第1話 推し、部屋の汚さに絶望する
「あー……もう、マジで終わってるってば!」
深夜の静寂を切り裂くような叫びが、防音室に響く。画面の中で、どこか気だるげな雰囲気を漂わせ、独特のトークを繰り広げている大人気Vtuber・朝比奈柚葉から出た切実な悲鳴だった。
「ねぇ、みんな聞いて! あのね、最近、うちの部屋がマジでゴミ屋敷寸前なの!」
普段は落ち着いたトーンでゆったりと語りかける柚葉の声も、今日はわずかに沈んだ響きを帯びていた。コメント欄はものすごいスピードで加速していく。『寸前?』『何かあった?』『知ってるw』
「いや、別に何かあったわけじゃないんだけど……物理的に、足の踏み場がなくなってきたっていうか!」
柚葉はそう言うと、少しバツが悪そうに視線を逸らす。完璧に作り込まれたバーチャル空間の向こうに、うっすらと現実の生活感が滲み出ている気がした。
「洗濯物はエベレストみたいにそびえ立ってるし、床には何週間前のものかわからないお菓子の袋が転がってるし……この前なんて、ペットボトルの水を盛大にひっくり返しちゃって、もうコントだよ!」
コメント欄はたちまち笑いの渦に変わった。『もう何回目?w』『またやってるよ』『ぞうきんになりたい』
柚葉は頬を膨らませて抗議する。「笑い事じゃないんだってば! 本当に困ってるの! 片付けようとは思うんだけど……どこから手を付ければいいのか、もはや思考停止!」
『まずは仕分けから』『文明の利器に頼れ!』『俺が掃除する!』とコメントが飛んでくる。
柚葉はため息をつきながら、「ルンバ……どこにいるんだろ……なんかもう、心が負けてる」とぼやいた。
画面には、しょんぼりとした柚葉のキャラクターが表示された。大きな瞳が潤んでいるように見えるのは、高性能なモデリングの技術によるものだろうか。
「それで、色々考えたんだ。このままじゃ、本当に救いようのない人間になっちゃうんじゃないかって。さすがにそれはマズイでしょ?」
真剣な表情で語る柚葉に、コメント欄も再び心配の色を濃くする。『誰かに頼ってみたら?』『友達にSOS出すとか?』『ハウスクリーニングとか?』
「うーん……友達にこんな汚部屋見られるのは、さすがに無理! 黒歴史が増えるだけだし……ハウスクリーニングって、なんか敷居が高くない?」
柚葉は配信画面の前で腕を組んで悩ましげな表情を見せる。極度の人見知りの彼女にとって、見知らぬ人を家に入れるという行為は、想像するだけでもハードルが高かった。
「……ハウスクリーニングって、どんな感じなんだろ」
柚葉はスマホを手に取りながら、検索を始めた。「『ハウスクリーニング 何してくれる』……っと」
コメント欄がすかさず反応する。『やる気出してるw』『検索早いw』『まず内容チェック大事』
「えっと……エアコン掃除、換気扇、浴室、キッチン……」柚葉はぼそぼそと読み上げる。
「汚ければ汚いほど料金が上がるのね…」とため息をつく。
『家事代行は?』という提案に、「家事代行……」と検索ワードを打ち直す。
「『家事代行 何してくれる』っと……」
「掃除、洗濯、料理、買い物代行……えっ、料理もやってくれるの!?」と、急に柚葉の声が明るくなる。
コメントもすかさず反応。『神サービスw』『もう生活丸投げしようw』
「掃除してもらってご飯作ってもらえるとか……そんな天国、あったんだ……」
画面の柚葉は、珍しく瞳を輝かせながら、スマホをぎゅっと抱きしめた。
「……でもさ、知らない人を家に入れるって、抵抗あるよね。……男の人だったらやだな。」とふと不安を漏らす。
『ちゃんと女性スタッフ選べるよ!』とコメントが飛んでくる。
「なるほど……指名できるなら、ちょっと安心かも」と、柚葉は胸をなで下ろした。
「ただ…もし、その人が私のこと……朝比奈柚葉だって気づいたら……どうしよう?」
『マスクしてバレないように!』という提案に、「いや、顔出してないし声でバレるやつ……」とすかさず返す柚葉。
『サングラスも追加で!』という追い打ちに、「だから顔の問題じゃないって……」と肩を落とした。
「【あれ? この声、もしかして……】とか言われたら、心臓止まる自信あるわ……」
柚葉は小さく呟いた。普段の脱力系で飄々とした彼女からは想像もできないほど、不安げで頼りない声だった。
コメント欄には、『確かにそれは心配だね』『信頼できる業者さんを選ばないとね』『変な人にバレたら大変だし』といった共感とアドバイスが寄せられた。
『最悪、引っ越すしかないね』と冗談めかしたコメントに、柚葉は「いやいや、そこまで重症じゃないから!」とツッコミを入れる。
さらに『業者にバレたら逆に推してもらえ!』というコメントが流れ、「それ、推しがファンに掃除される地獄みたいな状況なんだけど……」と苦笑した。
配信の終わりが近づき、告知や挨拶を済ませた後、柚葉は一人、自室の散らかった床を見つめながら、小さく呟いた。
「……でも、このままじゃマジで生活できないし……勇気を出して、ちょっと調べてみるか……家事代行……」