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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第2部:反逆の狼煙は西側に上がる
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第40話:一騎打ち、陽炎の歩法、パンツは将軍を封殺する

「──参る!」


 静止した大気を切り裂き、マクシミリアンの咆哮が荒野に叩きつけられた。

 身の丈ほどもある大剣が、猛烈な旋回を伴ってオルコットの脳門へと振り下ろされる。

 迎え撃つオルコットの古剣。

 衝突の瞬間、鉄と鉄が噛み合う耳を劈くような金属音が、円陣を組む数千の兵たちの鼓膜を震わせた。

 火花が夜の訪れを先取るように散り、衝撃波が足元の砂塵を一気に外周へと押し流す。


 一撃。また一撃。

 それは技術の応酬というよりは、互いの魂を削り合う破壊の儀式であった。

 並の鋼であれば、初太刀で粉々に砕け散っていたであろう。

 しかし、二人の巨頭が振るう刃は、凄まじい質量と速度を伴いながらも、互いの存在を否定するように衝突を繰り返す。

 マクシミリアンの踏み込みは鋭く、大地を穿つ軍靴の音が不気味なリズムを刻んでいた。

 次第に、大気の震えがその密度を増していく。


 数合、あるいは数十合。

 観る者の時間感覚を狂わせる激闘の中、天秤がわずかに傾き始めた。

 若き獅子の如き連撃が、老いた巨木の根を断たんとする。

 マクシミリアンの刃は、防御に徹し始めたオルコットの円を強引にこじ開け、その領域を浸食しつつあった。


「……父上」


 陣列から見守るガレルの唇から、渇いた戦慄を孕んだ独白が漏れた。

 握りしめた拳が、その指の震えを隠すように白く染まっている。

 視界の先、かつて不落の城壁と信じていた父の背が、激しい剣風に煽られ、一歩、また一歩と後退を余儀なくされていた。


 マクシミリアンの攻めは、慈悲を挟む隙間など、その鋭利な剣閃のどこにも存在しない。

 狙いは、オルコットの四肢。

 分厚い胸甲を穿つよりも先に、剣を支え、地を踏みしめるその可動部を奪い去る。

 装甲の継ぎ目、鎖帷子が覗く肘の裏、膝の裏。

 正確無比な一刺しが、オルコットの肌を裂き、古びた軍服を鮮血で赤黒く染めていく。

 滴る血が乾いた土に吸い込まれるたび、老将の生命が削り取られていくのが、誰の目にも明らかであった。


 窮地。

 絶体絶命の淵に立たされながらも、オルコットの口元には、奇妙な歪みが刻まれていた。

 それは、死を目前にした者の諦念か。

 あるいは、至高の武を突きつけられた悦びに、眠れる本能が目覚めた証か。

 裂けた頬から伝う血を拭うこともせず、その隻眼には、戦場を統べる者特有の、底知れぬ静謐が宿っている。


 決着の予感は、雷光の如く訪れた。

 マクシミリアンが放った鋭い刺突が、オルコットの防御を紙一重で貫く。

 鈍い音と共に、白髪を覆っていた兜が弾け飛んだ。

 剥き出しになった額から鮮血が噴き出し、視界を赤く染める。

 オルコットの巨躯が、その衝撃に耐えかねて大きく仰け反った。


 勝負あり。

 兵たちが息を呑み、勝利の歓声が上がる寸前。

 仰け反ったはずの老将の瞳は、一点の曇りもなくマクシミリアンを射抜いたままだった。


「そこだ」


 立会人の位置で微動だにせず戦況を見守っていたアルベルトが、短く、確信を込めて吐き捨てた。


 オルコットが仰け反った体を無理やり引き起こし、右前方に踏み込もうと地を蹴る。

 対するマクシミリアンは、突きを出し切って腕が伸び切った無防備な状態。

 その隙を突かんと、剣を引くより早く懐へ潜り込もうとする老将の勢いに、周囲の誰もが息を呑んだ。


 だが、右前方に踏み込もうとしたはずのオルコットが、即座に左前方へと鋭く体重を移動させる。

 右への初動はフェイント。狙いは左。

 対峙するマクシミリアン、そして見守る兵たちの目にも、オルコットの巨躯が左へと流れる様が克明に映り込んだ。


 しかし、オルコットはそこにはいない。

 必死に剣を引き戻し、防御の構えを取ったマクシミリアンの視界から、あるはずの老将の姿が唐突に掻き消えた。


