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第51話 私だけの帰り道

 名取美鈴の家を後にし、マンションの前で深く一礼してから、春野透子は駅へと向かう。


 バッグを肩にかけ、足取りはいつも通り軽やかだ。けれど、誰も見ていない時の彼女の表情は、どこか穏やかで、ほんの少しだけ気が抜けているようにも見える。


 最寄り駅までの道は、もうすっかり慣れたもので、透子にとっては静かな「一区切り」の時間だった。電車に揺られている間、タブレットを開き、自然な流れで柚葉の配信アーカイブを再生する。


 大会後、少しずつペースを戻しているようで、短めの雑談配信やリスナーとのやりとりが増えていた。最近は視聴者からのコメントもどこか温かく、楽しげな空気が画面越しにも伝わってくる。


(元気そうで、何よりです)


 イヤホン越しに届くのは、配信者としての明るく元気な声。もちろん家事代行という職業柄、正体を知っていてもそれを明かすような真似はしない。でも、ひとりタブレットを前にしているときだけは、ただの一視聴者として、その活躍を心から応援していた。


 最寄り駅で降り、そこから歩いて10分ほどの場所にある、静かな住宅街のマンション。その一室が、透子の住まいだった。


 ドアを開けて中に入ると、整った空間が彼女を迎える。無駄のない配置、整頓された家具、観葉植物の緑が一点だけ彩りを添える。誰かを迎えるわけでもなく、それでも乱れのない空間は、まさに“春野透子らしい”部屋だった。


 バッグを置き、紅茶を淹れる。カップをテーブルに置き、一息つくと、部屋の明かりがやわらかく彼女を包み込む。


 タブレットで仕事のスケジュールや買い出しリストを確認。来週の高山宅の献立案をいくつかメモしながら、ふと最新の柚葉の配信をチェックする。


 内容はリスナーとの雑談配信。少しだけ再生してみると、疲れた様子ながらも、終始笑顔で視聴者と穏やかに話している柚葉の姿がそこにあった。


(こうやって楽しそうにする柚葉の支えになれているのなんて、私は幸せ者ですね)


 そっと再生を止め、カップの紅茶に目を落とす。


(これからも、もっと支えていきたい。もっと頼ってもらいたい)


 飲み終えたカップを片付け、食器棚に戻す。


 カーテンの隙間からは、まだ夜にはなりきらない薄明かりが差し込んでいる。


「次は、何を作ろうかな……」


 そう言って立ち上がり、明日のための食材メモをもう一度確認する。静かな部屋に響くのは、ページをめくる小さな音だけ。


 誰の目にも触れない場所で、春野透子は今日もまた、誰かのために丁寧な準備を重ねていた。


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