森の塔に幽閉された魔女は昔義妹に婚約者を奪われて孤独になった聖女でした
『君は自分の妹が真の聖女だと知り、嫉妬から彼女を殺そうとしたな』
煌めくような金色の髪に、宝石のように美しいブルーの瞳をした婚約者、リアムが私に冷たく言い放った。
『誤解です! 私はそのようなことはしておりません……!!』
『君のその特別な力は聖女ではなく、悪しき魔女によるものだったのだ。誰にも気づかれずに聖女に毒を盛るなど、魔女である君にしかできないことだ』
『そんな……、誤解です……誤解です……っ、リアム様……!』
『お義姉様しかおりません! 私の部屋に入ることができて、私の飲み物に毒を盛るなんて……! 私が聖女でなかったら、死んでいるところだったわ』
『……何を言っているの? エルダ……』
それを聞いていた義妹のエルダは、真っ赤な髪を振り乱し、血のような赤い瞳を振るわせて私を睨みつけていた。
『残念だが、君の処刑が決まった。聖女を殺そうとしたのだ。仕方ない』
『そんな、リアム様……どうか、どうか私を信じてください……!』
『さようなら、クロエ』
『リアム様――!』
「――リアム!!」
目を開くのと同時に、私はそこにいない彼にすがるように天井に腕を伸ばしていた。
元婚約者の夢を見るのは、三年ぶりだ。
「……あれからもう、百二十年も経っているというのに……」
私は未だにあのときの夢を見る。
人生でただ一人愛していた男、リアムの冷たいブルーの瞳と、私と仲がよかった義妹、エルダのにやりと笑った口元が、今でもこの目に焼き付いている。
私は人には使えない、特別な力を持って生まれた。
人々は私を聖女と呼んだ。
この国のために、この国の人々のために、この力を使おう。
そう生きていくと決めたのに。
ある日エルダが毒を飲んで倒れた。彼女はその毒を自分で浄化し、命が助かったと言った。
〝自分が真の聖女である〟
とも。
そして彼女に毒を盛ったのは、エルダの力に気づいて嫉妬した私だと訴えたのだ。
当時の国王はそれを聞き入れた。
国王の言うことは絶対だった。
幼馴染で婚約者だったリアムもエルダを信じた。
みんなが私を〝魔女だ〟と言い、恐怖や憎悪を込めた視線を向けた。
魔女は聖女と対になる、邪悪な存在として言い伝えられてきたのだ。
最愛の二人に裏切られた私の心は闇に染まった。
憎んだ。心の底から二人を憎んだ。嘘を吐いて私を陥れたエルダのことも、私のことを信じてくれなかったリアムのことも。
けれどその強い憎しみが、私を本当の魔女に変えてしまった。
『魔女だ! 魔女の呪いだ!!』
処刑されても、私は死ななかった。
刃は私の首を落とそうとした者に跳ね返り、炎は私以外のものを焼き払い、水に落とされても息ができたし、その後大洪水が王都を襲った。
私は不死になったのだ。
そして、私の時間は止まった。
抵抗する魔女を殺そうとすると、呪いがかけられてしまうらしい。
よって、私は処刑を免れた。
その代わり、魔物が住まう魔の森の奥にある塔に、幽閉された。
魔物に食われて死ぬもよし、魔物を呪って倒すもよし。
ただし、逃げることだけは許されなかった。
王宮の魔導師たちが、必死になって塔周辺に結界を張ったのだ。
馬鹿な奴ら。私がその気になれば、そんな結界簡単に破れるとも知らずに、命をかけて結界を張ったのだ。
そんなことをしなくても、私は逃げたりしない。
だって私に行く場所なんてないのだから。
――それから百と二十年が経った。
「今日もいい天気ね」
私は塔でずっと独り。
「あら、あそこに新しい花が咲いているわ」
塔の窓から外を見下ろし、独り言を呟く。それが私の日常。
とても孤独だった。
十八歳から見た目が変わらないまま、ただ私だけを残して時が過ぎていく。
自分が真の聖女だと言ったエルダがどうなったのかは知らない。
二人は結婚したのだろう。
でも、リアムも、エルダも、もう死んでいるはずだ。
ここは魔物がうようよいる魔の森だから、人が来ることは滅多になかった。
何十年かに一度、勇者と名乗る冒険者が来ることはあった。と言ってもこの百二十年の間に、たったの二回だけど。
そんなある日、久しぶりに一人の男が塔にやってきた。
〝男性〟と呼ぶにはまだ若い、少年と青年の間くらいの、若い男。
金髪で、青い目の男。
とても嫌な色だった。
「――こんにちは、勇敢な騎士様。それで、あなたの望みは何?」
塔を上ってきた男に私は聞いた。
男は真っ白の騎士服を着ていた。冒険者とは少し違った。でも騎士が一人でこんなところに来るなんて。正気かしら。
けれど、一人で森の魔物を倒してここまで来るなんて、相当強いということね。
だから褒美に、ここまでたどり着いた者には望みを聞いてやることにしている。
