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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第2部:反逆の狼煙は西側に上がる
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第35話:確保、眠らせてきましょうか、ダルトン子爵は星を見る

「今頃、ダルトン子爵は兵を集めているだろうな」


 豪奢な内装が施された馬車の中、ランツェベルク子爵が窓外を流れる闇を睨み、重苦しく呟いた。

 車輪が石畳を噛む音が、規則的な律動を刻んでいる。

 北のギルガルド伯爵領がアルベルト・アステリアの軍勢によって陥落してから、未だ一日と経過していない。

 だが、情報の伝播速度は物理的な距離を凌駕する。

 ダルトン子爵領のさらに南に位置するランツェベルク領まで凶報が届いている以上、その中間に位置するここダルトン領が無警戒であるはずがなかった。


「顔パスで通れないのかね?」


 向かいの席で足を組み、まるで観劇にでも向かうかのような軽薄さでバルカスが問うた。


「先触れもなしに通れるわけがないだろう」


 ランツェベルクは吐き捨てるように応じ、眉間に深い皺を刻む。


「私たちが処せば良くないですか?」


 同乗していた『海鳥』の少女が、紅茶に砂糖を入れるかのような気軽さで提案した。


 商会の制服に身を包んだ彼女たちは、可憐な容姿とは裏腹に、その瞳の奥に無機質な光を宿している。


「……ああ、君たちがいたか。当家の兵もそうやって『処した』んだな」


「わたしたちは潜入・暗殺部隊なんで、サクっと処しますよ」


 別の少女が、小首を傾げて同意する。

 その言葉に含まれる不穏な響きを、バルカスは艶やかな笑みで肯定した。


「強行突破が必要な状況であれば、そうしてもらった方が早いな」


 会話の間に、闇の向こうから館の影が浮上する。

 堅牢な正門の前には赤々と篝火が焚かれ、武装した兵士たちの影が揺らめいていた。

 目視できるだけで十名。

 屋敷の内部には、その数倍の戦力が潜んでいることは想像に難くない。


「いるな。どうする? 名乗って入れてもらうか?」


「いや、時間が惜しい。一気に突入しよう。行けるな? 『海鳥』」


「了解!」


 少女たちの声が重なる。


「『鴎』は門の前の兵士の排除、『海猫』は屋敷へ潜入。目標を見つけ次第拘束」


 指示と同時に、馬車の扉が開かれる。

 音もなく闇に溶ける『海猫』たちとは対照的に、『鴎』と呼ばれる少女たちは一塊となり、堂々と正門へ向かって歩き出した。

 バルカスとランツェベルクは、窓枠に肘をつき、その奇妙な光景を凝視する。

 暗殺部隊という触れ込みのはずが、彼女たちは隠れる素振りすら見せない。

 戦場には似つかわしくない少女たちの出現に、門番の一人が何事かと槍を下げて歩み寄る。


(あ、これ、暗殺術でサクっと処されるやつだ……)


 ランツェベルクがそう予感した、その刹那だった。


 大気を震わせる轟音が響き、視界の端で何かが弾け飛んだ。

 それは、完全に体重を乗せ、腰の回転を極限まで伝達した右拳による物理的打撃の結果だった。

 直撃を受けた兵士は、質量を持った砲弾と化して後方へ吹き飛び、密集していた他の兵士たちを巻き込んで地面を転がる。


(え? 暗殺……?)


 ランツェベルクは眼を見開き、無言でバルカスへと視線を移す。


(違う。彼女たちの仕込みをしたのは私じゃない)


