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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第2部:反逆の狼煙は西側に上がる
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第30話:総大将、覚悟の差、アルベルト進撃

「ジャック。アンタ、やったわね……」


 オルコット辺境伯邸、大会議室。

 豪奢な扉を開き、一歩足を踏み入れたメリーの口から、低く呻くような声が漏れた。

 視線の先、上座の背後の壁には二つの旗が交差するように掲げられている。

 一つは、二本の剣が交差する武骨な辺境伯の紋章旗。

 そしてもう一つは、毒々しいまでに鮮やかなピンクの生地に、蒼紫の薔薇がでかでかと描かれた旗であった。

 荘厳な会議室の空気を、その一点のみが暴力的なまでに破壊している。

 メリーは咎めるような視線を送ったが、影のように佇むジャックは、主の視線を称賛と受け取ったのか、どこか満足げに口元を歪めただけだった。


「おお、アルベルト殿。何とも勇ましい。ささ、こちらへ」


 辺境伯領騎士団長が、野太い感嘆の声を上げた。

 彼の視線の先には、戦支度を整えたアルベルトの姿がある。

 セパレートの純白の軽鎧に、銀の縁取りが施されている。

 左肩には鮮烈な赤の片マントを纏い、左腰には例の装飾剣が固定されていた。

 騎士団長に促され、アルベルトは無言で上座へと歩を進める。

 その背後にあるピンクの旗との対比が、奇妙な威圧感を醸し出していた。


 一同が着席し、静寂が満ちるのを待って、オルコット辺境伯が口を開いた。


「本日、夕暮れとともにギルガルド伯爵領に夜襲をかける。目標はギルガルド伯爵の首、そして敵兵力の完全無効化とする。出撃前に殿下からひと言……」


 オルコットの言葉を受け、アルベルトが一歩前へ出る。

 会議室に集った騎士、文官たちの視線が一身に注がれる。アルベルトの双眸が、集まった者たちをゆっくりと見渡した。


「みなの協力に感謝する。これは、これから始まる長い戦いの一歩目でしかない。こんな処で躓くことはあってはならない。みなの奮闘に期待する」


 短く、しかし力の籠もった檄であった。

 その言葉が火種となり、広間に熱気が爆発する。


「おおーーー!」

「アルベルト殿下!」

「アルベルト殿下万歳!」

「王国を蒼紫の薔薇の旗で埋め尽くしてやりましょう!」


 誰かが叫んだその言葉に、メリーはこめかみを押さえたが、もはや熱狂の渦は止まらない。

 オルコットが深く頷き、再び場を制する。


「アルベルト殿下は我らの総大将となる。戦場の指揮はワシが執る。総大将の言った通り、初戦で躓くことは許さん。みな心してかかれ」

「やってやりましょう! 総大将!」

「辺境伯軍は伊達じゃないところを見せつけてやります!」


 士気は最高潮に達していた。

 続いて行われた作戦会議では、侵攻ルートの詳細や部隊配置が淡々と、しかし熱を帯びた口調で共有されていく。

 一通りの確認を終えると、オルコットは力強く告げた。


「では、出撃まで各自休憩を取れ。解散!」

「「「は!」」」


 一糸乱れぬ敬礼とともに、男たちの野太い声が響き渡った。


     ──────


「子爵殿、このあと少しよいか」


 重厚な扉が閉まる残響を背に、オルコット辺境伯の声が大会議室の静謐を震わせた。

 呼び止められたバルカスは、歩みを止めることなく僅かに顎を引いて応じる。


「手短にお願いしたい。レグスに急ぎ戻らねばならんのでな。――ジャック君、あとは任せる」


「畏まりました」


 傍らに控えていたジャックが深く腰を折り、主人の背が廊下の向こうへ消えるのを見届けた。

 彼は無言のまま、控えていた『海鳥』の娘たちへ視線で指示を送る。

 主たちの去った会議室には、ただ冷え切った空気だけが取り残された。


 食堂。

 高い天井の下、磨き抜かれた黒檀の食卓には、窓から差し込む冬の斜光が鋭い直線を引いていた。


「アル、出撃まで少しは休んだらどう?」


「ああ。このあと仮眠を取るつもりだ」


 アルベルトは差し出された茶器を手に取り、椅子に深く身を沈めた。

 乾いた喉を潤す僅かな音が、出撃前の喧騒の中に消えていく。


 突如として扉が開き、アンナマリーが踏み込んできた。

 彼女は迷いのない足取りでメリーの正面へ歩み寄ると、唐突にその足を止める。


「……メリーちゃん」


