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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第1部:野生の伯爵令嬢、野良王子を拾う
21/21

第21話:春雷、呪いの人形、オルコット辺境伯再び

「川が流れるように、とはこのことですな」


 ジャックが窓の外を眺め、独り言のように呟いた。

 眼下からは、石畳を軋ませる車輪の音と、飛び交う人々の怒声にも似た活気が、奔流となって室内に満ちていた。

 冬の間、街を白く塗り込めていた沈黙は消え去り、代わりに湿った土の匂いと、乾いた風が巻き上げる砂埃が、春の到来を物理的に告げていた。


「暖かくなったわね」


 メリーは開け放たれた窓枠に肘をつき、目を細めた。

 吹き込んでくる風には、冬の間この街を支配していた凍てつく冷気はもうない。

 張り詰めていた冬の緊張が解け、少女の肩から力が抜ける。


 隣に立つアルもまた、穏やかな眼差しで往来を見下ろした。


 部屋の中央では、バルカスとベルンが革張りのソファーに向かい合って腰掛けている。

 二人の手元には、リタが淹れた紅茶。


「……一台、明らかに荷馬車じゃないのが混ざってるぞ」


 窓の外を眺めていたアルが、低い声で言った。

 メリーが視線を巡らせる。

 生活物資を運ぶ雑多な荷馬車の列の中に、不自然な空白が生まれていた。

 周囲の馬車が、道を空けている。

 そこを進んでくるのは、装飾を削ぎ落とした無骨な軍用馬車と、完全武装の騎兵たち。

 掲げられた旗には、二本の剣が交差する紋章が描かれている。


「……来たわね」


 メリーは小さく息を吐いた。


「またあの御仁は、前触れもなく唐突に……」


 ジャックがやれやれと首を振る。


「何でここじゃなくて、港に向かってるんだ?」


 アルが眉を寄せる。

 バルカスがことりと音を立ててカップを置いた。


「黙って眺めているわけにもいくまい。行くぞ」


     ──────


 レグス商会の正面玄関前。

 馬から降り立った男は、まるで岩塊のような質量を持っていた。

 父である辺境伯譲りの巨躯。

 鎧の上からでも分かる筋肉の密度。

 地面を踏みしめるたび、舗装された石畳が悲鳴を上げているかのような錯覚を覚える。

 だが、その顔立ちは野性味溢れる父とは異なり、丁寧に整えられた顎髭と、理知的な瞳を持っていた。


「ガレル様!?」


 リタが驚きの声を上げる。


「――突然の訪問、詫びよう。オルコット家が長兄、ガレル・オルコットだ」


 男の声は、静かだが、地面の底から響くような重低音だった。

 彼は慇懃に頭を下げ、部下に目配せをする。


「要件の前に、これを受け取ってもらいたい」


 差し出されたのは、見慣れた木箱。

 蓋の隙間から甘い香りを漂わせる「蜜林檎」だ。

 そしてもう一つ、ガレル自身が恭しく抱えた小ぶりの木箱があった。


「まぁ。ご丁寧にありがとうございます」


 メリーはスカートの裾を摘み、完璧な淑女の礼で応えた。

 外交用の仮面を貼り付け、その小箱をリタへと引き渡す。


「此度の要件は買い付けだ。……しかもきわめて個人的な。平たく言うと、妹の『おねだり』に、父上と私と弟が揃って駆り出されている始末だ」


 ガレルが大真面目な顔で溜息を吐く。

 あの『剣鬼』を擁する武門の家柄が、娘の「おねだり」一つで総動員されている。

