手編みのセーター➁
亡き妻が編んでくれた一枚のセーターから始まる、小さな家族の物語です。
時を経て気づいた、親子それぞれの「母を想う気持ち」を綴りました。
その冬、彼女は一冊の本を抱えていた。
表紙には若い男性が鮮やかな黄色のセーターを着て微笑んでいる。
「これ、どう?」
彼女が開いたページには、同じ黄色のタートルネックセーターが載っていた。
僕は首を振った。
「形は好きだけど、色がなぁ」
「何色がいい?」
「ロイヤルブルー」
そう答えると、彼女は少し困った顔をした。
「難しそう」
その予感は当たった。
手芸店を何軒回っても、思うような色の極太毛糸は見つからなかった。
駅前の店。
商店街の店。
隣町の店。
休日になるたび二人で探し歩いた。
それでも見つからない。
最後には彼女が電話帳を広げ、毛糸の問屋を探し始めた。
何本も電話をかけ、ようやく紹介された倉庫まで足を運んだ。
結局、理想そのものの色はなかった。
けれど、彼女は毛糸を手に取りながら言った。
「これなら近いんじゃない?」
僕もそう思った。
あの日の倉庫の匂いも、天井近くまで積まれた段ボールも、なぜだか今でも覚えている。
毛糸を探しているだけなのに、宝探しをしているようだった。
若かったのだと思う。
そして幸せだったのだと思う。
彼女は夜になると編み針を動かした。
僕は大学の課題をしていた。
机を挟んで向かい合い、言葉を交わさない時間も多かった。
それでもカチ、カチ、と鳴る編み針の音が心地よかった。
一か月だったか。
二か月だったか。
もう覚えていない。
気がつくとセーターは完成していた。
少しだけ形が歪んでいた。
編み目もところどころ不揃いだった。
でも、その不揃いさが妙に愛おしかった。
大学へ着て行っても、誰も手編みだとは気付かなかった。
僕だけが知っていた。
その一目一目に、彼女が費やした時間が編み込まれていることを。
そのセーターは十年近く着た。
毛玉だらけになっても捨てられなかった。
そして月日は流れた。
遠い昔の話になった。
彼女はもういない。
息子が中学生になった頃のことだった。
ある日、突然言った。
「パパ、編み物したい」
思わず聞き返した。
「え?」
「手芸屋さん連れて行って」
正直、驚いた。
いや、驚いたというより戸惑った。
男の子が編み物をする時代になっていたとはいえ、まだ珍しかった。
学校でからかわれるかもしれない。
いじめられるかもしれない。
そんなことばかり頭に浮かんだ。
だから僕は反対した。
かなり強く。
かなり頑固に。
息子は何も言わなくなった。
それきりだった。
しばらくして気付いた。
息子の机の引き出しに、彼女の編み針が残っていたことを。
棒針も。
かぎ針も。
息子は時々それを取り出しては眺めていた。
まるで母親の手に触れるように。
あの時、息子が本当に欲しかったのは毛糸ではなかったのかもしれない。
編み物でもなかったのかもしれない。
もう会えない母親との、たった一本の細い糸。
それを手繰り寄せたかっただけだったのかもしれない。
あの時の自分の判断が正しかったのかどうか、今でも分からない。
守ったのか。
傷つけたのか。
分からない。
本当に分からない。
ただ、もし今、息子が再び言ったら。
「編み物を始めたい」
そう言ったら。
僕は何も言わないだろう。
見て見ぬふりをするだろう。
そしてきっと、少し離れたところから見守る。
彼女が残した編み針と。
彼女が残した思い出と。
そして、彼女につながる一本の糸を。
息子が自分の手で編んでいくのを。
あの時の判断が正しかったのか、今でも答えは出ていません。
けれど、亡くなった人との絆は、案外こんな何気ない物の中に残り続けるのかもしれません。




