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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第1部:野生の伯爵令嬢、野良王子を拾う
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第12話:悪趣味、地図、少女は背中で語る

「……趣味が悪いですねえ。実に悪い。ですがまあ、金にはなります」


 商人ベルンは、窓から差し込む陽光に黄金の燭台を透かし、片目に嵌めたルーペを調節した。

 かつてガウツが支配していた執務室。

 その床には今、彼が溜め込んでいた美術品が汚泥のように散乱している。

 裸婦を模した純金の置物、無駄に宝石が埋め込まれた短剣、色彩の暴力のような極彩色の風景画。

 どれもが成金の俗悪な感性を具現化したような代物ばかりだ。

 メリーは玉座の肘掛けに頬杖をつき、その鑑定作業を冷めた瞳で見下ろしている。


「全て現金化してください。ヴォルデンでの相場で構いませんわ」


「安く買い叩かれても文句は言わないでくださいよ? こいつを売り捌く客層を見つけるだけでも、僕の胃に穴が空きそうですから……」


 ベルンは肩をすくめつつ、手元の帳面に金額を書き込んでいく。

 商人の顔だ。恐怖の対象である少女を前にしても、金銭の計算となれば脳の領域が切り替わるらしい。

 横で見ていたアルが、ふと疑問を口にした。


「待ってくれ。それらをここではなく、もっと中央……王都に近い地域へ運べば、より高値で売れるのではないか?」


 物は中央へ行くほど高く売れる。それは商売のイロハ以前の常識だ。

 その提案に、ベルンは帳面から顔を上げ、困ったように眉尻を下げた。


「アルさん、地図を見て言ってます? 王都へ至る道は二つ。海か、陸かです」


 ベルンが指差した先、壁の地図には広大な海と、北へと続く街道が描かれている。


「本来なら海路が一番安上がりです。船に荷を積んで、海沿いに南をぐるっと回ればいい。……ですが、今のレグスの港は死んでます。船を出せない以上、海は壁と同じです」


「ならば、北の陸路があるだろう」


「ええ。ですが、見てください。ここから王都へ抜けるには、北の山脈を大きく迂回しなきゃならない。その道中にあるのは、あの『剣鬼』オルコット辺境伯の領地です」


 ベルンの指が、地図上の険しい山岳地帯をなぞる。


「ただでさえ険しい山越えで日数がかかる上に、辺境伯領は検問が厳しい。馬車のレンタル料、関税、護衛費用……今の荒れた街道を行けば、王都に着く頃には運搬費だけで売り上げが飛びますよ。完全に赤字です」


 物理的な距離と、地理的な障壁。

 アルは地図上の、黒く塗りつぶされた港湾区画を見つめる。

 海という最大の動脈が断たれている事実が、これほどまでに経済を窒息させているとは。

 彼は気を取り直し、別の提案を口にした。


「……わかった。だが、これだけの資金が入るのなら、食料問題は解決できるはずだ」


 アルの声に熱がこもる。

 床に積まれた黄金は、飢えた民の腹を満たすパンの山に見えた。


「ベルン殿、この資金で領都から食料を買い付け、レグスへ運んでほしい。同じ子爵領内だ、金さえ払えば売ってくれるだろう」


 名案だと信じて疑わない瞳。

 だが、その視線の先で、ベルンは胃薬が欲しいと言わんばかりの顔で溜息をつき、メリーは小さく鼻を鳴らした。


「アル。貴方は隣の家の食料庫を空にして、それで仲良くできると思いますの?」


「え……?」


「領都だって、無限に食料があるわけではありませんわ。隣町の人間が突然やってきて、市場の食料を根こそぎ買い占めたらどうなります?」


 メリーは淡々と問いかける。

 アルが答えに窮していると、ベルンが補足した。


「相場が跳ね上がりますね。領都……ヴォルデンの住民が買うパンの値段まで倍になる。そうなれば、我らの領主様であるブラッドレイ子爵も黙っちゃいませんよ。それに、領都に支部を構える銀葉商会がそれをやれば、商会ごと潰されかねない。物流を止められるどころか、僕の首が物理的に飛びます」


