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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第1部:野生の伯爵令嬢、野良王子を拾う
15/17

第15話:彫像、未回収の資源、人身売買ルートはまだ生きている

「キャーッ!」


 朝の静寂を引き裂いたのは、桃色に上気した悲鳴だった。

 リタが両手で頬を覆い、指の隙間からその光景を直視している。

 勝手口から食堂へと足を踏み入れたのは、全身から湯気を立ち昇らせたアルだった。

 上半身は剥き出しだ。

 朝露と汗が入り混じった雫が、鍛え上げられた胸筋の谷間を伝い、腹筋の稜線を滑り落ちていく。

 それは彫像のような美しい肉体だった。


 メリーはふいっと顔を背けた。

 興味なさそうに視線を窓外へと逃がすが、わずかに覗く耳朶は朱に染まっている。


「朝から何をしていたの?」


「ああ、ちょっと体を動かそうかと」


 アルはばつが悪そうに首筋を拭う。

 その腕にも、確かな疲労と充実感が滲んでいた。


「昨日の、オルコット辺境伯の言葉が頭に残っていてな」


 アルは独り言のように呟き、自身の掌を見つめた。


「過去に浸る分には、起きたことを思い出せば済む。現在のことは、この目で見ればいい」


 彼は一度言葉を切り、未だ見えぬ窓の外へと視線を向けた。


「だが、未来を考えると、途端に邪念が入る」


 そうして、再び掌を握りしめる。


「なので、素振りをしてスッキリしてきた」


「……そうですか」


 メリーは紅茶のカップに視線を落としたまま、短く答えた。


「正直、空回りしているのは自覚している。それでも、剣を振りたい気分だったんだ」


「……そう」


「悪い。汗を流してくる」


     ──────


 数刻後、食卓には身なりを整えたアルと、メリー、ジャックの姿があった。

 並べられたのは備蓄の麦粥と、干し肉のスープ。そして、緑色の野草と乾燥野菜を和えたサラダ。

 メリーはフォークで無機質に葉野菜を刺し、口へと運ぶ。

 続くスープには、かつて靴底のように硬かった干し肉が、ほろほろと繊維を解かれて沈んでいる。

 どれもが、美味だった。

 リタの手間という工程だけが、ただの餌を食事へと昇華させていた。


「本日の予定ですが、いつもの広場での炊き出しを──」


「あ、ジャック様! その準備の合間に、倉庫の整頓とシーツの洗濯を済ませておきますね!」


 ジャックの報告に、リタが花が咲くような笑顔で業務をねじ込んでくる。

 水差しを持った彼女は、メリーのグラスが空になるコンマ一秒前に水を注ぎ足し、アルの視線がパンに向くや否やバターを差し出した。

 淀みがない。

 呼吸をするように最適解を出力し続けるその挙動は、新人侍女のそれではなく、熟練した職人を思わせた。


(……有能すぎる)


