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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第1部:野生の伯爵令嬢、野良王子を拾う
19/21

第19話:鉄兜、敵に塩、良い傾向だわ

「バズ、街道整備の人員の調達はどう? 資材は足りてる?」


 執務室に、メリーの声が凛と響く。

 窓の外では、鉛色の空から吹き下ろす湿った風が、冬の到来を告げていた。

 暖炉の薪が爆ぜる乾いた音だけが、張り詰めた空気を微かに揺らす。


「人員は問題ない。資材も大丈夫だ」


「そう」


「一定区間ごとに、街道の山側に小屋を作りなさい。それは農地で働く人たちの休憩所にもなるし、街道利用者の休憩所にもなるわ」


「その小屋にはトイレを設置しなさい。それを利用しての肥料づくりも始めなさい」


「街道警備の組織を作りなさい。人員の調達は任せるわ。定期的に街道を往復し、農地の様子も見させなさい」


「承知した」


 バズは短く頷き、手帳にペンを走らせる。

 メリーは視線を横へと流した。


「アル。街道整備の現場の視察に行ってきてくれる? その場で解決できることは片付けてきなさい。持ち帰る必要があるものは持ち帰りなさい」


「わかった」


 アルは愛剣の柄に手を置き、力強く頷いて部屋を出て行く。


「ジャック、これから居住区画の視察に行きます。市長にも会うのでそのつもりで」


「畏まりました」


「バルカス、あなたは?」


 それまで黙ってコーヒーを啜っていたバルカスが、カップを置いた。


「私はレグス海運に顔を出さなければならん。市街地の視察が終わったらレグス水産に来たまえ」


「ええ」


     ──────


 馬車の窓から見える街並みは、冷たい冬の空気の中でも熱を帯びていた。

 かつての汚泥と腐敗臭は消え失せ、瓦礫の山は整然とした区画へと姿を変えている。

 行き交う人々の瞳には、明日を生きるための光が宿っていた。

 市長の屋敷は、その変化の中心にあった。

 応接室に通されたメリーたちを、書類の山に埋もれた男が迎える。


「お待ちしておりました、メリー様」


 市長は椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。行政官としての実直な顔つきだ。


「座ってちょうだい。報告を」


「はっ。レグス商会は街道の整備に注力されるとのこと、居住区画の管理は我々にお任せください」

「警備組織を作り、居住区画の見回りも始まりました」

「臨時で港の倉庫を使っていた孤児院も、昨日付で居住区画の新施設へ移転を完了しました。託児施設も併設しております」


「学校は」


「始まっております。給食の配給も順調です。報告は以上です」


 完璧な報告だった。

 メリーは満足げに頷きかけたが、ふと壁に掛けられた額縁に目が留まった。

 力強い筆致で、三つの文言が記されている。


 一、街を清潔に

 二、肉を食うなら野菜も食え

 三、稼ぐに追いつく貧乏なし


「……ところで、気になっていたんだけど、あの標語はなに?」


「はい、ベルンさんに教えてもらいました。なんでも『紫の死神』に教わったとかで」


「……」


 メリーは無言のまま、革張りの椅子の上で、居心地悪そうにお尻の位置をずらした。


「学校でもこれを標語として、毎朝復唱させております」


「……」


 否定も肯定もせず、メリーはただ沈黙を守った。


「……お邪魔したわね。お茶、ごちそうさまでした」


「いえいえ、それでは私も街の見回りがあるので失礼いたします」


「市長自ら見回りですか。精が出ますね。住民の声に耳を傾けてあげてください」


 いろいろと削られた精神のことはさておき、メリーは穏やかに声をかける。


 玄関を出たところで、背後からガチャリと重たい金属音が響く。

 振り返ったメリーの視界に、兜を目深にかぶった完全武装の兵士が立っていた。


「アンタ、どんだけ兵士が好きなのよ!」


     ──────


 港湾区画の一角、潮風と魚の脂が混じった生臭い匂いが漂う倉庫街。

 その中でもひと際大きな建物の入り口には、見事な看板が掲げられていた。

 『レグス水産』。

 専属の絵描きに描かせたであろうその文字は、躍動感のある魚の意匠と共に、荒っぽい港の風景の中で異質なほどの洗練さを放っている。

 メリーは作業員たちの怒号と熱気が渦巻く倉庫内には目もくれず、真っ直ぐに併設された事務所へと足を踏み入れた。


「やあ、メリー君。早かったな」


 雑然とした事務所の奥、上等な革張りのソファーで、バルカスが優雅に足を組んでいた。

 最高級のスーツは、この場の生臭さすらも拒絶するような品格を保っている。


「状況は」


 メリーは向かいの席に腰を下ろし、短く問うた。


「レグス海運と領都の商人を繋ぎ、貿易相手の選定に入らせた。お隣の辺境伯領については静観だ。向こうから冬支度で魚でも求めてこない限り、こちらから接触はしない」


「妥当ね。あの『剣鬼』を刺激する必要はないわ」


「お待たせいたしました」


 書類の束を抱えたベルンが、デスクから歩み寄ってくる。


「報告を」


「はい。レグス沖に暖かい海流が流れ込んできていますね。信じられないほどの豊漁が続いています。まさに海から金貨を掬い上げている状態です」


「売ってお金にするのは当然ですけど、レグスとヴォルデンの食糧確保が最優先よ」


「もちろんです。魚だけじゃなく、塩とタコと海藻。これだけでひと財産築けそうな勢いですよ」


 ベルンの興奮冷めやらぬ熱を受けつつも、メリーは淡々と続ける。


「あの食通の男は役に立ってる?」


「彼、すごいですね。今まで見向きもされなかった魚を練り物に加工し、保存性を高める技術を確立。さらに食材ごとの調理法を図鑑にして配布したことで、海産物全体の需要が爆発しています。図鑑の挿絵は、もちろんあの絵描きの手によるものです」


「……そう」


 メリーの視線が、壁に掛けられた額縁に吸い寄せられた。

 力強い筆致で記された、三つの社訓。


 一、港を清潔に

 二、魚を食わせろ、海藻も食わせろ

 三、稼ぐに追いつく貧乏なし


「……ベルン。あれ」


「はい。あの山の中で『紫の死神』さんに教わった『稼ぐに追いつく貧乏なし』。その通りですね。僕、あの時言われた通り、励んでますよ」


「……」


 メリーは無言のまま、背もたれに背中を押し付けもじもじする。


「輸出用のサンプルが完成してます」


 ベルンが恭しくテーブルに置いたのは、袋詰めされた塩と干物だった。

 そのパッケージには、薔薇を背負い、愛らしい笑顔を振りまく少女――極限まで愛玩化されたメリーのイラストが描かれている。


「……」


 そこは、『レグス水産』の魚のマークか、『レグス海運』の船のマークであるべきではないのか……?


