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追放令嬢と逃亡王子の王国再建計画  作者: スパイシーシェフ
第1部:野生の伯爵令嬢、野良王子を拾う
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第11話:調達役、商人、蒼紫の薔薇の乙女

「第一回、経営戦略会議を始めます」


 豪奢だが品のない黄金の玉座。その背もたれに、メリーは深々とその身を預けていた。

 場所は、昨日までガウツと呼ばれた肉塊が支配していた執務室である。

 壁面を埋め尽くす宗教画は剥がされ、代わりにレグス全域の地図が無造作に張り出されている。床の毛皮も撤去されたが、染みついた安っぽい香水のような臭いまでは、完全には拭えていない。

 その歪な空間の長卓を挟み、アルは極度の緊張で背筋を強張らせていた。

 向かいには、直立不動で控える老執事ジャック。

 メリーは組んだ指先を顎に当て、室内の澱んだ空気を切り裂くように告げた。


「ジャック。まず組織の『商号』を定めなさい」


 それは、組織の在り方を決定づける最初の定礎。

 ジャックは無言で首肯すると、左手を白髪混じりの顎髭に添え、天井の一点を見据えた。

 深遠なる沈黙が場を支配する。

 かつて諜報部『梟』に属し、影の世界を歩んできた男の眉間に、深い思索の皺が刻まれていく。

 数秒、いや数分にも感じられる重厚な時間。

 アルは固唾を飲み、その開口を待った。

 老練の実務家が導き出す、合理の極地にある名とは何か。

 やがて、カッと目を見開き、ジャックは世界を揺るがす真理のごとく言い放つ。


「エターナル・ビューティフル・ヴァイオレットローズ・メイデン商会」


「「なんて?」」


 メリーとアルの声が重なった。

 聞き間違いか。

 いや、鼓膜は正常だ。

 老兵は今、極めて流暢かつ重厚な発音で、理解を絶する単語を羅列した。

 メリーの瞳から光彩が消失し、アルは口を半開きにして硬直する。

 卓上の空気が凍りつくなか、ジャックのみが誇り高い表情を崩さず、胸を張って続けた。


「悠久に美しく咲き誇る、蒼紫の薔薇の乙女の商会。すなわち、メリー様の可憐なる御姿こそが世界における唯一無二の輝きであり、その尊さは星霜を経ても色褪せることなく、万物がひれ伏すべき絶対の美であるという意であります」


 大真面目だった。


     ──────


『レグス商会』


 何の変化球もない、街に溶け込む無難な名前に決まった。



「続けて、財務報告を」


 メリーの短い号令に応じ、ジャックは手元の帳簿を閉じたまま、脳内に刻まれた数値を口にした。


「資金に関しては、当面の間、憂いはございません。前任者ガウツが溜め込んだ裏金に加え、ここへ至る道中でメリー様が狩った盗賊たちからの収穫。それらを合わせれば、組織の運営には十分な額となります」


「十分な額……!」


 アルは身を乗り出し、卓上に広げられた地図に手を突いた。

 ガウツの執務室、その金庫に眠る財貨。

 それは、この死にかけた街にとって唯一の希望の光に見えた。


「なら、すぐにでも民への救済ができるはずだ。金を配り、他領から食料を買い集めれば、明日にも飢える住民たちを救える」


 王都を追われ、泥を啜るような逃避行を続けてきた青年。

 その胸に去来したのは、自身が守れなかった民への贖罪と、安易な解決策への希望だった。

 だが、その言葉に対し、返ってきたのは沈黙だった。

 メリーは地図上の港湾区画に置かれた、埃を被った駒を指先で弾く。

 カラン、と乾いた音が室内に響いた。


「……アル。貴方のそれは『施し』であって、『統治』ではありませんわ」


「な……?」


「金をばら撒いて、どうなりますの? 今のレグスに商品はなく、あるのは飢えた胃袋だけ。そこに金貨という燃料を投下すれば、起きるのは救済ではなく、食料価格の暴騰という火災だけですわ」


