第七章 春
寒さが和らぎ、桜がちらほらと咲き始めた頃。
最近、どうにも気持ちが落ち込みやすい。
春はそういう季節だと、どこかで聞いたことがある。
けれど、これまではそんなことを感じたことはなかった。
季節ひとつで、ここまで心が揺れるものなのか――
そう思わずにはいられなかった。
気づけば、考えているのはいつも家族のことだ。
何気ない日常を過ごしていても、
ふと桜が目に入るだけで、胸が締めつけられる。
桜は、節目の花だ。
入学式、卒業式、家族で過ごした春の日々――
思い返せば、大切な時間のそばには、いつも桜があった。
あの頃は、ただ綺麗だと感じていた。
桜を見るだけで、心が明るくなった。
それなのに今は、違う。
桜を見るたびに、思い出してしまう。
戻らない時間と、失ったものを。
胸の奥が、静かに痛む。
そして気づけば――
泣きそうになっている。
辛い。
桜だけじゃない。
暖かくなって、冬が終わっていくその感覚そのものが苦しい。
周りの季節は、確かに進んでいる。
少しずつ、確実に、春へと向かっている。
けれど――
僕の時間だけが、あの日から止まったままだ。
冬は、良かった。
寒い季節は、ただ耐え忍ぶための季節だった。
凍えるような空気の中で、
余計なことを考えずに済んだ。
ただ必死に、前を向こうとしていられた。
だからだろうか。
あの頃のほうが、まだ強くいられた気がする。
しかし、どうだろう。
暖かい風が吹き始めると、
心まで緩んでしまう。
今まで押し殺してきた感情が、
行き場を失った想いが、
少しずつ、溢れ出してくる。
抑えきれないほどに――
胸の奥から、込み上げてくる。
四月は、一番下の娘の誕生日だ。
今回の誕生日で、五歳になる。
本当なら――
ケーキを買って、プレゼントを用意して、
家族で笑いながら、楽しい時間を過ごしていたはずだった。
けれど、その当たり前は、もうない。
娘とは、たった五年しか一緒にいられなかった。
五年――
言葉にすれば短いが、僕にとってはすべてだった。
それでも、足りない。
あまりにも、短すぎる。
もっと思い出を作りたかった。
もっとそばにいて、父親でいたかった。
小さな手を引いて歩いた日々。
無邪気に笑いかけてくれた顔。
「お父さん」と呼んでくれたあの声――
今も、はっきりと思い出せる。
娘は、よく懐いてくれていたと思う。
だからこそ、怖い。
次に会えたとき――
同じように笑ってくれるだろうか。
また、「お父さん」と呼んでくれるだろうか。
この離れている時間の中で、
僕のことを、嫌いになってしまっていないだろうか。
そんなことばかり考えてしまう。
どうしようもなく、不安になる。
会いたい。
ただ、それだけなのに――
それすら叶わない。