「そ、そんな……金はあるのに、買えないというのか」


「買える量は限られています。自分たちが食べる分を確保しつつ、向こうの市場を刺激しないギリギリのラインを見極める。……ま、その辺の綱渡りは僕の仕事ですがね」


 ベルンは弱々しく笑い、商談成立と言わんばかりに帳簿を閉じた。

 メリーはアルの方へ顔を向け、諭すように告げた。


「……先細りですわね」


「メリー?」


「他所から奪うだけでは、いずれ枯渇します。必要なのは、レグスという土地そのものから糧を生み出すことですわ」


 突きつけられたのは、安易な「お買い物」の否定。

 彼女の視線は、再び地図へ。

 海ではなく、背後の山岳地帯へ向けられていた。


     ──────


「では、僕は一度ヴォルデン支部へ戻り、荷馬車の手配と現金の用意をいたします」


 商談を終えたベルンが立ち上がる。

 ガウツの遺産である美術品は、彼が一度持ち帰り、換金した後に食料として還元される手はずだ。

 だが、アルは懸念を口にした。


「待ってくれ。帰ると言っても、護衛はどうする? 街道は荒れているし、ヴェーノの残党も散ったままだ。貴殿一人で荷を運ぶのは危険すぎる」


「ああ、それなら心配いりません。バズが今頃、その辺の『手配』をしてくれているはずですから」


 ベルンは窓の外を親指で指し示した。

 タイミングを合わせたように、執務室の扉が開く。

 音もなく現れたのはジャックだった。


「バズの仕込みが終わりました。広場で炊き出しを始めております」


「炊き出し……?」


 アルは眉を上げ、誘われるように窓辺へと歩み寄る。

 眼下に広がるのは、灰色のレンガが積み重なるレグスの街並み。

 その中央にある広場から、細く、だが力強い白煙が立ち昇っていた。

 風に乗って、微かに煮炊きの気配が漂ってくる気がする。


「そうか……。民に食事を振る舞うのだな」


 アルの表情が緩む。

 資金を得て最初に行うのが、自身の贅沢ではなく民への還元。

 メリーのやり方は乱暴だが、その根底には民を思う心があるのだと、彼は好意的に解釈した。


「やはり君は、彼らを見捨てないでいてくれた」


「見捨てる? 何を言っていますの」


 メリーはアルの横に並び、淡々と煙を見下ろした。


「腹が減っていては、ベルンの荷車も引けません。燃料補給は必須工程でしょう」


「え……?」


「行きますわよ。使える人間を選んで、ベルンにつけなくてはなりません」


 彼女はスカートを翻し、踵を返す。

 アルは一瞬言葉を失い、それでも慌てて彼女の背中を追った。


     ──────


 広場の中央、石畳の上に据えられた大鍋から、白い湯気が柱のように立ち昇っていた。

 根菜の泥臭さと、塩漬け肉の脂が溶け出す濃密な匂いが、停滞していた空気を塗り替えていく。

 椀と匙が触れ合う硬質な音。熱いスープを啜る音。そして、腹の底から漏れる安堵の吐息。

 レグスの住人たちは、ただひたすらに「食う」という行為に没頭していた。


 その熱源の傍らで、メリーは木箱に乗り、帳面を片手に立っていた。

 あどけない指先には似つかわしくない万年筆を握り、物資の搬入を行う男たちへ指示を飛ばす。


「搬入が遅れてますわ。次の袋を開封。空になった樽は邪魔です、即座に脇へ」


 彼女の声は鈴が鳴るように澄んでいるが、その内容は徹底的な管理者のそれだ。

 小さな体で大人たちに檄を飛ばし、顎で使い、在庫の数字を厳格に書き込んでいく。

 その姿を、スープを待つ老婆たちが目を細めて眺めていた。


「あらあら、見てごらんよ。あのお嬢ちゃん、一生懸命に指図して」

「領主様ごっこかしらねえ。背伸びしちゃって、かわいらしいこと」