「これをギルガルド伯爵領に流せば、面白いことになりそうだな」


 バルカスがサンプルの塩を手に取り、愉悦に歪んだ笑みを浮かべる。


「それ、いいですね。まさに『敵に塩を送る』というやつですね」


「はっはっはっ」


「……あなたたち、何故そこまで好戦的なの。無駄に敵を作る必要はないでしょう」


 メリーの冷ややかな指摘に、ベルンは肩をすくめた。


「『剣鬼』オルコット辺境伯のお隣だからかな? 身近にあんなのがいるとマヒしちゃいますね」


     ──────


 夕闇が迫る頃、一行はレグス商会へと戻った。

 本拠地である館のポールには、ブラッドレイ子爵家の紋章旗が風にはためいている。

 バルカスは満足げにその旗を見上げた後、ふと首を傾げた。


「そういえば、レグス商会の旗はないのか?」


 その問いに、ジャックの眼がギラリと怪しく光った。


「ダメよ、ジャック! エターナルなんとかは許可しません!」


 メリーの鋭い制止が飛んだ。

 ジャックは無念そうに口を閉ざし、深く項垂れた。

 バルカスは何事かと目を瞬かせたが、メリーは無視して館の中へと足早に進んだ。


 執務室に戻ると、すぐに実務報告が行われた。

 リタが淹れた熱い茶が、冷えた身体に染み渡る。


「アル。街道の工事は」


 メリーはカップを置き、視線を向けた。


「始まったばかりだが、問題らしい問題はなさそうだな。この辺りは雪も積もらないそうなんで、冬の間も工事を続けられるそうだ」


「それは良い情報ね。休憩小屋の話はした?」


「ああ。冬の間、農地が使えない農夫が請け負うことになった。仮設ではなく、最初から本格的な休憩所を作ると意気込んでいるぞ。肥料の話も当たり前に受け入れてくれた。まぁ、専門分野は専門職に任せるのが一番だ」


