一-2
城門で出迎えたのはターニャともう一人。法男に剣を渡した女性。
ターニャは泣きそうな怒ったような嬉しそうなほっとしたような複雑な顔で黒い服を抱え、法男を睨んでいた。
怒るべきか礼を言うべきか喜ぶべきか毅然とした態度をとるべきか、近づいて来る法男にどんな態度を取ったらいいのか決められない。が、隣の男に気がつき、そちらに声を掛けて結論を先延ばしにする事にした。
「お兄様、ご無事で」
「おう、ターニャ。敵はこちらのノリオ殿のおかげで撃退出来た。心配させたな」
「え……?ノリオ?」
その言葉にターニャは戸惑い、法男を見る。
「紹介したいのだが……何と言うか……」
ここまで歩いて来る間、質問者は法男でアトロスは答えていただけだった。まだ、法男には何も聞いていない。分かっているのは法男がこの国について、いや、この世界について何も知らないという事だけであった。
「あ、あの、この人は……」
ターニャもまた、何と言っていいやら分からない。
二人は続ける言葉を探す。
法男はそんな二人を黙って見ている。
何とも言い難い雰囲気に助け船を出したのはターニャの横に立っている女性だった。
「この方には来賓用の浴室を使って頂いたらよろしいのでしょうか?」
法男もアトロスも全身返り血にまみれていた。
「あ、ああアラミア。すまないがこちらの、ヨシオカ・ノリオ殿を浴室に案内してくれないか。ターニャ、私も体を流してくる。話は後で」
ターニャは頷いた。その間にどう説明するのか整理しておこう。そうだ、お父様にも報告しておかなければ。そして、この自分が召喚してしまった、自分を投げ飛ばした男に対する気持ちも整理しておこう。
「それでは、ノリオ様、こちらへ」
ノリオは頷き、アラミアの後に続く。ターニャの方には一瞥もしない。
ターニャはその背を法男の学生服をぎゅっと抱きしめながら見送った。
浴室は広々としていた。銭湯とまではいかないが旅館の家族風呂ぐらいはあったであろう。
体を洗い、浴槽に浸かると戦いでの疲れが取れていくように感じた。
普段よりもかなり長く浸かって堪能した後、湯船を出た。
脱衣場には鏡があった。法男が見慣れていた鏡よりかははっきりとは写らないものではあったが、十分にその役割を果たすものであった。
体を拭き終えた法男はその前に立つ。
「……」
ポマードは、無い。
いつもリーゼントに決められていた長い髪は収まり無く、たれ下がっている。
「…………」
髪を両手でかき上げ纏め、後頭部から垂らしてみる。
「………………」
ちょんまげ。
武士と名乗った自分にふさわしいような気がした。
角度を変えつつ自分の姿を確認していく。
悪くない。よし、これでいこう。髪をとめる物がいるなと思った時、扉が開いた。
「ノリオ様、お着替えをお持ちしました。少し小さいかもしれませんがサイズの合うものが用意出来るまでこれで我慢して頂けますか」
アラミアだった。今は目を伏せているが、さっき入ってきた時には目が合っている。
「……………………ありがとう、そこに置いておいてくれ」
手を離し、常人ならば耐えられないような気恥ずかしさを押し隠して法男は言った。
扉を開けるとアラミアが立っていた。
すでに心を落ち着かせ終わっていた法男は動揺しない。
「それではお部屋にご案内します」
アラミアの言葉に落ち着きはらって頷き、歩き出した背に続く。
「あの、」
アラミアが歩きながら振り向き声を掛けた。
「髪を止めるものをお持ちしましょ」
「いや、いい」
間髪入れないどころかうかに被せて法男は断る。それは法男の心のうちを顕わにする行為だった。体は巨大だとはいえ、法男は高校二年生。まだ少年と呼ばれるべき年齢だった。未熟だと誹るのは酷だろう。
しかし、それはアラミアを動揺させるものだった。
アラミアはすでにターニャから法男が出現した経緯を聞かされている。そして、帰還した兵士達から法男の鬼の如き戦いぶりも。法男はこの国にとって救世主となるに違いない存在だとアラミアは認識していた。
そんな大切な人を自分のせいで傷つけてしまったのかもしれない。怒らせてしまったのかもしれない。なんとか法男の機嫌を取らなければ。
歩きながら考える。
しかし、なんと言ってよいやら分からない。
――とてもよく似合ってましたよ。
――すっごく大きかったです!
