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俺は勇者を信用しない 〜師匠から勇者パーティー対策マニュアルを叩き込まれた最強魔術師〜

作者: 御門
掲載日:2026/05/16

俺は勇者を信用しない。


それは、俺が疑り深いからではない。


師匠が、そう教えてくれたからだ。



「よいか、レルリ」


出発の朝。


師匠は、いつもより少しだけ背筋を伸ばしていた。曲がった腰を無理に伸ばし、杖を握り、俺の前に立っている。俺が子どもの頃から暮らしてきた家。その軋む扉の前で、師匠は言った。


「勇者を信用するな」


それは、いつもの教えだった。


けれど、その日の声は少し違った。冗談でも、説教でもない。もっと奥の方から、削り出すような声だった。


「勇者とは、笑顔で近づいてくる災厄じゃ」


「聖女とは、慈愛の顔で逃げ道を塞ぐ者じゃ」


「戦士とは、無言で肩を叩いた次の瞬間に骨格を破壊する者じゃ」


「……それは本当に戦士ですか?」


師匠は答えなかった。ただ、遠くを見た。俺はそれ以上、聞かなかった。




魔王復活の兆候が確認された。


百年前、人類を滅亡寸前まで追い込んだ魔王。その名が、再び大陸各地の神託に現れた。王都は新たな勇者パーティーを編成し、同時に、かつて魔王討伐に参加した者たちへの招集命令を出した。


師匠のもとにも、その書状が届いた。


元勇者パーティーの魔術師。王都は、まだ師匠をそう呼んでいた。


だが、師匠はもう高齢だ。最近は裏山へ薬草を取りに行くだけで、帰ってきたあと三日ほど「これは遠征じゃった」と言い張る。だから、弟子である俺が代わりに行くことになった。


本当は、師匠は行かせたくなかったのだと思う。


その証拠に、俺の荷物は前日から異常な量になっていた。解毒薬。解呪札。魔力回復薬。替えの靴。替えの靴の替え。そして、分厚い革張りの帳面。


表紙には、師匠の字でこう書かれていた。


――勇者パーティー対策マニュアル。


「全三百二十七項目ある」


「多くないですか」


「少ないくらいじゃ」


「少ないんですか」


「わしの経験をすべて書けば、千を超える」


俺は帳面を持ち上げた。重い。物理的にも、内容的にも。


「それと、これを着ていけ」


師匠は家の奥から、真っ黒なローブを持ってきた。フード付きの、足首まで隠れる長いローブ。光を吸うような黒だった。


「勇者パーティーでは、絶対に目立ってはならん。常にフードは深く被れ」


「食事の時も?」


「被れ」


「食べづらいのでは?」


「命よりは軽い」


……そこまでか。


俺はローブを受け取った。手にした瞬間、織り込まれた術式がわかった。体部分には全異常耐性。毒、麻痺、呪詛、精神干渉、魔力阻害。幾重にも防御系の加護が編み込まれている。そして、フード部分には認識阻害。被れば、顔立ちが曖昧に見える。輪郭も、目元も、髪色も。


