第38話:宣戦布告、砂塵を刻む三騎、3秒で敷物になるメリー
「子爵、お主のおかげでこうやって将軍と戦える。よくやった」
ダルトン子爵領、決戦の平原。
夜の帳が下り、荒涼とした大地を無数の焚き火が照らし出している。
爆ぜる薪の音が、張り詰めた静寂を時折破るものの、兵士たちの話し声はどこか遠く、低い唸りのように響いていた。
決戦を目前に控えた軍特有の、重く、それでいて昂揚を含んだ空気が支配している。
その本陣中央、一際大きく燃え上がる炎を囲み、オルコットが、なみなみと注がれた酒杯を差し出していた。
揺らめく炎が、その武骨な顔に深い陰影を落としている。
情報組織『海鳥』からの報告によれば、将軍の率いる本隊はあと一日でこの地に到達するという。
決戦は明日の夜か、あるいはその翌朝か。
いずれにせよ、猶予は少ない。
「ここまでの状況を作り出すとはな。お主を見くびっておったわ」
オルコットが感嘆の息を漏らす。
正面からの激突を避け続け、敵の戦力を削ぎ、最後に自らの望む戦場へと引きずり込む。
それは、武人であるオルコットの発想にはない、老獪な盤面操作であった。
「見くびらないで欲しい、と、あの時言ったはずですが」
バルカスは杯を受け取り、軽く口端を吊り上げる。
喉を鳴らして酒をあおるその仕草には、大仕事を成し遂げた男の自負が滲んでいた。
「手段は褒められたものじゃないですけどね。軍艦による奇襲、貴族の屋敷を強襲して暴力による拉致。これが貴族のやり方か」
ランツェベルクが、呆れと感心が入り混じった声で茶化す。
彼の手には、戦場には不釣り合いなほど上等なワイングラスが握られていた。
「言うな。ランツェベルク領はその通りだが、ダルトン子爵については想定外の事態だったと認識しているだろう」
バルカスが顔をしかめ、少しだけ視線を逸らす。
当初の計画にはなかった強硬手段。
不可抗力であったとはいえ、貴族らしからぬ荒事を用いたという自覚が、彼にバツの悪さを感じさせているようだった。
「こんなに早く将軍との決戦になるとは考えていなかった。だが、それを責める気はない。俺もこの状況を作ってくれたことに感謝している」
アルベルトが静かに言葉を継ぐ。
その瞳は、炎の向こうにある闇を見据えていた。
「良かったですね、ブラッドレイ子爵。メリーさんに怒られずに済みそうです」
ベルンが焚き火に枝をくべながら、軽口を叩いた。
その隣で、小さな影が動く。
「別に怒らないわよ。バルカスが自分で考えた結果でしょ? 私に相談しなかったのは、ギルガルド領のことに集中させてくれた、配慮してくれたのだと思っているわ」
メリーが視線を上げる。
「そう言ってもらえると救われる」
バルカスが安堵の息をつく。
その様子を、興味深そうに眺める者がいた。
「ところで、この子は何だい?」
ヴァレリアである。
彼女は片膝を立てて座り、行儀悪く酒瓶を直飲みしていた。
野性味あふれるその風貌は、戦場という場所に誰よりも馴染んでいる。
「簡単に言うと、メリュジーヌ・ギルガルド伯爵だ」
ヴァレリアが目を丸くする。
彼女の常識において、領主とは武力を誇示する存在であり、このような愛らしい少女がその座にあるとは想像もつかなかったのだろう。
「この子が? 何で戦場に子供がいるのかと不思議に思っていたが、そういう事かい。私はヴァレリア・ヴォルフスブルク。騎士爵だ」
「メリュジーヌ・ギルガルドよ。伯爵は暫定的なもの。後任が決まればすぐにでも明け渡すわ」
