第26話 らしくない
親子丼をリビングへ運び終えた透子は、いつも通りキッチンに戻り、洗い物に手をかけた。
いつもなら、食器を洗い終えたあと、決められた掃除のルーティーンに入るはずがなかなか終わらない。
手の中にある茶碗に洗剤を含ませたスポンジを滑らせながら、頭の中では別の何かがずっと騒いでいた。
(高山さんは……柚葉さんで)
さっきの「いただきます」の声。 画面越しで聞いた、あの声。
違うはずがなかった。
心を落ち着けようとしても、かえって雑念ばかりが浮かんでくる。知らないふりを貫こうとするたびに、罪悪感と嬉しさがない交ぜになっていく。
気づけば、洗い物の手はほとんど止まっていた。
泡だらけの器を中途半端に流し終えて、ようやく我に返る。
「……いけない」
呟きながら、急いで水を出し直す。その勢いで、洗っていた皿から跳ね返った水が顔にかかり、透子は声を漏らしてしまった。
「大丈夫ですか?」
振り返ると、リビングに座っていた柚月がこちらを心配そうに見ていた。
「あっ……はい。すみません、ちょっと水が跳ねただけです」
透子はすぐに頭を下げ、笑顔を取り繕う。
そのあと、柚月がそっと立ち上がり、丼と箸を手にキッチンへやって来た。
「ありがとうございます。お預かりします」
丁寧に丼を受け取りながら、透子は心の中で頭を抱えていた。
いつもより洗い物に時間がかかっている透子を心配してか柚月が声をかける。
「……本当に、大丈夫ですか?」
その言葉に、胸の奥がズキリと痛んだ。
(こっちの事情で、推しに心配させるなんて……ファンとして、言語道断)
思わず唇を噛みしめる。透子は自分を奮い立たせるように、大きく一つ息を吸った。
「申し訳ありません。今日は少し、集中が……今から、しっかりやります」
小さく会釈して、洗い物を手早く終わらせる。
気を取り直して、次の掃除へと足を運ぶ。
けれど、その動きはいつもの透子とは違っていた。
作業の最中、何度もリビングの方へ視線が逸れてしまう。
(気にしちゃダメ。いつも通り、いつも通り……)
そう言い聞かせるのに、耳が柚月の気配を探してしまう。視線が彼女の動きに引き寄せられてしまう。
そして、些細なミスが起きた。
掃除道具を取るのにカバンを開けたとき、棚の端に肘が当たり、そこに立てかけてあったモップが音を立てて倒れた。
「っ……!」
すぐに拾い上げて元に戻す。
「……すみません、うるさくしてしまって」
柚月の方は、気にしていないように見えた。ただ、透子自身が、自分らしくない行動を連発していることがどうしようもなく恥ずかしく、情けなく感じていた。
今まで、何事もそつなくこなす自分であることに、少なからず誇りを持っていた。
それなのに、推しの前でこんなにも乱れてしまうなんて。
(……どうして、こんなことに)
けれど、答えはもうわかっている。
透子は、柚葉としての柚月を知ってしまった。
そして、知らないふりをしようとすればするほど、意識してしまう。
普段の自分でいることが、こんなにも難しいなんて。
息を吐いて、軽く頬を叩く。
まだ、仕事は終わっていない。だからこそ、せめて最後まで——
透子は、もう一度道具を手に取り、作業に戻った。