「師匠、これ……かなり高位のローブでは?」


「餞別じゃ」


「受け取れません」


「受け取れ」


師匠の声が震えた。


俺は黙った。師匠は、俺の手にローブを押しつけた。


「お前は顔も目立つ。黒髪で、顔立ちが整っておる。そういう者は、それだけで揉め事に巻き込まれる」


「……顔立ちが、ですか」


「ある」と師匠は断言した。何かあったらしい。聞かない方がいい。




夜中、師匠の部屋から叫び声が聞こえることがある。


「いやじゃあああ! 勇者様、追加任務だけはぁああ!」


また別の日には「聖女様、その笑顔で予定を増やさないでくだされぇええ!」


さらに別の日には「戦士殿! 肩! 肩はやめてくだされ! 貴族の肩は外れやすいのですじゃああ!」


……何をされたんだ。


聞けるわけがなかった。師匠も、起きたあと決まって「夢じゃ」としか言わなかった。ただ、その時の師匠の手は、いつも少し震えていた。




「よいか、レルリ」


師匠は俺の両肩を掴んだ。骨ばった手だった。昔は、もっと大きく感じた手。俺を拾い、育て、魔術を教えてくれた手。


「お前は強い。わしより、ずっと強い」


「そんなことは」


「ある」


師匠は、俺の言葉を遮った。


「じゃが、強い者ほど狙われる。褒められても浮かれるな。頼られても出すぎるな。仲間だと言われても、心の全部を預けるな」


師匠の目が、少し濡れていた。


「わしは、お前に同じ目に遭ってほしゅうない」


同じ目。それが何なのか、師匠は詳しく語らない。


「師匠」


「何じゃ」


「必ず帰ってきます」


師匠は、しばらく黙っていた。そして、俺のフードをぐいと深く被せた。視界が少し狭くなる。


「帰ってくるだけでは足りん」


「はい」


「無事で帰ってこい」


「はい」


「心もじゃ」


「心も……」


俺は息を止めた。


師匠は、俺の胸を軽く叩いた。


「ここを、壊されて帰ってくるな」


俺はローブの前を握った。


「はい、師匠」


そうして俺は、山奥の家を出た。背中に感じる師匠の視線は、村道の曲がり角を過ぎても、まだ残っている気がした。



新たな勇者パーティーとの合流地点は、王都から少し離れた宿場だった。


俺は黒いローブを着て、フードを深く被り、宿場の端に立っていた。


正直、自分で見ても怪しい。怪しすぎる。だが、師匠の教えに間違いはないはずだ。目立ってはならない。怪しいことと目立つことは、似ているようで違う。


……違うはずだ。


「君がレルリか」


声をかけられた。


顔を上げる。そこにいたのは、勇者だった。明るい茶髪。澄んだ目。磨かれた鎧。腰に下げた剣。見るからに爽やかだった。


危険だ。


ケース一の一。――勇者が初対面で爽やかに握手を求めてきた場合。危険度、中。確認項目、握力による威圧、呪印転写、契約魔術、支配の首輪。


「俺はアレン。今回の勇者パーティーを任されている」


勇者アレンは、俺に手を差し出した。来た。俺は手を出すまでの〇・三秒で解析した。


《スキル分析》。呪印なし。毒なし。契約魔術なし。握力、常識的。手のひらに隠し針もなし。


「レルリです。よろしくお願いします」


俺は握手した。アレンは笑った。


「来てくれて助かった。君の師匠のことは、王都でも語られている。本当に優秀な方だったと」


師匠の名。俺は一瞬だけ身構えた。師匠を褒めて弟子を油断させる。ケース三の四。


しかし、アレンはすぐに頭を下げた。


「本来なら高齢の方を呼び出すべきじゃなかった。王都の判断が間違っていた。君にも、師匠にも申し訳ない」


俺は言葉に詰まった。


謝った。勇者が。招集命令について。謝った。


……師匠。


ケース三の四、挙動が想定と異なります。


「いえ。師匠の代理として、できることをします」


「頼もしいよ」とアレンは言ったあと、俺のフードを見た。普通なら怪しむ。外せと言うかもしれない。しかし、アレンは少し考えただけで頷いた。


「事情があるなら、無理に顔を見せなくていい」


何だ、その配慮は。


「……ただ」とアレンが少しだけ声のトーンを落とした。


「食事の時くらいは外してもいいぞ。食べにくいだろう、そのフード」


「大丈夫です」


「そうか」


アレンはどこか釈然としない顔をしたが、それ以上は言わなかった。


次に、聖女が近づいてきた。白い法衣。柔らかい声。穏やかな笑み。


「レルリ様ですね。私はミリアと申します」


ケース四の二。――聖女が丁寧に挨拶してくる場合。危険度、高。確認項目、慈愛を装った支配、弱みの把握、依存関係の構築。


「長旅でお疲れではありませんか? 顔色は……あ、フードで見えませんね」