メリーは視線を動かさず、起伏のない響きだけを返す。
ヴァレリアは、その一点の迷いも含まぬ即答を受け、探るように眉間に皺を寄せた。
「お主の領にも入ってきておるじゃろう。メリーちゃん印の食料は」
オルコットが助け舟を出すように口を挟む。
「あのイラストがこの子かい? 言われてみれば特徴をよく捉えているな。あの食料には助けられている。感謝する」
ヴァレリアが納得したように頷き、頭を下げる。
確かに、南より運び込まれた糧食の袋には、その少女の姿が刻まれていた。
眼前の実像と記憶にある印を照らし合わせ、ヴァレリアの強張っていた頬がわずかに緩む。
「アルベルト様の掲げる蒼紫の薔薇の旗も、メリー様を象った物であります」
ジャックが誇らしげに胸を張る。
だが、当の本人は不快そうに顔をしかめた。
「許可してないわよ。あの悪趣味な旗の元に命をかける兵士たちってどうなのよ」
「ますますわからないね。何者なんだい? この子は」
ヴァレリアが笑い声をあげる。
ただの子供でもなければ、ただの飾り物の領主でもない。
その異質な存在感に、彼女の戦士としての勘が反応していた。
「山の中で俺を拾い、西に足がかりを築き、ここまで連れてきてくれた。それがメリーだ」
アルベルトが言葉を置くと、焚き火の爆ぜる音だけが周囲を支配した。
彼は杯を置き、一点の揺らぎもない視線をヴァレリアへ向ける。
「伯爵の肩書なんぞ関係ない。すべてはメリーちゃんの作った流れ、その結果が今のこの西側なんじゃ」
オルコットもまた、深く頷く。
ここにいる誰もが知っている。
この巨大なうねりの中心にいるのが、この小さな少女であることを。
「まあ、大体わかったよ。見た目通りの子供じゃないってんだろ? 女傑であるなら大歓迎だ。あたしのところは代々女領主だからね」
ヴァレリアがニカっと笑い、白い歯を見せる。
理屈ではなく、肌で相手の本質を理解したようだ。
彼女は残った酒を飲み干すと、勢いよく立ち上がった。
それを見たバルカスが、天に掛かる月影を仰ぐ。
「……そろそろ、寝られるときに寝ておけ」
指揮官としての低い声が、場の空気を引き締める。
歓談の時間は終わりだ。
明日になれば、この平原は鉄と血の臭いで満たされることになる。
それぞれが黙って頷き、己の天幕へと戻っていく。
燃え残った薪が、パチンと音を立てて崩れ落ちた。
──────
「アルベルト・アステリアだ。みな良く集まってくれた」
立ち昇る朝靄を切り裂き、昇り始めた陽光が荒野を白銀に染め上げる。
即席の演壇に立つアルベルトの双眸は、眼前に広がる四千の兵を静かに射抜いていた。
三千を数える辺境伯軍の重厚な装甲、そして西側各領から募った勇士たちが、朝露に濡れた大地の上で一筋の鉄の帯と化していた
「今回の作戦内容は、この西側連合の力を中央に見せること。この団結は崩せないという事を思い知らせることだ」
低く、地を這うようなアルベルトの声音が、兵たちの肺腑に染み渡る。
風が凪ぎ、男たちの荒い呼吸だけが熱気を帯びて渦巻いた。
「そのために、中央の武の象徴であるマクシミリアン将軍を討つ」
瞬時、全軍を戦慄が走る。
王国の絶対的な力の具現であるその名を前にして、アルベルトは冷然と言い放った。
「相手は、お家騒動の体で王国軍を率いていない。我ら西側連合を有象無象の集まりだと勘違いしている。そこに油断があるとは言わない。相手はあの『黒鉄』だ。だが、相手が誰であろうと関係ない。全力で叩く」
「「「うおおおおお!」」」
天を衝く咆哮が、ダルトン領の空を裂いた。