 吐息のような呼び声と共に、アンナマリーは、メリーの細い身体を壊れ物を扱うかのように強く抱き締めた。


「何?」


 メリーの双眸は虚空を捉えたまま、抱擁を拒むことも受け入れることもなく立ち尽くす。

 やがてアンナマリーが弾かれたように身体を離した。

 逆光に照らされたその頬には、言葉にならなかった感情が涙の跡となって光っている。

 彼女は何も語らず、翻した背で風を切りながら食堂を走り去った。


「ホントに何?」


 メリーは無人となった扉の空間へ、戸惑いの混じった視線を向けている。


「アル、変なマリーさんを追いかけなくていいの?」


「アンナマリーだ」


 アルベルトは短く訂正すると、僅かに口端を歪めてお茶を飲み干した。


「よくわからないけど、そんなマリーさんの傍にいてあげた方がいいんじゃない?」


「アンナマリーだ」


 アルベルトはもう一度その名を口にし、椅子を引く重い音を響かせて立ち上がると、彼女の後を追うように食堂を後にした。


「出撃前に感情的になっているのかしら……?」


 独り言ちたメリーの言葉は、あわただしい喧騒の中に霧散した。


「……メリュジーヌ」


 背後から、音もなく忍び寄ったフェリシアがその名を呼ぶ。


「何?」


 メリーが振り返るよりも早く、フェリシアの両腕がその後ろからメリーの肩を包み込み、引き寄せるようにしてその背中を抱き締めた。


「もう、ホントに何なのよ……」


 メリーの問いに対し、フェリシアは沈黙したまま、腕の力を強めた。


     ──────


 オルコットの執務室。

 磨き抜かれた机上に置かれた白磁の器が、窓から差し込む硬い光を跳ね返している。

 静寂が支配する部屋の中で、オルコットとバルカスの二人は、互いの呼吸さえも測るかのように対峙していた。


「子爵殿。お主、知っておったな?」


 オルコットが静寂を破り、探るような視線を投げかけた。

 その眼光は鋭く、言葉の裏に潜む真実を抉り出そうとする。


「何です? 突然」


 バルカスは表情を変えず、淡々と問いを返す。

 揺るぎないその態度は、鉄壁の拒絶にも似ていた。


「メリーちゃんの目的じゃ。お主はそれを知って、人が変わったように自領の復興を始めた」


 オルコットの指摘を、バルカスはわずかに首を振って否定した。

 その瞳の奥には、領主としての矜持が静かに灯っている。


「自領の復興は、西側大穀倉地帯構想の一部でしかない。私がやったことはその地盤づくりだけだ」


「メリーちゃんの目的は何だ?」


「言えません」


 詰め寄る辺境伯に対し、子爵の答えは簡潔であった。

 短く放たれたその拒絶が、室内の温度を一段下げたかのように錯覚させる。


「なぜじゃ。ワシら辺境伯領まで巻き込んでおいて、目的も言えんとはどういうことじゃ」


 オルコットの語気が強まる。

 老境の獅子が放つ威圧感を受け流し、バルカスは静かにその真意を説いた。


「メリー君はこう言っていた。自分で気づかないと『それ』は彼の芯にはならない、と。私から言えるわけがない」


「お主もメリーちゃんと共に、『それ』に生涯全てを捧げる気でおるのか」


 問いは、二人の歩むべき道の険しさを問う重みを持っていた。

 バルカスの瞳に宿る熱量が、一際強く増していく。


「自分の生涯だけで済めばマシだ。そんな安い覚悟で事に臨んでいるなどと見くびるのはやめていただきたい」


「そうか。お主も……」


 感嘆とも諦悶ともつかぬ声を漏らすオルコットに、バルカスは揺るぎない口調で言葉を継ぐ。

 もはや迷いなど一片も残っていない、殉教者のような響きであった。


「狂っているとお考えか? その通りだ。メリー君も私も狂っている。そう表現するのが一番適切だ」


「何がそこまでさせる? メリーちゃんは何を目指しておるのじゃ」


「目指しているものは一つ、王国の再建だ。そんなことはみんな知っているだろう」


「それはわかる。わからんのは、なぜメリーちゃんとお主がそれを始めたか、じゃ。お主は、国を変えるほどの野心家ではなかっただろう」


 オルコットの戸惑いに対し、バルカスはわずかに視線を落とした。

 しばしの沈黙が、高く昇った陽光に照らされた室内を重く満たしていく。


「野心などではない。戦後復興もできずに、この戦後の時代を過ごしてきた人間すべてにその責任と義務がある。メリー君はそう言っていた」


「馬鹿な……。それをメリーちゃんが背負い込む必要はないだろう」


 それは慈悲に近い、オルコットの本音であった。

 しかしバルカスは、その甘さを断ち切るように言い放つ。