――ムキムキでステキでした!!
思いつくどの言葉にも法男の機嫌を直させるような効果があるとは思えなかった。結局何も声を掛けられないまま部屋についてしまった。
「当面こちらの部屋をお使い下さい」
法男を部屋の中へと案内する。
「来客用の部屋ですので一通り必要なものはすでに揃っているとは思うのですが、何か欲しい物があれば私に申しつけ下さい」
法男は頷く。その表情には動揺も不機嫌さも現れていない。しかし、アラミアは不安なままだった。出て行くこともせず法男を見つめる。法男も何を言うでもなくアラミアを見る。
「あの、」
「うむ」
アラミアは勇気を出し、口を開いた。
「ノリオ様にもご自分の事情がお有りかとは思います。ですが今、この国は恐ろしい魔物に襲われ、滅びの危機に瀕しています。ノリオ様のお力が必要なのです!どうか、ご自分の世界にお帰りになる前に、この国にお力をお貸し下さい!」
「……」
法男はその言葉に思いもかけず面食らってしまった。帰る前? 帰る?
どうやって?
今の今まで浮かばなかった事柄だった。
何も言わない法男にアラミアの不安はさらに大きくなり言葉を続ける。
「わ、私に出来る事なら何でもしますから!」
そう言うとアラミアは自分の服に手をかけた。少年である法男にもその意味は分かる。法男はアラミアの顔をじっと見つめた。
いや、正確には視線をアラミアの顔に固定しながら意識はその下にあるはだけた胸元に集中していた。期待を込めながら。
アラミアも法男の視線を受け止め、潤んだ瞳で見つめ返す。実は一方通行だったのだが。
やがて、それ以上アラミアは動かないと悟った法男は諦めて口を開く。
「いいだろう」
「え?」
アラミアの目が輝く。
「この国を襲う脅威が去るまでは決して帰らないと約束しよう。俺に大した事ができるとは思えないがな」
「あ、ありがとうございます!」
アラミアは乱れた着衣を直しながら嬉しそうに言う。
「あ、あの、もうしばらくしたら会議がありますのでそれまではここでおくつろぎ下さい!あ、私、お茶をお持ちしますね!」
ぱたん! ぱたぱた……。
法男は閉まった扉を見つめながら考える。
帰りたくても帰り方が分からないという事を伝えといた方がいいだろうか?
法男は先ほどの一幕を思い返す。
……いや、やめておこう。
もしかしたら、さっきのような展開がまたあるかもしれない。
自分からせまるなんて出来ない少年の法男はそう考えた。
部屋の中には長細いテーブル。一番奥には初めて見る王冠をつけた壮年の男。その両隣にターニャとアトロス。そして、いかつい男やら老けた男やらが数人続く。その数人は戦場に出ていたいかつい顔のトレバン将軍を除いて皆一様に入室してきた法男を見て目を丸くする。
今はこの世界によくある服を身につけてはいるが、やはりその身長は初めて見る者を圧倒せずにはいられないようだった。ただ、ターニャを脅えさせたその凶悪な容貌は長い髪が目の下まで垂れ隠し、いくぶん和らいでいる。
一緒に入ってきたアラミアは入り口に一番近い席を法男に指し示し、一礼して退室した。
法男は座らず奥の人物を見る。
「事情と名前は既に聞かせてもらいました。ヨシオカ・ノリオ殿、座って下さい」
王冠をつけた最奥の男が法男に言葉を投げ掛ける。法男は言われるまま、会釈して席についた。
「私はこのサラティア王国の王、ポトロス。このターニャの親でありその行動を許可した者です。全ての責任は私にあります」
隣のターニャがビクリと肩を震わせた。法男は状況を理解した。
「不思議な事だったとは思うが俺の出来る事はさせてもらうつもりだ」
「感謝します」
ポトロスは微笑んだ。ターニャはほうっと息を吐く。
「我がサラティアの主たる戦力は魔法を使う部隊でした。しかし、攻めて来ている敵に魔法が効かない今の状況ではこちらのアトロス率いる親衛隊が一番の要となります。ノリオ殿には彼の部隊に所属して頂き、彼と行動を相談して決めて下さい」