 バルカスは微かに首を振り、無言で潔白を主張した。

 そこからは、一方的な蹂躙であった。

 何事かと驚愕し、思考を停止させた兵士たちは、その時点で致命的な隙を晒していた。

 ある者は顔面を陥没させられ、ある者は鳩尾に鋼鉄のような拳を叩き込まれて悶絶する。

 フルプレートの鎧を纏った巨漢が、重力など存在しないかのように宙を舞い、石畳へと叩きつけられた。

 鎧の防御力など無意味と言わんばかりの、純粋な運動エネルギーによる破壊。

 瞬きする間に、門の前には静寂が戻った。


「子爵様、終わりました。『海猫』が潜入したので、目標はすぐに確保されます。私たちはこのまま屋敷内の制圧にかかります」


 返り血一つ浴びていない少女が、涼しい顔で報告する。


「おい、呼んでるぞ。ランツェベルク子爵様」


「お前のことに決まってるだろう、ブラッドレイ子爵様」


「呼ばれているのはダルトン子爵様だな。間違いない」


 目の前で展開された理不尽な暴力を前に、二人の貴族は現実逃避の会話を交わす。

 だが、現実は待ってくれない。


「そんなワケないですよー。行きますよー、子爵様たち」


 少女たちに半ば引きずられるようにして、二人は馬車を降りた。

 足元には、鉄屑のようにひしゃげた鎧と、呻き声を上げる兵士たちが転がっている。

 死んではいないが、しばらくは戦場には立てないであろう惨状を跨ぎ、一行は屋敷へと足を踏み入れた。


「あの娘たちだけで終わるんじゃないか? この戦争。要るか? アルベルト・アステリアは」


「あ、ああ……。それな、本当に……」


 ランツェベルクの乾いた問いに、バルカスは力なく同意するしかなかった。

 屋敷の中は、外以上の静寂に包まれていた。

 抵抗の痕跡すらないまま、制圧は完了していたらしい。

 促されるままに階段を昇り、二階の豪奢な扉の前に立つ。


「子爵様。こちらです」


「おい、呼んで……」


「それはさっきやった。さっさと行け」


 ランツェベルクに背中を押され、バルカスは覚悟を決めたように襟元を正した。

 重厚な扉が開かれる。


「突然の訪問、失礼するよ。ダルトン子爵」


 バルカスは、可能な限りの威厳と不遜さを込めて声を張り上げ、部屋へと踏み込んだ。

 だが、返答はなかった。

 部屋の中央、毛足の長い絨毯の上で、大柄な男が大の字になって天を仰いでいたからだ。

 ダルトン子爵である。

 その鼻からは鮮血が流れ、左頬は紫色に変色して大きく腫れ上がっている。


「「……」」


 バルカスは言葉を失い、ランツェベルクは手にした帽子を床に落とした。


「ダルトン子爵の身柄を確保しました」


 部屋の隅から、『海猫』の少女が淡々と告げる。


((……確保?))


