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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第1部:野生の伯爵令嬢、野良王子を拾う
13/18

第13話:出発、赤い果実の挨拶、飾りにしては重すぎる

「では、行ってきます。戻りは明日の夕方になる予定です」


 朝靄が残る街道の入り口。

 御者台に座ったベルンは、手綱を短く持ち直して告げた。

 その背後には、昨日広場で雇用された男たちが整列している。

 統一された革鎧と槍。路地裏でたむろしていた昨日の面影はなく、彼らは「レグス商会」の私兵として、緊張した面持ちで積荷を守っていた。


「ええ、頼みましたわ。……それとベルン、一つ指示を」


 見送りに立ったメリーは、ベルンを見上げて淡々と付け加えた。


「ブラッドレイ子爵の方から接触や干渉があった場合、即座に現金を握らせなさい」


「……賄賂、ですか?」


「防衛費です。商会や港、そしてヴォルデン支部への無用な詮索を金で塞ぐのです。今の私たちに必要なのは、正当性よりも事業を進めるための『時間』ですから」


「なるほど。金貨で目を焼き、耳を塞げと。……安くはない経費ですが、商会ごと潰されるよりはマシですね」


 ベルンは得心したように頷き、隣の馬上にいるバズへ目配せをした。

 バズはニヤリと笑い、無言で親指を立てる。

 ベルンが軽く鞭を振るうと、車輪が湿った土を噛み、重い音を立てて回転を始めた。

 護衛たちが隊列を組み、馬車を囲むように歩き出す。

 メリーはその隊列が霧の向こうへ進み始めるのを確認すると、車体が見えなくなるのを待たずに踵を返した。


「ジャック、広場へ。在庫を全て放出します」


     ──────


 天頂に座した太陽が石畳を温め、広場は穏やかな湯気と喧騒に包まれていた。

 大鍋から溢れるのは、根菜と塩漬け肉が煮込まれる濃厚な香り。

 昨日のような飢えの狂騒はない。椀を受け取る民衆の顔には、確かな明日への安堵が宿り、雇われた男たちが杓子を振るう音も、どこか誇らしげな律動を刻んでいる。

 ジャックは腕を組み、その平和な回転を無言で見守っていた。彼の存在が一本の芯となり、場に心地よい規律をもたらしている。


 その安らぎの中心で、メリーだけが積み上げられた木箱の上に立ち、険しい顔で帳面を睨みつけていた。

 部下が差し出した報告書をひったくるように受け取り、小さな指で数字を追う。

 住民の数、消費される食料の量、算出される生存可能日数、どんなに計算しても足りない物資。


 湯気を顔に浴びながらスープを待つ女たちが、ふと顔を見合わせ、その愛くるしい指揮官に目を細めた。


「あら、見てごらんよ。あのお嬢ちゃん、またあんな高いところで」

「ふふ、可愛いわね」


 女たちの囁きと、柔らかな失笑。

 メリーはその視線に気づくこともなく、ただ一心不乱にペンの先でインクを走らせ続ける。


 穏やかな昼餉の時間。

 だが、その温かな空気は、唐突な地響きによって裂かれた。

 最初は、足裏に伝わる微細な振動。次いで、椀の中のスープがさざ波を立てる。

 遠雷のような重低音が急速に距離を詰め、広場の入り口で風が巻いた。

 ジャックが弾かれたように動きを止め、鋭い眼光を街道へと突き刺す。

 陽炎の向こうから現れたのは、商人の柔らかな馬車ではない。

 陽光を反射してギラつく鋼鉄の防具。一糸乱れぬ隊列で進軍する、騎兵の群れ。

 風に煽られた旗印が、バサリと音を立てて翻る。

 そこに描かれていたのは、二振りの剣が交差する武の紋章。

 北の山脈に座する『剣鬼』、オルコット辺境伯の騎士団が、前触れもなくレグスの地を踏んでいた。


     ──────


 石畳を叩く蹄の音が止むと、広場には窒息しそうな静寂だけが残された。

 数百の瞳が、広場の入り口を埋め尽くす鋼鉄の壁に釘付けになっている。

 先頭騎馬の鞍上から、一人の男が降り立った。

 石畳が沈み込むかのような重厚な着地。

 身長は二メートルに届こうかという巨躯を漆黒の鎧に包み、背には身の丈ほどもある大剣を背負っている。

 顔の左半分を走る古傷と、岩盤のように無骨な相貌。

 北の山脈を統べる武の化身、『剣鬼』オルコット辺境伯その人であった。


 住民たちが恐怖に身をすくませる中、ジャックだけは静かに息を吐き、組んでいた腕を解いた。

 殺気はない。あるのは、厄介な客人を迎える執事としての、隙のない警戒心のみ。

 彼は音もなく歩みを進め、木箱の上に立つメリーの前に滑り込むようにして立った。


「……何の用だ、剣鬼。ここは貴公の庭じゃなかろう」


 ジャックの低い問いかけに、オルコットは隻眼を動かし、古びた石像のような表情で彼を見下ろした。


「懐かしいドブネズミの臭いがすると思えば……やはり貴様か、『梟』」


 オルコットは鼻を鳴らし、ジャックの背後にいる小さな影へと視線を移した。

 その眼光は、戦場で数多の猛者を屠ってきた暴力の塊だ。並の人間ならば、射すくめられるだけで腰を抜かす。

 だが、メリーは木箱の上から、その巨人を無表情に見返していた。

 怯えも、媚びも、驚きもない。ただただ「邪魔だ」と言わんばかりの瞳。