 その事実に、アルはなんと反応すべきか迷い、曖昧に口元を引き攣らせた。


「シリル様もいらしているのですか?」


「ああ、リタに会いたがっているぞ。むしろ弟の目的はそちらだな。……会ってやってくれ」


「はい」


 リタは表情を崩さず、短く肯定する。

 メリーは無言でガレルを見上げる。


「リタは、弟の婚約者だ」


 ガレルの言葉が、春の風に乗って落ちた。

 メリーは眉一つ動かさなかった。

 ただ、脳内でカチリと音がした。

 ああ、この有能な侍女が家を出されたのはそういう……。


「学業に専念させるため、父上が物理的に引き剥がしていただけだ。シリルは今春、無事に卒業した」


 ガレルが補足する。

 嘘をついてまで恋仲を引き裂き、勉強させようとする親心。

 娘のおねだり振り回される『剣鬼』の姿。

 武門の頂点にあるまじき人間臭い内情に、バルカスが鼻を鳴らした。


「あの辺境伯を使いっぱしりか、豪胆な娘さんなのだな」


「おお、ブラッドレイ子爵。久しいな。貴殿が跡目を継いだ時の『襲名披露』以来か」


「子爵様。アンナ様はおねだり上手なだけで、悪女であるとか圧が強いとかではありませんよ」


 リタが即座に訂正を入れる。

 そこには、仕える主家への敬愛と、婚約者の家族に対する配慮が滲んでいた。


「ちょっと、悠長に話してる場合? 早く港に行くわよ」


 メリーが手を叩く。


「慌てる必要はない。他領で問題を起こすほど見境のない父上ではない。ここで待っていればそのうち来るだろう」


「ふむ。では私はここで待つとしよう。街中で挨拶もなんだしな。バズ君、馬を厩舎へ。リタ君、ガレル殿の案内と辺境伯一行のもてなしの準備を」


「承知」

「はい」

「ッス! 非番の子たちを連れてくるッスよ」


 リタの背後から、影が湧き出るように赤毛の少女が現れた。

 商会の制服を着崩した彼女は、あたかも最初からそこにいたかのように、自然な動作で準備を始めている。


 ジャックが満足げに目を細めた。

 彼女がガレルの一行に張り付いていたということは、港へ向かった本隊にも、すでに別の『海鳥』が張り付いているということだ。


「とは言え、ここで待ってるのもな」


 アルが港の方角を見やった。

 騒ぎの中心地からは、潮風に乗って微かな喧騒が届いている。


「行きましょう」


 メリーが歩き出す。

 その背中を追って、アル、ジャック、そしてベルンが続く。


     ──────


 商業区画から港湾区画へと続く大通りは、春の陽気と復興の熱気で沸き返っていた。

 軒を連ねる出店の呼び込みと、行き交う人々の喧騒。

 その雑踏の中に、一般人と変わらぬ服装をした少女たちが混ざっている。

 『海鳥部隊』。

 彼女たちは決してメリーたちに近づくことなく、しかし決して目を離さず、一定の距離を保ったまま円形の防衛線を維持して移動していた。


 その中心を、メリーとアルが並んで歩く。

 一歩下がった位置には、ジャックとベルン。


 路地から飛び出してきた幼い少女が、指をさして声を上げた。


「あ! メリーちゃんだ!」


 その少女の声が、火種だった。

 空気が震えるなどという生易しいものではない。

 黄色い悲鳴と、野太い絶叫。

 質量の異なる二つの轟音が混ざり合い、物理的な衝撃波となって彼らを襲った。


「メリーちゃん!」

「本物のメリーちゃんだ!」

「おうふ! 生メリーちゃんでござる! 初めて見たでござるよ!」


(メリーちゃん? 生? ござる?)