 二人の心の中で、言葉の意味に対する疑問が同時に浮かんだ。

 これは確保ではない。

 一方的な殴打による強制終了だ。


「……あ、ああ、ごくろう。ダルトン子爵を馬車に運びたまえ。ギルガルド領へ移動する。護衛の海鳥は二人で良い。そこの執事は生かしておけ」


 バルカスは震える指先を隠し、気を取り直して指示を飛ばす。


「「「了解!」」」


 少女たちの元気な声が響く。

 直後、小柄な少女が、自分よりも二回りは巨大なダルトン子爵の体を軽々と担ぎ上げた。

 気絶したままの巨躯が、まるで荷物のように運ばれていく。

 そのシュールな光景を、バルカスとランツェベルクは虚ろな目で見送った。


「必要か? 私たち」


「言うな」


 バルカスは短く遮り、踵を返した。


     ──────


 車輪が轍を乗り越えるたび、硬質な衝撃が座面を突き上げ、拘束された男の体に走った。

 ダルトン子爵は、殴打された左頬に熱を持った鉛が埋め込まれているかのような鈍痛を感じ、顔をしかめた。

 鼻孔に詰まった凝血の不快感が、彼の苛立ちを加速させる。


「どういうことだ、ランツェベルク子爵」


 唸るような問いかけに、向かいの席に座るランツェベルクは窓の外へ視線を投げたままだった。


「どうもこうもない。戦争に負けたんですよ、私たちは」


 その声には、諦観というよりも、不可解な天災に見舞われた直後のような虚脱感が滲んでいた。


 ダルトンは充血した瞳を巡らせ、ランツェベルクの隣で優雅に足を組む男を睨みつけた。


「そこの男は誰だ!」


「これは挨拶が遅くなり失礼した。私はバルカス・ブラッドレイ」


 男は悪びれる様子もなく、胸に手を当てて一礼してみせた。

 その洗練された所作と、場にそぐわない高級なスーツの仕立てが、ダルトンの神経を逆撫でする。


「ブラッドレイ子爵だと? 辺境の野良貴族がなぜここにいる?」


 侮蔑を隠そうともしないダルトンの言葉に、バルカスは薄い笑みを浮かべた。


「ダルトン子爵。私の顔を知らない、私がここにいる理由もわからない。そんなことだから負けるんです。戦争は武力だけじゃない」


 バルカスは長い人差し指を立て、自らのこめかみを軽く二回、トントンと叩いた。

 それは、情報の非対称性が勝敗を分けたのだと、無言のうちに敗者を断罪する仕草だった。


「ギルガルド伯爵が、アルベルト・アステリアに落とされたと聞いた。その関係か?」


「当然でしょう。ギルガルド伯爵が落ちれば、次はあなたの番だ。この程度の説明が必要か?」


「むぅ……。要求は何だ?」


 ダルトンは屈辱に奥歯を噛み締めながらも、貴族としての理性で交渉の席に着く。


「話が早くて助かります。アルベルト・アステリアの軍門に下り、我々の西側経済圏に加わってほしい」


「当領はそれを飲みました」


 横からランツェベルクが口を挟む。


「貴領も落ちたというのか?」


「ええ、軍艦で港に乗りつけられ、抵抗らしい抵抗もできずに負けましたよ」


 ランツェベルクはやれやれと肩を竦め、手にしたワイングラスを傾けた。

 その液体が揺れる様は、彼の領地が味わったであろう混乱を想起させた。


「くっ……。侯爵様は何と言っている? ランツェベルク子爵」


 ダルトンの口から出たのは、彼らが寄る辺とする中央の大貴族、アイゼンハイド侯爵の名だった。


「昨夜、ギルガルド領が落ちたばかりです。中央にいる侯爵様の耳に入るのはいつですかね?」


「今、この場には貴殿を助けてくれる伯爵も侯爵もいない。すべては貴殿次第という事だ。腹を括ってはどうです? ダルトン子爵」


 バルカスの言葉は、逃れようのない重い宣告となってダルトンの胸を圧迫した。

 物理的な距離と時間の壁は、いかなる権力も超えられない。

 ダルトンは深いため息を吐き、視線を床に落とした。


「この馬車はギルガルド領に向かっているんだな?」


「そうだ」


「アルベルト・アステリアに会ってみたい。私は、子供のころの殿下しか知らん。返事はそれまで保留とさせてくれ」


「いいでしょう」


 バルカスが短く応じると、車内の緊張がわずかに緩んだ。

 交渉の成立を確認したかのように、『海鳥』の少女が音もなく立ち上がり、氷水で絞ったタオルをダルトンの腫れ上がった頬に当てた。

 火傷のような熱を持っていた患部に冷気が染み渡り、ダルトンは思わず呻き声を漏らす。

 揺れ続ける密室の中で、バルカスとランツェベルクは無言でグラスを掲げ合った。


     ──────


 深夜、街が静寂に飲まれた頃、馬車はギルガルド伯爵領の領都へと滑り込んだ。

 かつての主を失い、新たな支配者を迎えた街は、奇妙なほど静まり返っている。

 馬車は丘の上に建つ領主の館、その重厚な正門の前で停止した。

 門番の位置に立っていたのは、商会の制服を着た『海鳥』たちだった。

 彼女たちは到着した馬車を認めると、一糸乱れぬ動きで門を開け放つ。

 石畳を踏みしめ、バルカス、ランツェベルク、そして縄を解かれたダルトンが館の前へと降り立った。

 整列した『海鳥』たちが、軍人のそれよりも鋭利な敬礼で一行を迎える。

 その異様な規律正しさに、ダルトンは眉をひそめつつも、バルカスの背中を追って館の中へと足を踏み入れた。

 高い天井のホールを抜け、食堂の扉が開かれる。


「メリー君はいるか?」


 バルカスが声をかけると、長テーブルの端に座っていた人影が反応した。


「バルカス!? なんであなたがここに?」


 そこには、一人の少女が座っていた。

 見慣れた黒を基調としたドレスを身に纏い、手には半分ほど齧ったパンが握られている。

 彼女は口の中にあったパンを、もぐもぐと咀嚼し、喉を鳴らして飲み込んだ。


