぞとばかりに飛びかかる。
こちらもこちらで、咆哮しながら走り出す。
「うわああああ!―――いやだっ!―――死にたくない!」
切実にそう思った。
しかし、獣はそんなことなんてお構いなしだ。人間の、それも7歳の少年の稼いだ距離なんて、1秒もせずに追いついてくる。
だが、そんなのはどうでもいい。走っていないと殺される。止まっていたらもっと早く殺される。
殺される、殺される、殺される、殺される―――!
恐怖でいっぱいになっていく頭。他に考えることなんて何もない。思考はすでに止まっている。
すると同時に、驚く程思考が冴えていく自分がいた。
―――演算開始。完全起動予測。
「うああああああああああああ!」
―――後方1体、認識。
「いやだ、嫌だ、イヤだ!」
―――予測終了。0.5秒後、右腕に攻撃。
「…ひっ!」
―――対応行動、算出。走行の停止、及び目標、頸動脈への擦過。
「……あ、れ?」
気づくと、目の前には血まみれの獣。先ほどの勢いがなくなったからか、そのへんの犬にも見える。
「なんで…死んでるんだ?」
手を見れば血に汚れた、銀のナイフ。
「俺が…殺ったのか…」
そう口にしても理解が出来ない。この、自分にとっては刀ほどもあるナイフを、なぜ自分がこうも上手く、それも一撃で生き物を殺すことができたのかがわからない。
たたずんでいると、闇の中にキーンという音が聞こえてきた。どこか学校のアナウンス音に似ている。
すると、聞こえてきたのは本当にアナウンスの声だった。聞こえてくる声の主は、もちろんあの女。
「―――あーあ、聞こえているかな?開架くん」
この時初めて、自分の名前を言われた。女は続ける。
「やっぱり、待っているだけというのもつまらないでしょ、ちょっと話し相手になってよ」
それを聞いて、驚く。彼女の考えがまるでわからなかった。こんな物騒な森に入れておいて、何がつまらないから話し相手になれだ。
「ふざけるな。早くここから出せよ」
しかし、尚も彼女は嘲る。アナウンスの向こうでくつくつと笑う声が聞こえる。
「だから、森を抜ければ出られるって。…もしかして、忘れたの?
君は物覚えが悪いのかも知れないね」
頭の中が、怒りでどうにかなりそうだ。もう一度怒鳴りつけようとしたその時、またもや思考が冴える感覚になる。感情的な思考と、打算的な思考で気持ち悪くなる。
―――後方に2体。起動予測。
―――10秒後、接触。対応行動、算出―――
「うわあああああああああ!」
考えず、体が動く。しかしその行動は完璧に考えられている。
予備動作なしで繰り出される斬撃。二つの肉塊は声も出せずに崩れ落ちる。
「へぇ、驚いたわね。今まで何かしてたの?」
「知らない―――!」
いきなり飛び出してきた彼女の質問に、続けて出てくる野犬を切りながら答える。
「ふーん……でも、なんでそんなに手馴れてるのかな?」
「だからっ―――知らないって!」
いまだに出てくる野犬を後ろに、走りながら答える。
「…っ、この!」
前方に現れる野犬を、走りながらに切りつける。
どんどん自分の思考がなくなり、それを埋めるように冴えた思考が支配していく。
それを彼女は見ながら言う。
「なるほど、なるほど―――いやぁ、やっぱり君を選んで正解だったよ、開架」
だから、何なんだよお前は。と、言おうとするがなぜか声が出ない。
「―――思考制御、応答を拒否。
―――起動予測開始」
知らず、こんなことを口にしていた。自分の声だが違うもの。しかし、それを考える―――思考することができなかった。
森全体には、彼女の笑い声がエコーをかけて広がっている。
「くくく…はははははは!―――開架、思考と言語が反転してるよ!―――いいや…全く君は最高だ!」
もう意味がわからない。思考はおろか、体の自由も効かない。聞こえるのは彼女の高笑い。
「―――予測終了。20秒後、大群に接触。全方位移動不可。対応行動算出不可。
―――完全起動予測システム、終了」
いきなり、失われた思考が戻っていく。夢から覚めていくみたいだ。
それと同時に、なくなっていた恐怖が戻ってくる。
「―――あ、ぁあ」
逃げ場所をなくした獲物にジリジリと近づく野犬の群れ。先程までと打って変わって、別の意味で思考がなくなっていた。
「あ、ああ」
口からはこんな言葉しか出てこない。残り数メートル。このままでは死ぬ。
「…けて」
死にたく、ない。
「…助け…てよ」
こんな時に、彼女の言葉を思い出す。
野犬はもう、飛びかかる準備をしている。どうしようもない“死”を近くに感じる。
「イヤだ、死にたくない」
本能的に口に出していた。本能的に思い出す。彼女の言葉を思い出す。
―――私のことは開花お姉さんって呼んでね。―――
「っ―――!助けてよ…助けてよ、開花お姉ちゃん!―――」
飛びかかってくる野犬。俺の喉笛を狙っている。死ぬという事実に、恐怖で動けない。
しかし、その恐怖をも忘れてしまいそうな優しい声が固まっていた俺の耳元で聞こえた。
「わかった」
気づいたときには、俺の目の前に立っていた。彼女の左手には、俺の持っている銀色のナイフとよく似た、持ち手から鞘まで銀色の金属でできたひとふりの刀。
「待っててね、すぐに終わるから―――」
月下に照らされるその刀身は、透明にすら見える銀色だった。
それに対して、黒一色の男物のスーツをたなびかせながら、修羅のごとく野犬を切りちぎる。
時間にして5秒。彼女はその間に20の野犬を切り伏せていた。
パチンと刀を鞘に戻し、彼女は振り返って俺を見つめる。すると彼女はいきなり俺を抱き寄せた。背中でくい込む刀が痛いけど、そんなことも感じさせないくらい彼女の言葉は穏やかだった。
「大丈夫、大丈夫だ。君は、―――開架は何も恐れてはいない」
その言葉はどこか、暗示のようだ。
「―――君は、恐怖なんて感じてない。君は自分から立ち向かったんだ。君の力だ」
「俺の…力」
彼女の言葉に、体の緊張がほどけていく。
「そうだ、君の力だよ。使いこなせなかっただけだ。これから使いこなしていけばいい―――」
そこまでいうと、彼女は腕を解いた。
そして、最初に会った時と同じような冷たい口調に戻る。
「―――しかし、一人で15体撃破か…うん、優秀、優秀!」
両手を腰に当て、頷きながら笑う。
「ならば、明日は16体だね」
「……明日!?」
「そうだ、明日もだ」
こんなことを明日もまたするつもりなのか、この女は。
「明日も明後日も、その次の日も。今日から後十年間は毎日だ」
「はぁ!?なんでだよ!」
しかし、彼女は笑顔でこう答えるだけだった。
「自分のため、だよ」
うな垂れる俺に向かい、彼女は言う。
「そうだ開架―――」
睨みつけながら答える。
「何?」
「誕生日、おめでとう」
車のドアを開けてそういった。
「それと、そのナイフはプレゼントにあげるわ。素敵でしょ」
「どこが…」
鉄格子を抜けて、車の助手席に乗る。
―――なんだ、もう森は抜けてたんだ。
次回は二人羽織編第三弾―――かな?
とりあえず、頑張ります。