 彼女たちの目には、メリーの姿が「大人の真似事をして張り切る愛らしい少女」として映っている。

 その実、彼女がこの場の最高責任者であり、彼らの生殺与奪を握る「レグス商会」の主であることなど、微塵も理解していない。

 メリーはそんな視線には目もくれず、鍋の横で煮込み具合を確認していた男へ声をかけた。


「バズ」


「おっと、ボス。味見ならまだ早いぜ?」


 バズは軽薄に笑い、お玉を回してみせる。

 だが、メリーの視線は鍋の中身ではなく、バズの目元へ向けられていた。


「商会の備蓄、勝手に開けましたわね」


 無断使用である。

 咎めるような響きに対し、バズは悪びれもせず肩をすくめた。


「必要経費だろ? 馬を走らせるにゃあ飼い葉が要る。人間ってのは、腹が減ってると使い物にならねえからな」


 商会が接収した資産を、独自の判断で放出した事実。

 メリーは短く息を吐き、帳面にチェックを入れた。


「手順は問いません。ですが、私の資産を勝手に切り崩したのです。相応の成果は出しなさい」


「言われなくても。……ほら、あそこの日陰」


 バズが顎でしゃくった先、建物の影に数人の男たちがたむろしていた。

 いずれも体格が良く、目つきの鋭い連中だ。

 その男たちを、ジャックが一人ひとり値踏みするように観察し、何やら手短に声をかけている。


「もう三人は確保した。他にも目をつけてるのが五、六人。ベルンの旦那の護衛にゃ十分すぎる戦力だ」


「……よろしい。引き続き選別を」


 メリーはそれだけ告げると、次の指示を出すために男たちの方へ歩き出した。

 その小さな背中を見送りながら、バズはニヤリと口角を上げる。

 成果さえ出せば、過程には口を出さない。その簡潔なルールは、彼にとって実に働きやすいものだった。


 一方、広場の喧騒から離れた最後尾では、アルが黙々と列の整理を続けていた。

 ジャックが人材を見極め、メリーが全体を統括するその裏で、彼はただ手ぶりで民衆を誘導するだけの単純作業に没頭している。


     ──────


 大鍋が空になり、広場に夕闇が迫る頃、饗宴は終わりを告げた。

 満腹になった民衆が弛緩した空気に浸る中、メリーは石畳の上に散乱した木椀を見つめた。

 彼女は無言で歩み寄ると、スカートが汚れるのも構わずしゃがみ込み、足元の椀を拾い上げた。

 袖口で汚れを拭い、一つ、二つと重ねていく。


「おい、見ろよ……」


 近くにいた男が、その姿に気づいて慌てて駆け寄った。


「よせよせ、お嬢ちゃん! そんなことは俺たちがやる!」

「そうだよ、あんな小さい子にゴミ拾いなんてさせるんじゃないよ!」


 一人が声を上げると、それは波紋のように広がった。

 男たちが競うように椀を回収し、女たちが水場へ走って洗浄を始める。

 メリーが手元の椀を差し出すと、男は恐縮したようにそれを受け取り、頭を下げて走り去った。

 広場は瞬く間に、片付けという新たな熱気に包まれていく。


 その賑わいの横で、バズが日陰にいた男たちへ合図を送った。


「よし、採用だ。仕事の説明をするから屋敷へ来な。制服代わりの装備も支給してやる」


「ああ、わかった」


 選ばれた男たちは、これから就く正規の職への期待を顔に浮かべ、バズの背中についていく。

 ジャックがその最後尾につき、一団は商会本部の方角へと歩き出した。


 アルは、その光景を呆然と眺めていた。

 彼が声を張り上げ、必死に腕を振っても整わなかった民衆が、少女がただ黙って椀を拾っただけで、自発的な秩序へと変わっていく。

 言葉による強制ではなく、行動による誘導。

 夕陽が、立ち尽くす彼の影を長く伸ばしていた。


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