第23話:街道、反逆の意志、帰ってくれ辺境伯
「山側に農地、海側に防風・防砂林か。理に適っておる」
重厚な革張りのシートに沈み込んだ老将が、分厚い窓硝子の向こうを流れる景色に目を細めた。
視線の先、整然と並ぶ植林された若木たちが、海からの塩を含んだ風をその身に受け止め、背後に広がる耕されたばかりの黒土を守護している。
車輪が石畳を噛む音は、驚くほど静かだった。
かつて泥濘と轍に支配されていた悪路は、いまや馬車の振動を心地よい律動に変えるほどに整備されている。
「まだヴォルデンまで完全に繋がってはおりませんが、既存の旧道を経由すれば往来に支障はありません」
向かいの席、バルカスが答えた。
「街道脇の細い道は農道か。荷馬車の往来を妨げぬよう分離しておるのだな」
オルコットの眼光が、道端の光景を捉える。
装飾を削ぎ落とした無骨な軍用馬車に対し、荷を積んだ農夫の荷車が即座に脇道へと退避し、道を譲る。
「あの畑、何を作っておる?」
「芋と豆です。麦も試しましたが、潮風と土壌が合いません。年に一度の収穫では、投資に見合うだけの実入りが得られない」
「……ふーむ」
オルコットは顎髭をさすり、喉の奥で唸った。
戦術家としての計算が、その脳内で走っている。
海沿いの気候、背後の山脈、その土地で育つ作物。
整備された物流網。
それらが意味するものを、彼は正確に咀嚼していく。
「酪農は?」
「牧草が育つ平地が足りない。多少は手を出していますが、このレグス周辺では限界があります」
「……ふーむ。そういうことか」
老将の隻眼が、鋭い輝きを帯びた。
「わが領の山あいの盆地、あるいは山岳部の斜面ならば、麦も酪農も可能だ」
「ええ。それに、山で栽培できる果実、林檎や葡萄があれば酒も造れる。ヴォルデン側では南国の果実を育てていますが、彩りが足りない」
オルコットは口の中を潤すように水を一口含み、その瞳だけは獲物を狙う狩人のようにをバルカス見据えた。
「しかし、街道を繋ぐということは、軍事利用も可能になるということだ。貴公の軍が、この道を北上せぬ保証はあるまい」
「当領が、辺境伯領に? むしろ危惧すべきは、その逆だ」
「それだけではない。ここが物流の心臓となれば、血管たる街道を持たぬわが領の商人は干上がる」
「変化に対応できぬ者は淘汰される。商売とは、戦場よりも残酷なものです」
「貴公の領都では暴動にならんのか?」
「レグスの商売は、領都の商会が担っています。価格協定と関税の撤廃。互いに利益を共有する地盤を構築済みです」
オルコットは深く息を吐き、背もたれに巨躯を預けた。
窓の外、並走する二騎の影が見える。
筋肉の塊のような愛馬に跨る息子ガレルと、それに遅れを取らず追随するアル。
言葉など交わさずとも、男たちは風と筋肉の言語で対話しているようだ。
その牧歌的な光景とは裏腹に、馬車の中には静かなる経済戦争の最前線があった。
「西側は変わるな。中央が警戒するほどの勢力になり得る」
「目を付けられるでしょうね。杭は打たれる」
「どうするつもりだ? せっかく芽吹いた復興の苗を、中央の巨足に踏み潰されるぞ」
「ええ。なので、踏み潰せぬほどの価値を持つしかない。我々西側は、中央にとっての脅威となる程の強みを持つ必要がある」
「……その強みを、どう作る?」
バルカスの視線が、横に座る少女へと向けられた。
ここまで沈黙を守り、ただ車窓の外を流れる風景を眺めていたメリーが、ゆっくりと顔を戻す。
「領都ヴォルデンからレグスを経由し、辺境伯領までを街道で貫通させる。その沿線全域を大穀倉地帯とし、王国の食糧庫にするわ」