「愛想笑いくらい返してあげた方が良いぞ」


 隣を歩くアルが、口元だけで笑いながら小声で囁いた。


「そ、そう?」


 メリーはぎこちなく口角を持ち上げ、声のした方へ顔を向けた。


「ふおおおお! メリーちゃんがほほ笑んでくれたでござる!」


「……」


 だが、熱狂は彼女だけに向けられたものではなかった。


「アル様よ! キャー! ステキー!」

「キャー! たくましい胸筋! 上腕二頭筋も素敵!」


 黄色い歓声が波のように押し寄せる。

 その中には、明らかに質の違う嬌声も混ざっていた。

 野太い男たちの絶叫に対し、アルは爽やかな営業スマイルを全方位に振りまいた。


「「「キャー!」」」


「……」


 視線を群衆に戻すと、ちらほらと奇妙な物体を抱えている者がいることに気づく。

 ピンクの髪には蒼紫の薔薇の髪飾り、黒いドレスに日傘を持った、エメラルドグリーンの大きな瞳が眩しい、愛らしいぬいぐるみ。


「ベルン、あの呪いの人形は何?」


「『お出かけメリーちゃん人形』ですね。商売繁盛、家内息災のご利益があるとされています。一部では強力な魔除けの効果もあると……」


「誰が魔除けよ! 回収させなさい!」


「無理ですね。初版は完売、増版も追いついていない状況です。いまさら回収なんてしようものなら暴動が起きますよ」


「……」


 人垣を割って小太りな婦人が歩み出てきた。


「メリー様、これをどうぞ」


 差し出されたのは、蒼紫の薔薇を模した造花のブーケだった。


「ありがとう。綺麗な薔薇ね」


 メリーは反射的に受け取り、外交用の愛想笑いを浮かべた。


「木箱の上で領主様ごっこをしていた女の子が、こんなに可愛らしいレディになるなんてね」


「……」


     ──────


 銀葉商会レグス出張所の前には、人だかりができていた。

 中心にいるのは、大声でわめく老人。

 身長は二メートルに届こうかという巨躯を漆黒の鎧に包み、背には身の丈ほどもある大剣を背負っている。

 顔の左半分を走る古傷と、岩盤のように無骨な相貌。

 北の山脈を統べる武の化身、『剣鬼』オルコット辺境伯が、女性店員に詰め寄っていた。

 遠巻きに見ている観衆は、恐怖というよりは、困った老人を見るような生温かい目を向けている。


「どういうことだ! ワシに手ぶらで帰れとでもいうのか!」


「そうおっしゃられましても……」


 店員の女性が困り果てている。


「問題起こしてるじゃない」


「見境ないですな」


 メリーとジャックが冷ややかな視線を送る。


「僕、行ってきます」


 ベルンが小走りで人混みに入っていった。

 彼が何かを耳打ちし、店員に指示を出すと、騒ぎはひとまず鎮静化したようだ。


「何やってるのよ! オルコット卿」


 メリーが声をかけると、老人は髭を揺らして振り返った。


「おお、メリーちゃん。久しいな。一年ぶりくらいか? 髪が伸びたな」


 メリーの眉がピクリと跳ねる。

 王国最強の武人は、メリーのことを孫娘のように、完全に子ども扱いしている。


「伸びたのは髪だけじゃないでしょう」


 メリーは背筋を伸ばし、膨らみを主張するように胸を張った。

 十二歳。成長期。

 彼女なりに、この一年の成果を誇示したつもりだった。


「ふむ……」


 オルコットは唸り、ふと視線を横へずらした。

 そこには、騒ぎを聞きつけて様子を見に来ていた『レグス海運』のギルダが立っている。

 豊満な肢体が、春の日差しを浴びて存在感を放っていた。


「……」


 オルコットは顎髭を撫で、目を伏せ、深く息を吐いた。


「……ちっ!」


 メリーが盛大に舌打ちをする。

 レグスはこの一年で劇的な豊かさを手に入れたが、メリーにはその恩恵は届いていなかったらしい。


「メリーちゃん、林檎食べるか?」


「……」


     ──────


 場所を移し、出張所の奥にある応接室。

 ソファーにはオルコットが座り、対面にはメリーとベルン。

 部屋の隅には、支部長のヒルデガルドと、勝手についてきて林檎を齧っているギルダの姿もある。


「この新発売の『お掃除メリーちゃん人形』を、ワシには売れんと言うのだ」


 オルコットがテーブルにチラシを叩きつけた。

 メリーがその紙面を覗き込む。

 そこには、可愛らしく微笑むメリーが、デフォルメされたぬいぐるみを抱いているイラストが描かれていた。

 抱かれているぬいぐるみは、メイド服姿で、不機嫌そうな顔で箒と塵取りを持っている。

 その筆致は、間違いなくあの絵描きのものだった。


「……」


「そんなことで暴れてたんですか?」


 ベルンが呆れたように肩を竦める。


「そんなこととは何だ! これを買って帰らねば、アンナに何と言われるか……」


 オルコットが深刻な顔で頭を抱えている。


「お得意様枠の在庫を開けなさい。ケースもつけて差し上げるのよ」


 ヒルデガルドが店員に指示を出した。


「はい。ただちに」


「いいのか!? すまぬ、恩に着る!」


 オルコットがぱあっと顔を輝かせた。

 メリーはそんな茶番には興味を示さず、ただ、壁の額縁を見つめていた。


 力強い筆致で記された、三つの社訓。


 一、店の内外を清潔に

 二、肉を買わせろ、野菜も買わせろ

 三、稼ぐに追いつく貧乏なし


(……ベルンの出入りのある場所全てにこれがあるのかしら)