突き上げられた槍の穂先が、容赦なく降り注ぐ朝光を跳ね返し、眩い銀色の波となって揺れる。
狂乱に近い熱気を引き継ぐように、老将オルコットが前へ踏み出した。
「先陣は総大将であるアルベルト殿下が切る。その後方に辺境伯軍、左翼にヴォルフスブルク軍、右翼にダルトン軍、ランツェベルク軍が付け」
枯れ木のような、しかし芯の通った声が布陣を規定していく。
各将が鋭い眼差しを交わし、死地を自らの居場所として定め、鎧の鳴る音と共に頷いた。
「作戦本部はここに設置する。ブラッドレイ子爵を総指揮官としてここに配置、ブラッドレイ軍と『海鳥部隊』は本部の護衛とする」
オルコットの視線の先には、異質な空気を纏う少女たちがいた。
戦場にそぐわぬ身軽な装いながら、その瞳には研ぎ澄まされた刃の如き光が宿っている。
「見慣れないこの娘たちが『海鳥部隊』だ。伝令として前線に現れることもある。彼女たちの言葉は総指揮官の言葉と捉えよ。総指揮官、ブラッドレイ子爵」
名を呼ばれたバルカスが、重厚な歩みで演壇の中央へ進み出た。
その貌には、退路を断った者特有の峻厳な静謐さが宿っていた。
「バルカス・ブラッドレイだ。本作戦の指揮を任された。この戦いの目的は、侯爵家から西の三家が独立するためなどではない」
バルカスは眼下の兵たちを見据え、一語一語を噛みしめるように、呪詛にも似た祈りを込めて語りかける。
「我々西側が五年の歳月をかけて作った経済圏を、本当の意味で中央から独立させるという、独立戦争だと心得よ」
背景に掲げられた蒼紫の旗が、激しく風に踊る。
それは、虐げられてきた西側の誇りを象徴する色であった。
「中央はこの三年間、西側に経済封鎖を続けてきた。だがどうだ? 中央の力に頼らずとも、我々西側は独自に経済圏を作り上げてきた」
突き付けられた現実に呼応するように、四千の兵が放つ殺気が密度を増していく。
目前の敵を見据える男たちの眼光は、ただ静かに、眼前の勝利だけを希求して鋭く研ぎ澄まされていた。
「この流れを潰させるわけにはいかない。この流れは西側だけでなく、王国全土に広げるべきだ。これこそが、アルベルト・アステリアを国王にする意義であり、大義だ。今、我々は中央に対し、明確に宣戦布告を行う」
バルカスの声は、荒野の端まで響き渡る。
「これは前哨戦だ。ここで潰されることは許さない。アルベルト・アステリアの旗印の元、勝利をもぎ取れ。以上だ」
「うおおおおお!」
「蒼紫の薔薇の旗の元に!」
逆巻く怒号と誓いの声が、地の底から湧き上がる。
熱狂が頂点に達したところで、オルコットが短く命じた。
「各員、配置を確認次第、休憩に入れ。以上、解散」
──────
軍靴の響きが霧散し、戦場に日常の欠片が戻り始める。
補給部隊が炊き出しの火を囲み、無骨な木の器に注がれたスープが、冷え切った大気に白い煙を立ち上げた。
メリーは、配られたばかりの温いパンを噛み締めながら、傍らにいたガレルを仰ぎ見る。
「私はどこに配置すればいいの?」
「メリー殿は本部にいてくれ。前線に出てはいかん」
ガレルの言葉は、鋼の如く硬い。
「なんでよ? これは私の戦いでもあるのよ。西側連合のメリーとして、ギルガルド伯爵としての……」
「メリー様、前線は軍用の騎馬と甲冑を着た男どもで溢れております。そこにメリー様が参戦した場合、三秒で敷物になります」
ジャックがスープを啜りながら、言葉を被せた。
「ぺらっぺらの敷物になったメリーちゃんは見たくないのぅ」
