第27話:因縁、亡国の亡霊、アルベルト励む
「話さねばなるまい。この国の闇を」
剥き出しの岩盤を思わせる無骨な相貌を、苦渋の色が歪める。
オルコット辺境伯の視線は、嵐のようなアンナマリーが去った後の静謐な執務室に、一筋の影を落とした。
「ガーディスという国のことを知っておるか?」
辺境伯の隻眼の奥に宿る濁った光が、正面のアルベルトを射抜く。
「現ガーディス自治区のことだな」
アルベルトの淀みのない確認に応じ、辺境伯は肺の底から重い嘆息を吐き出した。
「そうじゃ。王国と帝国に挟まれた可哀想な国じゃった」
辺境伯の太い指が、古びた地図の上に引かれた国境線をなぞる。
「鉄の産出と外交だけで生き延びておったんじゃが、鉄を掘りつくした途端、王国に武力で制圧され、植民地となった」
語られるのは、歴史の裏側に埋没した非道。
「八十年くらい前かのう。ワシも生まれておらん昔の話じゃ。今は王国の植民地として、小麦を作っておる」
かつての鉄の産地が辿った、喉を焼くような変節。
その言葉に含まれた重積をなぞるように、バルカスが眉をひそめた。
「そして、王国との取り決めで、ガーディスの王族に姫が生まれたら王国に差し出すという約束になっておる」
辺境伯がさらに残酷な契約を明かすと、バルカスは手元の書類を無意識に握りしめた。
「……貢ぎ物、か」
「それもあるじゃろうが、人質と言う側面も強い。ガーディスの民が反乱を起こさぬように、じゃな」
王国の安寧を支える、あまりに卑劣な枷。
「そして人質の姫は王国の側室となり、子供が生まれても王位継承権は与えられんことになっておる」
辺境伯の拳が、重厚な樫の机の上で軋んだ。
「それがヴォルガンか」
アルベルトの静かな問いに、辺境伯は重く頷く。
「そうじゃ。ヴォルガン国王の母ミディアはガーディスから連れてこられた人質の姫じゃ」
「では、先の第二王子派のクーデターは……」
アルベルトの瞳の奥で、確信に近い熱が灯る。
「ヴォルガンの意思か、母ミディアの策略なのか、はたまた宰相ガメル・ガーディスの陰謀か、わからん。第二王子派が全てガーディス関連である、となれば話は早いんじゃがのぅ」
「辺境伯はどうして第二王子派に?」
バルカスの問いに、オルコットは漆黒の鎧を鳴らし、自嘲の笑みを浮かべる。
「第二王子派、というわけではない。王位簒奪の邪魔をするなと金を握らされただけじゃ」
辺境伯は一拍置き、窓の外の荒野を見据えた。
「戦後復興もままならぬ王を討ち、国を良くするから黙って見ていろと言われれば、国を憂う貴族としては黙るしかあるまい。そもそも辺境伯の在り方は、西の海を越えた国からの危機に対する為の物じゃからな。国内の情勢には口を出さん」
その言葉に、バルカスが深く頷いた。
「西に辺境伯、中央に将軍あり。ですね」
「そうじゃ。その中央がきな臭い」
辺境伯の低い声が、執務室の空気を冷やす。
「ガーディスの末裔が暗躍していると?」
バルカスが身を乗り出し、確信に迫る。
「帝国に内通している者もいるとの話もあるのぅ」
「王国を潰すのが目的、だという事ですか」
バルカスの指摘に、辺境伯は窓の外、帝国の方向へと視線を投げた。
「それがガーディスの復讐であるか、王国自体の売国政策であるかはわからん」
「ヴォルガンは売国政策はやらないだろう」
アルベルトの断定に、辺境伯も短く応じた。
「そうじゃな。先王が帝国寄りの売国奴であるとして断罪したヴォルガン国王が売国政策、それはないだろうな」
「ガーディスの復讐、そう考えた場合……」
バルカスがその先の惨状を読み解こうとする。
「王国の崩壊、王族の血の根絶やし、かのう。アルベルト殿が生きておれば、誰かが擁立して王国の再興をやらんとは限らん。今のワシらのように」
辺境伯の言葉に、バルカスが視線を鋭くした。
「王族の血を抹消するのが目的である場合、アルベルト王子はもちろん、ヴォルガン国王も復讐の対象、となるのでは?」
「なるじゃろうな。半分とは言え王族の血が混ざっておるのじゃからな」
「ガーディスの復讐に利用されて捨てられる、と?」
バルカスの懸念を、アルベルトが力強く否定した。
