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第27話 ベンチの決意

 作業をすべて終え、玄関で靴を履いた透子は、軽く背筋を伸ばしてから柚月に向き直った。


「本日は……少しお見苦しいところをお見せしてしまって、申し訳ありませんでした」


 深く頭を下げる透子に、柚月はすこし目を瞬かせたあと、柔らかく微笑んだ。


「そんな日もありますよ」


 その一言が、まるで赦しのように響く。いつも通りの無表情ではなく、ちゃんと表情を見せてくれていることが、嬉しくもあり、胸の奥がチクリと痛む。


「来週からは、また火曜日でよろしいですか?」


 話を切り替えるように、透子が確認すると、柚月は小さく頷いた。


「はい。今週は予定があっただけなので、来週からはまた火曜日で大丈夫です」


「では、来週の火曜日、十三時に伺います」


「はい。よろしくお願いします」


 そうして短い会話を交わし、透子はマンションの外へ出た。エントランスを抜けて、表通りへ出た瞬間、胸に抱えていた緊張が一気にほどけていく。


 足が自然と速くなる。小さく息をつきながら、近くの小さな公園に向かった。


 平日の午後ということもあり、公園は静かで、ベンチには誰の姿もなかった。透子はそのひとつに腰を下ろし、バッグを脇に置いて、手を膝の上に乗せた。


(……今日は、ダメだったな)


 静かに、心の中で呟いた。


 朝の五十嵐宅。いつもなら時間通り、無駄なくこなす仕事を、なぜか必死にやりすぎてしまった。


 柚月宅ではなおさら、普段通りに振る舞おうとすればするほど、手が止まり、視線が揺れた。


 小さなミス。気の緩み。集中の欠如。


 どれも、仕事を始めて以来、ほとんどなかったことだった。


(自分では隠しているつもりでも、ちゃんと出てしまっていた)


 それが一番情けなかった。


 自分の感情が、仕事に影響してしまうなどあってはならない。相手が誰であろうと、プロとして一線は守るべきなのに。


 そして、それが推しだったからこそ、余計に心が揺れてしまった。


(……意識しすぎてる)


 柚葉=柚月。そう認識してから、透子はずっと迷っていた。喜びもあった。信じられないような驚きもあった。


 けれど、それ以上に「知られてはいけない」という緊張と、「見守りたい」という想いとが混ざり合って、どこにも逃げ道がなかった。


 木々のざわめきに紛れて、遠くで子どもの笑い声が響く。


 透子はそっと目を閉じ、深呼吸をした。


(……切り替えよう)


 今日のことは、しっかりと反省する。でも、それで終わりにはしない。


 自分の中にある感情は否定しない。でも、それを仕事に持ち込まない覚悟を、今ここで持たなければならない。


 ベンチから立ち上がると、透子は自分の頬を軽く叩いた。


「……よし」


 まだ、来週がある。だからこそ、立て直す。


 来週は、完璧な仕事を見せる。


 それが、透子にできる唯一の誠意だった。

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