「それは僥倖」


 メリーは短く頷き、バズへ顔を向けた。


「警備部隊の人員調達は」


「冬の間は農夫の手が空くんで、目先の人員は大丈夫だ。ただ、一年通してとなると、レグス商会の私兵を使うしかねえな」


「使いなさい。街の警備は市長に任せたわ。その分の人員が空くでしょう」


「承知した」


 淀みない報告と即断即決。

 復興の歯車が、軋みもなく噛み合って回り始めている。

 その様子を眺めていたバルカスが、感心したように唸った。


「なかなか良い話だな。ヴォルデン側からの工事もそれに倣おう」


 彼は手元の資料をテーブルに置いた。


「ジャック君。レグスの食料自給率は、レグス水産の海産物を含めると100%を超えたんじゃないか?」


「は。おおよそ115%といったところですな。春になり、芋と豆を生産すれば、目標の150%にはだいぶ近づくかと」


「ヴォルデンの自給率もだいぶ上がるな。輸入に頼らなくなれば予算も浮く」


 バルカスは拳を握りしめ、確信に満ちた声で宣言した。


「この三年が勝負だな。今までのマイナスをすべて取り返してやる」


「そのマイナスを作ったのは、他ならぬあなたよ、バルカス」


「ぐっ……」


 メリーの冷ややかなツッコミに、バルカスは言葉を詰まらせ、バツが悪そうに視線を逸らした。


     ──────


 夜の帳が下りた執務室は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

 暖炉では薪が赤々と燃え、壁に掛けられたランプの灯りが、部屋の隅々までを暖かなオレンジ色に染め上げている。

 外から聞こえる風の音は、堅牢な石壁に阻まれ、遠い海の唸り声のように響くのみだ。

 メリーは机に向かい、バルカスはソファーで書類に目を通している。

 ジャックは影のように壁際に控え、リタが静かな所作で新しい茶葉を蒸らしていた。

 穏やかな時間。

 だが、その空気は扉が開かれた瞬間に霧散した。


「メリー、ちょっといいか?」


 入ってきたのはアルだった。

 その表情は硬く、切迫した色が浮かんでいる。


「我々はお邪魔かな?」


 バルカスが顔を上げ、気遣うように腰を浮かせた。

 だが、アルは手でそれを制す。


「いや、いてくれ。ジャックもだ」


「……なに?」


 メリーはペンを置き、真っ直ぐにアルを見据えた。

 アルは部屋の中央まで歩み寄ると、吐き出すように言った。


「最近、いろいろと考えるんだ」


 彼は拳を握りしめ、言葉を探すように視線を彷徨わせる。


「ここでの生活は気に入っている。だが、ここでの日々は、俺のこの先の道につながっているのか? その自信がない」


「あなたが他国に婿入りでもしない限り、どこで何をやっていても道は途切れないわ」


 メリーの回答は即座だった。

 今の足踏みが未来に繋がらないのではないかというアルの不安を、その一言が断ち切った。


「そういうものか」


「先が見えないのが不安か? 玉座に手を届かせる自信がないか? 焦りは何も生まないぞ、アルベルト王子」


 バルカスが静かに、しかし重みのある声を響かせた。

 アルの肩がピクリと震える。


「俺を『王子』と呼ぶという事は、そういう事か?」


「その通りだ。王子がいつまでも燻っていないことは、みんな理解している。そのうえで言わせてもらおう」


 バルカスは組んだ足を解き、為政者の顔でアルと対峙した。


「今は、見ろ」


「何をだ?」


「『今』を、見るんだ。未来は今の延長線上にしかない」


 バルカスの言葉は、諭すようでありながら、逃げ場のない真理を突きつける。