     ──────


 窓の外には、春の夕暮れが美しく染まっていた。

 だが、メリーの執務室だけは、極北の如き冷気に包まれている。

 呼吸音すら憚られるほどの、物理的な圧迫感と静寂。

 挨拶はとうに済んでいる。

 だが、空気は弛緩するどころか、張り詰める一方だった。


「して、オルコット卿。此度の訪問の理由はなにか?」


 バルカスが沈黙を破る。


「貴殿を訪ねたわけではない。前触れも理由も不要だろう」


 オルコットが眼光鋭く一蹴する。

 火花が散るような視線の交錯。


「とはいえ、突然の訪問は詫びねばならん。……リタ」


「はい。旦那様」


 リタが一歩進み出る。

 彼女がサイドテーブルから取り上げたのは、昼間、ガレルが恭しく抱えていたあの小ぶりの木箱だった。

 リタは手際よく蓋を開け、緩衝材の中から一本の酒瓶を取り出す。

 そして恭しく、そのラベルがバルカスに見えるように差し出した。


「……っ! こ、これは!」


 バルカスが目を見開く。


「今年の新作だ。まだ市場には出回っていない」


 二人の男は無言で見つめ合い、次の瞬間、ガッチリと手を握り合った。


「……」


 メリーは呆れを通り越し、虚無の瞳でその儀式を見守る。


 オルコットが、不意に視線を動かした。

 その眼光が、室内の一点を射抜く。


「ガレル」


 名を呼ばれた長男が、音もなく立ち上がる。

 その巨躯がアルの前に立ちはだかった。

 見上げるような岩塊。

 だが、アルは一歩も引かず、堂々とその威圧を受け止める。


「アルベルト・アステリア第一王子。私は貴君に会いに来た」


「アルベルトでいい」


 アルは胸を張り、真っ直ぐにガレルの瞳を見据えた。

 ガレルは無言でアルを見る。

 視線で射すくめるような眼光。

 アルもまた、無言でガレルを見返す。


 永劫にも思える静寂の後。

 示し合わせたかのように、二人は同時に上着に手を掛けた。


 バッ、と衣擦れの音が響く。

 それはまるで、聖騎士が剣を抜くかのような、神聖かつ重厚な所作だった。

 露わになった二つの肉体が、夕陽を浴びて輝く。

 ジャックが恭しく、しかし無言で二人の服を受け取った。


「……」


 メリーは言葉を失う。

 リタは両手で顔を覆ったが、指の隙間からはしっかりと眼光が漏れている。


 二人の男は互いの筋肉を見せつけた後、ゆっくりと歩み寄り、腕相撲のような形で手を取り合った。

 ミチミチと、筋肉と骨が軋む音が室内に響く。

 言葉など不要。

 汗と熱、そして筋肉の躍動だけが、彼らの魂を語り合っていた。


 やがて、二人はパッと離れ、元の位置へと戻る。


 パチ、パチ、パチ、パチ……。


 静寂の中に、厳かな拍手が湧き起こった。

 バルカス、オルコット、シリル、ベルン。そしてリタまでもが、戦士たちの魂の対話に、惜しみない称賛を送っている。


「……」


 その拍手の輪の中に、メリーだけが入っていなかった。

 肉体で会話ができる者たちとメリーとの間には、筋肉という名の、あまりにも巨大で分厚い壁が横たわっていた。

 理解を拒絶した虚無の目が、半裸の男たちを映している。


「ガレル、どうだ? アルベルト・アステリアは」


 オルコットが問う。


「は。善き男である、と」


「そうだろう」


 オルコットは満足げに頷いた。


「いいから早く服を着なさい!」


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