ミリアは困ったように笑った。


「無理に見るつもりはないのですが、体調が悪ければすぐに言ってください。遠慮は命取りになりますから」


「大丈夫です」


「それならよかったです」


それだけだった。


踏み込んでこない。距離を守っている。師匠のマニュアルに照らせばむしろ優秀な警戒対象なのかもしれないが、実際に向き合うと、ただ礼儀正しい人にしか見えなかった。


俺は自分の判断を信用しないことにした。それが師匠の教えだ。


最後に、戦士が来た。


大きい。とにかく大きい。肩幅は俺の倍近い。背負った大盾は、もはや扉に見える。戦士は俺の前に立ち、無言で見下ろしてきた。


来た。ケース七の五。――戦士が無言で近づいてくる場合。危険度、極めて高。確認項目、威圧、殴打、肩叩きからの骨格破壊。


戦士はゆっくり口を開いた。


「ガルドだ」


「レルリです」


「荷物」


「え?」


「重いなら持つ」


俺は即座に断った。荷物を預けることは武装解除への第一歩だ。


「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」


「そうか」


ガルドは頷いた。そして、何も言わず俺の隣に移動した。


……何のためだ。側面からの拘束か。


違った。西日が俺に当たらない位置だった。日陰を作っている。意図的に。


師匠。


戦士が日陰を作っています。意味がわかりません。



こうして旅が始まった。


勇者アレン、聖女ミリア、戦士ガルド、そして魔術師の俺。四人で魔王復活の兆候を追う。


初日の午前中、俺はすでに混乱していた。


なぜなら、この三人があまりにも普通に善人だったからだ。街道沿いで車輪が外れた馬車を見つけると、ガルドは黙って荷台を持ち上げた。商人が泣きそうな顔で礼を言うと、アレンは「困った時はお互い様だ」と言った。ミリアは馬の脚まで治療した。報酬は受け取らなかった。


危険だ。徹底している。善人の演技としては、完成度が高すぎる。


昼前。小型の魔物を数体討伐したあと、アレンが水筒を差し出した。


「喉が渇いただろう」


俺は受け取るまでの〇・五秒で術式を走らせた。《スキル分析》。《解毒》。《解呪》。《精神干渉検査》。全て問題なし。ただの水だった。しかも少し冷えている。保存魔術までかけてある。


「ありがとう」と俺は言って飲んだ。


「そ、そうか。よかった」アレンは、なぜか嬉しそうだった。


……なぜ嬉しそうなんだ。


わからない。警戒継続。



その時だった。


遠くで、鐘の音が鳴った。一度。二度。三度。乱れている。警鐘だ。


街道の先、森の切れ目から、ひとりの男が転がるように走ってきた。「お、お助けください!」服は裂けている。腕から血が流れている。背後を何度も振り返りながら、こちらへ向かってくる。


傷口の形状を見た。爪ではない。錆びた刃物。ゴブリンか。


「すぐに治療します!」


ミリアが走った。迷いがない。男の前に膝をつき、傷に手をかざす。


「喋らないで。まず息を整えてください」


いつもの柔らかい声ではない。低く、強い。治療用の光が広がる。裂けた皮膚がふさがる。男の顔色に、生気が戻った。


「どう? 立てますか?」「は、はい……」「泣くのはあとです。何が起きたのか、短く言えますか?」


俺は少し驚いた。聖女ミリア。優しい。だが、甘くない。


「実は、この先の村がゴブリンに……今も残った者たちが応戦しています!」


アレンは即座に剣を抜いた。


「よし、任せておけ!」


声がまっすぐに響いた。


「皆、走るぞ!」


……待て。報酬交渉は?恩義の押しつけは?何もない。普通に走った。勇者が、普通に、人命救助へ走った。


アレンが走り出す。ミリアも続く。ガルドは村人の男を抱え上げ、安全な木陰に下ろしてから走った。


俺も走る。


走りながら、俺はフードの奥で息を整えた。


出すぎるな。目立つな。勇者の顔を潰すな。


師匠の声が頭の奥で響く。だが、森の切れ目から村の一部が見えてしまった。老人が鍬を構えている。その背後に、ゴブリンが回り込んでいた。子どもに、別の一体が近づいている。


普通に走れば、間に合わない。


俺はローブの袖の中で、指先だけを動かした。


《ホーミングファイア》三連。


火球は派手に飛ばない。ただ、森の向こうの空気が一瞬だけ歪んだ。三つの影が、それぞれ吹き飛ぶ。


よし。三人、生存。


それ以上は撃たない。撃てる。全部倒せる。だが、それは今ここでやることではない。俺はもう一度、袖の中で指を動かした。《ファイアーウォール》。村の広場と敵集団の間に、炎の壁を立てる。殺傷力は抑える。足止め用。