「ヴォルガンはそんなタマじゃない。逆に利用しているくらいあってもおかしくない」
確信に満ちた言葉が室内の澱んだ空気を切り裂く。
アルベルトは視線を転じ、影に潜む者たちへ問いを投げた。
「『海鳥』は?」
「この三年で王国中に根を張ったッス。中央はやっぱり怪しいッスね。あの『梟』に帝国の諜報員が混ざってるッスよ」
赤毛の少女が即座に応じ、その横でジャックが無言で頷いた。
赤毛の報告を補足するように、ジャックが低い声で継ぐ。
「辺境伯領に潜んでいた『梟』にも帝国の息がかかっていました」
「なんと……」
目に見えない部分を侵食されるというおぞましさからか、オルコット辺境伯から低く唸るような声が漏れる。
「……亡国の亡霊か。忌々しいことこの上ないな」
苦虫を噛み潰したような顔でバルカスが吐き捨てる。
「ヴォルガンを斬れば終わり、というわけにはいかないという事だな」
見えない敵を想定しているのか、はたまた斬るべき相手を見据えているのか、アルベルトの視線が凍てつくような抜き身の刃のように鋭くなった。
──────
「セレスタイン公爵家を知っておるか」
オルコットの声は、古びた大樹が軋むような重みを伴って会議室の空気に沈み込んだ。
卓を囲む者たちの視線が、隻眼の老将に集まる。
その眼窩に宿る鋭い光は、十八年前の戦火を今なお映しているかのようであった。
「先の大戦で滅亡した、王国の有力貴族ですね」
バルカスが淀みなく応じた。
「かつて、ガーディスを滅ぼしたのがセレスタイン公爵家なのじゃ」
「……ほう」
「その功績により、以降、王家に嫁入りするのはセレスタイン家、というのが通例となった」
オルコットの言葉に、バルカスは瞬きを止め、目前の情報を利害の天秤へと乗せていく。
「つまり、王家とセレスタイン家は等しく復讐の対象、ということですか」
バルカスが問う。
その声からは一切の抑揚が削ぎ落とされ、ただ眼前の事実を検分する響きだけが残されていた。
「先の大戦で真っ先に潰されたのがセレスタイン公爵家だったと聞くが、これも……」
アルベルトが言葉を継ぐ。
拳を握り、王家の背負うべき因業を噛みしめるような沈黙が流れた。
「ガーディスの復讐だろうな。そのために帝国との国境付近のいざこざを利用し、戦火を飛び火させた。そう考えれば辻褄が合う」
オルコットが吐き捨てるように断じた。
重苦しい沈黙が落ちた。
復讐という名の執念が、十八年の歳月を経てなお、この国の土壌を蝕み続けている。
「なるほど。そして残るはアステリア王家の唯一の生き残りであるアルベルト王子だと」
「ところがそうではない。セレスタイン家の生き残りが二人健在なんじゃ」
オルコットが不敵に笑みを深める。
その貌に刻まれた古傷が、獣の牙のように歪んだ。
「なんと」
「一人はわが娘、アンナマリーじゃ」
「先の大戦時に拾って養女にしたという、アンナマリー様がセレスタイン家の人間だったと?」
オルコットの傍ら、沈黙を守っていたジャックが口を挟んだ。
「そうじゃ。当時まだ六歳だったアンナマリーは社交界にも出ておらず、その存在は公にはなっておらんかった」
「あとの一人は」
バルカスが問いを投じる。
「メリー様ですな」
ジャックが楔を打ち込むようにその名を口にした。
「「「え?」」」
バルカスが、アルベルトが、そして当の本人であるメリーまでもが、弾かれたように顔を上げる。
メリーは無表情のまま、ただ瞬きを繰り返した。
そのエメラルドグリーンの瞳には、困惑すら浮かんでいない。
「メリー様の母君、エリナス様もセレスタイン家の人間でございました」
「そういえばそんなこと言っていたわね。王妃の血筋がどうとか」
他人事のように呟く少女のそ視線の先で、ジャックが無言で頷いた。
「復讐の相手が西側に三人集まっているこの状況は……」
バルカスが顎に手を添え、思考を巡らせる。
「まとめて消せるように見えてそうでもない。帝国に背を向けてこちらに進軍できない中央は歯痒いじゃろうな」
オルコットが、盤上の均衡を指摘した。
「私たちを消す前に、中央が、王国が帝国に滅ぼされることもあるわね。そのガーディス? とかいう連中の復讐とやらで」