少女の唇から紡がれたのは、あまりに巨大な絵図だった。
「あの倉庫群も、そのためのものか」
「レグスの倉庫は物流のための物よ。真の食糧庫は、保管に適した冷涼な気候を持つ辺境伯領にこそ建設すべきだわ」
メリーは淡々と、しかし確信に満ちた口調で続ける。
「例えば、中央の農地が干ばつで飢えた時、レグスからは海路で、辺境伯領からは陸路で、迅速に物資を供給する。我々が目指す『西側大穀倉地帯構想』は、王国の動脈になることよ」
「平時は食料品の関税を低く抑え、有事には無償で放出する。首根っこを押さえつつ、恩も売る。これができれば、中央も文句は言えまい」
バルカスの補足に、オルコットは唸り声を上げた。
単なる金儲けではない。
これは国家の生存本能に食い込む、極めて政治的な戦略だ。
「むぅ。そのための港、そのための街道か。……恐ろしい子供だ」
「そのためには、辺境伯領の土地と協力が不可欠だわ」
「領内で反対する保守派は、ワシが黙らせろということかのぅ」
しばらくの間、車内に重苦しい沈黙と、車輪の音だけが響いた。
オルコットは閉じていた瞼を開き、窓の外、どこまでも続く青空を見上げた。
「時代の変化、か。流れに乗らぬ者は岸辺に打ち上げられる。わが領も、武力という古びた剣だけでは生き残れんということじゃな」
「変化は急激です。流れに乗るのではなく、我々はその流れを作る側に回らねばならない」
「……未来のアルベルト国王への手土産、というわけか」
ここまで、あえて誰も触れてこなかった、核心を突く問い。
この復興の全てが、そこに集約されるべく行われてきた事実。
だが、メリーは瞬き一つせず、即答した。
「そうね。手土産のひとつも持たせずに、送り出すわけにはいかないでしょう」
少女と老将の視線が交錯する。
そこにあるのは、「覚悟」の計量だ。
「西側に反逆の意志あり……か。……あのアルベルト・アステリアを擁しておる以上、必然と言えば必然か」
オルコットの言葉に、バルカスは深く頭を下げた。
「ご決断を」
バルカスの短い結びと共に、オルコットは背もたれに体を預けた。
「見事なものだ。たった一年で地盤を固め、この老骨に……肯く以外の道を選べぬ取引を突きつけるとはな」
それは、西側辺境による経済同盟、そしてアルベルト王子を擁した革命――その第一歩が踏み出された瞬間だった。
ふと、オルコットの視線が街道沿いに建つ奇妙な建造物に留まった。
丸太づくりの平屋構造。
まるで小さな砦か道場のような佇まいだが、殺伐とした気配はない。
「あれは何だ?」
「休憩所です。農夫や商人が足を休めるために、一定区間ごとに設置させました」
「……厠はあるか? どうも歳を取ると、下が近くてな」
老将が漏らした生理的な事実に、メリーは慈愛に満ちた母のようにニッコリと微笑みを返した。
「もちろん。清潔で、快適な場所を用意してあるわ」
──────
馬車が砂利を噛んで停止したのは、街道沿いに設けられた広大な待避所だった。
休憩所と呼ぶにはあまりに堅牢なその建物は、太い丸太と石材で組み上げられ、小さな砦か剣術道場のような威圧感を放っている。
屋根付きの厩舎、荷馬車のための広い駐車スペース、そして一角からは焼却炉の白い煙が細く立ち昇っていた。
馬車を降りるなり、オルコットは無言で、しかし迷いのない足取りで建物の奥へと姿を消した。
残されたガレルは、周囲の光景に目を細める。
街道警備の兵士が巡回し、商人たちが荷を解いて休憩している。
そこには明確な規律があった。ゴミ一つ落ちていない地面が、利用者の意識の高さを雄弁に物語っている。