 メリーは麦粥を口に運びながら、そのスムーズすぎる給仕に違和感を覚える。

 ジャックの調査では、彼女はただの不遇な娘だという。

 だが、これほどの性能を持つ個体が、組織の中で迫害され、放置されていたという事実は、あまりに不自然だ。

 オルコット辺境伯の差し金。

 あの怪物は、なぜこの屋敷にこれほど『優秀な人材』を送り込んできたのか。

 純粋な善意か、それとも何らかの策謀か。

 あの怪物の真意は、深すぎて底が見えない。

 メリーは思考を保留し、目前の温かなスープをすくい上げた。

 意図が何であれ、提供された利便性は享受する。

 それが、彼女の生活を快適にするものである限りは。


     ──────


 港にある広場には炊き出しを待つ列が伸びていた。

 ここでもリタの手際は遺憾なく発揮されていた。

 配給の速度はいつもの倍近く、列は淀みなく消化され、殺伐としがちな空気もどこか穏やかだ。

 その様子を少し離れた木箱の上から見下ろす影があった。

 メリーである。

 彼女は港での定位置となった木箱の上に立ち、手元の帳簿にペンを走らせていた。


「三日連続で干し肉と根菜のスープか……。海藻とかタコとか、海産物も欲しいな」


 列の半ばで、男たちのぼやきが風に乗って届く。


「タコか? あんなウニョウニョしたもん食わねーだろ」


 隣の男が露骨に顔をしかめて吐き捨てた。


「ばっかおめぇ、煮ても焼いても干しても美味いんだぞ?」


 最初の男が呆れたように反論する。食欲を含んだ、熱っぽい声だった。


 ペンの音が止まる。

 メリーは顔を上げ、会話の主である薄汚れた男たちを見つめた。

 見た目が悪い、気持ちが悪いタコとやら。

 そんなものは個人の感傷に過ぎない。

 彼らは言った。「煮ても焼いても美味い」と。

 ならば、それは海に放置されている未回収の資源でしかない。


 メリーは木箱から飛び降りると、一直線に男たちの元へと歩み寄った。


「今の話、詳しく聞かせてちょうだい」


     ──────


 夕刻。

 執務室には、予定通りに帰還したベルンと、アル、メリー、ジャック、そしてバズの姿があった。

 ベルンの背後には、護衛とおぼしき大柄な兵士が一人、直立不動で控えている。


「報告します。物資の調達は完了しました。それと……」


 ベルンはメリーに向き直り、声を潜める。


「子爵からの接触は、一切ありません。不気味なほど静かです」


「子爵にとって、貴方は『銀葉商会ヴォルデン支部の商人』に過ぎない。ただの商人が港へ商売に来た。それだけのことに、いちいち目くじらを立てる暇はないのでしょう」


「『銀葉商会』の身分が、うまく機能しているようですね。僕も綱渡りですよ。マフィアとの取引なんて、支部長にバレたらクビじゃ済まない」


 メリーは無言で頷き、手元の帳簿を破り取ってベルンへと差し出した。

 昼間、港で書き記していた物資のリストだ。


「ベルンは継続して物資の調達を。何が必要かは書いておいたわ」


「わかりました。出発は明日でいいですよね」


 ベルンが一礼して紙片を受け取る。

 メリーは視線を巡らせ、全員に告げた。


「商業区画に、『銀葉商会ヴォルデン支部レグス出張所』を設立するわ」


「レグス商会の看板を掛け替えるつもりか?」


 アルの問いに、メリーは首を横に振る。


「いいえ。この屋敷はマフィアの巣窟として知られすぎている。私たちが作るのは、あくまで『銀葉商会』の出張所よ」


「では、ヴォルデン支部に戻り次第、支部長に許可をもらいます」


 ベルンが即座に意図を汲み、請け負う。

 メリーはバズへと視線を転じた。


「バズ、旧ヴェーノの人身売買ルートは、まだ生きてる?」


「ああ。まだ動いてるはずだ」


「なら、使いなさい。まずはこの港の中にいる人材を探す。不足している分は、そのルートを使って買い付けてきなさい。必要なのは労働力じゃない。『知識と経験』を持った人材よ」


 メリーは指を折りながら、淡々と発注リストを告げる。


「まずは農業、建築、土木、医療の心得がある者。そして調理師。これらは常時確保しなさい。あればあるだけいい」


「わかった」


「次に、国中の料理に精通した、食べることが生きがいのような『食通』。そして、絵描き」


 アルやベルンが怪訝な顔を見合わせる。

 街の基盤づくりの職人はわかる。食通と絵描きに何の需要があるのか。だが、メリーは説明を加えようとはしなかった。


「ジャック、人選を」


「畏まりました」


 メリーの脇に控えていたジャックが、短く応える。


「話は以上よ」


 メリーは椅子に深く腰掛け、ふと思い出したようにバズを見た。


「バズ、この街の市長に会わせてちょうだい」


「市長なら、そこにいるが」


 バズが親指で、ベルンの背後に控えていたガタイのいい兵士を指し示す。

 兜を目深に被り、槍を持って立っていたその男が、気まずそうに敬礼した。


「なんで市長が兵士なんかやってんのよ!」


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