メリーは視線を地図から外すことなく、独り言のようにそうこぼした。
「そうなったらワシのところと子爵領を合わせて、王国から独立すれば良い」
「その前に俺がヴォルガンを斬って玉座を手にし、王国を再建する。王国はそんな奴らの好きにはさせない」
アルベルトの拳が、地図の上で固く握り締められた。
その眼差しは、遠く王都の空を刺し貫いている。
「そうじゃ。だが、最悪の事態も想定しておくべきじゃろう」
「中央からの経済封鎖をものともせず、西側はそれこそいつでも独立できるほどの力をつけた。今を逃す手はないな」
バルカスは卓上の書類から顔を上げ、正面のアルベルトをただ真っ直ぐに見据えた。
「そうじゃな。辺境伯領もガレルに任せた。ワシが動けるうちに中央に攻め込む」
オルコットが応じ、その老いた身体から戦場の熱気を放った。
決意は固まった。
メリーが白皙の指先で、地図の一点を静かに指し示す。
「行きましょう。まずは……」
メリーが言葉を区切り、地図の一点へと指先を滑らせた。
「ギルガルド伯爵領だな」
バルカスがその指の先を、まるで獲物を定めるように鋭く見据えて応じた。
「ええ。辺境伯領から山道ですぐ。中央への足掛かりにする拠点としては最適の立地よ」
卓上の地図が、次々と打ち付けられる指先によって、戦域図へとその姿を変えていく。
西の果てに閉じ込められていた胎動が、山脈の向こう側に広がる広大な王国領へと、音もなく牙を剥き始めた。
──────
翌朝、オルコット辺境伯邸の食堂には、今回の遠征に携わる主な面々が顔を揃えていた。
だが、漂っているのは出陣前の悲壮感ではなく、どこか落ち着かない、妙に浮ついた空気だ。
「……一度、レグスに戻るのか」
ガレルが、手元の食事を止めずにジャックへ問いかけた。
「はい。『海鳥』をまとめ直し、レグス商会の私兵を再編せねばなりません。連れていく面々も、一度精査する必要があります」
ジャックが淡々と応じる。
「そうか。いつ戻ってくる」
「二日もあれば十分かと。アルベルト様については、レグスに戻る必要はありませんな。我々だけで足ります。……『海鳥』を数人、護衛に残していきますので」
その言葉を受け、アルベルトが静かに口を開いた。
「ガレル。……俺の鎧を用意してくれないか」
「ふむ」
唐突な要求にガレルが眉を寄せる。
アルベルトは、自分を見つめるジャックたちの視線を受け止めながら続けた。
「これから立ち向かう相手に対し、俺も相応の覚悟を示したい。『アルベルト・アステリアここにあり』を体現するような、旗印となる装いに身を包むべきだと考えている」
ジャックたちが一度戻る間に、自分は西側の武力を背負う形を整える。
その意図を汲み取り、ガレルは力強く頷いた。
「いいだろう。アルベルト殿の体格なら、二日あれば最高の一領を仕立ててみせる」
「世話になるな」
話が一段落したところで、それまで黙々とフォークを動かしていたメリーが、ふと顔を上げた。
「アル、昨夜はアンナマリーさんの部屋に行ったの?」
直球すぎる問いに、アルベルトの喉が詰まった。
「……っ!?」
「アルベルト殿! ……もしや!?」
オルコットがおろおろと狼狽する。
メリーが壁際の『海鳥』たちへと視線を向けた。
「機密情報ッス」
『海鳥』の赤毛が答えた。
「機密って……」
メリーが呆れたように溜息をついたが、追い打ちは正面からやってきた。
「昨夜だけでは子供を授かっていない可能性もあります。今日と明日も励んでいただきますよ、アルベルト様」
アンナマリーが、事も無げに紅茶を啜る。
(((やっぱり励んだんだ……)))
一同の心の声が一致した瞬間だった。
「あ……ああ……」
歯切れの悪い、というよりは魂が抜けたような声を出すアルベルトに、彼女はさらに畳みかける。
「今回だけではありません。子供は最低二人。姉、弟の順が理想です。よろしいですね?」
「……ああ……努力する」
早くも尻に敷かれそうな様子で、アルベルトが力なく頷く。
「アンナぁ……」
父、オルコットの力ない呟きだけが、朝の食堂に虚しく響いた。