 ──『陽炎の歩法』。


 実際には、オルコットはどこにも踏み込んではいなかった。

 視線の誘導と上半身の傾き、その僅かな予備動作の残響だけで、己の居場所を相手の脳に錯覚させる。

 マクシミリアンの瞳が実体のない「左」を追わされた刹那。

 右中段に据えられたオルコットの剣が、死角から重厚な弧を描いて横薙ぎに振るわれた。

 その断罪の軌道は、防ぐ術を持たぬ将の首を、確実に捉えている。


 オルコットの腕には、勝利を確信した重みが乗っていた。

 この一瞬のために、身体を切り刻ませ、血を流し、機が熟すのを待ち続けた。

 流れる時間が凍りついたかのように引き延ばされ、自分の振る刃が、獲物の肉へと届く様が、奇妙なほど鮮明に脳裏を流れる。

 早く、より早く。

 鉄の意思を乗せた一振りが、首の皮一枚の境界へと迫る。


 鈍い、肉を断つ不快な感触が手に伝わった。

 しかし。

 オルコットの隻眼に映ったのは、断たれた首ではなく、斬撃の軌道に無理やり捩じ込まれたマクシミリアンの左腕であった。


 凄まじい火花と共に、左腕の重装甲が砕け散る。

 肘から二の腕にかけて、大剣が深々と肉を削ぎ、骨に達する手応え。

 しかし、マクシミリアンはその激痛を一切無視し、半ば千切れかけた腕を盾にして稼いだ刹那に、右手の大剣を振り抜いた。


 衝突。

 引き戻されたマクシミリアンの剣が、オルコットの左肩口に正面から叩きつけられる。

 装甲がひしゃげ、刃が鎖帷子ごと肉を噛む。

 両者の渾身の力が激突し、爆発的な衝撃によって二つの巨影は互いに弾き飛ばされた。


 オルコットが、片膝をついて砂塵の中に沈む。

 肺から逆流した血が口端から溢れ、呼吸は荒く、立ち上がろうとする足が泥濘に嵌まったかのように震えていた。


「……良い、もう動くな。私はもう剣を握れん。私の負けだ」


 マクシミリアンは、静かに右手の剣を地に落とした。

 先ほどの一撃で、右手の腱か筋、あるいは両方が限界を迎えたのであろう。

 そして、だらりと力なく垂れ下がった左腕からは、溢れ出す鮮血が止まることを知らず、砂を赤く染め上げている。

 その顔は青白く引き攣りながらも、どこか憑き物が落ちたような、晴れやかな空気を纏っていた。


 オルコットは、支えを失ったかのようにそのまま地べたに尻もちをついた。

 肩の傷は深く、もはや得物を持ち上げる力すら残っていない。


「……引き分け、かの?」


 喘ぎながら、オルコットが掠れた声で問うた。

 戦場に似つかわしくない、どこか穏やかな響き。


「内容的には私の負けだったな。……あの状況で防御が間に合ったのは、ただの偶然に過ぎん」


 マクシミリアンはよろりと足を踏み出し、老将の傍らに崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。

 互いに、立って虚勢を張る体力すら残されていない。

 噴き出す汗と血、混じり合う砂塵。

 どちらが勝ったか、どちらが負けたか。

 そんな命題が塵芥に思えるほど、二人の間には、濃密な戦いの残滓が漂っていた。


「ふ……はは……。この歳になって、これほどまでに、死の淵を覗き込むことになるとはな」


「……こちらこそ。……『剣鬼』の名は、伊達ではなかった」


 どちらからともなく、乾いた笑いが漏れた。

 最初は掠れた吐息のようであったそれが、次第に腹の底からの哄笑へと変わっていく。

 数千の兵たちが沈黙して見守る中、荒野のど真ん中で、手負いの将二人が声を上げて笑い合う。

 それは、全ての計略や損得を越えた、武人たちだけに許された至高の対話であった。


     ──────


 静寂が戻った荒野に、軍靴の足音が重く響く。

 『海鳥』の娘たちが担ぐ担架に横たえられ、血にまみれた二人の巨頭が西側連合の天幕へと運ばれていく。

 戦場を支配していた張り詰めた空気は、今や鉄と血の匂い、そして言いようのない安堵に取って代わられていた。


「『海鳥』! 両者の治療を最優先せよ! メリー君、やれるか!?」


 本陣前で待ち構えていたバルカスの怒号が飛ぶ。

 その呼びかけに応じ、一人の少女が天幕から飛び出してきた。

