第63話 休日出勤
透子は電車を降り、吉永から聞いた道順を思い出しながら東口へと進んだ。駅を出ると、すぐ目の前にコンビニとパン屋が並んでいるのが目に入る。
「……これですね」
つぶやきながらパン屋の前を通り過ぎ、次の信号を左へ曲がる。印刷された地図と見比べながら歩くと、白石宅のあるマンションがすぐに見えてきた。
到着時刻を確認すると、約15分ほど早く着いていた。
「ちょっと早かったですね……」
透子は来た道を戻る形でパン屋の前へと引き返した。ガラス張りの店内には、焼きたてのパンが並び、香ばしい香りがふんわりと漂ってくる。雰囲気もよく、帰りに何か買って帰ろうかと外から眺めながら時間をつぶした。
いい頃合いになったところで、再びマンションの前に立ち、エントランスのインターホンを押す。
「クリーン・コンフォートの春野です。本日は椎名に代わって伺いました」
すぐに「どうぞ」という男性の声が返り、ロックが解除される。2階の213号室へと向かい、再度チャイムを押すと、中から出てきたのは眼鏡をかけた中肉中背の男性だった。
「こんにちは。本日は椎名の代わりに担当させていただきます、春野と申します。急な変更で申し訳ありません」
「ああ、いえ。連絡もらってますので、大丈夫ですよ」
白石は、特に不快な様子もなく淡々と応じてくれた。
部屋へ案内されると、透子は作業前の確認を行う。
「本日は掃除機がけ、お風呂、トイレ、キッチンの清掃でお間違いないでしょうか?」
「はい、それでお願いします」
その言葉を受け、透子は持参した掃除道具を広げ、作業に取り掛かる。隔週で入っているだけあって、部屋は大きな汚れや散らかりも見当たらない。透子は几帳面な性格の住人なのだろうと推測した。
リビングで掃除機をかけていると、テレビの横に置かれたゲーム機の箱が目に入る。最近発売されたばかりで、抽選でもなかなか当たらない人気の品だ。
(当たったんですね……すごいな)
心の中でそう呟きながらも、表情は変えず掃除機を丁寧に動かしていく。テレビも大きく、家具もきれいに整えられていて、独身貴族という言葉がぴったりだった。
廊下に出て隣の部屋を開けると、そこは寝室だった。こちらも整頓されており、ベッド脇の床もきちんと掃除が行き届いている。
さらにもう一部屋。ドアを開けた瞬間、これまでとは違う雰囲気が広がる。
壁にはアニメのポスター、棚には漫画がずらりと並び、奥のデスクの上にはアクリルスタンドがいくつも並んでいた。
(こちらは……趣味のお部屋でしょうか)
そう思いながら掃除機をかけ進めていくと、ふとアクスタの並びに目が留まる。
その中で、最前列に立っているのは──朝比奈柚葉のアクスタだった。
(柚葉!)
透子の胸が一瞬高鳴る。
(最前列に柚葉ってことは、推しなんでしょうか)
ふとそんな思いが頭をよぎるが、透子はすぐに気持ちを切り替えた。今は仕事に集中する時間。自分の役割をわきまえている。
掃除機をかけ終えた透子は、そのままリビング、キッチン、浴室、トイレと順に手際よく掃除を進めていった。
リビングでは白石がテレビの前に座り、アニメを観ている。透子の動きに特に関心を示すこともなく、画面に集中している様子だ。
掃除機を片付けながらも、透子の頭の片隅には、最前列に並ぶ柚葉のアクスタが残っていた。
(でも、本当に推しだったら……なんだか、親近感が湧きますね)
そう思いながらも、透子は一つ一つの作業に集中し、予定された時間内にすべての清掃を終えた。
最後に掃除道具をまとめ、白石に完了の報告をする。
「本日の清掃がすべて完了いたしました。何か気になる点などございましたら、会社を通してご連絡ください」
「はい、丁寧にありがとうございました。」
静かで控えめな声で白石がそう答える。
透子は軽く会釈し、ドアを閉めて部屋を後にする。
(柚葉のアクスタ、可愛かったな)
口元にうっすらと笑みを浮かべながら、朝に目をつけていたパン屋のほうへと、軽やかに歩き出した。