「アルベルト王子に客を連れてきた。王子はどこだ?」


 バルカスの言葉に、少女は怪訝そうな顔で、その背後に立つ客人へと視線を移した。

 その瞬間、彼女のエメラルドグリーンの瞳が見開かれる。


「……ダルトンおじ様!?」


 パン屑がついた口元を隠すことも忘れ、メリーが驚きの声を上げた。

 同時に、ダルトンもまた、目の前の少女の面影とかつての記憶を重ね合わせ、愕然と立ち尽くした。


「メリュジーヌ嬢!?」


 六年という歳月を経て、かつて「預けられるはずだった」娘と、その受取人であった男が、勝者と敗者という立場で対面を果たした瞬間だった。


     ──────


「何という事だ……。こんな……こんな事が許されていいはずがない……」


 ギルガルド伯爵邸の食堂に、男の慟哭が響いていた。

 ダルトン子爵は、磨き上げられた長テーブルに両の拳を突き、脂汗と涙で顔を濡らしている。

 メリーからここ数日の顛末を聞かされた彼は、激情を抑えきれずにいた。

 給仕をしていた『海鳥』の少女たちが、おろおろと視線を彷徨わせる。

 彼は床に崩れ落ち、顔をぐしゃぐしゃにして泣き叫んだ。


「おかしいだろう! こんなことは!」


 その姿に、貴族の威厳など欠片もない。

 あるのは、理解不能な現実を前にした、一匹の生物としての拒絶反応だけだった。

 彼は充血した目で、給仕をする『海鳥』の少女たちを指差し、唾を撒き散らして絶叫する。


「なんで……なんでこんな子供が! 人を殺す目をしているんだ! ここは戦場か! ここは地獄か!」


「ダルトン子爵、落ち着かれよ」


 オルコットが宥めようと手を伸ばすが、ダルトンはその手を力任せに振り払った。


「触るな! お前もだ、オルコット! 恥ずかしくないのか! こんな小さな娘たちに血塗れの仕事をさせて。何が『剣鬼』だ! 何が騎士だ! オレたちは、こんなことのために剣を持ったんじゃないはずだ!」


 ダルトンは床を這いずり、テーブルの脚にしがみついて身体を引き起こす。

 その顔は鼻水と涙で汚れ、呼吸は過呼吸気味にヒューヒューと鳴っている。

 彼はふらつく足取りで、アルベルトへと肉薄した。

 殺意ではない。

 ただ、どうしようもない「問い」をぶつけるために。


「殿下……! あんまりだ! メリュジーヌ嬢はまだ子供だぞ! 子供に、父親を殺させたのか! 親殺しを背負わせて、平気な顔をして飯を食っているのか! この……恥知らずどもがぁッ!」


 ダルトンは拳を振り上げるが、殴る力すら残っていない。

 その拳はアルベルトの胸板に力なく当たり、そのまま彼はアルベルトの衣服を掴んで泣き崩れた。


「こんな世界があるか……! 子供が……子供が親を殺して……。俺たちが……大人が不甲斐ないばかりに! すまない……すまない……!」


 それは、敵に対する罵倒ではなく、自分を含めた全ての「大人」への断罪だった。

 ダルトンの慟哭は、食堂の空気を重く、粘りつくような絶望で満たしていく。

 アルベルトは、胸元で泣きじゃくる大男を突き飛ばすこともできず、ただ立ち尽くすしかなかった。

 その目には、困惑と、そして微かな痛みが宿っている。


「……ダルトンおじ様」


 静まり返った食堂に、冷ややかな声が落ちた。

 メリーが、パンを皿に置き、ナプキンで口元を拭って立ち上がる。


「うぐっ……うぅ……メリュジーヌ嬢……。逃げなさい……こんなところから……」


「私はもう十五よ。子供じゃないわ。お父様のことも、私の意思でやったことよ。ダルトンおじ様」


 メリーは宥めるような口調でダルトンにそう告げる。

 ダルトンは涙を溜めた目で、彼女の姿を改めて確認する。


「……もう、そんな歳になったか。早いもんだ……」


 背筋を伸ばして凛と立つメリーの姿を瞳に捉え、ダルトンは少し落ち着いたように見えた。

 メリーを見ていた瞳がふと、メリーの背後に控える『海鳥』たちへと移動する。

 商会の制服に身を包んだ彼女たちは、戦場に似つかわしくないあどけなさを残しているように見えた。


「あたしッスか? 十七ッス」

「わたしは十六歳ー」

「十四です」


 その年齢とは裏腹に、彼女たちの胸元は商会の制服を内側から強烈に圧迫していた。

 生命の神秘すら感じさせる豊かな曲線が、そこにはあった。

 あらためてメリーの姿を見たダルトンは、深く、長く、納得の混じったため息をついた。


「……子供に! 子供に戦争をさせてはいかんのだ!」


 結局、彼の認識ではメリーは子供、ということらしい。


「……」


 メリーは盛大に舌打ちしをたかったが、ここはダルトンに配慮し、我慢して沈黙する。


「まあまあ、ダルトン子爵、こちらへ」


 バルカスが間に入り、彼をなだめるようにソファへと誘導した。

 すかさず『海鳥』の少女が、手際よくグラスと氷、そして琥珀色の液体を用意する。

 大人たちは全員そちらへと移動し、なし崩し的に酒瓶が開けられた。


「子供に! 子供に!」


 ダルトンはグラスを片手に、まだ管を巻いている。


「まあまあ……」


 バルカスが適当な相槌を打ちながら酒を注ぎ足す。


「うおおおおおん!」


 アルコールが回ったダルトンは、さらに声量を上げて泣き始めた。

 極度の泣き上戸であるらしい。


「ワシら大人が! 子供に!」


 その嘆きは、夜が明けるまで終わりそうになかった。

 離れた場所から、メリーと『海鳥』たちが冷ややかな視線を送っている。

 一人の少女が、物理的な解決策を提案するように右拳を握りしめた。


「眠らせてきましょうか? コレで」



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