第75話 親心
火曜日の午前。透子は訪問予定の田中宅の前に立っていた。
チャイムを鳴らすと、すぐに中から田中が現れ、いつも通りの穏やかな笑顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃい、どうぞ上がって」
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
靴を脱ぎ、玄関をくぐろうとしたとき、奥の部屋から一人の若い女性が出てきた。
「おはようございます」
透子が先に挨拶をすると、女性はキレイな澄んだ声で「おはようございます」と返してくれた。柔らかく巻かれた髪に、ナチュラルなメイク。服装も品のあるシンプルなもので、透子の中にあった、ゲーム好きな娘さんというイメージとはだいぶ違っていた。
(おしゃれで、感じのいい子)
透子の胸にそんな印象が残る。
田中が娘に声をかけた。
「……あ、出かけるところだったのね」
娘は立ち止まり、軽く振り返って答えた。
「うん、いってきます」
そのまま玄関の扉を開けて、外へと出て行った。
「娘さん、お綺麗な方ですね。初めてお見かけしました」
透子が声をかけると、田中は少し照れたように笑った。
「そう?なんか今日はやけに気合入れて出てったわよ」
その言葉に、ちょっとしたデートか何かかな、と透子は心の中で微笑む。
準備を終え、いつも通り掃除に取り掛かる透子。キッチンの整理を終え、リビングに掃除機をかけていると、タイミングを見計らったように田中が声をかけてきた。
「そういえば前に、娘が配信してるかもって聞いてきたことあったでしょ?」
「はい。お友達とゲームをされてると、お聞きしました」
透子が手を止めて答えると、田中は溜息混じりに続ける。
「最近になって、動画の投稿も始めたとかなんとか言っててね。何回再生されたとか、配信したらお金稼げるとか。あの子、そんなことばかり言ってるのよ」
少し驚きながらも、透子は柔らかく頷いた。
「今は本当に、何が注目されるかわかりませんから。そういう活動も立派なお仕事になり得ますし、夢を追うのは素敵なことだと思います」
田中は苦笑しながらも、納得できないという顔をしていた。
「でもやっぱりね、親としては普通に働いて、普通に結婚してくれた方が安心っていうか……」
透子はその気持ちを理解しつつも、普通に結婚という言葉に、共感しきれないものを感じていた。
「人の幸せは、それぞれの形がありますから。きっと娘さんも、自分なりの未来を真剣に考えてらっしゃるんだと思います」
その言葉に、田中は「そうねぇ」と呟いて、少しだけ表情を和らげた。
「配信とか……何があるかわからないじゃないの。顔出しなんかして、身元を特定されたり、変な人に付きまとわれたり……ニュースとかで見ると、ゾッとするのよ」
田中の言葉には、ただの心配以上に、娘を思う親心がにじんでいた。
透子は手を止め、落ち着いた声で答える。
「最近は、必ずしも顔を出して配信するわけではないですよ。声だけだったり、アバターを使ったり。顔を出さないスタイルも増えてますから」
そう言って、柔らかく微笑む。
「娘さん、とてもお綺麗ですから。ご心配になるお気持ちも、よくわかります」
田中は少し口元を緩めた。
「あら、透子さん、そういうのに詳しいのね?」
「いえ、詳しいというほどでは……。ちょっと耳にすることがあるくらいです」
「ふふ、頼りになるわ。なにかあったら相談させてね」
「もちろんです。わかる範囲でよければ、いくらでも」
再び掃除機の音が部屋に響く。透子は淡々と作業を再開しながらも、先ほど見かけた、あの爽やかな挨拶と、まっすぐな瞳をふと思い出していた。