人々は、〝魔女〟という存在を恐れながら、この力に頼るのだ。
過去二人の勇者もそうだった。
いつからそうなったのか、魔女には聖女には叶えられない願いを叶えることができると、お伽噺のように語られているらしい。
人間はとても勝手で、欲深い生き物だ。
金、名声、愛――。
それを得るためには、手段を選ばないのだ。
だから私は今ここにいる。
「ある人を救いたいんだ」
男は静かに口を開くと、とても美しい声でそう言った。
「何かの病なの?」
「……いや、とても健康そうだ」
「そう。では誰かに囚われているとか?」
「……囚われているわけではない」
はっきり言わない男に、少しイライラする。
感情が動くのもとても久しぶり。きっとこの男の髪と目の色のせいだわ。
「では一体何から救いたいの?」
誰かを救いたいという願いの大半は、病を治してほしいということだ。
それは私が聖女として王都にいた頃からそうだった。
まぁ、そもそも他人のためにこんな危険な場所まで来る者は、過去にいなかったのだけど。
人は皆、自分の利益のために生きているのだから。
「孤独から」
「……孤独?」
まっすぐに青い目を向けてそう言った男の言葉の意味を理解出来ずに、私は聞き返す。
孤独だなんて、かわいそう。まるで私みたい。
「孤独から救いたいのなら、あなたが一緒にいてあげたらいいじゃない。とても簡単だわ。私の力は必要ない」
「一緒にいて、構いませんか?」
「ええ……」
なぜ私に確認するのだろうか。
まさか、この男……!
あまりにまっすぐ私を見つめているブルーの瞳に、鼓動が大きく跳ねた。
こんな感情を抱くのはいつぶりかしら。
「俺はあなたを救いたいんだ、クロエ」
「……」
やっぱり……。
名前を呼ばれたのは百二十年ぶり。
「あなたはリアムの生まれ変わりなのね」
「そうだ」
驚いた。話し方がそっくりなんだもの。
生涯で愛したただ一人の男。百二十年経ってもその話し方を忘れるはずがない。
「今更何を言っているのよ。私は魔女よ? もう無理なの」
「それでも償いたい。前世の俺はとても愚かだった」
リアムは、いつ死んだのだろう。幸せだったのだろうか……。
ううん。私を裏切った男よ。そんなことは関係ないわ。
「今更来られても手遅れなの。あれから百二十年が経ったのよ? それなのに私はあの頃と何も変わらないでしょう? 不老不死の、魔女になったの。正真正銘の、魔女に」
私は正真正銘、魔女になった。人を憎み、呪い、聖女ではなく、魔女になった。
老いない身体を手に入れた代わりに、孤独になった。誰かと一緒にいれば、必ず私がその人を失う、孤独な魔女に。
「もう何もかも遅すぎたのよ。私はあの頃の私じゃない」
頭に血が上ったように、熱くなった。
本当に、こんな感情は久しぶりだわ。
「そうだね、本当に待たせてしまった……。だがどうか、前世の愚かな俺を許してほしい。いや、許してくれなくて構わない。だがこの命が尽きるその日まで、どうか一緒にいさせてほしい」
あまりにまっすぐで熱い瞳に、つい昔を思い出してしまう。
リアム……リアム……本当にあなたなのね。
でも――。
「本当に勝手な人。あなたはまた、私を独りぼっちにする気?」
「……」
彼は必ず先に死んでしまう。私を残して、いなくなってしまう。
「それじゃあ殺して。あなたが死ぬ寸前に、私を殺すと約束して。今のあなたにそれができる?」
「……それはできない」
「やっぱりあなたは酷い人」
自分の願いを押し付けるだけで、私の願いは聞いてくれないのね。
困ったようにはにかんで笑う彼に、胸の奥が熱くなる。生まれ変わってまでこんなところに来るなんて……本当に馬鹿な人。
「その格好……あなたは貴族でしょう? いなくなったら大騒ぎよ」
「弟が二人いる。それに、俺にはもっと大切なことがあるんだ」
「……勝手にすればいいわ」
「ありがとう、クロエ」
「…………」
私の前に跪き、何かを誓うように胸に手を当てた彼に、とうとう限界を迎えた私はその場を離れた。
どうして……本当に、どうしてわざわざこんなところまで来るのよ……。
*
それから私と彼は、塔で二人、静かに暮らした。
「見てごらん、クロエ。今日はこんなに大きな魚が釣れたよ」
「まぁ、あなたって本当に釣りの名人ね。聖騎士ではなく、漁師になればよかったのに」
「俺は君だけの漁師だよ」
彼が塔に来て、十年が経った。少年のようだった彼はたくましく、立派な青年に成長していた。
けれど私は相変わらず、まったく歳を取っていない。
「それに俺はもう聖騎士ではない。作家になりたいんだ」
「あなたが書いた本はどれもつまらないわ。だってあなたの小説に出てくる魔女は、現実と異なるもの。魔女はドラゴンにならないし、空だって飛ばない。人々が求めている魔女は、もっと悪者よ」