炎が村の中央を走った。



俺たちが村に着いた時、空は煙で少し暗くなっていた。


燃えている家屋は一つ。炎はまだ小さい。村人たちは広場の片側に集まり、その前にファイアーウォールが立っていた。炎の向こうで、ゴブリンたちが歯を剥いている。


「なんだ、あの炎は!」「魔物がこっちへ来られない!」「神の奇跡か!」


奇跡ではない。出力を抑えたファイアーウォールです。


アレンが村の入口で足を止めた。そのまま剣を掲げる。


「皆、聞け!」


悲鳴と鐘の音を裂くように、その声が通った。


「俺の名は勇者アレン!」


「勇者様……?」誰かが呟いた。「勇者が来てくれた……」「助かるのか……?」


震えていた空気が、少し変わった。泣いていた女が顔を上げる。腰を抜かしていた若者が、隣の男の肩を担ぐ。


アレンは剣の切っ先で井戸の方を指した。「動ける者は子どもを連れて井戸の方へ! 怪我人は聖女の前へ! 戦える者は柵の内側を守れ、前へ出るな!」


村が動き出した。


「アレン!」


ガルドが叫んだ。その瞬間、普段の寡黙さが完全に消えた。「右から二体。左の柵、もたない。ミリア、三歩下がれ。そこは投石が来る」


声が低く、速く、正確だった。


アレンが迷わず右へ動く。ミリアが負傷者の腕を引き、三歩下がる。


次の瞬間、さっきまでミリアがいた場所に石が落ちた。


……ガルド。


普段と別人すぎる。戦場の形が、見えている。


「了解!」アレンが炎の端から飛び込んだ。一体目のゴブリンが棍棒を振る。アレンは盾で受けず、半歩踏み込んだ。剣が走る。ゴブリンの腕から武器が落ちる。そのまま峰で首を打つ。殺し切らない。動きを止める。


「こっちを見るな!子どもを連れて走れ!」


アレンの声で、固まっていた若者が動いた。子どもを抱えて走る。別の村人が、倒れた女を引きずっていく。


強い。派手ではない。だが、誰を守るべきかを見ている。


「ここから先へは通さん!」


ガルドが大盾を地面に叩きつけた。鈍い音。盾の端が土に食い込む。ゴブリン二体が突っ込んでくる。それでもガルドは下がらない。


「右へ逃げろ。押すな。転ぶ」「一人ずつだ。走れ。振り返るな」


村人たちが従う。ガルドは盾を構えたまま、わずかに位置を変える。道を作っている。戦っているだけではない。逃げ道を守っている。


「聖女様、こっちも!」「順番です!」ミリアは負傷者の前に膝をついた。だが、ただ治すだけではなかった。「あなたは歩けますね。なら、その子の手を握って井戸へ」「そちらの方、布を押さえてください。強く」


優しい。だが、甘くない。命の順番を整えている。


俺は後方に立った。目立たない位置。黒いローブ。深いフード。


だが、事故は起きる。どれだけ勇者が声を張っても、どれだけ聖女が順番を整えても、どれだけ戦士が道を作っても、戦場ではほんの一歩のズレで人が死ぬ。


アレンの死角。右後方から迫るゴブリン。


《アースバンプ》。足元に小さな土の隆起を作る。ゴブリンが転倒する。


「助かる!」アレンが叫ばずに言った。


気づいたか。今はどうでもいい。ミリアへ飛んだ投石に《プロテクトフィルム》。石の軌道が、風に流されたように逸れる。ガルドの背後へ回り込んだ一体に《エアスラスト》。軽い風圧で体勢だけを崩す。


「むうん!」ガルドが盾を横に振った。敵が吹き飛ぶ。


……今のも見えていたのか。この戦士、ただの筋肉ではない。


俺は戦場の隅々を追いながら、同時に自分の指先を数えていた。


今何発撃った。何回介入した。


出すぎていないか。


わからなくなってきた。


村人が倒れる寸前を防いだのか、それとも本来勇者たちが自力で救えた場面に、余計な手を出したのか。境界線が曖昧になっている。


師匠のマニュアルにはこう書いてある。


――介入は最小限に留めよ。頼られる存在になることは、縛られることと同義じゃ。


だが今、目の前で子どもが泣いていた。泣いていて、俺には止められた。


俺はもう一度指を動かした。迷いながら。



最後のゴブリンが村の外へ逃げようとした時、アレンが追いかけた。しかし、その先には倒れた子どもがいた。アレンは一瞬で追撃をやめ、子どもの前に立った。ゴブリンが逃げる。逃がす判断。子どもを優先した。