 メリーは淡々と事実を並べた。

 彼女の視線は、可哀想な住民ではなく、街という巨大な機構の摩耗率に向けられている。

 アルは反論しようと口を開きかけ――そして、閉ざした。

 彼女の言う通りだ。物がなければ、金はただの重い金属片でしかない。


「それに、タダ飯を食らって満足する人間を養ってどうしますの? 私が欲しいのは、レグスという機関を回すための健常な労働力ですわ」


 メリーは組んだ足の上で、小さな拳を握りしめた。


「現状、レグスの住民は飢えすぎて、使い物になりません。まずは胃袋を満たし、肉体機能を回復させ、十全に働ける状態まで戻す。それが最優先です」


 アルは言葉を失う。

 彼女は、アルの瞳を真っ直ぐに見据えて告げた。


「先細りしか見えない政策は政策ではありません。それはただの緩慢な自殺です」


 突きつけられた正論。

 アルは地図の上から力なく手を引いた。

 その拍子に、袖がインク壺に触れそうになる。

 ジャックが無言で壺をずらし、事なきを得た。

 アルは一歩下がる。自分がここにいるだけで、彼らの思考を阻害しているという事実が、物理的な現象として証明されていた。


「では、産業の再生について。……海は死んでおります」


 ジャックが地図の青い部分を指でなぞる。


「ガウツの圧政により、漁師は船を奪われ、港に繋がれた船団は悉く腐り落ちております。修理しようにも資材がなく、何より今の住民には櫓を漕ぐ体力も残されておりません。即時復旧は不可能です」