「はは、何を言ってるんだ。小説はフィクションだぞ? それに、俺の中の魔女はいつだってとても格好いいんだ。それから、君が夜中に俺が書いた本を何度も読み直してくれているのを、知らないとでも?」
「……ずるいわ。寝たふりをしていたのね?」
「君のことはすべて知りたいんだ」
これから食事だというのに、彼は後ろから私を抱きすくめて、頰に唇を当てた。
まるで百二十年も時間が空いたのが嘘のように、あの頃のように、私たちは毎日笑って過ごした。
私はずっと、彼が生まれ変わるのを待っていたのかもしれない。
「愛してるよ、クロエ」
「……」
けれど、彼の愛の言葉に私が答えることはなかった。
彼はいずれ私の前からいなくなる。私を置いていなくなる。それはわかっている。
そんな幸せの日々は思っていたよりも早く終わりを迎えることになった。
ある日、大勢の兵を引き連れて、人間たちがこの塔にやってきたのだ。
「この魔女め! リアム様を返しなさい!!」
魔物の血を浴びて満身創痍の兵たちに囲まれた、豪華な馬車から女性が降りて叫んだ。
真っ赤な髪と、血のような色の瞳をした女性。
彼女がエルダの生まれ変わりであるということは、すぐにわかった。
「彼女は王女だ。幼馴染で、侯爵家の長男だった俺と婚約の話は出ていたが、それは弟に譲ったのだが」
「そう……。それならあなたは、帰ったほうがいいわ」
塔の窓から彼女たちを見下ろし、私は平静を装い静かに言った。
魔女とこんなところで一生を過ごして、彼が幸せだとは思えない。
それならば、兵を引き連れて迎えに来てくれた王女様と結婚したほうが幸せよ。
「俺は帰らない」
「……」
「帰りましょう、リアム様!」
下から、エルダの生まれ変わりの王女が叫んでいる。
エルダを思い出す、甲高い声。私を陥れた、あの日を思い出す。
「ねぇ! リアム様! お願い、降りてきて!! 魔女め! 私のリアム様に何をしたのよ!!」
「……彼女が呼んでいるわ」
「俺は帰らない」
「……」
私はエルダが憎かった。私を陥れ、彼を奪ったエルダが憎くて憎くてたまらなかった。
でも、今ならわかる。エルダはずっと、リアムのことが好きだったのよね。
「俺は……前世の俺は、とても愚かだった。エルダに薬を飲まされたとはいえ、君を信じることができず、酷く傷つけてしまったのだから」
「……過去のことはもういいわ。あなたはもう罪を償った」
そう、エルダは聖女ではなかったけれど、魔法薬を作るのが得意だった。
それでリアムも彼女が作った薬のせいで、一時的に人が変わってしまったようになったのだ。
でも正気に戻った彼は私に会うために一人で森に入り、魔物に殺されてしまったらしい。
だから生まれ変わった彼は、幼い頃から鍛錬に励み、力を付けてこの塔にやってきてくれたのだ。
エルダもその後、彼のあとを追って自決したというのは、生まれ変わったのち、記憶を思い出し、調べてわかったことらしい。
もう、それだけで私は満足。たとえ罪悪感からでも、この十年一緒にいてくれただけで、私は幸せだった。
「俺はあなたのところには帰りません! あなたが無理やり俺を繋ぎ止めるために薬を盛ろうとしたことをお忘れか! だが俺はもう二度と間違わない。俺が愛しているのはクロエだけです!」
「そんな……リアム様、どうして……! あなたを追ってここまで来たのに!!」
「あなたはもう、俺を追うのはやめてくれ」
「……リアム、さま……」
塔の外に向かってそう言い放った彼の冷たい瞳と言葉に、王女はその場に崩れ落ちた。
彼女を支えてやれる元気が残っている者は、もう兵の中にはいないようだ。
せっかく王女に生まれ変わったのに、変わっていないのね。
それより帰りは大丈夫かしら? 塔の外でなら、いくらでも休んでいって構わないけれど。
「クロエ」
呆然としている彼女を気にせず、彼は私の前に跪いた。
「俺はこの命が尽きるまで君と一緒にいると誓った。たとえ君に拒まれても、これからもずっとそうするつもりだよ」
「……リアム」
「愛している。クロエ。心から君を。もう二度と君を失いたくない」
魔女を愛するなんて……馬鹿な人。
私の手を取り、強い愛を誓った彼の青い瞳に、私の心を凍らせていたものが溶けていくような感覚を覚えた。
辺りを光が包み込み、幸福が広がっていく。
外の兵たちが騒がしい気がしたけれど、今はそれどころではない。
「……ありがとう、リアム。私もあなたを愛してる。一緒にいるわ。あなたと……最期のときまで……ずっと一緒に」
ぽろりとこぼれ落ちた涙を拭って、私はリアムの手を握り返した。
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