第84話 どっちがステキ
火曜日の昼、透子は柚月宅へ来ていた。エントランス前でインターホンを押そうとした瞬間、視界の端に張り紙が映る。
『不審者を見かけたらすぐ110番』と太字のマジックで書かれている。
この前、美鈴から聞いた話が頭をよぎる。
(こちらのマンションでも不審者……)
透子は思わず周囲を見回したが、人影はなく、少し肩の力を抜くとインターホンを押した。
「はーい」
「こんにちは、春野です」
「どうぞー」
ロックを解除してもらい柚月の部屋へ向かう。室内に入り、靴を脱いでいると、柚月が少し真剣な顔で切り出した。
「美鈴からも聞いてると思いますけど、この辺、不審者が出るんですよ」
「聞きました。エントランスにも張り紙がありましたが……何か被害があったんですか?」
「被害はないみたいですけど、あちこちで目撃されてるらしくて。警戒はするようにって」
「そうなんですね……高山さん可愛いですから、本当に気をつけてくださいね」
「いえいえ、春野さんこそ美人なんですから、春野さんの方が危ないですよ」
「高山さんはほんとに可愛いですよ」
「春野さんだって、きれいで落ち着いてて……ずるいです」
「お仕事柄、落ち着いて見えるだけですよ」
「そんなこと言って、実際も落ち着いてますから!」
「そんなふうに言ってもらえると、なんだか照れますね」
「照れた顔も素敵です」
冗談半分、本気半分のやり取りが何度か続き、ふわりと温かな空気が室内に広がる。
そんな話をしながらも、昼食の準備を進める透子。今日の献立はシンプルな和食。安定感があり、ほっとするメニューだ。
味噌汁を作っていると、柚月がスマホを手にやってくる。
「お味噌汁って、煮立たせるかどうかって話題になってるの知ってますか?」
「え?煮立たせてもいいんですか?」
「なんか、料理研究家?の人が煮立たせてもいいって言ってるみたいで」
柚月はスマホでSNSの画面を開いて透子に見せた。
「なるほど、そんな話もあるんですね」
「良い派と悪い派で言い争ってますね」
「今まで正しいと思ってやってきた事を否定されて、すんなり受け入れられる人って少ないですから……」
「確かに。認めたくないってなりそう。春野さんはどうします?」
「煮立たせたら美味しくなるとかではなさそうなので、いつも通り作ります」
笑顔でそう告げ、透子はいつも通りの味噌汁を仕上げていった。
「春野さんが作ってくれたら、なんでも美味しいですよね」
その言葉に、柚月に信頼されているのを実感し、透子の心の奥が少し温かくなった。