「港町で、海が使えない……」


 アルが呻く。

 それは、レグスの存在意義の喪失を意味していた。

 だが、メリーの視線は海に留まってはいなかった。

 彼女の瞳は、地図の反対側。街の背後に広がる、荒涼とした等高線へと向けられている。


「海が使えないなら、山を使えばよろしいのですわ」


「御意。開墾ですね」


 ジャックは主の意図を瞬時に汲み取り、即座に地図の山岳地帯へ視線を走らせた。

 老執事の脳内で、必要な工程と算段が弾き出される。


「漁師を農夫へ転向させ、荒野を耕させる。労働の対価として食料を支払えば、民の体力回復と生産基盤の構築を同時に行えます。……ですが、一つ欠落しております」


 ジャックは静かに告げた。


「種と農具、そして最初の労働を支える当座の食料。それらを運び込むための『手足』がありません」


 室内の空気が淀む。

 物流。

 それが最大の障壁だった。

 レグスへ至る街道は荒廃し、野盗が跋扈している。ヴェーノの構成員たちは逃亡し、荷を運ぶ馬も車もない。


「人手が足りません。金があっても、物を運ぶ手段が断絶しております」


 ジャックの報告に、メリーは不満げに眉を寄せ、玉座の肘掛けを指先でトントンと叩いた。

 解決策が見えない。

 物理的な欠落は、どれほど優れた頭脳があっても覆せない壁だ。

 アルもまた、何も言えず、ただ重苦しい沈黙の一部となって立ち尽くすことしかできなかった。


「……ふぅ。どうにも出口が見えませんね。一度休憩にしましょう」


 数分の停滞の後、メリーは小さく息を吐き、背もたれに預けていた体重を戻した。

 彼女はさっさと立ち上がり、皺一つないスカートをパンと叩いた。


「お茶にしましょう。一階へ降りますわよ」


     ──────


 階段を一段下るたび、空気がその粘度と質量を変えていく。

 四階の執務室を支配していた脂ぎった香水と古い澱みは、階層を経るごとに希薄となり、一階のホールへ足を踏み入れた瞬間、劇的な変貌を遂げた。

 鼻腔を占有するのは、場違いなほどに芳醇な茶葉の薫り。

 食堂の長テーブルでは、見知らぬ男が向かい合い、弛緩した様子で磁器のカップを傾けている。


「あ、終わりました?」


 男は片手をひらつかせ、室内の静寂を削ぐような軽い声を上げた。

 ジャックの眉間に深い皺が刻まれる。

 老執事は音もなく歩みを進め、全身から鋭利な刃物のような威圧感を放った。


「……誰だ、貴様は」


「元ヴェーノの調達係をやっていたバズです。上がすげ替わって新組織になったんでしょ。もう金のニオイしかしないじゃないですか。どうです? オレを雇いませんか」


 挨拶もそこそこに、自身の有用性を売り込む言葉。

 その軽薄な態度は、ジャックが放つ殺気を意に介さぬ、裏社会を泳ぎ回ってきた図太さを感じさせた。


「……ふむ。この男はなかなか面白そうですね」


 声を上げたのはメリーだった。

 彼女はジャックの背後から歩み出ると、商品を見定めるような眼差しでバズを見上げる。


「馬鹿は嫌いですが、その嗅覚が本物であれば利用価値はあります。ヴェーノでもそうやって生きてきたのであれば尚更です」


「オレの有用性は『ブツ』で証明しますよ。ボスがいま一番欲しがってるだろう特効薬、拾ってきました」


 バズは悪びれもせず、同席している男を親指で指し示した。

 そこには、旅装を解いたばかりの商人が一人。

 男はバズの説明を聞き、商売人特有の愛想の良い笑みを顔面に張り付けて振り返る。


「どうも初めまして。私、銀葉商会ヴォルデン支部のベルンと申します。以後、お見知り置き……ん?」


 男の視線がメリーの色彩──ピンクブロンドの髪とエメラルドグリーンの瞳──を捉えた瞬間、言葉が途切れた。

 数秒の凝視。

 網膜の奥底と脳の記憶が接続されたのか、ベルンは弾かれたように声を上げた。


「あ、貴方は! いやあ、あの時の『紫の死神』さん! その節はどうも!」


 ぴたり、とメリーの足が止まった。

 それは凍結ではなく、不具合を起こした機械のような唐突な停止。

 彼女は視線を宙へ彷徨わせると、小さく咳払い一つ。

 背筋を過剰なほどに伸ばし、努めて低い声を作った。


「……今日からここは『レグス商会』になりました。私は代表のメリー。……その背中がムズムズするような二つ名はやめてください」


 語尾が微かに上ずる。メリーは無意識に自身のスカートの裾を握りしめ、視線をベルンから逸らした。

 アルは「死神……?」と疑問を口の端に乗せ、ジャックは口髭を撫でながら微かに喉を鳴らす。

 恩人との再会に沸いていたベルンの表情が、徐々に強張っていく。

 彼は状況を再演算し、目の前の少女が「単なる恩人」ではなく「取引相手の長」であるという事実に到達したようだった。


「え……レグス商会? 代表? ……ってことは、ここのトップって、あの死神さんなんですか?」


「そうですけれど」


「嘘でしょう? 僕、ただの商談だって聞いて来たんですよ? 相手があの紫の死神だなんて聞いてませんよ!?」


 ベルンは頭を抱え、天を仰いだ。

 商売相手が、物理的な災害そのものであるという事実に、彼の胃壁が悲鳴を上げている。


「……帰っていいですか? 貴方が絡むと、普通の商売で終わる気がしないんですが」


「座りなさい。悪い話ではありませんわ」


 メリーはベルンの嘆願を無視し、当然のように空いた席へ腰を下ろした。

 バズが流れるような手つきで新たなカップを置く。

 琥珀色の水面が、窓からの光を吸って揺れた。

 メリーはその湯気で思考の澱みを洗い流し、カチリとソーサーへカップを戻す。


「商談です。貴方のキャラバンを使いなさい」


「はぁ……。内容は?」


「資金は出します。安全も保証します。領都ヴォルデンから物資を運び込みなさい」


 提示された条件は、商人にとって破格の内容だった。

 ベルンの顔から嘆きが引き、計算高い商人の相貌が顔を覗かせる。

 卓上で指を組み、損益を弾く。

 資金の保証。バックには『紫の死神』という極大の武力。

 断る理由は論理的に存在しない。

 だが、彼の生物としての本能が警鐘を乱打していた。

 この少女に関われば、胃に穴が空くような重圧を背負うことになると。


「悪いようにはしません。これでも、あなたには感謝しているんですよ。あの山の中で、パンツのない生活がどれだけ心許ないものだったか……」


((パンツ……?))


 アルとバズがお互いの目を見る。


「そういえばあの時、お礼の品として肌着一式をお渡ししたんでしたね」


「川で水浴びをしていたら、いつの間にか無くなっていたのよ。……パンツはともかく、励んでいるようね」


「ええ、『稼ぐに追いつく貧乏なし』。あの日言われた通り、精一杯励んでますよ」


「これからも励みなさい。決して少なくない利益を約束します」


 商人の男――ベルンは、一度天井を仰いで覚悟を決めると、視線を真っ直ぐメリーに戻した。


「わかりました。やります、やらせていただきますよ! その代わり、護衛は厳重にお願いしますよ!?」


「ええ。バズ、できますわよね」


「すぐに用意しますよ。ベルンの旦那、あんたはその間、この館でしばらく厄介になってくれ」


 勝手が過ぎる気もするが、この男の手腕なのだろう。

 メリーもジャックも、その強引さを否定することなく受け入れている。

 手詰まりに見えた物流の壁。

 その突破口が、このような形でこじ開けられた。

 これでレグスの復興、その第一歩が踏み出される。


 メリーの唇が弧を描いた。

 その捕食者を思わせる笑みを目にし、ベルンは深い溜息とともに、椅子の背もたれへ重く身を沈めた。


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