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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第1部:野生の伯爵令嬢、野良王子を拾う
25/55

第25話:鉛雲、東の重石、王都はただ沈黙する

「東に帝国の脅威、西にアルベルトか。何とも面倒なことだ」


 王都の空は、全ての色を塗り潰すように重く垂れ込めた、鉛色の雲に閉ざされていた。

 豪奢な装飾が施された王城の奥深く、戦略会議室には怒声も歓声もなく、ただ張り詰めた沈黙だけが澱のように漂っている。

 国王ヴォルガン・ガーディス・アステリアは、卓上に広げられた大陸地図を凝視していた。

 その視線が射抜いているのは、アルベルトが雌伏する西側ではない。

 反対側にある東――帝国との国境線だ。


「……動かせん、か」


 ヴォルガンが低く唸る。

 早馬による報告によれば、隣接する東の帝国軍が、国境付近で大規模な軍事演習を開始したという。

 越境こそしないものの、兵器の砲口をこちらへ向けた明らかな牽制行動。

 西の反乱分子を鎮圧するために、王都防衛の要である「第一軍」を動かせば、その無防備な背中を帝国に刺される。

 父や兄の弱腰を断罪し、力による統治を掲げて王位を簒奪した彼が、結局は「国力の低下」という現実に手足を縛られ、玉座の上で身動きが取れなくなっている。

 皮肉な事実に、ヴォルガンの眉間に深い皺が刻まれた。


「辺境伯がアルベルトについた以上、地方軍の寄せ集めでは勝てん。だが、正規軍は釘付けだ」


 ヴォルガンは感情を押し殺し、物理的な事実のみを口にした。

 そこには兄アルベルトへの情も、個人的な憎悪もない。

 あるのは、自身の統治下で発生した不穏な種を、即座に撤去できないという王としての焦燥だけだ。


「西は放置するしかないでしょうな」


 宰相ガメルが、面白くもなさそうに吐き捨てる。

 ヴォルガンは地図から目を離さぬまま、首を横に振った。


「放置して西が力をつけるのを待つのも得策じゃないな」


「では、如何なさいますか」


「ひとまず物流と人の行き来を制限しろ。経済的に追い詰め、西側を干上がらせる」


 ヴォルガンは一切の熱を排した昏い瞳で、次の一手を盤上に並べる。

 真綿で首を絞めるような遅効性の毒だが、即効性のある劇薬(軍事介入)が使えない以上、選択肢は限られていた。


「ああ、それとギルガルド家と暗殺者部隊は変わらず差し向けろ。成果があれば御の字くらいに考えておけばいい」


「は。そのように手配いたします」


「まずは帝国だ。将軍を呼べ」


 ヴォルガンは地図上の西側から興味を失ったように視線を外し、東の脅威へと意識を集中させる。

 こうして、王都が東の重石に足を取られ、西へ背を向けたその判断。

 それこそが、不穏な種が芽吹き、根を張り、結実するために最も必要な「時間」という猶予を与えてしまったことに、彼らはまだ気づいていない。


     ──────


 戦略会議室の重苦しい空気とは無縁の別室。

 王太后ミディアは、窓の外、雨に煙る王都を見下ろしていた。

 窓ガラスを叩く雨音が、規則的なリズムで室内の静寂を刻んでいる。

 ヴォルガンの生母であり、先王の側室だった女は、その陰鬱な灰色の景色を前に、微かな笑みを浮かべていた。


(いいわ。とてもいい)


 東の帝国という巨大な重石に縛られ、王都は呼吸を忘れたように沈黙している。

 その硬直の隙に、西の辺境では、破滅をもたらす不穏な果実が誰にも邪魔されることなく熟しつつある。

 アステリア王国が崩壊へと向かう歯車は、静かに、しかし確実に回り始めていた。

 ミディアは濡れた窓ガラスに映る自身の顔に向け、美しく、艶やかに微笑みかけた。


第1部 完

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