第16話 静かな変化とあたたかなお願い
一週間ぶりに、柚月のマンションへと足を運ぶ。
オートロックが静かに解除され、いつものように扉が開いた。部屋の前まで行き玄関を開けると透子は、空気が以前よりも少しだけ整っているように感じた。
「こんにちは、本日もよろしくお願いいたします」
マスク越しに、柚月は短く「お願いします」と返す。その声は、以前よりわずかに大きく、明瞭だった。
(……喉の調子がいいのか、あるいは……少し、信頼してくれたのかもしれませんね)
そんなことを思いながら、透子はそっと室内に足を踏み入れる。
驚いたことに、部屋はきちんと片付けられていた。床には物が落ちておらず、テーブルの上にも余計なものはない。
(すごい……維持できてる)
あれほど散らかっていた部屋の主だ。
どれほど大変なことかを透子は知っている。
「とても部屋が片付いていますね。おかげで今日は、普段は手をつけにくい場所を重点的に掃除できます。そして、作り置きの料理もしっかりご用意いたしますね」
透子が作業の準備に取りかかると、背後から、ぽつりと声がかかった。
「あの、ご飯すごく美味しかったです」
振り返ると、柚月が小さな笑みを浮かべて立っていた。その表情には、ほんのりとした照れと、確かな感謝の色があった。
「それはよかったです。喜んでいただけて、うれしいです」
「部屋は出来るだけキレイにしておきますので、その時間でもっとたくさん作ってもらえますか?」
透子の胸が、ふわりと温かくなる。食事がちゃんと楽しみになってくれた証拠だ。
「もちろんです。お好きなメニューなどございましたら、ぜひ教えてください」
柚月は一瞬悩むような表情を見せたあと、ぽつりと口を開いた。
「ちょっと、ずうずうしいかもしれないんですけど次回、温かいご飯も食べたいなって……お昼ご飯、作ってもらうことって、できますか?」
透子は少しだけ目を見開いた。だがすぐに、優しく微笑む。
「定期訪問は13時からですので、少し遅めのお昼になりますが、それでもよろしければ、対応できます」
柚月は、ほんの一瞬だけ戸惑い、それから小さく頷いた。
「それで大丈夫です。お願いします」
「かしこまりました。それでは次回は、お昼ご飯もご用意いたしますね」
透子がキッチンの食材を確認していると、柚月がふいにぽつりと呟いた。
「あと、辛いのはちょっと苦手で」
「かしこまりました。では、刺激の強い香辛料などは控えめにいたしますね」
「それと……卵料理が、好きです」
その言葉に、透子は思わず顔を綻ばせた。
「それなら、お昼ご飯はオムライスにしてみましょうか」
柚月の目がわずかに輝いたように見えた。
「オムライス好きです」
「ケチャップとデミグラスソース、どちらがお好みですか?」
少しの間を置いて、柚月は静かに答えた。
「デミで」
「かしこまりました。デミグラスソースのオムライス、楽しみにしていてください」
短いやりとりだったけれど、透子の胸には小さな喜びが灯っていた。
(少しずつ……会話が自然に交わせるようになってきましたね)
言葉は少ないけれど、その背中には確かに、前より柔らかな空気が宿っていた。