 メリーは、運ばれてきた両将の傷口に鋭い視線を走らせるなり、間髪入れずに命じた。


「鎧を脱がせて! 患部を洗浄! 急ぎなさい!」


 手際よく、しかし容赦なく、二人の英雄から鋼の装甲が剥ぎ取られていく。

 歪んだ胸甲が引き剥がされ、露出した傷口に冷水が浴びせられた。


 オルコットの左肩――。

 内臓への致命傷こそ免れているものの、鎖骨は無惨に砕け、抉れた肉からは絶え間なく生温かい血が噴き出している。


「痛いわよ! 歯を食いしばりなさい!」


 メリーがその右手をオルコットの傷口へとかざした。

 発動したのは、癒やしという概念を冒涜するかのような、不気味な蒼紫の炎。

 それは慈悲など欠片もない、切断面を無理やり焼き固める「溶接」であった。


「……ぐ、ぐっ。……メリーちゃん、もう少し……優しくできんか……」


 ジジジ、と肉が焼ける異様な音と、鼻を突く焦げた匂いが立ち込める。

 オルコットの巨躯が痙攣するように跳ねるが、メリーの手は寸分も揺るがない。


「塞がったわよ。無理やり繋ぎ合わせただけだから、少しでも無茶をすれば弾けるわ。あとは『海鳥』に任せる。他の小傷は……自力で治しなさい」


 メリーは額の汗を拭うこともせず、返答を待たずに隣の担架へと視線を移した。


「了解ッス。姐さん、あとは引き受けるッス!」


 『海鳥』の赤毛が威勢よく応じる。

 オルコットの肩を乱暴に塞ぎ終えたメリーは、そのまま隣のマクシミリアンへと視線を向けた。


「さて、そちらは治療を受ける気はある? 多分、想像しているより数倍痛いわよ」


 死地を潜り抜けてきたマクシミリアンが、その禍々しいメリーの笑顔に気圧されたように目を伏せた。


「治療……? 私は敗軍の将だ。……当然、このまま首を落とされるものと思っていたが」


「あら、首を落として欲しいの? いいわよ」


 メリーはにっこりと、花が咲くような笑顔を向けた。

 刹那、その右手から蒼紫の炎が伸び、鋭利な刃の形を成す。

 天幕内の温度が急上昇し、殺気がマクシミリアンの肌を灼く。


「姐さん! 相手は怪我人ッスよ! 優しくしてあげてもバチは当たらないと思うッス!」


 赤毛の制止に、メリーは露骨に不機嫌そうな顔をした。


「……ちっ」


 炎の剣を消し、舌打ちと共にメリーがマクシミリアンの千切れかけた左腕を掴み上げる。

 

「──ッ!! ぐ、ぐあぁぁぁあッ!!」


 周囲を震撼させる絶叫。

 骨と肉が焼かれ、接合される激痛に、王国軍最強の将が惨めにのたうち回る。


「うるさいッス! 静かにするッス! これでも噛んで耐えるッスよ!」


 赤毛の娘が、どこからか取り出したピンク色の布を丸め、叫び続けるマクシミリアンの口へと力任せに押し込んだ。

 有無を言わせぬ処置。

 さらに激しさを増すメリーの「治療」が、将軍の左腕を強制的に修復していく。


「くっ付いたわよ。もげないように固定しておきなさい」


 メリーが手を離すと同時に、マクシミリアンは全身の力を失い、荒い呼吸を繰り返しながら口の中の布を吐き出した。


「……ぐっ。……か、感謝……する……」


 激痛を伴う治療への礼を口にしながら、マクシミリアンは何気なくその布を手に取り、広げた。

 瞬間――思考が凍りついた。


 手の中にあったのは、淡いピンクの生地に、蒼紫の薔薇模様が艶めかしくあしらわれた──紛れもない、女性用の下着、パンツであった。


「……う、うわぁぁあああッ!?」


 先程の激痛による叫びとは質の違う、情けない悲鳴を上げてマクシミリアンがその布を手放す。


「あー! 見て! この男、女の子のパンツを咥えてたわ!」


「変態? 変態さんですか?」


 『海鳥』の娘たちが次々と指を差し、冷ややかな、あるいは憐れむような視線を投げかける。


「ちょっと! 誰よ、そんなもの出してきたのは!」


 メリーの怒声が響く。


「あたしじゃないッス!」


「あんたが咥えさせたんでしょ? これ、一体誰のパンツなのよ!」


「ああっ! 私の予備のパンツが無くなってます! 酷いです!」


「ちがっ、違う! 誤解だ!」


 嘆く娘、糾弾するメリー、そして顔を真っ赤にして絶句するマクシミリアン。

 

