第17話 オムライスと素顔
午後一時ちょうど。インターホンを押すと、前回よりも素早くオートロックが解除された。いつものように軽く会釈しながら扉を開けてくれた柚月は、今日も黒いマスクに眼鏡だった。
「こんにちは。本日もよろしくお願いいたします」
「……よろしくお願いします」
前よりも言葉が自然で、声もはっきりとしていた。ほんの少しの変化が、透子には嬉しい。
部屋の中は、今回も整然としていた。床には物が落ちておらず、テーブルの上も片付いている。透子は清掃道具を置くと、さっそくキッチンに向かった。
「では、今日はオムライスをお作りします。デミグラスソースをご希望でしたね」
「……楽しみにしてました」
食材はすべて透子が事前に準備して持ち込んだので、冷蔵庫を開ける必要もなかった。新鮮な卵や鶏肉、玉ねぎにデミグラスソースの材料まで、すべてバッグに丁寧に詰めてきた。透子は心の中で小さく頷くと、エプロンをつけて調理に取りかかる。
バターで炒めたご飯に鶏肉と玉ねぎを加え、コクのあるデミグラスソースを煮詰める。最後にふわりと焼き上げた卵を載せて、香草を添えれば完成だ。
「できあがりました。どうぞ、召し上がってください」
リビングのテーブルにプレートを運ぶと、柚月はそっと立ち上がって席に着いた。そして、少しだけ躊躇ったのち、眼鏡に手をかけ、ゆっくりとマスクを外す。
(……あ)
その瞬間、透子はわずかに目を見開いた。
マスク越しでも整った印象はあったが、外した顔はどちらかといえば“美人”というより“かわいらしい”という雰囲気だった。大きな目元はそのままだが、唇や頬のラインが柔らかく、年齢も思っていたより若く見える。
(この若さで、この立地のマンション……ご家族が支援しているのか、それとも、稼ぎの良いお仕事……?)
そんな推測が脳裏をかすめる。けれど、それ以上詮索することはしない。
「いただきます」
柚月はスプーンを手に取り、一口、ふわとろの卵を頬張った。
「んっ!おいしい!」
思わず口元をほころばせるその表情に、透子の胸がじんわりと温かくなる。
「よかったです。お口に合ってなによりです」
次のひと口、そしてもう一口。柚月のスプーンは止まらない。
「卵がふわふわですごく好きです。ソースも、今まで食べた中で一番おいしいです」
褒め言葉に、透子は思わず笑みを深める。
「ありがとうございます。デミグラスは少し手間をかけましたので、そう言っていただけると嬉しいです」
オムライスが少しずつ減っていく様子を、透子は静かに見守った。何も語らない沈黙ではなく、穏やかな時間がそこにあった。
最後のひと口まで平らげたあと、柚月はグラスの水をひと口飲み、ふうっと息を吐いた。
「ごちそうさまでした……ほんとに、美味しかったです」
その言葉が、何よりのご褒美だった。
「またお作りいたしますね。リクエストがあれば、ぜひ教えてください」
柚月は、少しだけ視線を伏せながらも、はっきりと頷いた。
——少しずつ、言葉の数が増えてきている。
それが透子にとって、とても嬉しい。
(今日も、いい日になりそうです)
そして、テーブルを拭き終えた頃、柚月がぽつりと声をかけてきた。
「これからも来てくれる日は、お昼ご飯も作ってもらってもいいですか?」
その問いかけは、少しだけ緊張したような響きを持っていたが、どこか期待も混じっていた。
透子はすぐに笑顔を浮かべ、うなずいた。
「もちろんです。準備を整えて、毎回ご用意いたしますね」
「お願いします」
その返事は、小さな声ながらもはっきりとしていて、透子の心にじんわりと嬉しさが広がった。
その後、透子は決まった時間までの間、キッチンのシンク下や換気扇まわりといった、普段手が回りにくい場所の掃除に取りかかった。雑音のない部屋の中に、柔らかな清掃音だけが響く。
きれいに磨き上げたクロスを最後に絞り、時計を確認する。
「それでは、今日の作業はこれで終了いたします。来週も、よろしくお願いいたします」
「はい。楽しみにしてます」
玄関先まで見送りに出てきた柚月に軽く会釈し、透子はマンションを後にした。
階段を下りながら、透子の胸の中には確かな充実感が残っていた。
(高山さんの“日常”の中に、私の役割が根づいてきたのかもしれませんね)