俺は小さく指を動かした。《マッドバインド》。逃げようとしたゴブリンの足元だけを泥に変える。ガルドが追いつき、盾で地面へ押さえ込んだ。


「終わりだ」


戦闘が終わった。



歓声は、すぐには上がらなかった。まず、泣き声が聞こえた。誰かが祈る。誰かが抱き合う。誰かが勇者の名前を呼ぶ。


アレンは剣を下ろした。息は切れている。それでも、村人に向ける声は落ち着いていた。「まだ終わっていない! 怪我人の確認を続けてくれ! 火が回る前に、水を!」


俺は少し離れて立っていた。目立っていない。


村長らしき老人が、震える足でアレンの前に進み出た。「あ、あの……大したお礼はできませんが……」


「いりません」


アレンは即答した。「まずは怪我人の確認を。食料が足りないなら、俺たちの分を少し置いていきます」


村長は目を見開いた。


ミリアはまだ治療を続けている。ガルドは壊れた柵を直し始めている。誰も報酬の話をしない。誰も恩を着せない。


俺は胸元のマニュアルに触れた。


師匠のマニュアルが間違っているとは思わない。師匠の傷は本物だ。夜中に飛び起きる声も。昔を思い出して震える手も。勇者という言葉を聞いた時の、あの目も。


全部、本物だ。


だから俺は、この三人が「ただ善人に見える」という事実を、そのまま信用するつもりはない。


「レルリ」


アレンがこちらへ歩いてきた。俺は即座に魔力を抑えた。《痕跡遮断》。《魔力偽装》。フード位置確認。


「はい」


「ありがとう」


俺は動きを止めた。


「何のことでしょう」


「わからない」


「わからないのに礼を?」


「ああ」アレンは困ったように笑った。「でも、不思議と今日は全部少しだけ間に合った気がする。君が後ろにいてくれると、安心するんだ」


危険だ。


これは危険だ。気づいているのか、気づいていないのか、どちらかわからない。どちらかわからない方が、怖い。


「俺は何もしていません」


「そうか」


アレンは、それ以上追及しなかった。ただ、俺のフードを見た。覗き込むでもなく、視線を戻した。


「これからもよろしく頼むよ、レルリ」


よろしく。


その言葉に、俺はすぐ答えられなかった。師匠のマニュアルに従えば、これは警戒対象だ。ケース一の九。仲間意識を自然に示してくる。危険度、高。


でも今、口から出かけたのは別の言葉だった。


「……できる範囲で」


俺は慎重に答えた。


「それで十分だ」とアレンは笑った。


後ろでは、ミリアが村の子どもに水を飲ませていた。ガルドは壊れた柵を無言で直していた。戦闘中はあれほど喋っていたのに、終わるとまた無口に戻っている。


風が吹いた。フードが少し揺れる。俺は慌てて押さえた。


顔は見せない。目立たない。信用しない。


それが師匠との約束だ。


俺は勇者を信用しない。師匠が、そう教えてくれたからだ。


そして俺は今日、戦場で何度か迷った。迷いながら指を動かした。あれは正しかったのか、それとも師匠の言う「出すぎた」に該当するのか。


まだわからない。


初日が終わろうとしている。


煙の匂いが残る村の空に、夕陽が落ちていく。俺はそれを、フードの隙間から見た。師匠が今頃、何を考えているか、少しだけ想像した。


それから想像をやめた。


感傷は油断の入り口だ。


俺は帳面を取り出し、今日の記録を書き込んだ。


ケース一の一、発動。→ 呪印等なし。ただし油断不可。


ケース三の四、発動。→ 謝罪で終了。想定と異なる。要観察。


ケース十五の三、発動せず。


ケース十五の四、発動せず。


戦闘中の介入回数、七。規定の上限は五。


超過理由……


俺はそこで、ペンを止めた。


超過理由。


何と書けばいい。


しばらく、白いページを見ていた。


やがて、俺は短く書いた。


――判断に迷いあり。要再考。


それだけ書いて、帳面を閉じた。


師匠。


三百二十七項目の中には、「迷った時の対処法」が書かれていない。


次の野営地を目指して、俺は歩き始めた。

お読みいただきありがとうございます。

反応を見ながら、続きも検討しています。

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他の三人も対策マニュアル作ってたりして(たとえ予測可能でも回避不可能な笑いを期待できるネタ)
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