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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第2部:反逆の狼煙は西側に上がる
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第32話:引導、あの日の銀貨、領都に降る桃色の熱

「アル! そのまま直進! 噴水広場を右!」


 石畳を叩く蹄鉄の音が、夜の街路に反響した。

 ギルガルド伯爵領、領都。

 戦時下の戒厳令ゆえか、通りに人影はない。

 窓という窓は閉ざされ、街は死したように沈黙している。

 疾走する二騎。

 その背後には、いつの間に合流したのか、ジャックと『海鳥』の赤毛も馬を駆り、影のように追従していた。


「メリー、舌を噛むなよ」


「おし……お尻が……」


 アルベルトの警告に、メリュジーヌは苦悶の声で応じた。

 少女の体躯にとって軍馬の鞍はあまりに広く、硬い。

 それでも、視界を流れる景色は記憶の底にある輪郭と合致していく。

 石造りの街並み。

 規則的に並ぶ街路樹。

 九歳までを過ごした故郷は、ここだけ時間が止まったかのように変わっていない。


「変わってないわね、ここは」


 円形の広場が近づく。

 中央に鎮座する古びた噴水。

 かつて、母エリナスと手を繋ぎ、買い物をした商店の軒先が飛ぶように後方へ過ぎ去った。

 馬体が大きく傾き、進路を右へと変える。


「突き当りが伯爵の館よ!」


 直線の彼方、突き当たりに聳える館が見えてくる。

 閉ざされた鉄柵の正門前には、松明を掲げた一個小隊が陣取っていた。

 アルベルトが手綱を絞る。

 蹄が火花を散らし、黒馬が停止した。

 アルベルトは即座に鞍から飛び降り、地面を踏みしめる。


「ルシアン・ギルガルドは討ち取った。投降しろ!」


「ルシアン様が!?」「まさか……」


 兵たちが動揺に揺れる中、メリーは一人、鞍の上に取り残されていた。

 降りようと身じろぐが、足が届かない。

 危うくバランスを崩しかけたところを、横合いから伸びた腕が支えた。

 ジャックが無言で彼女を抱え、地面に下ろす。

 メリーはスカートの裾を払い、無様な瞬間などなかったことにして、悠然と前に進み出る。


「戦いは終わったわ。あなたたちは武器を捨てて投降しなさい」


「メリュジーヌお嬢様!?」


 松明の光に照らされた少女を見て、最前列にいた年配の兵士が声を震わせた。


「開けなさい」


 メリーは鉄柵を指し示す。

 兵士たちは顔を見合わせ、やがて武器を下ろした。

 重厚な金属音と共に、門が左右へと開かれる。


「行くわよ。アル」


 メリーは歩き出す。

 アルベルト、ジャック、『海鳥』の赤毛が続く。

 門から館へと続く長いアプローチ。

 行く手を遮る者はいない。

 館の正面扉に鍵は掛かっていなかった。

 メリーは扉に手を掛け、重厚な扉を開け放つ。

 エントランスホールの先、開放されたままの食堂が視界に入った。

 長テーブルの奥に、男が一人座っている。

 ギルガルド伯爵。

 戦装束ではなく、上質な部屋着を纏っていた。

 手にはグラス。

 傍らには執事と侍女が一人ずつ控えている。

 抵抗の意思を示す武器は、その周囲に見当たらない。


「……お父様」


     ──────


 広々とした空間の最奥、豪奢な椅子に腰掛けていた男が、ゆっくりと立ち上がった。

 メリー、アルベルト、ジャック、そして『海鳥』の赤毛。

 四人は入り口で足を止める。

 ギルガルド伯爵は、並び立つ四人を無表情に見据え、自ら歩み寄ってきた。

 その視線が、一瞬だけメリーを捉え、すぐに外される。

 伯爵はアルベルトの至近距離まで歩み寄り、足を止めた。


 アルベルトが先に名乗りを挙げる。


「アルベルト・アステリアだ。ルシアン・ギルガルドは討ち取った。伯爵の首をいただきに来た」


「……ルシアンが倒れたか。元より勝ち目のない戦。この期に及んで抵抗も命乞いもしない。やれ」


 一切の感情を削ぎ落とした声音が、重苦しい空気を震わせる。

 すべてを予期していたかのように、抵抗の意志を見せない。


「お父様」


 メリーが二人の間に割って入る。

 ギルガルドの眉がわずかに動いた。


「お前が、アルベルト殿下と一緒に来るとは思っていなかった。いまさら何だ? メリュジーヌ」


 問いかけながら、ギルガルドの視線がメリーの背後へ流れる。

 そこで、ジャックの姿を認めた。