 西と中央、二つの最強が魂をぶつけ合った伝説の一騎打ち。

 一つの時代が終わりを告げ、新たな歴史が刻まれるはずだったその厳粛な瞬間の余韻は、宙を舞うピンクの布によって、修復不可能なほどに塗りつぶされていた。


     ──────


 砂塵に塗れた作戦本部には、西側諸侯とマクシミリアン将軍、そしてその副官たちが顔を揃えていた。

 つい先刻まで殺し合っていた者たちが同じ天幕に集うその空間には、重苦しい沈黙と、どこか奇妙な虚脱感が同居している。


「ブラッドレイ子爵。決着はついた。……沙汰を下せ」


 左腕を固定されたマクシミリアンが、静かに、しかし覚悟の据わった声で告げた。

 その視線を受けるバルカスは、一度深く頷き、周囲を見渡してから口を開く。


「承知した。……将軍、貴殿をこのまま王都へ帰すわけにはいかない。……捕虜となってもらう」


「従おう」


 マクシミリアンに異存はなかった。捕虜という身分は、敗軍の将として当然の帰結である。


「『黒鉄』の兵たちは王都に帰す。道中のアイゼンハイド家で補給を受けろ。我々が追撃を仕掛けることはないと約束しよう」


「……感謝する。私がいなくなれば『黒鉄』は解散だ。王国軍に組み込まれるか、そのまま退役するか。私には見届けることはできん」


 一時代を築いた最強の師団の終焉。

 その言葉にマクシミリアンの副官たちが沈痛な面持ちを浮かべる中、バルカスは実務的な話題へと移った。


「将軍の身柄は、オルコット辺境伯領で預かることにする。……異存ありませんな? 辺境伯」


「ウチで!? 嫌に決まっとろうが!」


 即座に、オルコットが地鳴りのような拒絶の声を上げた。

 肩の治療痕を気にしながら、不機嫌そうに隻眼を剥く。


「なぜこのような厄介極まりない男を、当家で受け入れねばならんのじゃ。ダルトン! お主のところで受け入れろ!」


「ええ!? 私のところで、ですか!? こんな、アイゼンハイド侯爵家と目と鼻の先で将軍を預かる? 勘弁してください!」


 責任の押し付け合い。

 最強の武人たちの威厳は、捕虜の「管理」という面倒な現実を前にして、急速に霧散していく。


「──あの。要らないんだったら、僕が貰っていいですか?」


 ひょいと手を挙げたのは、ベルンだった。

 その場にいた全員の視線が、場違いなほど軽いトーンで発言した若者へと集中する。


「ベルン!?」

「ベルン君!?」


 メリーとバルカスが同時に叫んだ。


「ちょっとやりたい事業があるんですよ。ちょうど、調査のために腕の立つ護衛が欲しいと思っていたところなんです」


「……何をやる気だ、ベルン君」


 バルカスが怪訝そうに眉をひそめる。

 ベルンは机上の地図を指差し、淀みなく続けた。


「辺境伯領のさらに北。旧ノルトヴァルト侯爵の領地がありますよね。あそこを遊ばせておくのは、もったいないと思っていたんです」


「あそこには廃墟と荒地しかないぞ?」


 オルコットが鼻で笑うが、ベルンは動じない。


「行ってみないと分からないじゃないですか。もしかしたらまだ人が住んでいるかもしれない。どちらにせよ、この西側に遊ばせておく無駄な土地なんてありませんよ。開拓しましょう。……あ、将軍はそのまま『ノルトヴァルト侯爵』を名乗ってはどうですか?」


 王国の将軍から、廃墟の地の侯爵へ。

 あまりにも極端な提案に、天幕内を困惑が支配する。

 しかしバルカスは、ベルンの瞳の奥にある計算を感じ取った。


「……いいだろう。まずは下見だ。その後、計画と予算を出せ」


「やだなぁ、ブラッドレイ子爵。あなたも行くんですよ? こんな一領地レベルを超えた計画、僕一人で決められるわけないじゃないですか」


 バルカスは額を押さえ、深々と溜息をついた。

 しかし、ベルンの瞳に冗談の気配がないことを悟ると、重い腰を上げるようにしてマクシミリアンへと視線を向けた。


「……将軍、来てくれますよね?」


 西側連合の総帥ともあろう者が、捕虜に対してどこか縋るような、情けない響きを伴った確認。

 マクシミリアンは、目の前で繰り広げられる「最強の武人」たちのあまりに世俗的で切実なやり取りを、呆然と見つめていた。


「……元『黒鉄』から、何人か連れて行こうか?」


「……助かります。お願いします」


 バルカスが深々と溜息をつき、天を仰いだ。


 天幕内は、先程までの死闘の余韻など微塵も残っていなかった。


「……西の辺境の最北端ノルトヴァルトか。……面白いじゃないか」


 マクシミリアンが呟いた。

 その声には、もはや中央への忠誠も、敗北の屈辱も混じってはいない。

 

 この戦いの真の勝者は、盤面を整えたものでも、剣を振るった者でもなかった。

 王国最強の軍勢すらも、ただの開拓要員として手際よく仕分けしてみせた、この商人であった。

 

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