「王子は国民の目線で物を見たことがないだろう? ここではどうだ? レグスの住民とふれあい、住民とともに手探りで未来を掴む。わかるだろう」


「ああ、それは感じている。王城にいては得られない経験だと」


「それを大事にしたまえ。その経験はいつか必ず王子の糧となる」


「そういうものか。いやそうだな、それはわかる。しかし……」


 アルは頷きながらも、拭いきれない焦燥に顔を歪める。

 バルカスはそんな彼を見据え、静かに問いを投げた。


「現国王ヴォルガンは悪王なのか? 国民を虐げる悪政を敷いているのか? まだ誰もわからない」


「そのヴォルガン……でしたっけ? 現国王が善王であるのなら、王国のことは任せてしまえばいいのよ。そうでなくても、王族、貴族は国の屋台骨よ。誰かが旗を振らないと国民は導けない。その骨組みを維持するだけでも王族には価値があるわ」


 メリーが淡々と継ぐ。


「そうだ。指導者は畑から生えてきたりはしない。王族というのは、それだけで国にとって必須な人材なのだ」


 バルカスは深く頷き、アルの瞳を覗き込んだ。


「国王が変わり、新体制になってまだ二年。判断するには何もかもが早すぎる」


「……もしあの時、レグスに逃げ込まずに、踏みとどまってヴォルガンを斬り捨てていたら……。そんなことを考えるんだ」


 アルの声が低く沈む。それは彼が抱え続けてきた、最も深く、暗い問いだった。


「それは正しい革命、いや簒奪者の討伐ではある。しかし、それで王子が玉座に就いたとして、先王より、現ヴォルガン国王よりも良い国王になったと思うか?」


「それは……」


 アルが言葉を詰まらせ、沈黙が落ちた。

 その時だった。

 背後に控えていたリタが、ずんずんとテーブルへ歩み寄った。

 そして。


 バン!


 給仕をしていたとは思えない勢いで、彼女はテーブルの上に片足を叩きつけた。


「さっきから聞いていれば……。なんですか! みんなしてアル様を責めて! 良い国王になっていたに決まってます! アル様はスゴイんです!」


 リタは涙目で叫び、拳を振り上げていた。


「リタ、パンツが見えています。蒼紫の薔薇のパンツが」


「はしたないですな」


「嫁に行けなくなるぞ」


「……」


 リタの動きが止まった。

 沸騰していた感情が一気に冷め、代わって耳の先まで焦がすような羞恥が、その顔を朱に染め上げた。

 彼女は無言で足を下ろすと、脱兎のごとく部屋の隅へと逃げ帰り、うずくまった。


「……」


 アルは呆然とリタを見つめ、やがてふっと息を吐いた。

 憑き物が落ちたような顔だった。


「すまなかったな。俺はやはり焦っているようだ」


「いいのよ。……リタ、お茶を淹れなおしてちょうだい」


「はいっ。すみませんっ!」


 リタの裏返った声が響く。

 アルはもう一度息を吐き、確かな足取りで部屋を後にした。

 扉が閉まり、静寂が戻る。

 メリーは椅子から立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。ジャックが音もなくそれに続く。


「良い傾向ですな」


「そうね。いい傾向だわ」


 メリーは窓ガラスに映る自分を見つめ、小さく頷いた。

 アルは焦りつつも、私たちに意見を求めてきた。

 独りで思い詰め、前を向けなかった今までの彼とは明らかに違う。

 過去を悔やんで立ち止まるのではなく、安易に復讐心に駆られるわけでもない。

 視線は未来へ向かっている。


「ええ。この調子で女性を中心に蒼紫の薔薇シリーズの人気が上がれば……」


「パンツの話じゃねーわよ!」



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