オルコットが茶化すように笑うが、その眼の奥は真剣であった。
「そういうことだ。メリーは後方で控えててくれ。サボっていろと言っているわけじゃない」
アルベルトの静かな諭しに、メリーは不満げに視線を落とし、小さく呟いた。
「……わかったわよ」
「後方の仕事も山盛りですよ。僕は今のうちに休憩を取っておきます」
ベルンが疲れを見せず、淡々とパンを口に運ぶ。
「ベルンまで戦場にいるとはね。レグス水産はどうなったのよ?」
「僕は名前だけの代表です。実態はブラッドレイ子爵の右腕、西側経済圏の物資・流通を管理する総責任者ですね」
その返答に、メリーは動きを止めた。
かつての商売人の男の面影は、その肩に負った重責によって、もはや別の何かへと変質している。
「私の知らないうちに、そんなことになっていたのね」
「いつまでも、貴女の背に甘んじていた頃の僕たちではありません。メリーさんが少しずつ大人になっていくように、僕も、みんなも変わっていくんです」
「……それは、そうだけど」
メリーは器を見つめたまま、一抹の寂寥に唇を噛んだ。
かつての面影を脱ぎ捨て、誰もが自らの足で明日を掴み取ろうとする。
その揺るぎない変容は、メリーの知る安寧を容赦なく過去へと押し流していく。
──────
「見えました! 『黒鉄』部隊、約千五百!」
見張りの兵士が上げる鋭い叫びが、張り詰めた空気を切り裂いた。
地平の彼方、陽光を鈍く跳ね返す鉄の塊が、砂塵と共にその姿を現す。
王国最強の盾と謳われる『黒鉄』の軍容は、数こそ西側連合の半分にも満たないが、放たれる威圧感は四千の兵を圧するに十分な重圧を伴っていた。
「『海鳥』の報告通りだな。よし! 全軍配置につけ!」
バルカスの号令が飛び、西側連合軍が波打つように動き出す。
数の優位を最大限に活かすべく、陣形は左右に大きく翼を広げた。
中央を厚くしつつ、敵の突撃を包み込み、左右から圧殺する包囲殲滅の構えである。
「さて、どう来るか。マクシミリアン将軍……」
最前線、アルベルトの右やや後方に控えるオルコットが、細めた眼差しで敵陣を凝視する。
歴戦の老将の掌には、知らず知らずのうちに汗が滲んでいた。
相手は常勝の将。定石通りの包囲が、そのまま通用する相手ではない。
「突撃の合図は任せる。総大将」
やや左後方に控えるガレルが、愛馬の首を叩きながら低く告げた。
アルベルトは無言のまま、一度だけ馬上で後方を振り返る。
そこには、自分を信じて命を預ける四千の兵たちの、覚悟の火が灯っていた。
「前方の『海鳥』より伝令! 敵軍より3騎だけ突出、それ以外は待機中とのこと!」
伝令の兵士がもたらした報告に、前線の将たちの間に動揺が走る。
千五百の軍勢を背後に残し、わずか三騎。
あまりにも不自然な、あるいはあまりにも不遜な挙動であった。
「戦闘前の口上でもするつもりか?」
ガレルが不審げに眉を寄せる。
「敵の伝令かもしれん。受け入れよう」
オルコットが重々しく応じた。
ここで動揺を見せれば、軍全体の士気に関わる。
アルベルトは拳を高く突き上げ、全軍に制止を命じた。
「全軍待機! 指示があるまで動くな!」
荒野の静寂を、三組の蹄の音が規則正しく刻んでいく。
近づいてくる三騎の騎士。
その中央、一際巨大な軍馬に跨る男の姿が露わになるにつれ、アルベルトの背筋を冷たい戦慄が駆け抜けた。
洗練された装飾を排し、実用のみを追求した漆黒の甲冑。
その隙間から覗く、全てを呑み込むような深淵の眼差し。
「……あれは、マクシミリアン将軍!?」




