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第25話 揺れる想い

 五十嵐さん宅を出て、透子はスーパーで食料品を買い柚月の住むマンションへと向かった。


 何度も通ったはずの道なのに、今日は妙に距離を感じる。初回訪問のときよりも、ずっと緊張していた。正体を知ってしまった今、どんなテンションで挨拶をしていたのかも思い出せない。


(平常心。いつも通り、いつも通り……)


 そう言い聞かせながらインターホンの前に立ち、深く息を吸い、ピンポンを押す。


「はい」


 応答の声に、一瞬ビクッと肩が跳ねた。たった一言なのに、まるで胸の内を見透かされたように感じてしまう。


 エレベーターに乗り込むと、透子は小さく息を吐いた。ここで崩れるわけにはいかない。プロとしての自分を守るためにも。


 ドアの前に立つと、ほどなくして柚月が扉を開けた。マスクはしていない。表情がはっきりと見える。


「こんにちは。お待たせしました」


 なんとか笑顔をつくり、にこりと挨拶を返す。


 柚月も小さく頷き、玄関を開けてくれる。


 台所に立つと、まずは今日の昼食の準備から。以前、「卵料理が好き」と漏らしていたことを思い出し、今日は親子丼に決めていた。


(平常心、平常心……こんな事考えてる時点でもう平常心じゃない)


 自分で自分に突っ込みながら、鶏肉を切り、玉ねぎを煮始める。湯気が立ち上る鍋の中で、心を落ち着けるように手を動かす。


「……親子丼、ですか?」


 ふいに声がして振り返ると、柚月がキッチンの入り口に立っていた。


 以前ならリビングで静かに過ごしていたのに、最近はこうして時折キッチンを覗いてくる。


「はい。卵がお好きと伺っていたので」


「おいしそう」


 そう言って小さく笑う柚月の顔に、透子の胸がまたざわついた。マスク越しではない、はっきりと見えるその表情。


(……見えない方が、楽だったかもしれない)


 けれどその一方で、こうして笑顔を向けてくれることがうれしくもある。どちらの感情が本音か、自分でもわからなかった。


 完成した親子丼を丁寧に盛りつけてリビングのテーブルへ運び、そのあいだに透子は洗い物に取りかかる。


 ふと柚月の声が聞こえる。


「いただきます」


 声量は小さい。けれど、はっきり聞こえる。張っていないはずの声が、それでも透子の耳には鮮明だった。


(やっぱり、同じ……柚葉の声と)


 胸の奥が軽く痛んだ。


 良いマンションに住み、立ち入りを許されない部屋をひとつ持ち、家から出る様子がない。考えれば考えるほど柚月が柚葉なのだと確信に近づいていく。


 推しの声、推しの言葉。全部がそこにある。


(やっぱり……柚葉なんだ)


 あらためて実感するたび、嬉しさと罪悪感がごちゃ混ぜになって、胸の中をかき乱す。


(推しの部屋で、推しにご飯を作ってる……)


 奇跡のような状況のはずなのに、透子の心は晴れなかった。


 知らなければ、ただの良いお客さま。信頼関係を築いていく、普通の仕事相手。


 でも今は、知っている。


 そして、知らないふりをするしかない。


 水音に紛れて、透子は静かに、深く息を吐いた。


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