「その通りだ。だが彼女はそれを全て背負う気でいる。私もそのつもりだ。馬鹿だと罵るのはかまわない。だが、そこに異を唱える資格は誰にもない。辺境伯、あなたにもだ」


 バルカスの断固たる拒絶が、室内の空気を鋭く張り詰めさせる。

 しばしの間、二人の間に重苦しい沈黙が横たわった。


「……止まる気も、後戻りをする気もない、か」


「どこに戻れというのだ。あの大戦で、我々が戻るべき場所など無くなってしまった。前に進むか、そのまま泥濘で朽ちるかしかない」


「……むぅ」


 オルコットは唸り、押し黙った。

 バルカスは窓の外、高く昇った陽光に照らされた庭園へ視線を投げ、静かに問いを発する。


「辺境伯は、なぜ初戦がギルガルド領になったとお考えですか?」


「メリーちゃんが言っておった。これからの橋頭保に最適な立地だと」


「それは正しい。メリー君はいつも正しいことを言う。だが、その正しさに騙されてはいけない」


「どういう事じゃ?」


 怪訝そうに眉を寄せるオルコットに、バルカスは惨烈な真実を突きつけた。


「そこに気付くか否かが、覚悟の差だと知ってほしい。メリー君は、自分の手で血の繋がった父親を討つところをアルベルト王子に見せるつもりだ」


「まさか……お手本? そうか……アルベルト殿の罪悪感を削ぐため……か? そのためだけに、まず自らが父親を討つ、と?」


「その通りだ。アルベルト王子も、いずれは血の繋がった弟を討つのだろう? ならば、まず自分が肉親を討つところを見せる。メリー君の考えそうなことだ」


 戦慄がオルコットの背を走り、老いた身体が僅かに震える。

 窓から差し込む光さえ、今は冷たく感じられた。


「……ワシは覚悟が足らんかったと思っておる。それを聞いて、まだ足りておらんという事がわかった」


「足りない覚悟は埋まりそうですか?」


 バルカスの問いに、老境の武人は腹を括った。

 その双眸に、かつて戦場を駆けた獅子の如き鋭さが戻る。


「ワシにできることは一つだけじゃ。ワシは将軍を討つ。差し違えてでも」


「西に辺境伯、中央に将軍あり、か。確かに辺境伯ならではの役割だ」


「そこまでやっても、ワシはただの駒なんじゃろう。メリーちゃんにとっては」


「いいではないですか。駒で結構。私も駒に徹することが許されるのであれば、そうありたい」


「お主は何をやるつもりじゃ?」


 オルコットの問いに応じ、バルカスは自らのこめかみを人差し指で軽く叩いた。


「私の武器はこれだ。戦争は武力だけではない。私の頭脳と、私が作った『海鳥部隊』で成果を出してみせましょう」


「ふむ。お主が目指しているのはどこだ?」


「私は、常にメリー君と対等以上の大人であることを自分に課している。それだけが、子供であるメリー君の、ただ一つの救いであると信じて」


 バルカスは、遥か先を見つめるような眼差しで答えた。

 その言葉には、少女に向けた唯一の、そして最も深い慈しみが込められていた。


「なるほど。あのメリーちゃんに頼られる大人か。骨が折れそうじゃ」


 オルコットが深く息を吐き、張り詰めていた空気が僅かに緩む。

 対談の終わりを悟らせる、穏やかな風が室内を抜けた。


「ご武運を」


「お主もな。時間を取らせて済まなかった」


     ──────


 オルコット辺境伯邸の前広場。

 整然と並ぶ将兵の鎧が、高く昇った陽光を反射して眩い光を放っている。

 正面には辺境伯領騎士団が陣取り、その左翼にはレグス商会の私兵と『海鳥部隊』が控えていた。

 すべてを合わせても三百名に満たぬ小規模な軍勢。

 だが、この寡兵こそが敵城を落とすに十分であるというのが、練り上げられた策の結論であった。

 残る戦力はガレルに託され、西の海より来たる脅威に備えてこの地に留まる。


「総大将であるアルベルト殿が先頭に立つ。その後ろに騎士団が続け。途中二度の休憩を挟み、ギルガルド領に到達する。戦闘は開始から一刻で片付ける。各員そのつもりで」


 オルコットの剛毅な声が広場に響き渡り、兵たちの士気を研ぎ澄ませていく。

 その最前列、一頭の騎馬に跨るアルベルトが、抜身の剣の如き鋭い眼差しで前方を見据えた。


「行くぞ!」


 アルベルトの咆哮とともに、軍勢が動き出した。

 蹄の音が大地を叩き、馬車と歩兵がその背中に続く。


 この日、王国全土を塗り替えることになるアルベルトの進撃が、静かに、しかし力強く幕を開けた。



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