「……ふん」


 オルコットは短く唸ると、背後の部下たちへ顎で合図を送った。

 鎧を鳴らして歩み出た兵士たちが、荷馬車から巨大な木箱を次々と降ろし始める。

 一つ、二つ、三つ。

 広場の石畳に、重量感のある音が響く。

 兵士がバールのようなもので木箱の蓋をこじ開ける。


 ふわりと、甘酸っぱい香りが広がった。


 箱の中から溢れ出したのは、陽光を弾いて赤く輝く、瑞々しい果実の山。

 北部の山岳地帯、辺境伯領でしか採れない特産品──希少な蜜林檎だった。


「……挨拶代わりだ。受け取れ」


 オルコットはそれだけを吐き捨てた。

 あまりに場違いな光景に、住民たちは恐怖も忘れ、ぽかんと口を開けている。

 メリーは瞬き一つせず、眼下の赤い山と、目の前の巨人を交互に見た。


「……ご挨拶の品、ありがたく頂戴いたしますわ。ジャック、検品と受領を」


「畏まりました。……相変わらず手荒な挨拶ですな、辺境伯」


 ジャックは恭しく一礼し、手際よく木箱の確認へと移る。

 その所作は、荒くれ者相手ではなく、王族に仕える執事のそれだった。

 メリーはスカートを翻して木箱から降りると、オルコットの前まで歩み寄る。

 見上げる少女と、見下ろす巨獣。

 だが、その場の誰もが錯覚した。対等に渡り合っているのは、むしろ少女の方であると。


「では、立ち話も非効率です。執務室へ」


 メリーは踵を返し、当然のように先導する。

 オルコットはその小さな背中を隻眼でじっと見つめ、口の端を微かに歪めた。

 獰猛な獣が、興味深い獲物を見つけた時の笑み。

 彼は無言で少女の後を追い、その巨体で人波を割って進む。


     ──────


 通された執務室の革椅子は、北の巨人を迎えるにはあまりに窮屈そうだった。

 オルコットは軋む背もたれに巨体を預け、卓を挟んで対峙する少女を、値踏みするように見下ろしている。

 メリーはデスクの上座に座り、その右手にジャック、左手にはアルが、侍従武官のように背筋を伸ばして控えていた。

 彼女はオルコットの威圧感を無視し、手元で書類を揃えると、凛とした視線を返した。


「改めまして。レグス商会代表、メリーと申します」


「メリュジーヌ・ギルガルド伯爵令嬢か」


 オルコットは短く、事実だけを訂正した。

 メリーの眉がわずかに動く。

 彼女は視線でジャックを制すると、間髪入れずに言葉を継ごうとした。

 だが、オルコットは鼻を鳴らし、その隻眼をジャックへと巡らせた。


「私の手の者が既に街へ入り込んでいることにも気づかんとは、『梟』もヤキが回ったな。面白い連中が面白いことを始めたと聞き、自ら挨拶に来たというわけだ」


「手厳しい。引退した身ですので、耳も遠くなりました」


 ジャックは涼しい顔で肩をすくめ、メリーへ向き直る。


「メリー様、ご安心を。辺境伯とは二十数年前の内乱で、共に泥水を啜った仲です。信用に値する相手でございます」


「……ふん。追放された令嬢に、翼の折れた梟。それに、アルベルト・アステリア第一王子か。随分と奇妙な取り合わせだな」


 オルコットは口の端を歪め、楽しげに喉を鳴らした。

 その視線がアルを射抜くが、アルは眉一つ動かさず、無言でその隻眼を見返した。

 ただ背筋を伸ばし、顎を引き、視線を逸らさない。


「……まあいい」


 オルコットは短く切り上げると、視線を扉の方へと投げた。


「入れ、リタ」


 重厚な声に応じ、執務室の扉が開かれる。

 入ってきたのは、仕立ての良い侍女服に身を包んだ少女だった。

 だがその表情は暗く、栗色の髪を引っ詰め、怯えた小動物のように肩を震わせている。


「こいつを雇え。ウチの侍女どもは気性が荒くてな。新人いびりが目に余る。……こいつはレグスの生まれだ。街に母親と、まだ小さい弟妹がいる」


 オルコットはバツが悪そうに視線を逸らし、頬の傷を指で掻いた。武の化身が、屋敷内の人間関係に頭を悩ませている。

 メリーはその不釣り合いな悩みには同調せず、提示された条件のみを咀嚼した。


「茶を淹れる人間が欲しいと思っていたところです」


 彼女は即断し、怯えるリタへと視線を向けた。


「採用です。ジャック、身元の精査と教育を」


「畏まりました。……昔から変わりませんな、辺境伯の拾い癖は」


 ジャックが苦笑しながら手招きすると、リタは救われたような顔で深々と頭を下げ、逃げるようにジャックの背後へと隠れた。


 オルコットは肩の荷が下りたように大きく息を吐くと、軋む椅子から腰を上げた。

 巨体が立ち上がると、部屋の空気がまた一段と重くなる。

 彼は無言で出口へと歩き出し──アルの前で、不意に足を止めた。


「……アルベルト・アステリア第一王子」


 低い声で紡がれたその名は、確認ではなく、突きつけられる刃のようだった。

 アルは無言で顎を引き、その呼びかけを受け止める。

 オルコットの隻眼が、アルの腰に佩かれた装飾の施された美しい剣へと落ちる。


「貴君がその剣を持つという意味、よく考えてほしい」


 それだけを呟き、オルコットは足音高く部屋を去っていった。



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