「承知した」
法男はアトロスを見た。アトロスは微笑み、よろしく、とでも言うように会釈してきた。法男も表情を緩め、頷き返す。
ターニャはそんな二人を複雑そうな目で見ていた。
会議が終わった。
部屋を出る時、いかつい顔のトレバン将軍とアトロスに呼び止められ、次の日以降の打ち合わせが行われた。
「……と、いう事なので招集がかかるまでは自由にしてもらってかまわない。まずは剣と鎧を用意するといいだろう。明日、私かアラミアが案内しよう」
それでは、遅くまですまなかった。ゆっくり休んでくれ。と、言い残し二人も部屋を出ていった。入れ替わりにアラミアが入ってくる。法男はその後ろに小さな影を見つけた。ターニャだった。
「部屋への道は覚えている」
ターニャの方は見ず、アラミアに言う。
「それでは案内は不要という事で。それと、ターニャ様がお話が、との事なのですが」
法男はターニャを見る。
巨大な、具体的に言うと二〇六センチの法男の胸にも届かない小柄な身体。顔つきにはかなり幼さが残る。十七歳の法男から見ても子供という印象が強い。年頃の法男にとっては、既にあまり興味の無い相手だった。
一方、隣に立つアラミアは二十を超えているであろう。均整なプロポーション、品があり理知的な美しい顔立ち。なんとか自然さを装いながらお近づきになりたいと思わせる、清楚さと可愛らしさと色香を併せ持つ魅力的な大人の女性だった。
しかし、ターニャは自分を召喚し、自分が放り投げてしまったという強い関わりを持ってしまった女の子である。
「あ、あの……」
小さな声で話しかけてくるターニャになるべく柔らかく頷き、続きを促す。
「本当にすみませんでした」
法男は頷く。もう、すでにどうでもいい事ではあったが、この少女の気がすむのなら付き合おう。
「それで、あの、何か私に出来る事は無いでしょうか?」
法男は考える。別に自分にして欲しい事は無い。だが、この場を無難に乗り切らなくてはならない。隣に気を引きたい女性がいる。
「お前は魔法使いなのだろう」
この問いかけに意味は無い。ただの突破口である。
「は、はい……」
ターニャは苦し紛れの言葉だとは思わず殊勝に頷き、真摯に次の言葉を待つ。
「俺は剣士だ」
「はい」
ここに来てようやく法男にこの会話の着地点が見えた。
「ならば、お前には俺に出来る事なんて無いという事が分かるはずだ」
「え……?そ、それでは」
突き放すような言葉に動揺し、ターニャはすがるような声を出してしまう。
「だが、お前にはお前にしか出来ないこの国の為にするべき事があるはずだ」
「あっ……」
この人はさっきの会議中、自分の出来る事をすると言った。自分の役割を果たす、と。ならば私も私の役割を果たさなければならない。この国の王女として、この国の第一王位継承者として、この国最大の魔力を持つ魔法使いとして。それは何か? それはこの人に尋ねる事は出来ない。自分で見つけるしか無いだろう。
ターニャは法男の苦し紛れの適当な言葉に回答を見つけ、晴々とした表情になった。
「ありがとうございます!でも、もし、何か困った事があったら何でも言って下さいね!ぜったい力になりますから!それじゃ、おやすみなさい!」
少し頬を赤らめながら手を振り振りターニャは退室していった。
どうやら想像以上に上手くこの場を乗り切ったようだ。法男は残ったアラミアを見る。アラミアは感心したような、羨望の眼差しで法男を見つめていた。
法男は得意になり、期待を込めてアラミアが口を開くのを待つ。
「それでは、長い一日だったでしょう。ゆっくり寝所にてお休み下さいませ」
暖かく、優しく、気遣いに満ちた表情でそう言い、深々とおじぎをされ、法男は自分にあてがわれた部屋に戻るしかなかった。