第40話 汚部屋再び
火曜日。透子はいつも通り高山柚月のマンションの前に立ち、ドア横のインターホンを押した。
……しかし、返事がない。
あれ?と思い、もう一度ピンポンを押す。再び、沈黙。
(こんなこと、今までなかったのに……)
不安が頭をよぎる。すぐに非常時用として預かっている柚月の携帯番号へ連絡を入れた。コール音がしばらく続いた後、ようやく繋がる。
「……はい……?」
寝起き特有のぼんやりとした声が耳に届く。
「高山様、春野です。本日ご訪問予定の日なのですが……」
「あっ……! ごめんなさい、完全に寝てました……今、開けます!」
慌てた様子が伝わってきて、少し安心しながらロックが解除される音を聞く。
エレベーターを使い、いつもの階へ。扉が開くと、申し訳なさそうな表情の柚月が出迎えた。
「本当にすみません、完全に寝坊しました……」
「大丈夫です。お体の具合など、悪くないですか?」
「はい、昨日ちょっと作業が長引いちゃって、つい寝るのが遅くなって……」
少し照れたように言う柚月に頷き、透子は中へと足を踏み入れる。
玄関を抜けてリビングに入った瞬間、思わず目を瞬かせる。
(……これは、ちょっと予想外)
部屋の空気が少しよどんでおり、いつもの風景とは明らかに違っていた。テーブルの上には飲みかけのペットボトルやスナック菓子の袋が散乱し、ソファには脱ぎっぱなしのブランケットと衣類が無造作に置かれている。
床にもペットボトルが転がっており、洗濯カゴの近くには一週間分はあろうかという洗濯物の山ができていた。キッチンには未洗浄の食器やコンビニ弁当、宅配で頼んだであろうプラスチックの容器が山のように積まれ、まるで生活の時間が止まっていたかのようだった。
一週間分の疲れが、そのまま部屋に降り積もっているようだった。
透子は表情を崩さず、プロとしての顔を保ったまま振り返る。
「……少し、お疲れが溜まっていたようですね」
「はい……なんか、今週ちょっと仕事が立て込んでて……」
柚月が肩を落としながら言う。
「では、まずはお昼ご飯を用意して、そのあと時間内でできる限り片付けます。生活圏だけでもきれいにしておきますので、ご安心ください」
「……ありがとうございます」
「いえ、こういうときのための家事代行ですので」
透子はそのままキッチンへと向かい、手早く片付けから始めた。使ったままの鍋やフライパンを洗い、調理台を整えていく。
「眠気が残っているようでしたら、少し休まれていても大丈夫ですよ」
「いや、お腹すいてるので……ご飯、食べたいです」
「かしこまりました」
今日のメニューは和風の焼き魚定食。簡単で栄養バランスの取れた一品に決め、焼き魚と具沢山の味噌汁、小鉢とご飯を手早く仕上げていく。
配膳が終わる頃には、柚月も少ししゃんとした表情を取り戻していた。
「いただきます」
一口食べた柚月が、ほっとしたように微笑む。
「やっぱり、春野さんのご飯、沁みます……」
「それは何よりです」
透子はそのままキッチンの片付けに取り掛かった。シンクに山積みになった食器やプラスチック製品を手早く分別し、油汚れの強いものから順に洗い始める。乾いた箸立てやまな板は一度拭き上げてから定位置に戻し、使い終わったコンロの周りも念入りに磨き上げていく。小さく息を吐きながらも確実にひとつずつ対処していく。
ちらりと視線をリビングに向けると、山になった洗濯物や雑多なゴミが目に入り、思わず心の中で小さく気合を入れ直す。
(これは……本腰を入れないと)
短時間でどこまでやれるか。タイムリミットとの戦いだった。
(きっと、仕事の疲れや配信準備で余裕がなかったんだろう)
推しの弱っている部分を見た気がして、胸が少しだけ痛んだ。
だからこそ、自分にできることは完璧に。そう思いながら、手を動かす。
こんな状況こそ、家事代行としての真価が問われる場面だ。透子はエプロンの紐をきゅっと結び直し、静かに気合を入れた。




