類は友を呼ぶと言ってもコミュ症同士は仲良くなりにくい
誰だって悲しい事や辛いことがあると、まるで自分が世界で一番不幸であるかのような気分になると思う。
同じような苦しみを共有できる人はたくさんいる、だとか。世界の何処かでは自分よりもっと苦しい生活をしてる人がいる、だとか。そんなのは関係ない。
本当は自分が不幸だと思いたいんだ。そうじゃなきゃ、自分がどうしようもない状況だって思わなきゃ、頑張らなくちゃいけないじゃないか。
不幸であり続けてるのは自分が努力してないからなんだって、そんな厳しい評価を自分自身に下すなんて、それこそ死にたくなるくらいに辛い。
だからこそ僕は今日も、こんな薄暗い道端で虚空を見つめつつ自分の不幸を嘆くしかなかった――。
ここはとある王国で最も栄えている街。大通り沿いにはこの国原産の瑞々しく新鮮な野菜や地方から買い付けてきた工芸品やアクセサリー、はたまた珍しい植物や動物の骨を原料にした薬などとにかく様々な商品を並べた露天達がひしめいている。
頻繁に馬車や牛車なども通るほど道は広く、行き交う人々は途切れることがないほどの賑わいを見せている。最も栄えている街というだけあって、一般市民の格好は小綺麗で裕福そうに見える。
賑わっているのは大通り沿いだけではない。そこから少し離れた所にはひときわ目を引く巨大なテント。何千人もの人々を収容できそうなこのテントでは、王国で流行りの雑技団が磨き上げた曲芸や動物を使役して行う見せ物など、様々な芸を凝らして観客を楽しませている。
そして最も目を引くのが、街の北端に位置する立派な城である。
そう、ここは王国の首都に位置する街であり城に居を構えているのは紛れもない王族なのである。白亜の城壁に深い青色の彩られた屋根を持つ城は、王国内で最上の美しさを誇る建造物として観光名所となっている。
もっとも一般市民は城の内部に入ることは叶わず、離れたところから眺めることしかできないが。そしてその城の周りには、貴族たちの住まう豪邸や屋敷が連なる貴族区なる区域が出来上がっている。
このようにどこを見渡しても目移りするほど、物珍しく楽しげで華やかなものが目白押しでそうそう飽きることがない魅力ある街がその王国の首都なのだ。表向きは――。
そして僕がいるこの薄汚いどこか暗くジメジメとした雰囲気が漂うこの場所はいわば王国の暗部、いや人によっては恥部だったりするのかな。いやもしかしたら存在すらしないことになっているのかもしれない。知らないけど⋯⋯。
ともかくさっきまでに華やかな街並みが表だとすれば、僕がいるこの場所は裏というべきだろう。見通す道は狭く薄暗い。壁にかかったランタンや、ささやかな電灯が頼りなく暗闇を照らしている。
別に今が夜だというわけではない。この場所はいつだって薄暗い。なぜならこの場所は地下にあるからだ。
ここは下層と呼ばれる首都直下に広がる地下街だ。一説によると昔ここはよくある地上の街だったそうだが、地盤沈下か何かで沈んでその上に建てられたの今の首都らしい。
今では無法者や借金取りから逃げる者、悪どい商売をする犯罪者集団など脛が傷だらけの連中ばかりが集まる掃き溜めだ。
そして今これを語っている僕はといえば、犯罪のためにここを根城にしているでもなくましてや事情があって逃げ込んできたわけでもない。
記憶は朧気だがどうやら僕はここで生まれて、そして今日までここで育ってきた。
長々と語ってしまいましたごめんなさい。僕の名前は「ネク」、歳はたぶん12歳かそこらだ。数えたことないからテキトーだけど。
両親はいない。物心ついた時に僕を育ててくれていたのは2人の男女ではなく、1人のおじいさんだ。
そのおじいさんは偏屈で笑ったところをあまり見たことがなく、口を開けば小言やお叱りを食らわされ褒められたり優しい言葉をかけられたことはほとんどない。