 伯爵の目が細められる。


「待て。お前はあの時の『梟』だな?」


「はい。エリナス様をお連れした時以来でございます。ギルガルド伯爵」


「……ふっ。懐かしいな。その件は感謝している。エリナスと過ごした日々は、私の最も幸福な時間だった」


 ギルガルドは目を伏せる。

 戦場の只中にありながら、意識は遠い過去を彷徨っているようだった。

 やがて顔を上げ、メリーを見る。


「メリュジーヌ、お前に掛ける言葉は、私にはない。存分に罵ってくれ」


「罵ったりはしません。ただ……」


 メリーは懐から一枚の銀貨を取り出した。

 指先で弾かれた銀貨が、放物線を描いて飛ぶ。

 チャリ、と乾いた音を立てて石床を転がり、ギルガルドの足元で止まった。


「ふ。この銀貨を拾った時が私の幕引きか。あの時の逆だな」


 ギルガルドが銀貨を拾おうと屈みかける。


「ええ。私もあの時、銀貨を拾い、幕引きを受け入れたわ。……私は殺されてあげなかったけど」


「何?」


 屈みかけた体が止まり、再び起こされた。


「あら、お父様。あの時、私を始末しようとしたじゃない。品のない男どもを雇って」


「そんな覚えはない。お前は辺境の小貴族、ダルトン子爵領に届ける手はずだった。始末? 何の話だ?」


 メリーとアルベルト、ジャックが顔を見合わせる。

 ジャックが視線を脇に控えていた執事へ向けると、執事は無言で重々しく頷いた。

 おそらく、ギルガルドの言葉に嘘はない。

 ならば、誰が追放された娘に刺客を放ったのか。

 ジャックの脳裏に、ある懸念が過ぎる。

 ガーディスの狙いが、単なる家の乗っ取りではなく、セレスタインの血を根絶やしにすることだとしたら。

 この屋敷で、その意志を代行できる者は一人しかいない。

 ビオラ・ギルガルド伯爵夫人。


「奥方が……?」


 ジャックの呟きに、ギルガルドの顔が歪む。


「ビオラめ……」


「やはり、ガーディスの目的は、アステリア家とセレスタイン家の根絶やし、ということですかな」


 重苦しい沈黙が落ちた。

 ギルガルドは何かを噛み砕くように口元を引き結び、ゆっくりと息を吐き出す。


「メリュジーヌを追放すれば、領は守ってやる。そう言われた。ガメルと言ったか、あの男」


「現ガメル・ガーディス宰相ですな」


 ギルガルドは天井を仰ぎ、乾いた笑いを漏らす。


「……ふっ。まあよい。私は騙されたなどと被害者ぶりはしない。すべては、エリナスがこの世を去った時に狂い始めたのだ。取り返しなどつかん」


「いいえ。お母様の死後、お父様と二人で過ごした時間も、私には幸福な思い出です」


「よい。いまさらお前にそう言われても、私のしたことは許されない。幕を引け」


 ギルガルドは再び膝を折り、床の銀貨へと手を伸ばした。

 メリーは無言で見下ろしている。

 あと数センチで指先が銀貨に触れる。

 その距離が、永遠のように縮まらない。


「……くっ。……ぐっ。……エリナス」


 震える指先が空を掻く。

 肩が小刻みに震え、嗚咽が漏れ始めた。

 ギルガルドはその場に蹲り、床に涙を滴らせる。


「……エリナス、……エリナス! 私を助けてくれ! エリナス!」


 彼は何もない空間に向かって腕を伸ばし、絶叫した。

 そこにいるのは、愛した女の幻影に縋りつく、ただの孤独な男だった。


「お父様! 死者に助けを乞うてはなりません!」


 メリーの声が鋭く響く。

 だが、ギルガルドの耳には届かないようだった。

 焦点の合わない目で虚空を見つめ、力なく首を振る。


「……エリナス、……メリー。私は……お前たちを……」


 メリーの右手に蒼紫の炎が灯る。

 炎は瞬く間に剣の形を成し、ギルガルドの胸を貫く。

 体内で熱が膨張し、男の目と口から激しい火柱が上がる。

 断末魔すら炎に飲まれ、ギルガルドの体は内側から崩れ落ちていった。


「……さようなら。お父様」


 かつて父だった物体を見下ろすメリーを、『海鳥』の赤毛が背後から無言で抱きしめた。


     ──────


 翌朝、ギルガルド領都の中央広場は、剣呑な空気に包まれていた。

 石畳の上には、武装した兵士たちによって集められた住民たちが、不安げに身を寄せ合っている。

 広場の中央、急造された演台の上には、二つの旗が風にはためいていた。

 一つは、二本の剣が交差する辺境伯の紋章旗。

 もう一つは、鮮やかなピンクの生地に、蒼紫の薔薇が一輪描かれた旗だった。

 演台の中央に、アルベルトが進み出る。


「アルベルト・アステリアだ。ギルガルド伯爵は討ち取った。ここはわが軍の前線基地となる」


