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手編みのセーター➁

作者: 森本有介
掲載日:2026/06/07

亡き妻が編んでくれた一枚のセーターから始まる、小さな家族の物語です。

時を経て気づいた、親子それぞれの「母を想う気持ち」を綴りました。

その冬、彼女は一冊の本を抱えていた。


 表紙には若い男性が鮮やかな黄色のセーターを着て微笑んでいる。


「これ、どう?」


 彼女が開いたページには、同じ黄色のタートルネックセーターが載っていた。


 僕は首を振った。


「形は好きだけど、色がなぁ」


「何色がいい?」


「ロイヤルブルー」


 そう答えると、彼女は少し困った顔をした。


「難しそう」


 その予感は当たった。


 手芸店を何軒回っても、思うような色の極太毛糸は見つからなかった。


 駅前の店。


 商店街の店。


 隣町の店。


 休日になるたび二人で探し歩いた。


 それでも見つからない。


 最後には彼女が電話帳を広げ、毛糸の問屋を探し始めた。


 何本も電話をかけ、ようやく紹介された倉庫まで足を運んだ。


 結局、理想そのものの色はなかった。


 けれど、彼女は毛糸を手に取りながら言った。


「これなら近いんじゃない?」


 僕もそう思った。


 あの日の倉庫の匂いも、天井近くまで積まれた段ボールも、なぜだか今でも覚えている。


 毛糸を探しているだけなのに、宝探しをしているようだった。


 若かったのだと思う。


 そして幸せだったのだと思う。


 彼女は夜になると編み針を動かした。


 僕は大学の課題をしていた。


 机を挟んで向かい合い、言葉を交わさない時間も多かった。


 それでもカチ、カチ、と鳴る編み針の音が心地よかった。


 一か月だったか。


 二か月だったか。


 もう覚えていない。


 気がつくとセーターは完成していた。


 少しだけ形が歪んでいた。


 編み目もところどころ不揃いだった。


 でも、その不揃いさが妙に愛おしかった。


 大学へ着て行っても、誰も手編みだとは気付かなかった。


 僕だけが知っていた。


 その一目一目に、彼女が費やした時間が編み込まれていることを。


 そのセーターは十年近く着た。


 毛玉だらけになっても捨てられなかった。


 そして月日は流れた。


 遠い昔の話になった。


 彼女はもういない。


 息子が中学生になった頃のことだった。


 ある日、突然言った。


「パパ、編み物したい」


 思わず聞き返した。


「え?」


「手芸屋さん連れて行って」


 正直、驚いた。


 いや、驚いたというより戸惑った。


 男の子が編み物をする時代になっていたとはいえ、まだ珍しかった。


 学校でからかわれるかもしれない。


 いじめられるかもしれない。


 そんなことばかり頭に浮かんだ。


 だから僕は反対した。


 かなり強く。


 かなり頑固に。


 息子は何も言わなくなった。


 それきりだった。


 しばらくして気付いた。


 息子の机の引き出しに、彼女の編み針が残っていたことを。


 棒針も。


 かぎ針も。


 息子は時々それを取り出しては眺めていた。


 まるで母親の手に触れるように。


 あの時、息子が本当に欲しかったのは毛糸ではなかったのかもしれない。


 編み物でもなかったのかもしれない。


 もう会えない母親との、たった一本の細い糸。


 それを手繰り寄せたかっただけだったのかもしれない。


 あの時の自分の判断が正しかったのかどうか、今でも分からない。


 守ったのか。


 傷つけたのか。


 分からない。


 本当に分からない。


 ただ、もし今、息子が再び言ったら。


「編み物を始めたい」


 そう言ったら。


 僕は何も言わないだろう。


 見て見ぬふりをするだろう。


 そしてきっと、少し離れたところから見守る。


 彼女が残した編み針と。


 彼女が残した思い出と。


 そして、彼女につながる一本の糸を。


 息子が自分の手で編んでいくのを。

あの時の判断が正しかったのか、今でも答えは出ていません。

けれど、亡くなった人との絆は、案外こんな何気ない物の中に残り続けるのかもしれません。

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