変化の兆し
数日前から、俺は沙夜と少しずつ距離を置くようになった。
深い理由があるわけじゃない。
ただ、このまま同じ関係を続けても苦しいだけだと、夜にひとりで考えて結論を出したからだ。
朝の教室に入る。
窓から射し込む光が机を白く照らし、静かな空気に溶けている。いつもの席に腰を下ろし、教科書を机に並べる。その一つひとつの動作を、わざと丁寧にゆっくりとこなす。余計なことを考えないために。
「おはよう、悠斗」
隣から声が届く。沙夜の声だ。
耳に馴染んだはずのその響きに、心臓が一度だけ強く跳ねた。けれど俺は落ち着いたふりをして返す。
「あぁ……おはよう」
視線を合わせない。声もできるだけ平坦に。
ほんのわずかに沙夜の顔が曇った気がしたが、俺はそこに目を向けなかった。
ノートを開いてペンを走らせる。まだ授業も始まっていないのに、ただ机に向かっていないと落ち着かない。
ちらりと横を見れば、沙夜はノートに目を落としている。けれど、彼女の瞼の下にはうっすらと影があった。目の下に隈ができているように見える。
……寝不足か?
最近、勉強とかで忙しいのかもしれない。
そう思って、それ以上深く考えなかった。
「沙夜ちゃん、最近ちょっと疲れてない?」
「うん……顔色悪いし」
近くの席から、そんな会話が耳に入ってくる。
俺はノートに視線を落とし、何事もないようにペンを走らせた。
やっぱり、誰が見ても疲れてるんだな。
でも、それはきっと勉強とか睡眠不足のせいだろう。沙夜は真面目だし、なんでも全力でやるから。
……それに俺が気にする必要もない。
授業中、ふと視線を横に滑らせると、彼女の手が止まっているのが見えた。ペンを握っているのに動かず、視線は宙をさまよっている。
それでも俺は声をかけない。
俺が何か言ったところで意味なんてない。きっと
「別に」
と返されるのがオチだ。
だから黙って前を向く。
時間はゆっくりと進み、やがてチャイムが鳴った。
椅子を引く音が響き、教室がざわつく中、沙夜がこちらに歩み寄ってくる。
「悠斗……今日、一緒に帰らない?」
その声は少しかすれていて、無理に明るさを繕っているように聞こえた。
「あー……今日は用事あるから」
短く答えて鞄を肩にかける。
ほんの少しの沈黙の後、
「そっか」
という声が背後に落ちた。
薄い声色で、笑っているのかどうかもわからないほどだった。
足を速め、教室を出る。背中に視線が残っているような気がして、振り返りそうになる自分を必死に抑える。
――やっぱり、これでいいんだ。
沙夜が疲れているのは、俺のせいじゃない。ただの体調不良だ。
そう自分に言い聞かせながら、重たい足を前に運んだ。