そんなおじいさんだがなぜか面倒見はよく、僕のような身寄りのない子供を見つけては世話をしてくれていた。僕を含めて全員で6人ほどの子供が。
苦しいこととか色々あったけどここでの生き方や文字の読み書きとか、何やかんや色んな事を教わった。だからこそ現実逃避する時も語彙が豊富で何十分も時間を溶かすことができる。
ちなみに僕が逃避してる現実がなんなのかというと、そのおじいさんがつい先日死んだことだ。
今日まで僕を含めた子供達が生きてこれたのは、ほぼおじいさんのおかげだ。
たまにおじいさんに指示されて表の街に食べ物を盗みに行ったり残飯をあさったりしたことはあるが、ほとんどおじいさんがどこからか調達してきてくれてた。
おじいさん死んでからはその日の食べ物の確保すら満足にいかない。おかげで今も空腹でお腹と背中がサンドイッチしそうだ。
さらに残念な事に住居も失ってしまった。というのもこの下層は弱肉強食の世界でもある。今まではおじいさんの庇護の下で暮らしていた僕たちには、なぜかちょっかいをかけてくる者がいなかった。
だがおじいさんの死から数日後、狙ったかのようにどこの誰だか知らない男達が住居を荒した。金目の者はすべて奪われ、僕達は攫われそうになった。
僕は運が良かったのだろう、本当に。たまたまその時は食料調達のために外出していて、収穫ゼロで絶望していた帰り道だった。
男達が家を荒らし何人かの子供が泣きながら連れて行かれるところに出くわし、僕はそれを通りの角から覗き見ていた。
それを見ていた僕は少し恐怖心を感じながらも、自分が難を逃れた事にホッとしていた。もしかしたら僕のことをクズだと思ったかもしれない。
ある意味では間違ってないけど僕がホッとすることができたのには、他の子供達と僕との関係性が理由でもある。一言で言うと僕はぼっちだった。
最初にも言ったが物心ついた時には、僕はすでにおじいさんに育てられていた。そして周りにはまだ子供がいなかったからたぶん僕がおじいさんに面倒見てもらった子供第一号だ。
それから9歳位になる頃までおじいさんと2人暮らしで、その後は段々と面倒を見る子供が増えていった。しかしそれまでおじいさんぐらいしか人と話したことがない僕は盛大にコミュ障をこじらせていた。
こうやって頭の中では多弁になる僕だが実際に話しかけられると「えっと⋯、その⋯、」みたいな時間稼ぎの言葉をとりあえず口にするが一向に思考が纏まらない
ようやく何か言おうとした時には相手は目の前から消えているというセルフイリュージョンを何度も繰り返した。
普通は二、三年も一緒に暮らせば同じ釜の飯を食う仲という感じで親密になるのだろうが、実は他の子供達もおじいさんに拾われるまでよほど辛い目に合ってきたのか、警戒心MAXで僕とは違った意味ではコミュ症だった。
最初の一年はほとんど話せずおじいさんに伝言を頼むことで間接的に会話してたっけ⋯⋯。後の一と少しでようやくちょっとずつ会話ができてきたが、絆や仲間と呼ぶには致命的に信頼関係が薄かった。
結果、こうやって目の前で連れ去られるところを見てもほんのちょっとの罪悪感しか感じないくらいの関係性を出来上がったというわけだ。うん、我ながら情けないね。
でも仕方ないじゃないか。向かっていった所で返り討ちにあって僕もあの子たちの二の舞いになるのが落ちだ。きっと連れ去られた先ではろくなことが待っていないだろう。良くて貴族の奴隷、悪くて四六時中くびれるまで強制労働、とかかな。
何ともまぁ他人事のように語りつつも、僕だってうかうかしてられない。もうあの家は使えないだろうしこれでおじいさんだけでなく、同居人と家まで失って僕が持っているものは何もない。
だからこそ僕はこうやって現実逃避の脳内会話を繰り広げつつ、路地の端っこで燻り腐っているわけだ。本当、我ながら情けないね(二回目)。