「アルさん! 今日も精が出るな!」
「ああ。基礎工事の時から随分と見違えたな」
アルはすでに、休憩中の農夫たちの輪の中にいた。
泥にまみれ、共に鍬を振るった者だけが共有する空気感。
そこに王族と平民という隔絶はなく、あるのは同じ事業に汗を流した男同士の等身大の距離だけだ。
「入ってくれ。自慢の休憩所だ」
アルに促され、一行は建物の中へと足を踏み入れる。
内部は板張りの広間になっており、外の無骨さとは裏腹に、床は顔が映るほどに磨き上げられていた。
簡易的な食卓と調理場、そして奥には水浴び場まで完備されている。
「お疲れッス。お茶を淹れるッスよ」
出迎えたのは、レグス商会の制服を着崩した『海鳥』の赤毛の少女だった。
彼女は湯気の立つ茶器と、盆に山盛りになった塩茹でのソラマメ、そして蒸かした芋をテーブルに運んでくる。
その指が、客に出すべきソラマメを一つ摘まみ、悪びれる様子もなく自身の口へと放り込まれるのを、メリーは虚無の瞳で見送った。
(……どこにでも現れるわね、この女)
「……ふぅ。生き返ったわい」
奥の扉が開き、憑き物が落ちたような晴れやかな顔でオルコットが戻ってきた。
「トイレがあると助かるな。それも、戦場の野壺とは雲泥の差だ」
「良い休憩所だ。機能的で、無駄がない」
ガレルも椅子を引き、出された茶を啜る。
その視線が、壁に掲げられた額縁に留まった。
力強い筆致で、三つの心構えが記されている。
一、街道を清潔に、休憩所も清潔に
二、街道にゴミを捨てるな、街道で用を足すな
三、稼ぐに追いつく貧乏なし
「良いな。誰に強制されたわけでもない。皆がこの街道、この場所を大切にしているのがわかる」
「ああ、いいよな。こういうの」
誇らしげに語るアルの横顔を、ガレルは眩しいものでも見るように見つめた。
(……どこにでもあるわね、この標語)
メリーはソラマメの皮を剥きながら、どこか遠くを見るような目で標語を眺めていた。
「街道、農場、そしてこの休憩所。どれも素晴らしい」
ガレルは深く頷き、改めて周囲の農夫たちの笑顔を見渡した。
そこにあるのは、誰かに強いられた規律ではなく、自らの足で立つ者たちの活気だった。
「箱を作るのは簡単だ。だが、そこに魂を入れるのは容易ではない。当領にもこれが必要であることは、よくわかった」
「そうじゃのぅ。良いものを見せてもらったわい」
オルコットが大きく頷き、蒸かし芋を手に取る。
窓の外から聞こえる農夫たちの笑い声と、湯気の向こうの穏やかな空気。
先刻までの馬車内での緊張が嘘のように、そこには、確かな復興の温もりだけが満ちていた。
──────
「父上、オレは決めた! リタと結婚してレグスに移り住む!」
静寂に包まれていた商会の食堂に、テーブルを叩く乾いた音が響き渡る。
視察から戻り、遅い昼食と茶で喉を潤していた一同の視線が、一斉にその男――シリル・オルコットへと集まった。
彼は身を乗り出し、父である辺境伯を真っ直ぐに見据えて宣言した。
「何を言っとるんだお前は!?」
次男とはいえ、辺境伯家の人間が他領に、それも復興途上の子爵領に定住するなど、前代未聞の事態だ。
だが、若き情熱は父の動揺など意に介さない。
「これから、リタの実家に挨拶に行く。父上も同席してくれ」
「こ、これからぁ!?」
矢継ぎ早に繰り出される言葉の連撃に、歴戦の猛将がたじろぐ。
のんびりと紅茶を飲んでいたメリーは、まだまだ終わりそうもないオルコット一行の滞在に眉をしかめた。
「次から次へと問題を起こしてないで、さっさと帰りなさい!」




