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話は、僕から始めました。彼女を避け続けていた僕を抱きしめてくれたあの日のお返しを、僕はしようと思いました。
「日向の世界はどうですか?」
「え?」
「いや…仕事、楽しい?」
「…うん」
「毎日、楽しい?」
「うん…」
「僕はそっちへはいけない」
僕がそういうと、彼女は黙っていました。僕は続けました。
「ずっと、波はこっちに…僕と一緒に居てはいけない人だと思ってたんだ。わかってたのに…波が僕を、見つけてくれたから…波にずっと、甘えてた。ごめん。一緒に居てくれて…ありがとう」
僕はどうしてもそっちには行けないんだ。でも君は、どうか幸せに…
「私は、どこへでもいける。どんな場所でも、生きていける。誰とでもわかち合える。だから、どこへもいけない。息が苦しい、本当は誰の気持ちも、わからない…」
彼女が僕に告白してくれたあの夜、僕には彼女がとても弱そうに見えました。今の彼女もその時のように、いや、その時以上に、弱い人だと感じました。
「私、自分がないの。あっちに行ったりこっちに行ったり、気持ちも体も。いつまで?どこに終わりがあるの?終わりはくるの?ずっとそう思ってた。誰のことも信用してないくせに、誰かに助けを求めてた。誰にも本当のこと言わないのに、みんなに本当のこと言わせてた。何者でもない、どこにも居ない自分が、たまらなく嫌だった!ずっとずっと…」
少し声を荒げて、呼吸を整えると、彼女は消え入りそうな声で続けた。
「生きてるのか死んでるのか…わかんなくて…居ても居なくても変わらないのに、ずっと…苦しくて…存在の意味が欲しかったの」
僕はこの時、嬉しかった。彼女は自分の中の醜さを僕に見せてくれたのです。ああやはり、彼女は僕を人にしてくれるのです。僕の彼女のふりがなが決まりました。『心臓』です。なんて怖ろしいふりがなでしょう、しかしきっとあの篤だって今はそうだと納得するでしょう。
僕は彼女に応えることにしました。
「必要とされないのは怖い。完璧に1人でなんて、生きていけないだろうから。でも必要とされるのも怖い。期待に応えられなかったら捨てられるんじゃないかと怖ろしくなるから。」
僕がそう応えると、彼女は堪えることなく、泣いていました。僕は、続けました。
「大切なものが出来ると厄介だ。だから誰にも近付かない、心を寄せたりなんかしない。そうやって守ってきたのに、油断した。得体の知れないものが心の中に入ってきた。『大切』の仕方なんて、わからないのに…」
僕はそのまま黙りました。彼女は涙を拭いて、ブランコから降り、前に向かってゆっくり歩きながら新たに話を始めました。
「どうしてここに呼んだか、わかる?」
「…」
「哀しい場所だったから」
そう言うと、彼女は歩みを止めて僕の方を向き、更に言いました。
「哀しい場所だったから、大切な場所に変えたかったの」
僕はびっくりして、何も言葉が出てきませんでした。
「や…大切な場所に変わりはないけど、もっと、明るい気持ちで、この場所を心に置きたいの…だから、今日ここへ呼んだの」
「波、お前…」
「私、キレイゴトって素敵だと思うの。だって汚いよりいいじゃん。…でも、言わない。言葉にしたら、安っぽくなっちゃう気がするから…言わないの。」
彼女は心臓。僕を人にしてくれる、良くも悪くも、僕に与えてくれる人。
ここにきてようやくわかったのは、彼女にとって僕、彼氏は『居場所』であったということ。
しかし彼女はわかっていたことでしょう。僕は、とても危うい。今までも、そしてこれからも。
どこまでも自信がない、不完全で、不安定な、めんどくさい人間。
「僕はキレイゴトは嫌い。汚い言葉の方が信憑性があるから。」
「じゃあ慶は、私に汚い言葉ばかり言うの?」
「そんなことはないよ。僕は嘘が苦手だから、思ったことを言うよ」
「何か言って」
「ごめんなさい、一緒に居て下さい。僕は君を幸せにする自身がありません。自分にも自信がありません。弱さから君をまた傷付けるかもしれません。何も約束は出来ません。僕は日陰から出られない最低の人間です。こんな僕とどうか一緒に居て下さい」
「…はい、喜んで」
史上最低の愛の言葉に、彼女は応えてくれました。
結局僕は、変わったのか変わってないのか、良くなったのか悪くなったのか、わかりません。