 貫禄よりも鋭さが勝る硬質な声が、朝の冷気を含んで広場に響き渡る。

 余計な修飾を削ぎ落とした、事実だけの通告。

 そこには、混乱する民衆への追従も、占領に対する弁明も一切含まれていなかった。

 住民たちの間にさざ波のような動揺が走る。

 アルベルト・アステリアの名の響き、オルコット辺境伯の軍装、そして領主ギルガルド伯爵の死。

 あまりに巨大な情報の濁流に、彼らはただ困惑の表情を浮かべることしかできない。

 アルベルトの横に控えていたオルコットが、一歩前に踏み出した。

 巨躯から放たれる咆哮が、人々の鼓膜を震わせる。


「我らは、アルベルト・アステリアを国王にするべく立ち上がった! 諸君の想像通り、これは王国への反逆である!」


 広場の空気が凍りついた。

 反乱。戦場。明日の命の保証すらない未来。

 沈黙はすぐに恐怖へと変わり、押し殺した悲鳴とざわめきが膨れ上がっていく。

 恐慌をきたしかけた群衆を前に、オルコットが大きく手を打ち鳴らし、声を張り上げた。


「全員傾注! メリーちゃん、壇上へ」


 場違いな愛称と共に、オルコットが手で演台への道を指し示す。

 促され、メリーが姿を現した。

 朝日に透けるピンクブロンドの髪と、感情を映さないエメラルドグリーンの瞳。

 その姿を認めた瞬間、民衆のざわめきが色を変える。


「メリュジーヌ・ギルガルドよ。一時的ではあるけれど、お父様に変わり、私がギルガルド伯爵になるわ」


 透き通るような声が、広場の隅々まで届く。

 恐怖に怯えていたはずの住民たちが、食い入るように彼女を見つめ、口々に囁き始めた。


「メリュジーヌお嬢様だ……」

「ずいぶんとお綺麗になって」

「メリーちゃんって呼ばれてたぞ」

「あれが噂の『紫の死神』か……」


 ささやき声は次第に大きくなり、奇妙な熱気を帯びていく。

 メリーは眉間を指で揉み、小さく溜息をついた。


「……んんっ。そのお尻がムズムズする二つ名はやめなさい。私はあくまで暫定よ。すぐに次の領主を選出しなさい」


「メリュジーヌお嬢様。よろしいですか?」


 人垣の中から、一人の男が恐る恐る手を挙げた。

 日焼けした肌に、実直そうな顔立ち。


「あら、果物屋のおじさんじゃない。お久しぶりね」


 メリーの記憶にある顔だった。

 男は頭を下げ、どこか誇らしげに口を開く。


「ウチは『蒼紫の薔薇』ブランドの取扱店になりました。ブラッドレイ領からの輸入代行をしております」


「なんでよ!?」


「店の話はさておき、メリュジーヌお嬢様が、あの『メリーちゃん』でよろしいので?」


「どのメリーちゃんよ」


「その旗はメリーちゃんの『蒼紫の薔薇』の旗、この軍はメリュジーヌお嬢様の軍という事でしょうか?」


 男が演台の背後、アルベルトの横ではためく旗を指さす。


「話を聞いてたの? アルベルト・アステリアの軍だと最初に説明したでしょう。誰よ、これをアルの旗印にしたのは?」


 メリーが振り返り、旗を睨みつける。

 だが、民衆の反応は劇的だった。


「やっぱりメリーちゃんだ」

「メリーちゃん印の塩、美味いよな」

「我が家は神棚に魔除けのメリーちゃん人形を祀ってるぞ」


 あちこちから声が上がる。

 恐怖と緊張に支配されていた広場は、一転してアイドルの凱旋公演のような賑わいを見せ始めた。


「その呪いの人形は捨てなさい!」


 メリーの叫びも虚しく、熱狂は収まらない。

 オルコットが肩を竦め、わざとらしい咳払いで場を制する。


「ワシらは、お主たちと殺しあった人間じゃ。恨みもあるじゃろうし、簡単に受け入れろとは言わん。みなでよく話し合ってくれ」


 歴戦の猛将が神妙な面持ちで締めくくった。

 だが、解散していく民衆の口から漏れるのは、国の行く末でも反逆の是非でもなかった。


「あのメリーちゃんがこの地に……」

「馬っ鹿、そもそもここの領主の娘じゃねーか」

「いままでブラッドレイ子爵領にいたのか?」

「帰ってきたのか?」


 総大将であるアルベルトの存在は、完全に彼らの意識の外にあった。

 演台の上、メリーは項垂れる。


「……この領はダメだわ」


 武力による制圧の前に、経済と文化による侵略が完了していた事実。

 オルコットが遠い目をして、ぼそりと呟く。


「剣の時代の終わりを感じるのぅ……」


 勝利したはずの将が、敗北感に打ちひしがれている。

 その横で、アルベルトだけが一人、無言で広場を見下ろしていた。


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