第2話 推し配信を見ながら、勝手に完璧サポートプラン妄想
カチリ、と最後の食器を食洗機に入れ、キッチン周りを完璧に磨き上げる。水滴ひとつ残さないシンク、整然と並べられた調理器具。春野透子にとって、この完璧な状態は心地よい日常であり、小さな誇りだった。家事代行サービス『クリーン・コンフォート』のスタッフである彼女は、頼まれた部屋を綺麗にすることにやりがいを感じていた。
時刻は午後8時50分。仕事を終え、自宅マンションに戻った透子は、シャワーを浴びてさっぱりとした後、お気に入りのクッションにもたれかかり、タブレット端末を付ける。今日の仕事も無事に終わった。依頼主からの感謝の言葉は嬉しかったし、次回の予約も入っている。でも、それとは違う、特別な楽しみが、彼女にはあった。
『まもなく配信開始します』
画面に表示された通知に、透子の口元が自然と緩む。今日の疲れを少しだけ和らげてくれる、大切な時間。彼女の“推し”、大人気Vtuber・朝比奈柚葉の配信が始まろうとしていた。
午後9時。
「……あー、あー聞こえる？ こんばんわー、こんばんわー」
画面に現れたのは、落ち着いたトーンで挨拶する柚葉の姿。クールな表情と少し低めの声が、透子の心を静かに満たしていく。
『待ってた』
『こんばんは』
控えめなコメントが流れる中、透子も「こんばんは」と打ち込んだ。
透子は用意していたハーブティーを一口飲んだ。仕事終わりのリラックスタイム。悪くない。……そう、この瞬間までは。
「あー……もう、マジで終わってるってば！」
柚葉の叫びに、透子は「ん？ 何かあったのかな」と画面に意識を集中する。
「洗濯物はエベレストみたいにそびえ立ってるし、床には何週間前のものかわからないお菓子の袋が転がってるし……この前なんて、ペットボトルの水を盛大にひっくり返しちゃって、もうコントだよ！」
淡々と語られる惨状。でも、それが逆に想像力を刺激する。ファンとしては心配だけど、ちょっと気になる……！
（えっと、もし私が片付けるとしたら……まず、玄関からリビングまでの通路を確保して、床の物を整理して……水回りは、汚れ具合を見て洗剤を使い分けて……最後に収納スペースを確保して、使いやすく配置する、かな。……まあ、それなりに時間はかかりそう）
半分妄想、半分現実逃避。透子はいつの間にか、得意な家事の手順を頭の中でシミュレーションしていた。我ながら職業病が出てる？ でも、それくらい部屋のことが気になるんだ。
「掃除、洗濯、料理、買い物代行……へえ、料理もやってくれるんだ」
柚葉の呟きに、透子は心の中で小さく反応する。（家事代行、いいですよ。私もおすすめです）
「……でもさ、知らない人を家に入れるって、抵抗あるよね。……男の人だったらやだな。」
柚葉が少しだけ警戒心を覗かせる。
（確かに、知らない人を家に入れるのは少し不安かも。でも、信頼できる業者さんを選べば大丈夫ですよ）
「ただ…もし、その人が私のこと……朝比奈柚葉だって気づいたら……どうしよう？」
（そっか、柚葉は有名人だもんね。私がお客様として伺うことになったら……バレたらどうしよう？ いや、でも、プロなら平静を装わないと。仕事に集中、仕事に集中……）
「【あれ？ この声、もしかして……】とか言われたら、心臓止まる自信あるわ……」
柚葉の控えめな嘆きに、透子は共感する。（それは確かに、少し緊張するかも。でも、私は絶対に言いません。プロとして、お客様のプライバシーは厳守です）
我ながら、冷静な自分とミーハーなファンの自分がいる。
柚葉が配信の最後に「……ちょっと調べてみるか」と呟いたのを聞き逃さなかった。
（え？ワンチャンあるかも？）
ほんの少し、期待してしまう。もし、柚葉が家事代行を頼んで、担当が自分になったりしたら……？ そんな都合のいいこと、あるわけない！ ……でも。
「おつかれー、おつかれおつかれー。」
配信が終わり、静寂が戻る。透子はゆっくりと顔を上げた。まだ少しだけ、胸の奥がざわついている。
（……ないない、ありえないって）
「でも、今担当してるお客様の中にもVtuberとかいるのかも…」
誰に言うともなく、そっと呟く。それは、よくある一般人の妄想だった。
